アイル

カメラ越しの秘密の恋心-1

「少し前に受けられていたドラマのオーディションですが、主役に決定したそうです」
「へ?」
 そろそろ梅雨時期に差し掛かるせいかここのところはあまり天候が良く無かったが、今日は久しぶりに太陽が顔を覗かせていた。したがってアルスラーンは、鼻歌を口ずさみながらのんびりと洗濯機の中に洋服を放り込んでいた。
 しかしそんなのんびりとした朝の時間をぶち壊すかのように、ズボンのポケットに入れていた携帯電話からけたたましい音が漏れ出す。それに驚いて思わず相手も確認せずに通話ボタンを押すと、全く予想だにしていなかった言葉を告げられたのに、アルスラーンは思わず間の抜けた言葉を零してしまった。

 話しの内容から察するに、電話の相手はアルスラーンのマネージャーであるエラムで間違い無い。そして彼の言うドラマのオーディションで思い当たるものといえば、一か月ほど前に受けたとあるテレビ局制作のゴールデンタイムに放映されるドラマの主役のものだ。
 例年この枠の主役俳優のオーディションは行われない。しかし今回は今までと全く毛色の異なるファンタジー内容のドラマということもあってか、珍しく実施されたのだ。
 無論色々な事務所から応募者が殺到したのは言うまでもないだろう。そしてアルスラーンもマネージャーから応募したらどうだと誘われたので、駄目元で書類を送った。
(でもかなりの人数の応募があったって後で聞いて……)
 今まで受けたドラマや映画のオーディションでことごとく惨敗して気弱になっていたアルスラーンは、また無理そうだと半ば諦めていた。
 しかしそれから数日後に書類面接を通ったと連絡があり、それからはあれよあれよと一次面接、二次面接、さらには最後の本番さながらのカメラテストの段階まで通ってしまったのである。
 そしてついには、主役の座を手に入れたのだ。
(ま、まさか、そんな)
 現在アルスラーンが主にもらっている仕事のほとんどは、雑誌のモデルなどである。たった一度だけドラマに出たこともあったが、エキストラと言っても差支えない程度の端役。しかも自分の力でもぎ取ったなどでは無く、急病で出られなくなった者の代役だったのだ。
 それがまさかの全国ネットの主役決定とは。
「『アルスラーン戦記』主演決定、おめでとうございます」
 にわかには信じられず呆けてしまうが、駄目押しとばかりにエラムに告げられた祝いの言葉に、アルスラーンはどこか夢見心地な気分で礼を口にする。するとエラムが今後の予定について簡単に話すからメモを取ってくれと言ったので、アルスラーンは大慌てでスケジュール帳の置いてある居間に向かった。

