アイル

騎士に恋をした国王の365日の顛末-2

「陛下、教育係の件についてですが……本当に私でよろしかったのでしょうか。ご不快でしたら、どうか遠慮なくおっしゃってください」
 いつものように宴の途中で席を立ったアルスラーンは、ダリューンに連れられて王宮内の私室へ戻るために廊下を歩いていた。
 そしてその最中も相変わらずぼんやりとしていたが、それを見かねたのか。少し後ろを歩いていたダリューンにおずおずと言った様子で話しかけられたおかげでようやく我に返ると、慌てて後ろを振り向きながら言い訳を口にした。
「あっ、いや。そんなことは無い。ただ、いきなりで驚いたというか……その、房中術とか、そういう方面の話しには慣れていないものだから。だがルーシャンからの縁談話しはこれまで散々断わってきてしまっているし、今回の件くらいはちゃんと彼の言うことを聞こうと思ってはいる」
「左様でございますか」
 今さら改めて言うまでもなく、アルスラーンが女性と浮いた話の一つも無いということを、ダリューンも承知しているのだろう。彼は当たり障りなく相槌を打つだけで深く聞いてくることはなかったのに、アルスラーンは内心でホッと息を吐きつつ再び顔を前に向けた。
 正直なところルーシャンがいきなり房中術に関する話題を出した時は、いつもの縁談話しのときのように断ろうと思っていたのだ。しかし最終的にそうしなかったのは、教育係がダリューンになったからに他ならない。
 つまりどういういことかというと、一言でいってしまえばアルスラーンはダリューンのことを、そういう意味で「好き」だった。

 ダリューンのことが好きになったきっかけはごくごく単純だ。
 アルスラーンがまだ幼い頃に王宮で一人ぼっちで寂しい思いをしている時、何かと気にかけてくれたこと。そしてアトロパテネの敗戦以降、王都を奪還するまでの長い旅の間常に傍らに彼がおり、助けてくれたからだ。
 最初は恋というよりも、その強さへの憧れとか羨望の感情の方が強かったように思う。しかしその手の感情が徐々に恋心に変貌するのは、往々にしてよくあることだろう。
 そしてギランにしばらく拠点をおくことになり気持ちに少し余裕が出来たせいで、アルスラーンは唐突にそれを恋だとはっきりと自覚してしまったのだ。
 おかげでしばらくの間はダリューンのことを意識しすぎてしまい、本人にそれはもう大層訝しがられたものである。しかしそれも今となってはいい思い出だ。
(あれから……もう一年以上経っているのか)
 今でもダリューンのことが好きであることに変わりは無い。
 ただ以前のように燃え上がるような衝動的な感情が無いのは、ギランを出てから再び戦続きとなり、自身の恋心にうつつを抜かしている暇など無かったからだ。そしてそうこうしている間に、その感情はいつの間にかアルスラーンの胸の奥深くに仕舞い込まれたのだ。
 そしてそのまま今に至るわけだが……
 ルーシャンの突拍子もない発案のせいで、いつもよりもはっきりと胸がざわついているのが分かる。
 久しぶりのその感覚は、ギランにいた時に感じていたものととてもよく似ており、アルスラーンに少なからず焦燥感を抱かせるものであった。
 ――あんな発案一つで、まさかここまで彼のことを再び意識してしまうとは。
 ダリューンから習う内容が房中術という際どい内容のせいもあるだろう。
 まあ房中術を習うといっても、どうせ口頭であれこれ教えられるだけなので考えすぎというのは重々承知している。しかしもう少しよく考えてから返答すれば良かっただろうかと考えつつ、アルスラーンは少しだけ赤らんだ頬を指先で掻いて隠すようにしながら口を開いた。
「その……ダリューンも忙しいのに、余計な仕事を増やしてしまったな」
「いえ、とんでもございません。ありがたき幸せに存じまする」
 そしてそこでタイミング良くアルスラーンの私室へと到着すると、ダリューンはいつものように扉を開けて頭を下げる。
 先ほど宴の席では珍しく慌てている素振りを見せていたが、今はもう普段と全く変わらない。
 そんな冷静なところも大人で憧れるんだよなと思いつつ、アルスラーンは礼を口にしながらその扉をくぐった。

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