アイル

獣の本性-4

 宮廷では、毎朝主要な者が集められて重要な事項の伝達が行われる。アルスラーンが先祖返りとなった翌朝は、その伝達の後に斑類の者のみ意図的に残されると、国王が先祖返りしたという旨がルーシャンの口から事務的に告げられた。
 無論その瞬間には小さなざわめきが広がったものの、大将軍(エーラーン)であるキシュワードが腹の底から「静まれ!」と一言発したことですぐにその場はおさまった。
 そしてその言葉と同時に発せられた重種独特の重苦しい気にあてられた一部の軽種の者達は、思わず耳と尻尾を出しながら身体を震わせた。

「本当、あの時はすごかったよ。先祖返りって聞いてみんな興味津々だったのにさ、キシュワード卿が一喝した途端に目をそらしちゃって!私が思うに、キシュワード卿のあの気合いの入った一言のおかげで、陛下の周りを固めているのがみんな重種なのを思い出したんだよ」
 そう口にすると、アルフリードは悪ふざけが成功した時の子どものようにクスクスと笑う。それに対してダリューンは「そうだな」と相槌を打ったが、ナルサスの方を眺めながら人の悪そうな笑みを浮かべていたので、この状況を面白がっているだけというのが丸分かりであった。
 つまりどういうことかというと、ダリューン、ナルサス、そしてアルフリードの三人は、絨毯の上に座って茶を飲んでいた。
 なかなかに珍しい面子であるが、別に示し合わせて集まった訳ではもちろん無い。
 そうではなくて、そろそろアルスラーンの身の振り方を真剣に話し合った方が良いだろうと、ダリューンの当直がない日の夜にナルサスが王宮内にある私室へ彼を呼び寄せたところ、そこに偶然アルフリードがやってきたのだ。
 もちろんアルフリードがナルサスの部屋までやって来たのには理由がある。その日エラムは夕方からアルスラーンの護衛の任にあたっていたので、邪魔者がいない隙を狙ったのだ。
 しかし生憎と先客にダリューンがおり、そのまま引き下がるのも面白く無いので間に割り込んだというのが事の顛末である。
「まあともかく、キシュワード卿のおかげでとりあえず丸くおさまって良かったよね。みんな自分達の主君が先祖返りだなんて光栄だって喜んでいるし」
「なんだそんな話しまで知っているのか。関心だな」
 主君が先祖返りであることを告げてからまだ数日しか経っていないのに。相変わらずの情報の速さにダリューンが褒めてやると、アルフリードはまんざらでも無い様子で胸をそらしながらさらに言葉を続けた。
「偶然、聞いた話しだけどね。ああ、あとは陛下から猫又と翼種の重種の匂いがするっていうのも大きいみたい。先祖返りしてすぐにそんな大物の匂いをまとわせているなんて、さすが陛下!付き従っている者達も格が違う!って具合に」
 その言葉に、ダリューンは無意識に誇らしげな表情をしながら頷く。しかし直後に、「ただ下世話な連中は、猫又と翼種で陛下を取りあっているんだって馬鹿なことを言っていたよ」と続けられたのに、顔から一切の表情を消した。
「ほう……そのようなことを言っているふとどき者がいるのか」
「ひっ!」
 不運にもダリューンの怒りの気を正面からまともに食らったアルフリードは、思わず魂現しかけてヤマネコの耳と尻尾を出してしまう。そしてその様子を茶をすすりながら眺めていたナルサスは、呆れた様子でため息を吐いて首を振った。
「はあ……。おいダリューン、いきなり怒気を撒き散らすな。それとアルフリード、耳と尻尾が出ているぞ」
「――ッ!?みっ、見た!?」
 ナルサスの指摘にアルフリードは我に返ると、顔を真っ赤にして頭をおさえながら慌てている。それに対してナルサスが見ていないと返すと嘘だ!と言って腕を叩いていて。
 ダリューンはその様子を見ながら思わず含み笑いを零すと、ナルサスに思いきり睨まれた。
「ゴホン……ま、まあ、今のはダリューン卿も見なかったことにしておくれよ。ともかく!心配しなくても、そういう連中はちゃんと引っ叩いて教育的指導をしておいたから」
「なるほど」
 それは助かるとダリューンが頷いてみせると、アルフリードは未だ羞恥心が抜けきれていないのか。目線を明後日の方角へ向けながら、お安い御用だと答えた。
 そしてちょうどそこで、夜という時間帯にもかかわらず部屋の扉が叩かれたのに三人は思わず顔を見合わせた。


