アイル

この恋は叶わない-7

「番……か」
 二人の臣下が部屋から出て行くと、アルスラーンのいる寝室は途端に静寂に包まれる。
 それが少しだけ寂しくて、アルスラーンは先ほどナルサスに言われた言葉を思わず小さく声にした。すると、本当に自分自身がオメガ性になったのだという実感が妙に湧いてくるのと同時に複雑な心境が生まれるのを感じ、それを誤魔化すように再び横になった。
「私は贅沢だな……」
 アルスラーンは今までずっと自分がただのベータ性だとばかり思っていたので、希少種であるオメガ性になれたのは本心を言うと嬉しくなかった訳が無い。しかしその後には自分の父親である国王(シャーオ)と同じアルファ性でないことに落胆し、さらに駄目押しとばかりに番の話しでダリューンに半ば振られたように感じたせいでこの有様だ。
 しかし自分が段々と欲深な人間になっているように感じたアルスラーンはこれ以上はいけないと反省し、ダリューンにも番の件は気にしないで欲しいときちんと言わなければいけないだろうと考えた。
 ダリューンは出会った日からずっとアルスラーンに忠義を尽くしてくれている。したがって、そういうことはきちんと主君であるアルスラーンの口から言わなければ、彼はずっと気にするだろうと考えたのである。
 そしてそんなことを考えている間に意識を微睡ませたアルスラーンは、いつの間にか眠りの世界の住人になっていた。

 それからほんの少しだけ時間を遡り――
 アルスラーンの私室を辞したダリューンとナルサスは、部屋の扉の前で護衛をしていたジャスワントに労わりの言葉をかけた後しばらくの間無言で廊下を進み、回廊に差し掛かるとそこから中庭へと出る。そして主君の部屋から十分に離れたところで、まずはダリューンが口火を切った。
「おぬし……先ほどは殿下に何ということを吹き込むのだ。俺も騙されたが、番云々の話はわざとしたのであろう」
「はて、何のことやら。俺は単純に番かもしれない相手が殿下の目の前にいるのならば、互いに遠慮したままでいるのは良くないと思ったから口にしただけだ。そうでもしないと、真面目な人間はいつまでも『忠実な臣下』であり続けようとするだろうからな」
 ナルサスはとぼけたことを言っているが、つまりはダリューンの推測正しいと言っている。だがそこに悪びれた様子は一切無く、むしろ最後にお節介な一言を付け加えるあたり、ナルサスがナルサスたる所以である。
 しかしここで怒ったところで今さらどうにかなる問題でも無いので、ダリューンは憮然とした表情で手短に「余計なお節介だ」と答えた。
「ははは。そう機嫌を悪くするな、ダリューン。一般的にはアルファ性とオメガ性の者が番になる確率は非常に低いと言われている。だからその可能性が少しでもあるのなら……と思って、私は殿下に進言したのだ。全ては殿下の御身のことを考えてのことよ。おぬしも番のいないオメガ性の者の末路について、一度くらいは聞いたことがあるだろう?」
「……発情期の度に、望まぬ相手とそのようなことをさせられるとかいうやつか?」
 ダリューンは目線を夜空に向け、考えを巡らせた。
 一般的にはオメガ性もアルファ性と同じく希少種と呼ばれているが、発情期と呼ばれる特殊な期間があるため、どうしても「そういう商売」の者の餌食になりやすいのだ。
 したがって極々稀に自由民(アーザート)や奴隷(ゴラーム)の中で産まれたオメガ性の者が番を得る前にさらわれたり、売られたりということがあるようで、そういう話しはダリューンも噂話しとして聞いたことがあるのを思い出す。そしてナルサスはダリューンの言葉を聞くとそれも話しの一つとしてあるなと頷いた。
「全くろくでも無い商売を考える連中がいるものだ。私も宮廷に居た時にその噂を耳にしてな。何とか被害に合っている者達を保護出来ないかと色々調べてみたが、どうにも一部の貴族と繋がっているようで中々尻尾を出さぬのだ……――ああ、話がそれてしまったな。無論殿下はそうならぬよう我らがお守りするが。
 あと、その他の話しとして、番のいないオメガ性の者は晩年発情期に随分と悩まされるそうだ」
「……ん?薬で抑えられるものでは無いのか?」
 確か殿下はそれで分化直後の発情を抑えたはずだがとダリューンが口にすると、ナルサスは肩を竦めた。
「一時しのぎとしては薬で抑え込むのも有効な手らしいが、何十年も飲み続けると効きが悪くなるものらしい。だから医者は薬の乱用を余りすすめないのだそうだ。自然の理を無理矢理に捻じ曲げているのだから、全て我々の思惑通りに事が運ぶというものでは無いのだろうな」
「……そうか」
「そういうことだから、俺はあえて殿下にあの話しをしたというわけだ。
 さて。俺はこれから殿下の護衛の振り分け表を作るが、おぬしは昨日寝ておらぬだろう。今日はもう自室戻って休んだらどうだ?」
「いや、しかしおぬし一人で予定を組むのは面倒だろう」
「なんの。戦場ではいつもおぬしの世話になっている。命をかけなくても良い仕事など楽なものさ」
 ナルサスは気にするなというようにダリューンの肩を叩くと、部屋に戻るかと口にしながら踵を返し、それにダリューンは「悪いな」と答えながら続いた。

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