アイル

この恋は叶わない-5

 アルスラーンが性分化をした翌日の昼。
 ダリューン、ナルサス、ファランギース、ギーヴ、エラム、そしてアルフリードの六人は、談話室へ集まると三人ずつ向かい合う格好で円座に座っていた。
 ダリューンは昨夜から今日の朝方にかけてずっと起きていたので一睡もしていない状態であったが、元々体力が人並み以上に有るのでさして疲れている様子は無い。しかし主君のとんでもない場面に居合わせてしまったので内心は穏やかではなく、そんな内心を表すかのように腕を組んで眉間に皺を寄せた難しい顔をしていた。

「――して、こんな時間からわざわざ我らを集めた理由は何じゃ?」
 ファランギースが黙りこくっているダリューンとナルサスを促すように凛とした声を発すると、それに応じるようにナルサスは一つ頷いた。
「ああ……実は殿下が昨夜に性分化をされてな。それがオメガ性だったのだ」
「おっ、オメ、っ!?」
「っ!?」
「ふむ、そうであったか」
「へぇ……オメガ性の者はすぐに隠れてしまうから、そういった意味ではアルファ性の者よりもさらに希少だな」
 ダリューンはアルフリードが思わず大声で性別を口にしかけたのを見るとすぐ周りに目を走らせるが、盗み聞きされないようにわざと無駄に広い談話室を選んだのでその心配は無さそうなのに胸を撫で下ろす。
 そして再び目線を元に戻すと、エラムは驚きすぎて声も出ない様子で目を丸くし、ファランギースは納得したような顔を、ギーヴは興味深そうな顔をして、それぞれの感想を表情や言葉でもって述べているのを眺めた。
「しかし、何故そのようなことを我らに話したのじゃ?第二の性の話しは繊細な内容故、気軽に口にするものでは無かろう。ましてや殿下の性となると尚更に」
「確かに、我らも話すかどうか迷った。しかし殿下の性分化が完全に終わり、身体が安定するまので間は発情を抑制する薬を飲んで頂いたとしても、抑えきれずに発情期を迎えてしまうことが間々あるそうなのだ。したがってこれまで以上に我らが殿下を護衛する必要があると考えたのだ」
「――それで、その任を俺らが交代でするという訳か」
 ナルサスが本題切り出すと、ギーヴがほうと小さく声を上げながら顎を擦る。それをナルサスは横目でチラリと見た後に大きく頷いた。
「ああ、ギーヴの言う通りだ。そしてそのためには皆に事情を予め話しておく必要があると考え、先に殿下の性について話したのだ。もちろん、これについては殿下に事前にご許可を頂いている。……して、どうだろうか?」
 軍師が皆の意見を伺うように周囲を見渡すと、それに応えて皆一様に大きく頷いた。
 何しろ自身の主君の一大事である。それを嫌がる者はこの場には一人もいなかった。

「だがなぁ……まさか殿下がオメガ性とは。いや、まあ確かに最近は妙に色っぽくなっている気はしていたが……」
「止めぬかギーヴ。殿下に対して何という口を利く。すぐにそうやって下世話な話題を口にするのはおぬしの悪癖じゃな」
「いやいやファランギース殿、どうかヘソを曲げられるな。もちろん一番はファランギース殿でございますれば」
 ギーヴの今の発言は、アルスラーンへの不敬罪とも取れる内容だ。したがってダリューンがすぐさま眉間に皺を寄せ、彼にしては珍しくギーヴへ抗議しようと口を開きかけるが、それよりも一足早くファランギースが止めに入った。
 ダリューンは良くも悪くも裏表が無く、ギーヴとは性格が正反対である。したがってこの二人がぶつかると意見が平行線を辿って少々面倒なことになることがたまにあるのだが、今回はファランギースが上手く間に入ってそれを阻止したというわけだ。
 ただし相手はあのギーヴである。ファランギースの鋭い視線を正面から受け止ても、芝居がかったような仕草で胸に手を当てながら頭を下げ、毎度の賞賛の台詞を並べ立てているあたり懲りた様子は一切見受けられない。しかしさらのその上を行く女神官(カーヒーナ)は、相手をするのも面倒だと言わんばかりに目を細めると、すぐに視線をナルサスの方へ向けてしまった。
「殿下は今自室にいらっしゃるのか?」
「ああ、そうだ。医者に出してもらった薬を飲んで頂いたので、今は大分落ち着いて眠っていらっしゃる。ジャスワントが扉の前に立っているので、何かあった場合は我らのところまですぐに知らせに来るだろう」
「あの者ならば、安心じゃ。しかしジャスワントにばかり負担をかけるのも悪いし、我らがどのような方策で殿下を護衛するのか早く決めねばならぬな」
 ファランギースはそう言うと考えるように少しだけ首を傾げ、ナルサスはその言葉を受けて深く頷いた。
「護衛の方策については、基本的に今までと同じで良いだろうと考えている。ただし殿下がお一人になってしまう時間を作らぬよう午前と午後に分かれて交代制の当番制にしたいと思う。それと、特にアルファ性の者に対してなのだが……念の為に殿下の護衛の際には必ず薬を飲んでもらいたい」
「薬……というと、あれか?オメガ性の香りに鈍くなるとかいうアルファ専用の抑制剤」
 ギーヴは天井に目線を向けながら過去の記憶を辿り、あれは鼻が馬鹿になるからあまり好かないのだよなぁとぼやいた。
「まあ確かに、嗅覚を鈍くする薬であるから違和感はあるが、殿下の状態が安定するまでは辛抱して欲しい。それで、不躾な質問で悪いとは思うのだが皆の性を教えては貰えぬだろうか」
 そこで予め医者から貰っておいた粉薬の入った包みを懐から八つ取り出したナルサスはぐるりと皆の顔を見渡し、それに答える形でそれまで大人しく座っていたアルフリードが腕を伸ばすとナルサスの手から薬の包みの束をヒョイと取り上げた。
「そんなの聞くまでもなく分かっているくせに。あたしと……それとエラムと、恐らくはジャスワントもベータ、それで残りの四人がアルファで間違いないだろう?まあでも、そうやってあたしに気を使ってくれるのもナルサスの良いところだよね」
 アルフリードはそう言ってうんうんと頷いた後に、ダリューン、ナルサス、ファランギース、そしてギーヴに、ナルサスから奪った薬を二包みずつ渡した。
 ちなみにエラムはアルフリードの「あたしに気を使ってくれる」という発言に大いに反感を抱いていたが、この場で変に横槍を入れて話をこじらせるのは得策では無いだろうと判断し、両目をつぶって何とか耐えた。したがってその場はあっという間にアルフリードの独擅場だ。
 そしてナルサスはアルフリードに逆に気を使わせてしまったのを悪いと思ったのだろう。申し訳なさそうな顔をしながらすまないと口にした。