 それから時はほんの少しだけ遡り、アルフリードがナルサスの部屋へちょうど訪れた頃。
 アルスラーンは日課である湯浴みを終え、エラムとジャスワントを伴って私室へ戻るべく廊下を歩いていた。そしてその途中で珍しい人影を見つけると、顔をほころばせながら小走りで廊下を駆けだした。
「ギーヴ!旅から戻ったのか」
「おや?これはこれは陛下、お久しぶりでございます」
 アルスラーンの気配にすぐに気が付いたギーヴは、振り向くといつものように胸に手を当てながら大仰な仕草で礼をする。そして頭を上げてアルスラーンと目が合った瞬間少し目を見開いたのだが、ちょうどその時に遅れて駆けて来たエラムとジャスワントに声をかけられたせいで、アルスラーンがそれに気が付くことは無かった。
「陛下、お待ちくださいませ」
「ああ……またやってしまった!すまない」
 今は絶対に単独行動は禁止。護衛はなるべく手の届く範囲に必ずつけるということになっている。
 しかしこの決まり事が出来てからまだほんの数日しか経っていないせいで、アルスラーンはついつい以前のような行動を取ってしまうのだ。そのせいで護衛のエラムやジャスワントに迷惑をかけっぱなしで申し訳ない。したがって素直に謝ると、二人は逆に驚いたような表情を浮かべながら自分達の落ち度だと詫びた後、ギーヴと話すのに邪魔にならない位置まで下がった。
 そしてそこで、それまで黙ってエラムとのやり取りを見ていたギーヴが、不思議そうな表情を浮かべながら口を開いた。
「今日はまた護衛が随分と多いのですね。何か情勢に変化でも?」
「ん?特に変化は無いが」
 そこでそういえばギーヴは数か月ぶりに城に戻ったことを思い出す。つまりはアルスラーンが先祖返りとなったことも知らないわけで。
 となると、そのことを彼にきちんと伝えなければいけないと考えるが、そもそもギーヴが人類なのか斑類なのか分からないのだ。したがってアルスラーンは咄嗟に言葉に詰まってしまう。
 すると何を考えているのか。突然ギーヴがさらに一歩足を踏み出して近付いてきたのに、アルスラーンはどうしたのだろうと考えながら目を瞬かせた。
「えっと、ギーヴ?」
 たかが一歩くらいなんてことないと思うのだが、たかが一歩、されど一歩。手の平二個分ほどしかない距離感を体験するのは、剣の訓練時以外では初めての経験なのだ。
 したがって目線を合わせることも出来ずにうろうろと彷徨わせていると、その様子を間近で見られていたのか。フッと小さく笑われて。それにつられるように顔を上げた瞬間、鋭い眼差しに射抜かれたようになって動けなくなる。
 そしてその隙を狙ったかのように綺麗な顔が目の前まで一気に近付いてきたのに、アルスラーンは首をすくめながらギュッと目をつぶった。
「ああ……やはり良い香りがいたしますね。それと陛下のものとは別の、御守りの香りが二つ。勘違いかもしれないと思いましたが、やはり陛下は先祖返りされたのですか」
「うっ、ぁ」
 魂現まで覗き見るつもりなんて全く無かったのだが、ここまであからさまにぶつけられて気付かぬはずもない。
 ギーヴは斑類、その中でも猫又の雪豹だ。
 そして直前に射抜かれるような鋭い視線を向けられたせいだろうか。ついうっかりと大型の肉食獣になると、自分のような小型の猫なんて頭から一口で飲み込めるのだろうなという妄想を思い浮かべてしまったのが不味かった。
 ちょうどそのタイミングでギーヴが耳元に鼻を近付けてきたのにアルスラーンは大げさなほどに飛び上がると、そのまま驚いた勢いで魂現してしまい、スナネコの姿になってしまった。

