アイル

騎士に恋をした国王の365日の顛末-5(R18)

「――して、陛下。何かご心配なことでも?」
「い、いや……そのようなことは――」
「無いようには見えぬのですが」
 ダリューンに連れられて王宮の私室に戻ったアルスラーンは、厚い絨毯の敷いてある窓辺まで案内されると、いつものように――例の授業は、時間帯の関係上別室ではなくここで行われるのだ――そこへ座り、置かれていたクッションの一つに寄りかかる。
 そしてダリューンがアルスラーンの前に茶を置くといきなりきわどい話題に触れて来たのに、思わず不自然なほどに上体を揺らした。
「私でお役に立てそうなことがございましたら、どうかお聞かせくださいませ」
「う、うむ……」
 そうは言われてもだ。何しろ今悩んでいる内容は、ギーヴにダリューンへの恋心がバレてしまったのではないか、ということだ。
 しかし残念ながら、今のアルスラーンには本人にそれを告げるだけの勇気は無い。よってもごもごと言いよどみつつ目の前に座っているダリューンの方をチラリと見る。すると、真っ直ぐに向けられた視線と目が合って。その瞳からは、彼の忠義に厚く実直な様がよく分かる。
 おかげで不自然なほどに胸が高鳴り出す始末だ。
 そして最終的にはアルスラーンの方が折れると、少しばかり慌てながらちゃんと話すと切り出した。

「ええと……先ほどギーヴと話していた時に、ダリューンに習っている房中術の話しになったのだが……その、実地はしているのかと聞かれて少し驚いたというか……」
「実地……ああ、そういうことでございましたか」
 ――とはいえだ。ここで、馬鹿正直に自身の恋心をダリューンに告げられるはずもない。
 したがって少々顔を赤くしながらその手前までの話しをかいつまんで話すと、ダリューンはすぐに理解したのか頷いてみせる。
 さらには、なるほどと口にしながら目線を横に流して考え事をはじめるのだ。そんなダリューンの様子は、ギーヴの言っていることも悪くないかもしれないと考えているようで。
 それが少々面白くないと思うのは、相手のことが好きであれば当然だろう。そしてそれはアルスラーンも例外ではなく、胸の中にもやもやとしたものが広がるのを感じて自然と顔を俯けた。
 それからはいつものように房中術の授業が始められたわけだが、直前に色々とあったせいか。その日のアルスラーンは初日ぶりにダリューンの話しに全く集中出来なかったのは言うまでもないだろう。

