アイル

現と夢の恋心-3

 会社の喫煙スペースでダリューンとキスをするという夢を見た直後。よりによって本人と顔を合わせてしまったせいで、アルスラーンはとんでもない羞恥心に見舞われた。とはいえ、その時にはどうせ一時的なものだろうと深くは考えていなかったのもまた事実ではある。
 しかしそれから一週間が経過した今になっても、その羞恥心は全く癒えてはいなかった。
「もう、この夢……いい加減にしないとな」
 つまりどういうことかというと、ダリューンとキスをする夢を見た日を境に、アルスラーンは奇妙な夢を連日連夜見るようになっていた。
 そしてその夢の内容に、ここ最近はほとほと困り果てていたのである。

 アルスラーンの見る夢の中の世界観は固定なのか、いつも中東風の世界だ。そしてダリューン以外にも、ナルサス、エラム、ファランギース、そしてギーヴなどの見知った顔も時折登場した。
 毎夜の夢にちゃんとした繋がりが有る訳では無い。戦ったり、宴会をしたり、何てことない日常を過ごしたりという様々なエピソードを毎夜見ている。
 だがどうやらこの夢は続き物らしいのだ。
 アルスラーンは毎日その夢を見て夢の中の登場人物と会話をしているうちに、夢の中で自身がパルスという国の王太子で、王都を奪還するために旅をしているらしいと気が付いた。そして自分は、その間の出来事を夢として細切れに見ているらしいのである。
 これだけ聞くと、漫画やゲームのような世界観でなかなか面白いと思うかもしれない。というかアルスラーン自身、少なからず楽しんでいる部分があるのも事実である。
「うん……普通に皆と過ごしているぶんには、楽しいんだよなあ」
 しかし先日の夢の時のように、部屋でダリューンと二人きりという状況になると、大概そういう方面に話が進むのだ。しかもここ数日は、日常会話を楽しむどころか口付けをしながら下半身に手を伸ばされている。
 そして夢の中の出来事とはいえあまりの内容に衝撃を受けて飛び起きるというのを繰り返しているため、ここのところ寝不足な毎日を送っているのである。
 何故夢の中のダリューンは、アルスラーンにそんな際どい真似をしてくるのか。その理由は未だに聞くことが出来ていない。
 しかしわざわざ聞かずとも二人きりの状況になったとき、ダリューンの纏う雰囲気は非常に甘いものに変化するのだ。だから恐らくは恋人同士なのだろうと勝手に考えている。
 加えて改めて本人に尋ねて恋人同士であると答えられたら……それは非常に恐ろしいことに感じたので、未だに聞けず仕舞いでいるというのもある。何故ならこれはあくまでもアルスラーンの夢の中の出来事であるから、夢の中のダリューンが恋人同士であると答えでもしたら、それはつまりアルスラーン自身の本心を言っているということを意味しているような気がしたのだ。
 したがってこの件については、あまり深く考えないようにしている。
 まあそれはともかくとしてだ。
 夢の中のダリューンのセクハラ攻撃に困り果て、その結果の冒頭のぼやきという訳である。
 しかし今日のアルスラーンは、秘密兵器を用意したのだ。
「今日はこれがあるからな。久しぶりに熟睡が出来る……!」
 アルスラーンは自室で一人、フフフと怪し気な笑い声を漏らしながら、座卓の上に置いていたビニール袋の中身を漁る。そしてそこから缶ビールを一本取り出してプルタブを摘んで持ち上げると、その中身を一気に煽った。
 つまりは酒の力を借りて酔いつぶれてしまえば、おかしな夢なんて見ないだろうという算段である。
 ちなみに今日は酒を買い込むために、珍しく定時に仕事を切り上げて帰ってきた。おかげで明日は大変だろうが、寝不足なところをいくら粘っても効率が悪いだろうし、それならいっそとさっさと帰ってきたのだ。
 だがそれが建前なのは言うまでもなく、本当のところはこうだ。
 ダリューンはパルス商事の御曹司であるアルスラーンの教育係なので、現在同じ寮に住んでいる。
 しかしながら、ダリューンは会社に入社してから十年以上経過しているので、本来であれば寮を利用することなど出来るはずもない。しかし彼にしては珍しく「教育係なのだから」とゴリ押しをし、その結果特別に寮を使用する権利をもぎ取ったのだ。
 もちろんアルスラーンは、四六時中見張られているみたいでそこまでするのはさすがに勘弁して欲しい……と言っては聞き入れられるはずも無いので、もう社会人になったのだからそろそろ自立をしなければと、社長であり父でもあるアンドラゴラスに頭を下げたのだ。
 しかしすでに会社の中でも重要なポストについているダリューンの言葉と、ただのひよっこ新入社員であるアルスラーンの言葉のどちらを聞き入れるかなど、考えるまでもないだろう。
 その結果ダリューンはちゃっかりとアルスラーンの部屋の隣室に住む権利をもぎ取り、よほどの事情が無い限り二人は一緒に通勤しているのだ。
 そしてそんな調子でダリューンが常に張り付いているとなると、缶ビールを一本買うだけでも飲み過ぎたら身体に良くないとかなんとか言って、こんこんと説き伏せにかかるのは想像に難くないだろう。
 とはいえアルスラーン自身はそこまで酒に執着している訳では無いので、普段は特に問題は無い。
 しかし今回ばかりは別だ。一週間近く奇妙な夢に安眠を妨害されたせいで寝不足が続いているので、さすがにもう酒に頼るしかないと考えてしまうくらいに切羽詰まっている。
 というわけで今日はダリューンが仕事を終える前にさり気なさを装って先に会社を後にし、寮までの帰路の途中にあるコンビニで、ビクビクしながら缶ビールを数本買い込んできたというのが事の真相である。
 そこでアルスラーンは再びビールを一口飲むと、本格的に酔っ払って前後不覚になる前に、残りの缶ビールを部屋に備え付けてある冷蔵庫に仕舞い込む。
 そして部屋に居る際の定位置である座卓まで戻ってくると、机の上に無造作に置いていた携帯電話を取り上げ、眠くなるまでの暇つぶしに安眠方法についてでも調べるかとブラウザを立ち上げた。

