アイル

この恋は叶わない-4

「恐れながら……殿下のその症状は、性分化を迎えられたためではないかと思われます」
「性、分化?まさか。私はベータ性だろうと思っていたのだが……だが、おぬしがそう言うのならばそうなのだろう。とはいえ、アルファ性では……無いのだろうな。となると、オメガ性か」
 アルスラーンは何ともいえない複雑そうな表情をすると、苦笑した。
 一般的に他者の第二の性別について詮索や発言をするのは良く無いこととされている。それが王族相手となると尚更なのは言うまでもない。
 したがってダリューンは何と答えれば良いか分からずに押し黙ったままでいると、それで全てを察したアルスラーンは「そうか」と短く答えた。
「殿下、ひとまず私は医者の者をすぐに呼んで参ります。それまではどうぞ寝室でお休み下さい」
「分かった……と言いたいところだが、どうにも情けないことに身体に力が入らないのだ。悪いが手を貸してはもらえぬだろうか」
「はっ」
 それまではアルスラーンの周辺に漂う甘い空気に珍しく気後れして少し離れた所に跪いていたダリューンであったが、直々に言われてはそうもいかない。
 一度立ち上がって近くまで歩み寄ると、差し出されたアルスラーンの右手を下から掬い上げるように取り――しかし直後にそれまでとは比べものにならないほどの甘い香りがアルスラーンから立ち上る。
 そしてそれをもろに身体の中に取り込んでしまったダリューンは、意識がグラリと揺れるのと同時にその手を引き寄せて抱き寄せたい衝動に駆られ、しかしそれを必死に抑え込むと、何とかそれに成功した。
 しかしその代償に片手を床の上に付くと、深く首を垂れたのであった。
 一方のアルスラーンは、ダリューンが近付いてくるにつれて薄っすら漂ってきた香りに意識を奪われると、普段は見せないような陶然した表情を一瞬浮かべ、全身から力が抜けるような感覚に襲われていた。

 二人がこのような奇妙な衝動に襲われた理由は簡単だ。互いに距離を縮め過ぎたために異性を誘引するための香り、分かりやすく言うとフェロモンに双方共にやられたからである。
 とはいえ、アルファ性のフェロモンはオメガ性の者と比べるとはるかにその量が少なく、加えて興奮しているとかそういった要因が無ければ放出されていないので、通常状態であればそれほど気にするほどのものでは無い。しかし少量とはいえその効果は抜群で、アルファ性のフェロモンを間近で嗅いでしまったオメガ性やベータ性の者は、途端に抵抗することが出来なくなってしまうのだ。
 そして現在のアルスラーンは、運が悪いことに性分化というイベントのせいで体調を大きく崩していたので、ダリューンのアルファ性の香りに通常以上に大きく影響されてしまったという訳だ。