「陛下っ!?」
 ギーヴは、もちろん慌てて身体を離すが時はすでに遅しだ。
 気絶して床の上に横たわっているスナネコ姿のアルスラーンを両手で抱き上げると、少し離れた場所で二人の様子を伺っていたエラムとジャスワントが大慌てて走り寄ってくる。そしてジャスワントがギーヴの手からアルスラーンの身体を受け取る……というか奪い取ったところで、エラムが珍しく怒った様子で「ギーヴ様だから信頼していたのですよ!」と告げた。
「こんな人目のある場所で、あのようなことをされるとは!」
 エラムは文句を一言言うだけでは怒りがおさまらないのか、さらにぶつぶつとお小言を並びたてる。しかしもしもこの場にファランギースがいたら、ギーヴだからこそ信用出来ないのだとエラムを諭したのは間違い無いだろう。
 そしてそれは事実ではあったが、さすがのギーヴも廊下なんて場所でアルスラーンを魂現させるつもりは無かったのは本当だ。したがって彼にしては珍しく、その場で素直に頭を下げた。
「すまぬ。悪ふざけが過ぎた」
「はあ……私ではなく、後で陛下へおっしゃってください。ひとまず私達二人で陛下を部屋までお連れします。ギーヴ様はナルサス様を呼んできて頂けますか?」
「承知した」
 エラムがギーヴに対してそんな用事を頼むことは滅多に無い。しかしあえてそれを頼んだのは、アルスラーンから離すためだろう。
 もちろんギーヴはすぐにそれに気が付くと、返事をしつつ、年々師であるナルサスに似てきたなと内心ぼやいた。

 そして話は冒頭に戻る。つまりは、ナルサス、ダリューン、そしてアルフリードのいる部屋の扉をギーヴが叩いたというわけだ

■ ■ ■

 ダリューンらはギーヴからの報告を受けると、大急ぎでアルスラーンの部屋へ向かった。もちろん道すがらダリューンがギーヴに怒っていたのは言うまでもないだろう。
「エラム、陛下のご様子は?」
「ダリューン様にナルサス様、お呼び立てして申し訳ございません。陛下は寝室でお寝みになっておられます」
 もちろんエラムがアルフリードの名前を呼ばなかったのはわざとだ。それに気が付いたアルフリードが勢いよく顔を上げたのは言うまでもないだろう。しかし現在居る場所はアルスラーンの居室で、隣の間が寝室になっているので騒ぎ立てるわけにはいかない。したがって文句を言いたいのをぐっとこらえると、顔をしかめるだけにとどめた。
「懸念していたことの一つが起きたな」
 ナルサスが顎に手を添えながら独り言のように口にした言葉に、ダリューンは深く頷いてみせた。そもそも今日はその懸念事項について話し合おうとしていただけに、一歩遅かったのが心底悔やまれる。
 そして皆黙ったことでその場に微妙な空気が漂いはじめると、たまらずといった調子でギーヴが口を開いた。
「俺は大いに反省している、反省しているとも」
「うむ……まあ、起きてしまったことは仕方あるまい。今後は十分に気をつけてくれ。それに今回の件に関しては俺の方も手落ちであったしな。ギーヴがそろそろ戻ってくる時分だというのは分かっていたのだが、帰ってきた後の行動まで予測するのを失念していた」
「おいおい、俺はどれだけ信用が無いのだ」
 ギーヴはナルサスの言葉を聞いて心外そうな顔をしている。それに対してダリューンは、日頃の行いのせいだろうと暗に多くの女性と浮き名を流していることを指摘してやると、彼は不服そうに鼻を鳴らした。
「ともかく、護衛の体勢については早急に考え直すとしよう。エラムとジャスワントの報告によると、陛下はまだ先祖返りであるというご自覚があまり無いのか、一人で行動してしまうことが多々あるようだし」
 ひとまずきちんとした体勢が整うまでは、エラムとジャスワントの他に、陛下の行動を事前に察知できるような鼻がきく人間を新たに付けた方が良いだろう……とナルサスが口にすると、皆の視線がダリューンに集まる。
「――それでは、俺が」
 もちろん満更でも無かったダリューンは、皆の視線の後押しもあって自ら名乗り出る。
 そして満場一致でアルスラーンの新たな護衛が決定した。

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