「――そういえば、陛下にお聞きしなければならないことが」
 そんなこんなで、その日の授業が始まってしばらく経った時のことだ。
 アルスラーンはそれまでダリューンの話しをほとんど聞き流してしまっていたが、珍しく彼の方から何事か尋ねてきたのに慌てて顔を上げた。
「どうかしたのか?」
「不躾な質問で非常に恐縮なのですが……少し前からルーシャン卿とナルサスに、陛下にきちんと確認をしてこいと事あるごとにせっつかれていることがございまして……」
 ダリューンにしては妙に歯切れが悪い。加えて言い訳じみた言葉まで述べている。それを不思議に思いつつ、逆に興味が湧いてくるのを感じてアルスラーンは先を促すように首を傾げて。するとダリューンは諦めたように小さく息を吐き出した。
「実は、陛下が精通されているかお尋ねしたく……」
「げほっ!」
 少し前のアルスラーンであれば、それは何だ?と答えていただろう。
 しかしここ一か月のダリューンの授業のおかげで、そちら方面の知識も大分増えたので、即座にその意味を理解する。さらにそれを聞いているのがダリューンだという事実に思わずむせた。
 なるほど。確かに、主君として仕えている相手にこんなことを聞くのはなかなか勇気がいるだろう。
「不躾なことを聞いてしまい申し訳ございません。その……ルーシャンがこれまで縁談を断られたのはそのせいではないかと、ここのところ悩んでおりまして」
「そ、そうだったのか」
 そしてそれを聞いたナルサスが、ならば教育係であるお前が確かめて来いとダリューンをせっついたのだろうとアルスラーンは予想した。
 ちなみにアルスラーンのその予想もあながち外れてはいなかったが、実際のところはダリューンが授業の最中のアルスラーンの様子を、まるで真綿が水を吸うように――なんて具合にルーシャンとナルサスの目の前で過大評価したのが元々の発端だったりする。
 無論ナルサスは、長年の付き合いで主君絡みとなるとダリューンの評価基準が甘々になるのを知っているので、話し半分に報告を聞いていたのは言うまでもない。しかしそうとは知らないルーシャンは、ダリューンの報告を真に受けると大いに喜んだのと同時に「そんなに覚えがお早いということは、全くその手の知識が無いということで……ということは、陛下はまだお身体の方が成長しきっておらず……だから縁談を断られているのだろうか。私はなんて失礼なことを!」なんて妄想力逞しいことを言いながら悩みだしたのだ。
 そしてその場をおさめるのが面倒になったナルサスが、事の元凶であるダリューンに確認をしてきて欲しいと言って丸投げをした、というのが真相である。
 普通に考えてみると、精通したかどうかなんて余計なお世話もいいところだろう。もちろんアルスラーンも、そんなことは進んで他人には言いたいとは思わないので、押し黙る。しかし精通しているのであれば、何も言わずに一つ頷くだけでこの話しはすぐに終わるのだ。
 そしてそれをせずに押し黙ったままでいるということは……つまり、彼は未だ精通していなかった。
(……やはり、ここは正直に言うべきなのだろうか)
 以前房中術の授業で精通に関することは聞いたことがある。アルスラーンはその話を、成長するとそんなこともあるのかと、どこか他人事のように聞いていただけであった。
 それに十五を過ぎたあたりから急激に身長が伸びだしていたので、成長しきったころに自分もそういう経験をするのだろうと勝手に考えていたのだ。
 ――そう考えていたのだが。
 目の前に座っているダリューンをさりげなく観察すると、申し訳なさそうな表情をしつつもしっかりと前を見据えており、その態度にはどこか余裕さを含んでいるように見える。そしてそこからは、「もちろん精通している」という答えをすでに持っているかのように感じられた。
(……参ったな)
 ダリューンがそこまではっきりと態度を現すのも珍しい。ということは、一般的にはアルスラーン程度の年齢には精通しているのが普通なのだろうか、という不安が不意に顔を出す。
 そしてアルスラーンはパルスの国王であるので、身体に少しでも違和感等があったらすぐに話すようにと日頃から口酸っぱく色々な者に言われているのだ。
 はっきり言って、好きだと思っている相手に精通していないことを知られるのはとても嫌だ。子どもだと思われそうなので、出来れば隠したい事実である。
 だがそんな個人的な恥を隠したがために、後で他の者に迷惑をかけることは本意ではない。
 そう考えたアルスラーンは、あまり気は進まなかったが、ここは正直に答えなければ駄目かと最終的に諦めると、おずおずと口を開いた。
「恥ずかしい話なのだが、実はまだ精通とやらはしていないのだ……あっ、だがルーシャンの縁談の話しを断ったのはそれに関係しているわけではない。そうではなくて、まだ国内の情勢も安定していないので、結婚とかそういうのは気が早いだろうと断わったのだ」
 本当のところは、未だダリューンのことを好いているので全くその気にならないだけだ。
 だがそれを言う訳にもいかないので、他の当たり障りのない理由の一つを口にすると、ダリューンは左様でございましたかと納得したように頷いてみせた。
「そ、それで……その、精通とやらを私の年齢でしていないのは、やはりおかしいのだろうか」
 そしてそこまで言ってしまったら、あとはもうヤケだ。
 心配になったことを直球でダリューンに尋ねると、彼はほんの少し目を見開いて驚いたような表情をする。しかしすぐにいつも通りに戻ると、記憶を掘り起こすように目線を斜め上に向けながら顎に指先をそえた。
「そうですね……こういった話を他の者としたことはあまり無いので断言はできませぬが。十五前後くらいになると、経験している者の割合の方が多いかもしれませぬな。しかしこういったことは、人それぞれでございます。成長して身体の準備が整えば自然と経験するものですから、気に病まれる必要は無いかと思われますが」
 ついでに、ご心配であれば自慰などされてみては?と何げなく付け加えられた言葉に、アルスラーンはポカンと口を開ける。そしてダリューンの発した見知らぬ単語をそのまま復唱した。
「自慰?」
「――ッ!?」
 話の流れから、何となくそういった関係の単語であるということは分かる。しかしダリューンがあまりにもすんなりとその単語を発したので、そこまで恥ずかしいものでは無いのかと思ったのだが。
 ところがその言葉をアルスラーンが発した途端、物凄い勢いでダリューンが顔を上げる。そしてその顔には明らかに「しくじった」と書いてあったのに、なるほど、これはおいそれと人に言ってはいけない単語らしいと心の中に刻み付けた。
 しかしアルスラーンにしてみれば、ダリューンにまだ身体が大人になりきっていないと知られてしまった以上、隠すことや恥ずかしがることなどもう何も無い。
 むしろさっさと精通とやらをして、彼と同じ位置に立ちたい一心なのだ。
 したがって、やや目線を泳がせているダリューンの顔を正面から見据え、はっきりと口を開いた。
「えっと……自慰?とやらをすれば精通しやすくなるのか?迷惑でなければ、是非そのやり方を教えて欲しいのだが」
「わ、分かりました。私でよろしければ……――あ、」
 その時ダリューンは、反射的に了承の言葉を発していた。しかしその直後、意味を理解すると同時に口を手の平で覆いながら目を白黒させた。
 それはまあ、性行云々についてこれまでも散々と口頭で説明してきたので、自慰くらいどうってことない感はある。しかし今回の一件に関しては、ダリューンにしてみれば全く準備をしていなかった事柄だったので驚いたのだ。
 まあ準備などせずとも、自慰なんてものは男ならば誰しも経験していることなのだが。やはりぶっつけ本番でとなると、内容が内容だけに妙に生々しさを感じるのである。
 しかしアルスラーンがこういった日常的な事柄――自慰をそういった分類で分けて良いのか甚だ微妙なところではあるが――で頼みごとをしてくるのは、かなり珍しいことなのだ。そしてそれは臣下として非常に嬉しいことでもあり、是非とも叶えたいと思うのは当然の成り行きだろう。
 したがってダリューンは最終的にアルスラーンの願いを聞き入れると、少しばかり戸惑いつつも、僭越ながらご説明させて頂きますと深々と頭を下げた。