「へー……人が夢を見るのは記憶を整理するため、か」
 ほんの数十分ほどあれば調べ終わるはずが、いつの間にか脱線して一時間もネットサーフィンをしていたというのは往々にしてよくある話である。アルスラーンもその例に漏れず、安眠法について調べていたはずが途中で派手に脱線し、いつの間にか夢のメカニズムについてのネット記事を熱心に読んでいた。
 記事によると夢を見るのは記憶の整理をするためという他にも色々と説はあるらしく、明確な結論はまだ出ていないのだと結ばれている。
 しかしアルスラーンはそんな諸説の中でも特に記憶の整理という単語に興味を惹かれると、意味もなくその文字列の周辺を指先で辿りながら遠い昔の出来事に思いをはせた。
「記憶、なあ……記憶といえば、そういえば昔にダリューンがあの夢と似たようなことを話していたな」
 詳しいところは分からないが、親の話しによるとアルスラーンとダリューンの家は先祖代々の付き合いらしい。そんな関係もあって、ダリューンとはそれこそ生まれた時からの付き合いなのだ。そしていつの間にか今のような主従関係になり、幼い頃はそのことに疑問を全く抱いていなかった。
 しかし成長して幼稚園に通うようになり外の世界を知ると、ダリューンとの関係が決して普通では無いのだと自然と気がつく。そしてある日その疑問をダリューン本人にぶつけ、その時に彼は何故か本棚にあった中東の世界を描いた絵本を読み聞かせてくれたのだ。
「たしかあの時だよな……。遠い遠い昔、私がその時読んでくれた絵本の中の王子様のような存在で、ダリューンがその従者だと言っていた」
 当時はまだ幼稚園生だったとはいえ、物語と現実の違いはもう分別が付いている。それに自分の家がどうやら普通と違うらしいということも、その頃には薄々気が付いていた。
 したがってその時アルスラーンは、そういった家同士の関係のことを、物語に絡めて分かりやすく説明してくれたと思ったのだ。
「だが今になって考えてみると、妙な気もするな」
 何が妙なのかは明確には言葉に出来ない。
 ただダリューンはその日を境に妙に中東を舞台にした絵本を読み聞かせてくれるようになり、いつの間にか遊びの延長からアルスラーンのことを「殿下」と呼ぶようになったのだ。そしてナルサスなどの近しい人間も、それに習うかのようにアルスラーンのことをいつの間にかそう呼んでいる。
「それで、すっかりその話を忘れていた今になってあの夢か」
 そこでアルスラーンは手に持っていた携帯電話を座卓の上に置く。そして少々行儀が悪いとは思ったものの、部屋には誰もいなかったので空になった缶ビールを座卓の横に置いてあるゴミ箱に放り投げ、背後に置かれているベッドに頭を投げ出して天井を見上げた。
「しかしなあ……記憶の整理といえばそうなのかもしれないが、少し考えすぎなような気もしなくもないというか。もっと単純に……欲求不満が爆発しただけとか」
 ほんの思い付きだったが、そちらの方がむしろしっくりくる。
 それにここ最近は学生時代はほとんど縁の無かったグラビア雑誌とか、そういう類のものを読むようになったというのも相まってなおさらにだ。
「そもそもは寝惚けてダリューンを女性と勘違いしてしまったのが発端だしな……うん」
 おかげで最近はグラビア雑誌を見ていても、ダリューンとのキスの記憶が脳裏に浮かんでしまって目の前の女の子に集中出来ない。したがってここのところはすっかりグラビア雑誌はご無沙汰なのだ。
 なんだかそれはそれで色々とおかしいような気がしなくもないが、これ以上深く考えては墓穴を掘ってしまいそうなので、早々に考えることを放棄して瞼をゆっくりと閉じる。
 すると脳裏に、先ほど思い出したばかりの幼稚園の頃の記憶が浮かんだ。
 当時ダリューンは、恐らく高校生くらいだったはずだ。彼が学校から帰ってくるのを、通りがよく見える二階の自室の窓にかじりついてずっと待っていた。
 そして彼はそんなアルスラーンの期待を裏切らず、自宅ではなくアルスラーンの家にまず立ち寄り、部屋で決まって絵本を読んでくれた。
(ああ……そうだ、そうだった。懐かしいな)
 頭の中でその時の映像を思い浮かべると、それをきっかけにどんどんと昔の記憶が甦る。
(それで絵本を読んだ後に、ダリューンは必ず――)
 「覚えていらっしゃいますか?」と聞いてきたのだという独り言は、結局酒による睡魔に負けて形をなさずに脳内で霧散する。
 ただダリューンの期待の込められた眼差しが、アルスラーンのことを見つめていた。



