アイル

獣の本性-6

 翌朝。いつものようにエラムに起こされたアルスラーンは、寝台の上で目を擦りながら小さく欠伸を零す。
 そこでそういえば、寝たときには猫の姿だったのを思い出して頭に手を這わせるが、そこにそれらしき耳の感触は無い。ということは、寝ている間に人の姿に戻ったらしいと胸を撫で下ろした。
 しかしそうやって安堵していられたのもほんの数秒のことだ。
 すぐに昨晩の自分の恥ずかしい行動の数々を思い出すと、目を見開いて顔を一気に真っ赤に染める。さらに物凄い勢いで上体を起こして寝台の足元に目を向けると、そこにダリューンの姿が無かったのに安堵する反面、残念な気持ちも感じて思わずため息を吐いた。
「陛下、いかがなされましたか?」
「ッ!?」
 思いのほか近くから声をかけられたのに驚いて顔を横に向けると、エラムが不思議そうな表情を浮かべながらアルスラーンの様子を伺っている。
 手に水差しを持っているところから察するに、アルスラーンを起こしにきたついでに新しい物と交換してくれていたのだろう。
「あ、ああ……エラムか。水の交換、ありがとう。ところで……その、ダリューンを見かけなかっただろうか?」
 ここで「寝室で」という言葉を付けなかったのは、昨晩ダリューンがこの部屋にいたのを知られるのが、少々恥ずかしく思えたからだ。
 だからといって特に知られて困るようなことは何も無いのだが。
(――って、困ることとは何だ!?私は朝から一体なんてことを考えているのだ……!)
 思わず両手で頭を抱えて寝台の上で突っ伏しながら、とりあえず高ぶっている感情を落ち着けようと深く息を吐く。そしてようやく一段落したところで顔を上げると、エラムが先ほどとほぼ同じ姿――水差しを手に持ったままの格好で寝台の横に立っていた。
 そしてアルスラーンと目が合うと、首を傾げながらどこか具合でも悪いのですか?と模範的な問いかけをした。
「い、いや!大丈夫だ。寝起きで、少し混乱していて」
 ここでエラムに何を混乱しているのかと尋ねられたら、色々な意味でもっと訳の分からないことになるのは間違いないだろう。
 しかし幸いなことに彼は模範的な家臣である。
 余計なことは言わず、左様でございますかと頷くと、それかけた話題を元に戻した。
「ダリューン様でございましたら……今朝方、護衛の任を後退する時にお会いいたしましたが」
 恐らく今は自室に戻られて休んでいるのではという答えに、アルスラーンは少しだけ肩を落とした。
「外に、いたのか」
「はい。いつものように扉の脇に立っておられましたが……何か御用がございましたら、伝えますが」
 そこで親切に付け加えられた言葉にアルスラーンは大丈夫だと答えると、寝台からゆっくりと立ち上がった。
 ――ということはだ。
 ダリューンはアルスラーンが寝た後しばらくしてから、部屋の外に出たのだろう。
 冷静に考えてみると、彼の性格からしてその行動になんら不思議な点は無い。むしろやっぱりそうかと納得するのと同時に感心する。
 そのはずなのに。そんな行動を心の片隅で少しだけ面白く無く感じるのは、同じ空間にせっかく一緒にいたのに、知らぬ間にその姿が無くなってしまったせいだろうか。
(最近の私は……おかしいな)
 状況は違えど、似たようなことは今まで何度もあったはずなのだが。斑類とやらに変化して甘い香りを感じるようになってから、その香りにつられるようにダリューンのことばかり気にしている気がする。
 そんなことをぐだぐだと考えていると、いつの間にかエラムの手によってあけられた窓から風が流れこんできた。
「――あ……」
(ダリューンの香りだ)
 その風に乗ってふわりと覚えのある芳香が鼻腔に広がると、沈みかけていた気分が上昇し、自然と顔が綻ぶのを感じる。
 そしてその瞬間、自分の中でダリューンの存在が急激に大きくなっているとはっきりと感じた。
 しかしその感情がどこから来るものなのかは、さっぱり分からなかった。

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