「自慰と言いましても、それほど大げさなものではございません。ようは出すために自らの下肢に刺激を加えるだけでして……」
「はあ」
 ダリューンは一度目を閉じた後、いつものように平静を装うとひとまず自慰について大まかに説明をしはじめた。
 これがナルサスあたりであれば上手いこと煙に巻きながら説明出来たのだろう。しかし生憎とダリューンはこういったことは不得手なので、抽象的な表現が多くなってしまって上手いこといかない。
 そして抽象的な表現ばかりのせいで、その説明は残念なことにこういった方面に疎いアルスラーンには、いまいちピンと来ない内容となっていた。
 そんなわけで、アルスラーンが気の抜けた返事ばかりをしていたせいだろう。やがてダリューンは諦めたように肩を落とすと、説明が下手で申し訳ございませんと深々と頭を下げた。
「こうなりましたら……後日となってしまいますが、やはりここはギーヴの案を取り入れて、実際に女性を呼んで実地で――」
「女性っ!?」
 まさかの展開にアルスラーンが思わず上体をのけ反らせながら大げさな反応を示すと、ダリューンは不思議そうな顔をしながら頷いてみせた。
「ええ。私が相手というわけにもいきませぬので」
 ほんの冗談のつもりなのか、ダリューンはそう言うと小さく笑いながら肩を竦めている。
 しかしアルスラーン的には、好きでもない女性から説明されるよりも、ダリューンの方が断然嬉しい。
 というか、むしろ今こそ絶好の機会なのではと気が付くと、脳裏に閃いた言葉を勢いでそのまま口にしていた。
「そ、それならば……ダリューンの方が良いのだがっ!」
「――は。それは……もちろん陛下がお望みとあらば構いませぬが……」
 アルスラーンの発言を聞いたダリューンが驚いた表情をしながらも、意外にもすんなりと了承してくれたのに自然と口元が綻ぶ。
 しかし当のダリューンはというと、アルスラーンが女性を相手にするのが恥ずかしくてそういっていると都合よく勘違いしているのか。なおも「女性相手であっても恥ずかしいのは最初だけでございますよ」とか何とか言っている。
 それをアルスラーンは右から左に流すと、まさかの展開に高揚する気持ちを抑えきれず、思わず喉を鳴らした。
 胸の奥底にほんの少しばかり、自身の地位を利用してダリューンをいいように使っているという罪悪感があったが、それには気付かないフリをした。
 そんなわけで、謀らずも先ほどギーヴが口にした「実地でもあるのかと思った」という言葉が実現することになったのである。