「そろそろ仕事増やさないと生活キツイなあと思っていたけど……とりあえずしばらくの間はそれどころじゃないか」
 エラムとの通話を切ると、アルスラーンは今教えられたスケジュールを再確認するべく、書き取ったメモを指でなぞりながら小さな言葉を呟いた。
 撮影は六月からスタートし、五か月ほど行われるらしい。ただしアルスラーンはドラマの本格的な出演が初めてのため、撮影開始前にレッスンを受けるのだそうだ。
 となると、新たに仕事をはじめる余裕はまず無いだろう。
 ちなみに現在アルスラーンは二十二歳。ほんの二か月ほど前に大学を無事卒業したのをきっかけに、本格的に芸能活動を開始したところである。
 しかしそんな駆け出しのひよっこに、そうそう大きな仕事が来るはずもない。したがって定期的に入るモデルの仕事をこなしつつ、日々事務所のレッスンに打ち込みながら空いた時間に家庭教師の仕事をして生活をしている。
「それが……主役か」
 この世界に入ったからには、ゆくゆくはそういった大役をしてみたいとはもちろん考えていた。
 ただ第一線で活躍している俳優の人たちと自らの現状を比べてみると、自分なんてまだまだそんなことを言えるだけの実力など持ち合わせていない。だから今回のドラマの主役オーディションを受けないかと声をかけられた際も、実をいうと最初はもっと端役の、もう少し倍率が低そうな役の方が良いのではないかと思っていた。
 ただマネージャーからよくよく話しを聞いてみると、何の偶然か。元々思い入れのあった作品で、尚且つこの作品の主人公とアルスラーンは全く同じ名前だったのである。
「柄じゃないけど、それで運命を感じてしまったというか」
 そして主役のオーディションを駄目で元々だと思い切って受けてみたのである。
 それがまさか本当に主役に選ばれるとは。にわかには信じがたくて、電話を切った今でもドキドキと煩いくらいに心臓が鳴っているのが分かる。
 そこでアルスラーンは目をつぶってイスの背にもたれかかった。
「すごい、緊張するな。でもこれって、あの人に少しずつ近付けているってことなんだよな」
 あの人とは、アルスラーンがこの世界に足を踏み入れるきっかけとなった人物。デビューからあっという間に人気に火が点き、第一線で常に活躍している俳優のダリューンのことだ。
(あの人の演技を初めて見たのって、思えばもう十年くらい前のことなのか)
 その時のことは、今でも鮮明に覚えている。
 ちょうどアルスラーンが中学生になった時のことだ。その頃はドラマなど全く興味が無かったのだが、面白いから絶対に見るべきだとクラスの友人に勧められたのが、ダリューン主演のものだったのだ。
 正直なところ、最初は友人にすすめられた手前もあって何となくダラダラと見ていたにすぎない。しかし回数を重ねるごとにズルズルとはまりこみ、最終回での彼の演技に見事に心臓を射抜かれてしまったのだ。
 そしてそれからダリューンの出演しているドラマを欠かさず見るようになり、そのうちにいつの間にか演技の世界にも魅入られ、最終的にこの世界にまで足を踏み入れたというわけだ。
 さらには好きがこうじてダリューンと同じ事務所に所属しているあたり、よくよく考えてみるとストーカーじみているような気がしなくもない。しかしそれだけ彼に心酔しているということだ。
 もちろんゆくゆくは、彼と共演出来たらなという密かな野望もあったりする。
(……なんてこと、口が裂けても言えないけど)
 だから今は日々、モデルの仕事や演技のレッスンに打ち込んでその野望を実現するべく自分なりに頑張っているところなのである。そして今回のドラマの仕事は、その野望、ではなく目標を達成するための大きな一歩となるのは間違い無いだろう。
 ――とここまでみると、順調な滑り出しに見えるかもしれないが、実際のところはそうでもない。
 というのもアルスラーンの家庭は厳格だったので、芸能界に入りたいなんて口が裂けても言えるような環境ではなかったのだ。
 したがって現在在籍している芸能事務所の所属オーディションを受けたのは、大学二年生になり成人を迎えた時のことだ。理由は言うまでもなく、成人してしまえば親の同意が不要となるからである。
 そして意外にも一発で所属が決定したのに喜んだのも束の間。それからおよそ一年間も経過すると、世間一般的にはそろそろ就職について考えはじめる時期となる。
 無論それはアルスラーンも例外ではなく、大学四年生への進級を間近に控えたある冬の日。決死の思いで父親であるアンドラゴラスに全てを洗いざらい話したのだ。
 しかし父親がそれに激怒し、大反対されたのは言うまでもない。
 それでもアルスラーンにとって、演技の道に進むのは中学生の頃からの夢でもあるのだ。だから彼にしては珍しく折れずにいると、好きにしろと言われて家を追い出されてしまった。そしてそれからは一切音信不通になっている。
 というのが、アルスラーンとその家族の現在の関係である。
 もしかしなくても、これは世間一般でいうところの勘当というやつだ。
 それからは事務所近くの安アパートを借り、そこそこ割りの良い家庭教師の仕事を個人でしながら何とか一人暮らしを現在まで続けている。
「今思い返してみると、結構大変だったよなあ」
 実はアルスラーンの父親は、パルス商事という会社の社長なのだ。アルスラーン自身は気さくな正確なので一見するとそう見えないが、実はお坊ちゃん育ちなのである。
 それが急に何もかも一人でやることになり、酷く苦労したのは想像に難くないだろう。
 もちろんアルスラーン自身もそのことについてある程度の予想はしていたものの、現実はそんなに甘く無い。料理を作る際にあわや火事騒ぎなんて日常茶飯事。
 そしてそんな状況を見かねたマネージャーのエラムがアルスラーンの家に乗り込んできて家事全般を徹底的に指導し、今になってようやく人並みになることが出来たのだ。
「本当、エラムには頭が上がらない」
 彼に恩を返すためにも、親にきちんと報告出来るようになるためにも。なんとしても今回与えられた大きなチャンスをものにしたいと思う。だからこそ、いつまでも舞い上がってはいられない。
「――よし!事務所に呼ばれているし、とりあえずまずは着替えないと」
 アルスラーンはまだどこか夢見心地な気分を切り替えるように頬を両手で軽くパンと叩くと、イスから勢いよく立ち上がる。しかしその前に途中で放置している洗い物だけ済ませるかと考え直すと、再び洗面所に足を向けて洗濯機のスタートボタンを押した。


