アイル

この恋は叶わない-6

 談話室に集まって話し合いをした日の夜。夕食を食べてアルファ専用の抑制剤を飲んだ後、ダリューンとナルサスは二人で連れ立ってアルスラーンの私室へと向かった。
 扉の前にはジャスワントが立っており、二人の姿に気が付くとアルスラーンの部屋の扉を数回叩いた後に、ダリューンとナルサスの来訪を告げた。

「ダリューンにナルサスか。わざわざ部屋まで来てもらってすまない」
「我々こそ、お休みのところに申し訳ございません」
 アルスラーンは、寝台の上で大きな枕にもたれかかる格好をしていた。したがって二人は寝台から少し離れたところに跪き、まずはダリューンが詫びの言葉を口にするとアルスラーンは気にしないでくれと言いながら片手を上げた。
 ちなみに現在のアルスラーンは、昨晩にダリューンが部屋へ入って来た以降のことは綺麗さっぱり忘れてしまっているので、本人を目の前にしても普段と態度が一切変わらなかった。それを見たダリューンは、胸を撫で下ろす反面少しだけ残念な気持ちになったが、挨拶のために首を垂れていたのでアルスラーンがそれに気が付くことは無く、ダリューン自身も自分の言葉に続けてすぐにナルサスが話しはじめたのでその気持ちもすぐに霧散した。
「体調が優れぬところ大変申し訳ないのですが、殿下のお耳に入れたいことがございましたので参った次第です」
「私に……ああ、午前中に話していた護衛の件だろうか」
「左様でございます。お話ししていた通りに決定致しましたのでご報告致します。詳細はまた後日に」
 アルスラーンは今朝方にナルサスが部屋にやって来て話していたことを思い出しながらその話を聞くと「分かった」と頷く。そして皆忙しいのに新たに仕事を増やしてしまったと重い溜息を吐いた。
「すまないな。次から次へと」
「我々は殿下にお仕えする身。お役に立てるのは至上の喜びでございます」
「……ありがとう」
 すかさずダリューンがフォローを入れるあたりはさすがというべきか。
 アルスラーンは苦笑しながらダリューンの方を向き、素直に礼を口にすると視線が正面から交差する。そしてそういえば、こうやってほぼ半日も互いの姿を見なかったのは久しぶりかもしれないと思い至り、そこで何故か首筋あたりがざわめくような気配がしたのに思わず反射的にダリューンから目線をそらしてしまっていた。
 医者やジャスワント、そしてナルサスと目が合ったときには特に問題無かったはずなのだがと考えるが、確認するためにもう一度目線を合わせてしまったら、今度こそ取り返しのつかないことになりそうな予感がするのにほんの少しの勇気が出ない。そこで一つの可能性に気が付いたアルスラーンは、ふと顔を上げるとナルサスの顔を見つめた。
「二人の第二の性について聞いても良いだろうか?その……いきなりで悪いのだが、少し気になることがあるのだ。あ、もちろん他言は絶対にしない」
「私も、ダリューンも、アルファ性でございます。殿下にお伝えするのが遅れてしまい申し訳ございません」
 ナルサスは深々と頭を下げるが、アルスラーンは慌てて自分の方こそいきなりすまないと口にする。しかしナルサスの答えが自分の予想とは違ったのにますます頭を悩ませた。
「ナルサスも、アルファなのか……とすれば、何故だろう」
 アルスラーンの予想では、もしやナルサスはベータ性で、ダリューンのみがアルファ性だから変に意識してしまっているのではと単純に考えたのだ。
 しかし冷静になって考えてみると、ここに来るまでの間に誰にも思いつかないような様々策を弄して、相手を手玉に取って来た軍師がベータ性であると言う方が少々無理のある話しであると今さらのように気が付く。
 とはいえそれに気が付いたところで新たな考えが思い浮かぶでもなく、アルスラーンはこれからどのようにダリューンと接すれば良いのか、あるいはこれはあくまで一時的なもので、それほど気にするものでもの無いだろうかと頭を悩ませた。
 そしてその時初めて主君に視線をそらされたのにそれなりのショックを受けていたダリューンは、その原因を探るべくここぞとばかりにアルスラーンが小さく呟いた「何故だろう」という疑問の台詞に食いついた。
「――殿下。差支えなければ、気になることとやらの内容について教えては頂けないでしょうか」
「えっ、あっ」
 人間という生き物は、話しかけられると自然とそちらの方に顔を向けてしまうものだ。
 その例に漏れずアルスラーンも声をかけてきたダリューンの方に自然と顔を向けてしまい、不意打ちで再び目線が合ってしまったのに先ほどより大げさに狼狽えた後、今度は頬を赤く染めながらフイと顔を横に向けてしまう。
 無論それを目の前でやられたダリューンがそれに気付かぬはずもなく、今度はあからさまに顔を背けられたのに相当な心的ダメージを受ける。しかしそのわりには主君の顔は赤く染まっていて、見方によっては恥ずかしがっているような気がしなくも無いのがせめてもの救いであった。
 そして一連の二人の無言のやり取りを横で見ていたナルサスは、大体のところを察してヒョイと片眉を上げたが、ここは王太子の御前である。したがって下手なことを言う訳にもいかないのでとりあえずはこの場を丸く収めることと、ついでにたまには旧友に一肌脱いでやって恩を売っておくのも悪く無いかと算段し、二人を自分の方に注目させるために少々大げさな仕草で再び頭を下げながら口を開いた。
「恐れながら、私にもその『気になること』とやらについて教えて頂けないでしょうか。問題が大きくなる前になるべく早く処置するためにも、身体の異変等で気になることがございましたら、些細なことでも構いませんので知りたいのです。