 それからダリューンは、失礼しますと一言詫びの言葉を発した後にアルスラーンの方へ近付いてくると、背後に座りこんで抱え込むような格好になった。
 もちろんアルスラーンは物心ついてから誰かにそんな風にされたことは無い。加えてその初めての相手が好意を寄せているダリューンとなると、平静でいられるはずもなく。
 居心地悪くもぞもぞと身体を動かしていると耳元で苦笑され、その拍子に吐息が少しだけ吹きかかって背筋がピンと伸びてしまう。
 なんというか。自分でもどれだけ過剰反応しているのだと呆れるくらいだが、こればかりは勝手に身体が反応してしまうのでどうしようもない。
 そしてそんなことを考えて恥ずかしさを紛らわせていると、両手を下肢へと這わせられ、寝間着として身につけている裾の長い上衣をまくりあげた後に下衣をずり下げられた。
「失礼いたします」
「ん、っ」
 ダリューンは目の前に露になった下着に手を這わせると、ソコを布越しに数本の指先で上下に撫でる。すると腰の辺りにジワリと熱が広がったのに、アルスラーンは無意識に小さな声を漏らした。
 それは初めての感覚であったが、何となく快感であると本能的に分かる。
 とはいえそもそも自慰すらろくに分かっていないアルスラーンにとっては馴染みの無い感覚だったので、咄嗟に上体を前に倒して身体を逃がそうとしたのは仕方が無いことだろう。
 しかしダリューンは逃がすまいというように目の前の背中に覆いかぶさって。少しずつ兆しだした陰茎をさらに追い込むように、今度は下着の中に手を突っ込んで直接陰茎を弄り出した。
 そしてその状態で竿を手の平で上下に数回扱かれたら、あっという間だ。そこは瞬く間に固く芯を持ち、しかも透明な液体が先端から勝手に溢れ出して止まらない。
「う、うう……なんか、出て、っ」
 何かおかしなものでは無いのだろうかと背後にいるダリューンの気配を探っても、その液体について彼が特段気にしているような素振りはない。
 だから何となく、これが精液というやつだろうかと思うと、好奇心がむくむくと顔を出し、自身の陰茎の先端に手を這わせてしまう。
 そして先端の小さな孔から溢れている液体を指先ですくい取ると、それは次から次へと溢れ出して止まらない。
「う、ぁ……止まらな、っ」
 その光景を見ているだけでひどく卑猥に感じて興奮してしまうのは、この状態にしたのがダリューンの手だからだろうか。
 そしてそれを自覚した途端に、今さらのように羞恥心が溢れてきて。
「これが、せい、えき?」
 それを誤魔化すように咄嗟に頭の中に思い付いたことを口にすると、耳元でダリューンが「いいえ」と囁いたのに、アルスラーンは小さく身体を震わせた。
「こちらは精液ではございません。一般的には……先走りとか我慢汁とか言われているものでございます」
「さき、ばしり?」
「精液の前に分泌されるので、そのような名称になっているのかと」
 それなら精液とは一体どんなものなのかという疑問が脳裏に浮かぶ。しかしその問いを口にする前に、ダリューンは竿に添えていた手を先端まで思わせぶりに這わせ、亀頭を不規則にギュッと握りこむように刺激してくるのだ。
 おかげでそこから広がる快感に夢中になってしまい、考え事をする騒ぎではなくなる。
「まっ――それ、まずっ……!」
 今まで経験したことのない鋭い感覚が下肢から脳天にかけて走り抜けると、ダリューンの手の平に擦りつけるように勝手に腰が前後に小さく揺れ動いてしまう。
 しかし今のアルスラーンは陰茎から広がる快感に完全に意識が支配されているので、それに気付くだけの余裕は無い。
 さらには不意打ちで裏筋を押し潰すように刺激されたらもう限界だ。
「なんか、出ちゃ~~~ッッ、あ!?」
 瞬間的に、身体の奥底から熱い液体が勝手に溢れてくる奇妙な感覚に焦る。なんとかその流れを止めようと、咄嗟に自身の陰茎に手の平を添えるがそんなものでどうにかなるはずもなく。
 アルスラーンは腰を大きくブルリと震わせながら、大量の白い液体を陰茎から溢れさせてしまった。
「これ……っ、やぁ」
 何とか流れを塞き止めようと先端の小さな孔を中途半端に手の平で塞いだせいで、ブチュリと卑猥な音がそこから漏れる。
 それがたまらなく恥ずかしかったのに思わず泣き言を漏らすと、腹に回されていた綺麗な方の手でほんの少し乱れた髪の毛を整えるように軽く頭を撫でられる。おかげでただでさえ赤く色付いていた顔が、耳元まで赤く染まって。
 さらにダリューンは、駄目押しとばかりに耳元で「こちらが精液でございます」とか囁きながら亀頭から竿の部分にベッタリと垂れている白い液体を指先でぬぐうのだ。
 恐らくダリューンは垂れている精液を拭き取るような感覚でそこに触れているのだろう。しかしそもそもアルスラーンは、身体を洗う時くらいしかそんな場所には触れないのだ。
 加えて、射精後の余韻もまだ全く抜けきっていない。
 そしてそんな状態のときに、ソコに無遠慮に触れられたら――不味いと思った時にはもう遅く、下肢を再び小さく震わせてしまう。
「ふっ、ぅ、ぅぅ、あ」
 一瞬後に再び陰茎の先端から、トプリと先ほど達した際の残滓のような液体を溢れさせてしまった。