「殿下。床の上でお寝みになられては、身体を痛めてしまいます」
「う……ダリューン?」
 またこのパターンだ。
 酒を飲んで泥酔してしまえば夢を見ることも無いだろうと思ったのだが、世の中そうは上手くいかないものらしい。どうやらまた夢を見ているらしいと寝ぼけた頭で考える。
 そして身体を優しく揺すぶりながら、耳元でアルスラーンの名を呼んでいる聞き覚えのありすぎる声に応じて渋々と閉じていた瞼を開けると予想通り。目の前にはダリューンの姿があった。
 しかも心臓に悪いことに、彼の顔は自身の顔の目の前にある。つまりそれだけ二人の身体は密着しており、見方によっては抱き合っているように見えなくも無いだろう。
 そこまで寝ぼけた頭で考えたところでようやく現状を把握したアルスラーンは、物凄い勢いで上体を引こうとする。しかしどうやら床の上に寝転がってしまっているのか、そのままの格好で身体をひくつかせることしか出来ないでいると、ダリューンは不思議そうな表情を浮かべながらさらに顔を近付けてきた。
「ヒッ!?」
 今までの夢の中での経験上、この流れからいくとこの後にキスをされるのはほぼほぼ間違いない。加えて今回は寝転がっているという体勢もあいまって、いつも以上に貞操の危機を感じる。
 いや、まあそもそも男なので貞操の危機と言っていいのかどうかもよく分からないが。
(いやいや、そんなことはどうでも良くて!)
 そんな細かいことは今はどうでも良いのだ。それよりもともかく、キスまであと数秒というこの状況をどうにかするのが先決である。
(逃げる……のはさっき失敗したしな)
 となると、残るは直接的にキスを阻止するしか方法は無い。
 一番簡単な方法は、ダリューンの唇を手の平で押さえてしまうことだろう。しかしそれをすると手の平にダリューンの唇がくっ付くことになるわけで。考えようによっては、手にキスをされるとも受け取れる。
 そこまで考えたところで、アルスラーンは口を塞ぐという選択肢を無かったことにする。そしてそんな馬鹿なことを考えてしまった自身の思考回路を誤魔化すように目線を横に流した。
(いっそのこと、私の方からダリューンの動きを封じるか?)
 しかし夢の中のダリューンは、他の者から万騎長と呼ばれていたのだ。それが果たしてどの程度の地位なのか正確なところは分からない。ただ彼は王太子と呼ばれていた自身の傍らに常におり、こと戦絡みの事柄に関しては他の者から絶大な信頼を得ていた。
 そして戦場で常に先頭に立って戦う彼の姿は、この手のことに疎いアルスラーンであっても、明らかに他の者とレベルの違う強さを誇っていたのを思い出す。
 ということは、どう考えてもアルスラーンがダリューンの動きを物理的に封じるのは無理だろう。
 なんてことをぐだぐだと考えている間にもダリューンの顔は近付いてくるのだ。そして焦れば焦るほど他に良い考えが全く思い浮かばない。
(こうなったら、もうイチかバチかやるしか……っ!)
 アルスラーンは今回もまた逃げるのに失敗してキスされそうだなと半ば諦めつつ、ギュッと目をつぶって腕を前方に伸ばした。