「――それでは、ひとまず今決まったことを殿下に報告して参る。それと言うまでも無いとは思うが、ここでの話しは一切他言無用で願いたい」
 ナルサスは薬の包みを懐に仕舞い込みながら再度周囲を見渡すと、皆分かったと口々に答えた。

 しかしこれからアルスラーンの部屋へ行くというナルサスの言葉を聞いたダリューンは少しばかり眉をひそめ、談話室での話し合いが終わった後、部屋へと帰る途中の廊下でナルサスの横に並ぶと耳打ちをするようにやや小声で話しかけた。
「おい、ナルサス。薬のおかげで殿下の容体が安定してきているとは言え、おぬしはアルファだろう。無闇に殿下に近付いては……」
「おぬしは殿下のこととなると、相変わらず心配性だな。心配しなくてもジャスワントも傍に控えているし大丈夫だろう。――ああ、それかおぬしも一緒に来るか?」
「はっ?」
 いきなり何を言い出すのだと勢いよくナルサスの方を見たダリューンであったが、目の前の軍師はいたって本気なのか「どうする?」と言いながら首を傾げている。
 思わず勢いで頷きそうになったダリューンであったが、自身が主君相手に危うく一線を踏み越えてしまいそうになったのはほんの数時間前のことだ。ここで流されては駄目だと一つ首を横に振ると、半ば自分自身にも言い聞かせるように正論を並び立てた。
「……ジャスワントがいるから大丈夫とか、そういう問題では無い。我らが行くことで殿下を刺激して、せっかくおさまった発情の症状が再びぶり返しでもしたらどうするつもりだ。大体、ナルサスは今までオメガ性の者に会ったことがあるのか?」
「おぬしが絹の国(セリカ)に行っている時に一度だけ会ったことがある。何かの用で宮廷に呼ばれた者だったらしいが……まあ細かい事は良いか。
 それより、そんなに心配しなくともきちんと我らも薬を飲んでおれば大事には至らぬよ。以前宮廷の医者に聞いたこともあるが、双方気を付けていれば大丈夫だと言っていた。というか……それ以前に、午前中に私は殿下と二人きりで話しているのだが」
「……」
 何を今さらというように肩を竦められると、ダリューンはもはや何も言い返すことが出来ない。加えてアルスラーンの部屋であった自身の危うい一件についてはナルサスには話せていないので、それをここで理由として話す訳にもいかないので尚更だ。
 ダリューンは何とも言えない難しい顔をした後、諦めたように小さく息を吐きながら自分も行くと告げた。何だかんだと言いつつ、結局はダリューンが一番現在のアルスラーンの様子が気になっているのである。
 しかし相手はあのナルサスであるので、そこですんなりと話が終わるはずもなかった。
「しかしおぬしがそのように妙にごねるのは珍しいな。分化された時に偶然居合わせたと言っていたが、危なかったのか」
「……滅多なことを申すな」
「ふむ……戦士の中の戦士(マルダーンフマルダーン)であるおぬしに万が一などあるはずも無かったな」
 ナルサスは「すまぬすまぬ」と言って笑っているが、大げさな態度なので演技をしているのが丸分かりだ。
 ダリューンがわざわざ全てを話さずとも、稀代の軍師には全てお見通しなのである。
 そしてナルサスとの一連のやり取りの中で、ダリューンは心の奥底に主君に対する独占欲のような感情が生まれつつあるのを感じると、戸惑うように眉間に皺を寄せながら天を仰いだ。
 それは今までにない感情であった。

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