「陛下、お身体の方は大丈夫ですか?」
 目の前が霞むような感覚を覚えたので、背後にいるダリューンの胸元に寄りかかりながら荒い息を吐いていると、心配そうに顔を覗きこまれる。
 しかしながら肝心なアルスラーンはというと、達した余韻のせいでいつも通りの反応を返せなかった。
 ――まさか初めてでこんな立て続けに二回も出してしまうとは。
 とんでもない経験をしてしまったと思う。だがそれと同時に、これが自慰というやつなのかとはっきりと理解した。
「はあ……それにしても、今までは精通しそうな予兆など全く無かったのに……」
「恐らくは……直接刺激したのが呼び水となったのでは?」
 恥ずかしいのを誤魔化すようにぶつぶつと呟いていると、それが聞こえたのか。独り言に思いがけず返答が返ってきたのに薄っすらと目を開けると、ダリューンはどこぞから取り出した布で手に付いた白い液体を拭っている。
 そしてその光景をぼんやりと眺めていると……先の行為の内容が、以前に教えられた性行というやつと非常に似ているような気がしたのに勢いよく顔を背けた。
 もちろんダリューンに頼んだ時点で少なからず下心があったのは確かだ。しかしまさかこんなに凄いことだとは。
 加えてこの行為をして欲しいと誘ったのは、アルスラーンからなのだ。
 それに気が付くと、未だ下肢を無防備にダリューンの眼前にさらけ出しているという状況も相まって、再び羞恥心が頭をもたげだす。しかしそれと同時に、胸の中にふわりと温かいものが広がるのを感じた。
 そのように感じるのは、「授業」という名目とはいえ、ダリューンに直接肌に触れられ、恥ずかしいところも全て見られたせいだろうか。
 そして彼はアルスラーンの恥ずかしい姿を見ても笑うことなど一切なく。むしろ壊れ物を扱うように優しい手つきで接し、今だって心配そうな表情で気を使ってくれている。
 そんな事実に、やはり自分は彼のことがどうしようもなく好きなのだと気付かされる。
(ああ……)
 ダリューンはアルスラーンとの間に一線を引いている。
 例えば剣の稽古とかそういった事が無い限りは、アルスラーンの横に並ばずに必ず一歩引いているし、ましてや肌に直接触れるなんてことは、絶対にしない。そしてそういった行動は、主君と騎士という身分の差から来るものなのだ。
 だからアルスラーンが幼少の頃には無自覚に、物心付いた頃からは意図的に、いくら手を差し伸べても、彼がその手を取って一線を越えてくることは無かった。
 それが今はどうだろう。
 彼はほんの少し前にはアルスラーンの頭を撫で、今だって抱きかかえる格好で体調を心配してくれているのだ。
 それは普段のダリューンからは絶対に想像が出来ない姿である。そしてそれらの事実は、彼との間にあった縮まらないはずの距離が、一気に短くなったかのような錯覚をアルスラーンに覚えさせた。
「私は、ダリューンのことが……好きなのだろうか」
 ついうっかりとそんなことを口にしてしまったのは、その場の雰囲気に完全に流されていたとしか言えない。
 それを聞いたダリューンは小さく身体を揺らし、彼にしては長い間何も言わずに沈黙してしまう。それはほんの数秒のことであったが、アルスラーンを現実に引き戻すには十分な時間であった。
 そしてアルスラーンはそれに気が付いてハッと目を見開くと、何てことを口走っているのだと慌てて手の平で口を塞いだ。
「……私のような者には、勿体無いお言葉でございます」
 幸いにしてダリューンは、すぐにいつものように当たり障りの無い答えを口にすると、未だ乱れた状態だったアルスラーンの下衣を整えた後、スッと身を引いて頭を下げた。
 その言葉の意味なんて考えるまでもない。
 ダリューンは先のアルスラーンの言葉を受け流すことで、その気持ちに応えるつもりは無いと言ったのである。
 ――そんなことは分かっているのだが。
 いっそはっきり「無理だ」と言ってくれればいいのにと、今ほど心底思ったことはない。
 そう言われた瞬間はかなりのショックを受けるだろうが、そちらのほうがよほどすっぱりと諦めがつくというものだ。
 こんな風にどこまでも優しくされると、自分にもまだチャンスがあるのではないかと勘違いしてしまう。

 そしてそれ以降は二人とも何も言葉を発すること無く、その日の授業はうやむやのまま終わった。

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