「ええと……殿下?」
 夢の中のいつものダリューンならば、ほぼ百パーセントの割合でここでもう一押しくる。
 しかし今回に限ってはそのような気配が全く無い。というかむしろ、ダリューンにしては珍しく戸惑ったような声を漏らしている。
 それに少々違和感を覚えたので恐る恐る目を開けると、アルスラーンの手に押されてややのけ反るような格好になったダリューンが目の前にいた。
「……、……あれ?」
 夢の中のダリューンがこういった場面でそのような反応を示すのは初めてのことだ。
 まさかと思いつつゆっくりと目線を彼の顔から胸元まで下ろしていくと、例の全身が鎧で覆われた見慣れぬ異世界の服……ではなくて、馴染みのある黒系のスーツに赤いネクタイが目に入る。
 そこでアルスラーンは瞬時に状況を把握すると、それまでどこか霞みがかったようになっていた思考回路が一瞬でクリアになるのと同時に目を見開いた。
「何故、私の部屋にダリューンが!?」
「先ほど会社から寮へ戻りましたので、そのむねご報告しようとお声掛けさせて頂いたのですが……部屋の灯りがついているにも関わらず応答がございませんので妙に思いまして。加えて扉の鍵もかかっておりませんでしたので、失礼かとは思いましたが、部屋に上がらせて頂いた次第でございます」
 そういえば……酒にばかり気を取られていたので、自室の鍵を閉めた覚えは無い。部屋の電気については言わずもがな。さらに己の酒の弱さ故に夢と現実を混同するとは、本末転倒だと頭を抱えたくなるが今さらだ。
(挙句にキスをされるかもしれないと勘違いするとは!)
 そこで本物のダリューンにここまで接近したのは、寝惚けてキスをした日以来だということを思い出して急激に意識してしまう。
 おかげでその時のことを鮮明に思い出して頬を真っ赤に染め上げてしまうが、そんな心境の変化を本人に知られるのは悔しいような、面白く無いような。そんな複雑な気分だ。
 したがって慌てて目線を横にずらして意識を無理矢理ダリューンから引きはがすと、座卓の脇に置いてあるゴミ箱が目に入る。さらにその中のビールの空き缶が目に入ったところで、身体をピシリと固まらせた。
(あれをダリューンに見られるのは不味いな)
 すでに成人しているので、普段であれば少しくらい別に良いじゃないかと言い返せる。
 しかし今回ばかりはそうもいかない。昔から目の前の男は何かと過保護な節があるのでついつい失念しがちだが、彼はアルスラーンの教育係なのだ。そして今日は、仕事が中途半端な状態で定時に上がってしまっている。
(もしバレたらと考えると……正直、嫌な予感しかしない)
 恐らく一時間に渡り説教をされた挙句、下手したら当分酒を飲むのは禁止と言われかねない。
 そこでアルスラーンは上体をゆっくりと起こしながら素早く座卓の上に目を走らせ、そこには酒の痕跡が残っていないことを確認して内心ホッと胸を撫で下ろす。
 そしてとりあえずダリューンには少しでも早く自室に戻ってもらわねばと、顔に笑みを貼り付けて説得にかかった。
「ええと……戸締りと消灯をうっかり失念していてすまない」
 次から気を付けるといいながらチラリとダリューンの顔を伺うと、彼は心配そうな表情を浮かべている。
 これならいけそうだと、さらに駄目押しとばかりに「少し疲れていたのかもしれないな」と目線を落としながら思わせぶりに付け加えると効果てき面だ。
「今の時期はちょうど繁盛期で、特に残業が多いですからな」
 ダリューンのその言葉に目を閉じてうんうんと頷きながら、内心しめしめとほくそ笑む。そして再び目を開けたところでダリューンと正面から目が合い、そこで自分達の格好……床の上に超至近距離で向かい合って座っている状況を今さらのように自覚したところで、アルスラーンは自身の顔が再び急激に赤くなるのを感じた。
「――っ!!う、わあっ!?」
 互いの身体は、手一個分しか離れていない。何かの拍子にどちらかが前のめりにでもなったら、唇同士が触れてしまう距離だ。
 したがって咄嗟に上体を後方に引くと、勢い余ってひっくり返って間抜けな格好になってしまう。幸いにして床に頭をぶつけるまえに肘を付いたのでほとんどダメージは無いが、精神的ダメージは相当なものだ。
 そしてそのままの格好で打ちひしがれていると、ダリューンは小さく笑みを零しながら立ち上がって手を差し出してくれた。
「お怪我はされておりませぬか?」
「うう……」
 ダリューンは口元に笑みを浮かべているものの、ここで余計な言葉を発するようなことはしない。
 それが大人の余裕を見せつけられているように感じるのは、自身の一連の反応が余裕が無さすぎるせいもあるだろう。なんというか、色々と情けないとしか言いようがない。
 しかしここでその手を突っぱねるのもさらに大人げないので素直にその手を取ると、ゆっくりと引っ張られて身体を起こすのを助けてくれる。
 そしてダリューンはアルスラーンが立ち上がったのを確認すると、何事も無かったかのように就寝の挨拶をして部屋から退室していった。
 もちろん退室時に、きちんとベッドで眠るようにと一言添えられたのは言うまでもないだろう。



