アイル

騎士に恋をした国王の365日の顛末-4

「ギーヴか。こんな時間帯に珍しいな。仕事か?」
「おや、陛下」
 最初の授業から一か月ほど経過した週末の夜のこと。
 湯浴みを終えたアルスラーンが私室に戻るために侍従を従えて廊下を歩いていると、曲がり角に差し掛かったところで偶然ギーヴと鉢合わせた。
 基本的に週末の夜となると城の中には衛兵と急用のある文官くらいしかいない。したがってギーヴがこんな場所にいるのは珍しいなと思いつつ声をかけると、彼は一つ頭を下げた後に人懐こい笑みをその顔に浮かべた。
「仕事……そうですね。これから男の責務を全うしようと町へ出向くところでございますれば」
 つまり分かりやすくいうと、これから町の妓館へ向かうということだ。そして一瞬後にその意味に気が付いたアルスラーンは、苦笑を浮かべながら「そうか」と口にした。
「陛下はこれから部屋でお休みに?」
「いや、ダリューンとの授業がある」
「授業というと……ああ、例の」
 ギーヴは口元に指先を添えて考える素振りを見せたものの、すぐに合点がいったのか頷いてみせる。
 アルスラーンもそれに続いて、少し前の宴の席で決定した件だと付け加えてやると、彼は再び大きく頷いてみせた。
「閨事まで習わねばならぬとは……まこと、王宮というのは決まり事が多いですな」
「昔からの儀礼的な部分もあるのだろう」
 書物も残っているようだしと付け加えると、ギーヴは一瞬呆けたような表情をした後に面白そうに口元に弧を描く。しかしすぐに神妙そうな表情を取り繕うと、そのような書物と他の歴史的書物が一緒に書庫におさまっていると考えると、何とも奇妙なものですなあと告げた。
 とはいえその声音は若干うわずっており、本音では面白がっているのが丸分かりである。
 もしもこの場に真面目な人間――例えばダリューンあたりがいたら、間違いなく不敬だといって揉めただろう。
 しかしアルスラーンは、そこら辺は頓着する性格では無い。よって確かにギーヴのいうことにも一理あるなと考えつつも、大真面目な表情で「房中術の歴史もその書物から分かるのだから、書庫に保管する価値が十分にあるだろう」と添えてやる。
 そしてついにギーヴは耐え切れなくなったのか、肩を小さく震わせた。
「いやはや、これは陛下にしてやられましたな。しかし、となると俄然その中身にも興味が出てきてしまう。たしか、教育係はダリューン卿でしたか?授業の進め方などはどういった感じなのでしょうか」
「進め方か……ふむ」
 小さい頃に王宮で受けた別の授業と比較してみると、内容はともかくとして、問題提起からはじまって仮設、検証、そして結論と考察へと至る道筋は同じだ。
 したがって普通の授業と同じだと答えると、それを聞いたギーヴは心底つまらなそうにため息を吐きながら肩を竦めてみせた。
「普通、ですか。房中術なんて大層な名前ですから、てっきり実地でもあるのかと思ったのですが」
「実地……。――ッ!?い、いや、まさかそれはさすがに無い!」
 あまりにギーヴが平然とした表情をしているので、実地の意味することが分からず復唱してしまう。しかし房中術の実地とは、つまり実際にそういう行為をするということだ。
 そして房中術の教育係はダリューンなわけで。
「そ、そ、そんなことにダリューンを付き合わせるわけにはいくまい!それにダリューンは私と同じ男であるし」
 もちろん、世の中には同性同士で付き合っている者がいるというのも理解している。しかしやはり男女の恋人と比べると、その数は歴然と少ない。それにダリューンがそういう趣向であるということも、全く聞いたことが無い。
 したがってアルスラーンは、まるで自身の心を見透かされたようにも感じて、思わず大げさに反応してしまう。何故ならこのギーヴという男、かなり勘が鋭いのだ。
 しかしギーヴはその発言に逆に驚いたように目を瞬かせた後に噴き出す。それにますます焦ったアルスラーンが目を白黒とさせていると、彼は噴き出してしまったのを誤魔化すように一度小さく咳払いをした後、先ほどの発言の真意を説明しだした。
「もちろんダリューン卿ではなく、他の女性と、という意味でございます。さすがにダリューン卿が相手となると……その、勝手が違いすぎましょう」
 そこまで言うと、ギーヴは脳裏にその姿を想像してしまったのか。小さく呻いた後に額に手をそえて頭を振っている。
 そしてそこでようやく彼の発言の意味を理解したアルスラーンは、先ほどは不味いことを口走ってしまったと焦った。
 普通に考えて、男相手に実地をするという考えに至るのが、そもそもおかしな話しなのだ。それに今さらのように気が付くが、全ては後の祭りである。
 となると、ひとまずこの場を上手く切り抜けなければならない。そんなわけで下を向いて必死に頭を働かせていると、タイミング良く聞き覚えのある声がその場に響いたのに、アルスラーンはハッと顔を上げた。

「――陛下、こちらにいらっしゃいましたか」
「ダ、ダリューン!探させてしまってすまない」
「とんでもございません。それより早く部屋に戻られた方がよろしいかと。廊下にずっといらしては、せっかく温まったお身体が冷えてしまいます」
 思ったよりも長い時間ギーヴと立ち話していたせいで、授業の時間を過ぎてしまったのだろう。そしてしびれを切らしたダリューンが、アルスラーンを探しにきたのだろうということが容易に想像つく。
 したがって慌てて謝罪の言葉を口にするが、直前に話題にしていたネタがネタだけに、アルスラーンの口調が若干どもっているのはご愛嬌だ。
 しかしダリューンは特に気にした風もなく、それどころかアルスラーンの体調を心配し、さらには侍従から荷物を受け取ってもう戻ってよいと告げたりと、忙しく立ち振る舞う。
 そしてそんなダリューンの姿をギーヴは半眼で眺めながら、小さく首を振ってみせた。
「さて……では邪魔者はこれにて失礼させて頂くとしましょう」
「何を言う。それより久しぶりに直接話せて良かった。楽しんできてくれ」
 当たり障りのない挨拶を返すと、ギーヴは胸元に手を当て、演技がかった仕草で一礼をした後にその場から立ち去る。
 しかし「邪魔者」という表現に引っ掛かりを覚えたアルスラーンは、その場にしばらくの間立ち尽くしてしまった。
 直前のギーヴの言動。さらにはこの状況での「邪魔者」という表現を総合して考えると、自身の恋心がギーヴに気付かれたような気がしてならなかったのである。

戻る