アイル

獣の本性-3

「――さて。斑類に関することは、ひとまずこのくらいでしょうか」
 他にも細かいことはあるらしいが、それは追々お話しいたしますとナルサスは告げると、未だ雀の姿のままのエラムを両手でそっと持ち上げながら立ち上がった。
 それにならってアルスラーンも立ち上がると、ナルサスの手元にいるエラムを覗きこむ。
「エラムは結局目覚めなかったな……心配だ。本当に人間に戻れるのだろうか?」
「なに、ご心配召されますな。エラムは普段落ち着きすぎているのですよ。たまにはこうやって驚かすのも悪くないでしょう」
「ははは。目が覚めたら、自身の失態に気付いて大層恥ずかしがるだろうな」
 アルスラーンの心配をよそに、ナルサスとダリューンの二人は口々に好き放題言いながら笑っている。
 その様子から察するにアルスラーンの心配は取り越し苦労なのだろう。しかし謀らずも魂現させてしまった原因が自分である手前、アルスラーンとしては笑ってはいられない。
 したがって明日にはきちんと謝ろうと考えているとあっという間に部屋の扉へ到着し、臣下の二人はいつものように頭を下げながら退室の挨拶を口にした。
「それでは我々はこれにて失礼いたします。扉の前にはジャスワントを立たせておきますので、何かございましたらお声掛けくださいませ」
「最初は戸惑われることも多々ございましょう。しかし必ず我らがお護りいたしますゆえ」
「ありがとう。頼りにしている」
 ナルサスとダリューンの気遣いに微笑みながら感謝の言葉を口にすると、二人はそれぞれ口元に笑みを浮かべながら扉の外へ吸い込まれていく。
 そしてダリューンがゆっくりと身を翻した瞬間、甘い香りが再び漂ったような気がするのに反射的に顔を上げると目の前で扉が閉まった。

「……これが、先ほど言っていたフェロモンというものの香りなのだろうか」
(うーん……?)
 考えれば考えるほど謎は深まるばかりだ。
 とはいえ、アルスラーンにとっては好ましい香りであることに違いはない。したがってまあ良いかと流しながら寝室へと向かう。そしてその途中で窓際の絨毯の上からナルサスに渡された羽を取り上げると、上衣の襟の合わせ目に差し込んだ。
 まさかこの世界に斑類と呼ばれる存在がいただなんて。
 少なからず戸惑いはあるが、それ以上に胸が高鳴るのを感じながらアルスラーンは寝台へと潜り込んだ。


 そしてアルスラーンが床へ就いた頃。
 主君の部屋から退室したダリューンとナルサスの二人は、扉の前に立っていたジャスワントに労いの言葉をかけた後、それぞれ王宮内にある私室へ戻るべく廊下を連れ立って歩いていた。
「ああ……心配だ。やはり俺も陛下の護衛に付いた方が――」
「またそれか。ひとまず今宵はジャスワントで十分だろう」
 あの者もお前と同じ猫又の重種、豹だぞという言葉にダリューンは押し黙って眉間に皺を寄せた。
 先祖返りしたせいで現在の主君の魅力はとんでもないくらいに膨れ上がっている。その証拠に、軽種であるエラムが一発でその香りに中てられて魂現するほどだ。
 しかしそれも斑類の重種ほどとなれば、理性を保つことくらいはとりあえず問題ない。加えて今のアルスラーンはナルサスの羽を持っており、さらにダリューンが『目隠し』をしている。
 つまりどういうことかというと、言葉は少々悪くなるが、重種の中でも希少価値が高い斑類の二人が、アルスラーンは自分の物であると匂い付けしている状態なのだ。それに手を出して喧嘩を売るような物好きな斑類は、そうそういないだろう。
 そこまで考えたところでこれ以上自身の意見を押し通すのは単なる我儘にしかならないかと考えると、ダリューンはため息を吐いて分かったと頷いた。
「ひとまず、明日の朝に側近の者へ事情を説明することにしよう」
「あまり気は進まぬが……仕方あるまい」
 本心では誰にも言わずに隠していたい。
 しかし現在のアルスラーンは、自らの魂現を全く隠せていないため、先祖返りですと自ら振れ回っている状態なのだ。したがっていくらダリューンらが隠したところで、全く意味の無いことなのだ。
 そこでちょうど分かれ道に差し掛かったので、二人は軽く手を上げて別れた。

 ダリューンはしばらく歩いたところで回廊に差し掛かると、柱の隙間から見える晴れ渡った夜空を見上げながら遠い昔の記憶に思いをはせた。
「あの日のことを思い出す……」
 もう十年以上も昔のことだ。用事を頼まれたダリューンは市場へ赴き、そこでアルスラーンと初めて出会ったのだ。
 そしてその日の出来事を、ダリューンは一度だって忘れたことは無い。

戻る