「そういえば、とりあえずビールを飲んでいたのがバレずに済んだな。それはまあ良かったが……なんだかなあ」
 今の自分は、一言で言ってしまえば夢の中のダリューンと少々危ない関係になっているのを、現実世界でまで引きずっている状態だ。
 そしてダリューンはもともとアルスラーン絡みのこととなると異様に気が付くので、今回のようにあまりに大げさな反応をしてしまっていては、この先思いやられる。
「気を付けなければ」
 たかが夢、されど夢。
 普通は夢の中での出来事は、目が覚めた瞬間にほとんど忘れてしまっているものだ。しかし今回に限ってはまるで本当のことのように鮮明に覚えているので、余計に現実が夢に浸食されているような状態になっているのかもしれない。
 だからたかが手の平に唇がくっ付くかもしれないという状況を想像しただけで、過剰なまでに反応してしまうのだ。
 そもそも男同士なのにそんなことを考えるなんて、いくらなんでも夢の中のダリューンに影響されすぎだ。あくまでも夢の中のダリューンは、恐らくは己の欲求不満の末に作りだした、妄想の産物に過ぎないのだ。
(そうだ、私の妄想で……)
 そこで自分に言い聞かせるように何度か繰り返している途中で、ふと脳内に違和感が過ぎる。今まで気付かぬフリをしてきたが、そもそもこのようにして自分に言い聞かせる時点でおかしいのだ。
 つまりそんなことをしている時点で、アルスラーンがダリューンのことを意識しているのは間違い無い。
「――っ、」
 そしてその瞬間に己の本心をついに自覚すると、その衝撃に思わず額に手を添えながら小さくよろめいた。
 もちろんそんなまさかと、一方でもう一人の自分が訴えている。
 しかし一連の接触をそういう意味で全く意識していないであろうダリューンは、常に普通なのだ。
 それはもちろん驚いて動揺しているような素振りは少なからず見せているものの、今のアルスラーンのように赤くなったりなどのあからさまな反応を見せたことは一度だって無い。
 それならと、もう一人の自分が男が男を恋愛対象として考えるはずがないと苦し紛れに脳内で再び訴えるが、それは初めてダリューンとキスをした時に陰茎が勃起してしまった時点ですでに無効だろう。
「……くそっ」
 アルスラーンは珍しく悪態を吐きながら小さく息を吐くと、その事実から逃げるように部屋の時計を見る。すると時計の針は十一時を指していた。
「もう、寝よう」
 余計なことを考えてしまったばかりに、知りたくなかった事実にまで気付いてしまって頭の中がぐちゃぐちゃだ。そしてこういう時は起きていたってろくなことは無い。
 アルスラーンは考えるのを完全に放棄すると、寝るにはかなり時間が早かったがベッドの中に早々に潜り込んで目をつぶった。

 結局その日の夜も例の夢を見た。
 しかし己の脳もさすがに空気を読んでくれたのか。ダリューンとそのような雰囲気になることは無く、ゆっくりと過ごせたことだけが唯一の救いであった。


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