■ ■ ■


 自転車で十五分ほどの距離にある事務所に着くと、早速社長室に呼び出された。この部屋に通されるのはまだ二度目なので緊張した面持ちで扉を開くと、部屋の奥に設置されている机に、社長というわりには若い男が笑顔で腰かけていた。
 ちなみにこの男の名前は、ナルサスという。涼やかな目元の美丈夫で、さらにアルスラーン以上に上背もあるので芸能人としても十分にやっていけるだろう。
 事務所のレッスンの際に所属している女の子達が、社長も芸能界で活動をはじめたらダリューンさんと双璧をなしそうだとしょっちゅう噂話しをしているのだが、改めてこうやって対峙してみると、なるほど。彼女達の意見にはアルスラーンも全面同意せざるを得ない。
 言葉では表現し辛いのだが、常人とは何かが違う。
 なんてことを緊張感を誤魔化すために考えていると、ナルサスは入口付近に設置されていた応接ソファに座るようにすすめてくる。それに礼を言いながら腰掛けると、彼もアルスラーンの目の前に座った。
「いきなり呼び出して悪かったな。用件はさっきエラムが電話で伝えたとおりなのだが。ひとまず、アルスラーン戦記の主役決定おめでとう」
「あ、ありがとうございます!」
「それでちょっと渡すものがあって……」
 礼の言葉を口にしながら頭を何度も下げていると、ナルサスは笑みを浮かべながら机の上に置いてあった大きな封筒を取り上げて差し出してきた。
「これ、ドラマの一話目の台本。まだ少し変更があるかもしれないから、他の配役の人には渡していないそうなんだけど、君は初主演だから特別にって」
「ありがとうございます、助かります」
 高揚する気分をおさえきれずに思わず封筒の口を少しだけ開けて中身を覗きこんでみると、青色の表紙が見える。そこには大きく「アルスラーン戦記」とロゴが入っており、自然と口元が緩んだ。
 これまではどこか夢見心地だったが、台本のずっしりとした重みにこれは本当のことなのだと実感が湧いてくるのが分かる。
 そしてナルサスはそんなアルスラーンの様子を笑顔で見つめていたが、ふと目線を斜め上に向けながら、そういえばと口にした。
「今回のそのドラマ、うちの事務所からはダリューンも出ることになっているんだ。現場で分からないことがあったら彼に聞くと良い。幸いにしてダリューンは君の従者って役柄だから聞きやすいだろう」
 私からもダリューンに声を掛けてあるからと笑顔で告げられたナルサスの思いがけない言葉に、アルスラーンは思わず目を見開いた。
「えっ……ええっ!?」
 ダリューンとの共演は、アルスラーンにとって大きな目標の一つなので嬉しいに決まっている。しかしそれ以上に驚きの方が大きすぎて、ろくに言葉を返すことも出来ない。
 なにせダリューンと言えば、誰もが知っている今をときめく超売れっ子俳優なのだ。アルスラーンも一応同じ事務所に所属してはいるものの、接点といえば本当にそれだけ。完全に雲の上の存在なのである。
 加えて小さい頃から彼の出演しているドラマや舞台やらを片っ端から見ているのも相まって、今のアルスラーンにとってはそれこそ神みたいな存在と言っても過言では無い。
(それがまさか……同じ舞台に出演することになるとは)
 つまりは身近でその演技を見ることが出来るというわけで。
 まさかの展開に思わず身体を前に乗り出してしまうと、ナルサスは口元に笑みを浮かべながら良かったじゃないかと口にした。
「たしか君ってダリューンのことが好きなんだっけ?今は直接話す機会もそうないだろうけど、今回の撮影は仲良くなるチャンスだと思うよ」