「ぁ、う」
 アルスラーンは先ほどの比では無いくらいに、身体の奥底から次から次へと熱が湧き上がるのに、片手で自身の上半身を抱きながら荒い息を吐いて何とかそれを追い出そうとする。しかし息を吐いたところでどうにもなるはずがなく、あっという間に熱に飲まれると自身の手に添えられていたダリューンの手を強い力で握った。
 この部屋に最初にやって来たのがダリューンであったことは、アルスラーンにとって心強かったのは言うまでもない。しかし彼がアルファ性であったことは、唯一にして最大の不幸であった。
 おかげでアルファ性のフェロモンに突然晒されてしまったアルスラーンは、オメガ性に分化したばかりというのも相まって、身体が発情期のような状態になってしまう。
 しかしアルスラーンは自身が発情期かもしれないと認識するほどの思考回路はほとんど残っておらず、突然の身体の変化にただただ戸惑うしかない。
 そしてダリューンもまさか自分のせいで主君がそんなことになっているとは夢にも思っていなかったので、今まで聞いたことの無いようなアルスラーンの甘い声が聞こえてきたの途端に鞭打たれたかのように動けなくなり、しかしすぐに気を取り直すと目の前で身体を折り曲げている主君の苦しみを何とか取り除こうとその背中をさするように手をそえた。
 その行為はダリューンにとって快楽と同時に苦痛を伴うものであったが、アルスラーンにとってもそれが同じであるとは露程も知らない。
 もしそれを知っていたのならば、ダリューンは非礼を詫びつつもこの部屋から一刻も早く退出し、医者を呼びに行っていただろうということだけは添えておく。
「如何なさいましたか」
「ダリューン……だめ、だ」
「殿下?」
 ダリューンが背中に手をそえると、そこにゾクリとした快感が背中に走るのにアルスラーンは申し訳程度に残っていた理性を奮い立たせて静止の声をかける。
 しかしアルスラーンの静止の声が小さすぎてよく聞こえなかったのか、ダリューンは耳をアルスラーンの口元に近付け――おかげでアルスラーンは、ダリューンの首筋から漂うえも言われぬ芳香をまともに吸ってしまう。
 おかげで残っていた理性もあっという間にドロリと溶け出してしまったアルスラーンは、もっとその香りを嗅ぎたいのだと本能が訴えているのに素直に従うと、目の前にあるダリューンの首筋に自身の額を寄せ、甘えるように擦り付けた。
「ア、アルスラーン殿下?」
「ふ……あっ」
 言うまでもでなく、これまでのアルスラーンは普段から性的なこととは無縁な生活を送ってきた。しかし現在のアルスラーンの様子はそれとは真逆だ。
 そんな主君の姿にダリューンが違和感を覚えたのは言うまでも無いが、それと同時に理性を根元から大きく揺さぶられるのを感じる。そしてそんな動揺を誤魔化すかのようにダリューンは主君の名を口にしたが、それにすらアルスラーンは感じ入ったような声を小さく漏らしながら肩を小さく揺らすのだ。
 その表情は酷く扇情的で。
 そして主君のそんな様子を見たダリューンは、そこでようやく幼い頃に学び舎で教えられた「オメガ性には発情期というものが来るのだ」という話しを思い出し、もしや現在の主君はその状態で、だから普段の様子と明らかに異なるのではないかと考えた。
 しかし如何せん十何年も前の知識であるから詳細についてはほとんど覚えておらず、こんなことなら酒の席でさり気なさを装ってその手の話しを聞いておくべきだったと後悔するが今さらだ。
 ただ愚痴を零していても仕方が無いので、とりあえずどのように発情期のオメガ性を扱えば良かっただろうかと必死に思い出しながら身体を固まらせていると、それに焦れたらしいアルスラーンが床に跪いているダリューンの肩に両手を乗せる。さらにダリューンの腿の上に乗り上げるような格好で纏わり付くと、その首筋をほんの少しだけペロリと舐め上げた。
「身体が……熱くてたまらないのだ」
「――っ、」
 ダリューンは、自身の腿に熱い塊が当たっているような気がしたがそれはきっと気のせいでは無いだろう。
 そしてそれに気が付くと、アルスラーンの身体をかき抱いて自らの下で鳴かせたいという衝動に駆られて無意識にその背に自らの手を回しかける。しかし脳裏に主君が最初苦し気な表情をしていたのを思い出し、なけなしの理性をかき集めると背中に添えかけていた手を両肩に乗せた。さらに主君に対する動作としては少々手荒ではあったが、その身体を自身の胸元から強制的に引き離した。
「殿下、申し訳ございませぬが、暫しの間ご辛抱を」
「なぜ、だ?」
 はっきり言って、今の状態は据え膳食わぬは男の恥といった状況かもしれない。
 しかしダリューンの理性は、主君がこのような状態になっているのは「発情期」のせいであって、本意では無いのだと訴えている。そしてその声を無視してしまったら、取り返しのつかないことになるのは間違い無いだろう。
 ダリューンは「失礼致します」と一声かけた後にアルスラーンの身体に手を回してその身体を持ち上げると、居間の奥にあった寝室の扉を開けてその中へと足早に入る。そして寝室の中央に設置してある寝台へゆっくりと主君の身体を横たえさせると、その身体にふわりと布をかぶせた。

 ちなみにダリューンが寝室から立ち去ろうとした時にアルスラーンは大層むずがり、何とか引き留めようと腕を掴んで行かないで欲しいと懇願していた。そしてダリューンもその言葉に再びぐらりと理性が揺らぐのを感じたが、奥歯を噛みしめて何とかその誘惑に耐えると、すぐに戻ると言ってアルスラーンを宥めて寝室を辞すことになんとか成功した。
 ダリューンはその後すぐに医者の控えている一室へ向かうと主君が性分化を迎えたことを伝え、その帰りにナルサスにもこの件は伝えた方が良いだろうと考えたので彼の部屋にも立ち寄ることにした。

 そんなこんなで、ようやく事態がひと段落する頃には夜が明けていた。
 全てが終わったときに医者から「アルスラーン殿下は発情期になりかけており、あと少し薬を飲むのが遅れていたらそのまま発情期に入っていただろう」という話しを聞いたダリューンは、やはりそうであったかと納得し、度重なる誘惑と衝動によく耐えられたものだと少しだけ遠い目をした。

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