アイル

黒衣の騎士が理性を失う時-2

「お休みのところ申し訳ございません、陛下。少々お話しがあるのですが」
「あ、ああ。まだ寝ていなかったから全く問題無い」
 アルスラーンは身体に何も異変が無いのを確認した後、部屋の扉を開いてダリューンを室内へと招き入れる。そして彼に窓際の円座に座るようにすすめた。しかし直前に自らを慰めようとしていたためかその目は思いきり泳いでおり、明らかに普段とは様子が異なっていた。
 もちろんダリューンもそれにすぐに気付いたのは言うまでもない。だがこれから報告することを事前に耳に入れたためだろうかと勝手に早とちりしたため、それについて指摘をすることは無かった。
 むしろそれなら話しやすいなと考えながらそそくさと円座に座った後、すまなそうに眉を寄せながら早速本題を切り出した。
「その……すでに陛下のお耳には入っているやもしれませぬが、実はルーシャン殿からとある貴族の娘の方との縁談の話しを頂きまして。それで早速先方から一週間後に食事の席を設けたと言われてしまい……顔を出さねばならなくなりましたので、ご報告に参った次第です。急で大変申し訳ございません」
「縁談……」
 つまりどういうことかと言うと、ダリューンが女性と一週間後に見合いをするということだ。
 しかしアルスラーンにとっては寝耳に水の話しだったのでかなり驚くと、ほんの少し残っていた身体の熱を一気に降下させた後に目を見開きながら顔をやや青ざめさせる。
 そしてそれを見たダリューンは、そこでようやく主君は知らない話しだったのかと気が付くと慌てた様子でさらに言葉を重ねた。
「いえっ、その、言い訳がましく聞こえてしまうかもしれませぬが、私がお慕いしておりますのは、陛下ただお一人でございます!しかし一週間後というのはいくらなんでも急ですし……」
 それを理由にお断りすればなんとか……とダリューンはブツブツと呟きだした。
 彼のその反応からは、ルーシャンを通して紹介された手前、無下に縁談の話しを断わることが出来ないということが分かる。そしてそれに気が付いたアルスラーンは、これはいけないと慌てて顔を上げるとパタパタと両手を胸の前でふった。
「すっ、すまない!困らせるようなことを言ってしまって。いきなりだったから少し驚いたというか……。ともかく、食事の件については承知した。私もルーシャンには結婚の話しをよく言われるから、お互いさまだな……はは」
 もちろんそんな席には行って欲しくないというのはアルスラーンの本心だ。しかし自分の我儘を押し通して、ダリューンの立場を悪くするのは彼の本意では無い。
 したがってその気持ちに完全に蓋をして覆い隠すと、手を膝の上でギュッと握りながらも目の前に座っているダリューンに笑いかける。
 そしてその日のダリューンは、彼にしては珍しくコロッとその笑顔に騙されて頷いていた。
 もしもここが政務室などであれば、ダリューンがそんなヘマをすることはなかっただろう。しかし彼がアルスラーンの部屋へ私用で訪れるのは、以前彼を抱いた時ぶりなのだ。となると、自然とその時のことを意識してしまうのは、男であれば仕方が無い。
 そんなわけで、今の彼は目の前のアルスラーンを見ていると、それだけで身体の奥底から自然と熱が湧き上がってくるのを感じており、それを抑えるだけで精一杯であった。したがって肝心な主君の変化を見落としていた、というわけだ。
 そしてそんな調子に、互いに互いを思うあまりすれ違いをしている二人であった。


「それでは、失礼いたしました」
「わざわざ報告に来てくれてありがとう」
 ダリューンは一通り報告を終えると円座から立ち上がる。
 アルスラーンは心の中ではもう帰ってしまうのかと思ったが、今は彼を引き留めるだけの勇気は無い。したがって努めて平静を装いながら扉まで彼に付いて行った。
 そしてこのままダリューンは帰ってしまうのかと、寂しい気持ちを抱えながらぼんやりとその姿を眺めていたときのことだ。
「アルスラーン陛下……」
「……ん?――っ、ぅ」
 ダリューンは扉の前で一度立ち止まると、唐突にアルスラーンの名を呼ぶ。
 それに釣られるようにやや下に向けていた顔を上げると、律儀に失礼しますという断わりの言葉の後に頬に手を添えられて。少しだけ開いていた唇を覆うように、彼の唇で口を塞がれた。
「ふっ……ん、くっ」
 様子を伺うように何度か下唇を撫でられた後、分厚い舌が口内へと侵入し歯茎の裏側をベロリと舐め上げられる。
 そしてたったそれだけの接触でも、散々放置されている身体には媚薬に等しい。
 おかげで先ほど霧散したはずの熱が下肢に再び熱が集まり初めてしまい、しばらくするとはっきりと兆すのが分かる。それに口付けをされているという状況も相まって、思わず目の前に立っているダリューンに下腹部を擦り付けるように動かしてしまう有様だ。
 しかしダリューンは口蓋部分をベロリと舐め上げた後、唐突に唇を外してしまった。

 それはまあ、ダリューンの本心を言うとこのまま事に至りたかったのは言うまでもない。しかし前回から一か月も経過していない今、アルスラーンに無体を強いるのは彼の理性がどうしても許さなかったのだ。
 しかし未練たらたらなのは言うまでもなく。それを示すかのように、唇を外す時にアルスラーンの感じる場所――口蓋部分を舌で思いきり擦ってしまっていた。さらにそれだけにとどまらず、無意識にアルスラーンの両足の間に自身の腿を割り込ませ、そこを刺激するように前後に揺り動かすという所業を無意識下で行っていたというのは、ここだけの話しだ。
 そしてそれをやられたアルスラーンは、瞬間的に口と下肢に与えられた刺激に意識を持っていかれると、完璧に理性を蕩けさせてしまっていた。

「……それでは、お寝みなさいませ」
「はっ……ダリューン……」
 口付けがゆっくりと解けると、二人の間に銀糸が繋がりプツリと途切れる。それを見たダリューンは、アルスラーンの頬に再び手を這わせ、口の端からトロリと垂れていた銀糸を親指で拭ってやった。
 その時のアルスラーンの表情は、頬が上気し、呼吸も大きく乱れており……ダリューンに与えられた快感に完全に囚われているのが手に取るように分かる。
 無論それを間近で見てしまったダリューンは、理性が根元からグラリと大きく揺れた。そしてこのままでは主君に手を出してしまうのは時間の問題だと悟ると、後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも急いで部屋から辞した。
 そして部屋の中に一人残されたアルスラーンは、身体を支えるダリューンの手がなくなったことでズルズルその場に蹲ってしまった。
「行って……しまった……」
 中途半端に煽られたせいで、身体が完全に熱を持て余してしまっているのが分かる。今夜は眠れそうに無いと、アルスラーンは熱い息を吐いた。
 いつもより少しだけ早いダリューンからの甘い接触と縁談の話しは、アルスラーンの胸の中にほろ苦い思いを残した。


 ちなみに。普段はアルスラーンに事あるごとに縁談を勧めていたルーシャンが、ダリューンにその話を持っていったのには訳がある。
 つまりどういうことかというと、いくら主君に話しをしても全くその気が無いので、それなら周りから攻めようと、その矛先をまずは一番の側近であるダリューンに向けたのだ。
 一言で言ってしまえば、ダリューンにとってこの話しは、完全にとばっちりであった。
 もしもルーシャンがアルスラーンとダリューンの関係を知っていればこんなことにならなかったのだろう。しかし彼はダリューンの忠誠心が並外れて高いという認識しか無かったので、彼らの関係を疑ったことは一度も無かったのである。

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