 というのも……誠に申し訳無いのですが、ここギランは医者でさえオメガ性に関して文献上の知識しか保有していないといっても差支えない状況なので、色々と心配なのでございます」
「そう、なのか……分かった、ちゃんと話そう」
 アルスラーンとしては内容が内容だけに、二人に話すのは正直あまり気が進まない。しかしダリューンだけでなくナルサスにまで頭を下げられると、そのまま黙っているのも気が咎める。
 それならとおずおずと口を開いたアルスラーンであったが、これから二人に話そうとしていることはダリューンという単独の相手にのみ発生する症状なので少なからず恥ずかしさ感じるのも事実だ。したがってそれを誤魔化すように指先は無意識に寝具の布を弄っていたのはご愛嬌である。
「その……実は、ダリューンと目が合うと首の後ろ辺りが熱くなって、普段のように目を合わせることが出来ないのだ。他意は無いのだが……ダリューンの気分を悪くさせてしまってすまない」
「い、いえ。とんでもございません。何か粗相をしてしまったかと心配してはおりましたが、そうでは無いようで安心いたしました」
 ダリューンは自分が何かやらかした訳では無いと分かってひとまずホッと胸を撫で下ろしたものの――己の姿を見たときに限り、首の後ろが熱くなるという主君の言葉に、もしや、と心拍数が少し上がる。
 そして今のアルスラーンの言葉に思うところがあったのはナルサスも同じだったらしく、顎に手を当てて思案するような仕草をしながら口を開いた。
「首の後ろで御座いますか……。殿下もお耳にしたことが何度かあるかもしれませんが、オメガ性の者は一般的にその箇所に香りを発生させる器官があると言われております」
「ああ、それは知っている。王宮で習った」
 アルスラーンがナルサスの言葉に頷くと、ナルサスはそれなら話が早いというように一つ頷いた。
「その器官をアルファ性の者に噛まれると、そのオメガ性とアルファ性は番になります。そして番となったオメガ性の者は、他のアルファ性を強く誘引する香りを発さないように変異するのです。
 今回そういった重要な器官のある首筋が、ダリューンと目が合った時に限り熱くなるという反応を示したということは……僭越ながら、殿下とダリューンには番の可能性が有るかもしれぬと考えたのですが――」
「な、っ……おぬし!」
 ナルサスは相変わらず真面目くさった顔をしているが、その内容はとんでもないことだ。加えてダリューン自身少し意識していたのもあって、ナルサスの話しを大人しく聞いていられるはずもない。
 したがってダリューンは、ナルサスの発言がまだ途中だったが、構わず顔を横に向けて「何ということを言い出すのだ!」という言葉を表情にありありと浮かべながら抗議の声を上げた。
 しかし一方のアルスラーンは予想外すぎる展開に頭がまるでついていっていなかったので、茫然とした顔で目の前の二人の臣下のやり取りをただただ見つめていることしか出来ない。そしてナルサスに言われた言葉を何度も頭の中で反芻し、そこでようやく意味を理解すると耳まで真っ赤に染めながらと狼狽えたような声を上げた。
「そっ、そうか……番か。第二の性がオメガ性であるということは、相手が同じ男性であったとしても、そういう関係になれるのであったな。すっかり失念していたから勉強になる、うん。しかし……ダリューンとは長い付き合いであるから妙な気分だな」
 アルスラーンとダリューンはそれなりに長く面識があるので、いきなり番かもしれないと指摘されて戸惑うのは当然のことだろう。しかし不思議とそこに嫌悪感が無いのは、もともと相手に対して純粋に人間としての好意を持っていたせいだろうか。
 ――なんてことを考えながら、アルスラーンはおかしな方向に行きそうな思考回路を必死に正そうとする。そしてアルスラーンがそうやって頭の中でぐるぐると考え事をしている途中、ダリューンはナルサスの的外れな進言に主君が惑わされてはたまらないと、身を乗り出すとさらなる説得にかかった。
「殿下、こやつの戯言に耳を貸す必要は御座いませぬ。
 ……だいたいナルサス、殿下が首の後ろが熱いと言っただけでどうしてそこまで考えが飛躍するのだ。俺がアルファ性の中で香りが強い体質とかで、それに刺激されているとかそういう可能性だって有るだろう」
「ふむ、なるほど。それについては確かに否定出来ぬな。体質というものは個々人で異なるのもまた事実」
 ナルサスは珍しく他者に言いくるめられたにも関わらず、興味深げに頷き「ダリューンもやるな」と楽しそうに笑っている。
 しかしダリューン本人は全く楽しそうな顔はしておらず、むしろナルサスの反応に白々しさを覚えて思わず眉間に皺を寄せながら、「全ては軍師の手の平の上で踊らせられていただけではないのか」という疑問を胸の内に抱いていた。
 ちなみにその時のアルスラーンは、意外にもダリューンが番の話しに食いついてきていたのに少々驚いていた。というのもダリューンの性格からして、もっと理性的に諌めるか、あるいは相手にせずに流すだろうかと考えていたからである。そしてそこまで考えたところで、官女が話していた「噂話し」を思い出し、ダリューンには既に相手がいるのだがら自分との番の話しに気乗りしないのも当然かと気を落とした。
 しかしダリューンとナルサスは互いに言い合いをしていたので、二人ともアルスラーンの様子の変化に気が付くことは無く、一通り用件も済んだのでそのまま部屋から辞してしまった。

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