 役柄もちょうど主従関係って設定だしねとニコニコと告げているが、アルスラーンはそれに喜んでいる騒ぎでは無い。何故なら、そもそもダリューンに憧れを抱いている件は誰にも言ったことが無いのだ。
 まあダリューンのことが好き……というか正確にいうと憧れなのだが、それを知られたからといってどうということは無いのだが。ただそれをダリューンと極めて近しい人間に知られるとなると少々気まずい。
 それに誰にも言っていないにも関わらずそのことを知られているということは、それだけ自分自身の態度が分かりやすかったということでもある。
 なんてことを考えながら冷や汗を垂らして思いきり目線を泳がせていると、ナルサスは苦笑を零しながら眼前で手を軽く振った。
「――あ。いや、ごめんごめん。今の台詞に深い意味は無いんだ。ただ事務所に置いてあるDVDの貸し出し履歴を確認していたら、ほとんど君しかいなくて」
「あ、ああ……だからですか」
 どういうことかというと、つまりはこうだ。
 もちろんアルスラーンはダリューンの出演した映像作品のDVDボックスをほぼ所持している。しかし好きになる以前の映像となると話は別だ。その頃の作品は、、廃盤となって今は手に入らないものが結構あるのである。
 そんなわけで気が済むまで事務所から何度もDVDを借りて見ていたのだが、その結果がこれだ。 
(そういえば棚の上に置いてあった貸し出しノート、自分の名前しか無かったな)
 どうせ誰も見ないだろうと全く気にせずにいたのだが、まさか社長がそんなところまでチェックしていたとは。
(これから、借り辛いなあ……)
 定期的に繰り返し見ないと気が済まないタイプなのでこれからも一杯利用させてもらおうと思っていたのだが、とんだ誤算だ。社長に見られているという事実を知ってしまうと、非常に悩ましい。
 しかしだからと言って町中のレンタルショップでDVDを借りるとなるとお金がかかるし、極貧生活真っ只中のアルスラーンにとって、それはそれで難しいのだ。
(仕方ない、か)
 何より露見してしまった以上、今さら取り繕ったところで後の祭りだ。
 そこまで混乱した頭で何とか考えたところで、諦めたようにガックリと肩を落とす。するとナルサスはそんなアルスラーンを勇気付けるかのように、ニコリと人の良さそうな笑みを浮かべながらさらに言葉を続けた。
「ま、そんなに気にすることは無いさ。誰だって好かれて嫌に思う人間はいないものだ。というかこの話しを教えてやったら、ダリューンも喜ぶと思うんだがな。同じ事務所の後輩が主役だって言ったら妙にはりきっていたし」
「それはさすがに恥ずかしいので、許してください」
 恐らくは冗談だとは思う。しかし目の前に座っている男は社長という役職のせいもあってか、どこまで本気なのかなかなか分かり辛いのだ。
 したがって慌てて身体の前で両手を振ると、彼は軽快な笑い声を上げた。
「まあ何はともあれ、この感じだと現場も良い雰囲気でいけそうで良かった。初めてなことだらけで慣れないことも多々あるだろうけど頑張って。詳細なスケジュールが決まったらまた連絡するよ」
 それまでは渡した台本をよく読み込んでおくようにという言葉に、何度も頷いてみせる。そしてそこで話しが一段落したので、アルスラーンは一礼をした後に社長室を退室した。


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