アイル

カメラ越しの秘密の恋心-2

 オーディションの発表からほぼ毎日のように基礎レッスンを受け、ついにやってきた顔合わせの日。都内のテレビ局の中にある広々とした会議室にて、ドラマ「アルスラーン戦記」の顔合わせが行われた。
 無論アルスラーンも主役として出演するので当然その場に呼ばれた訳だが、そもそもテレビ局なんて場所に足を踏み入れたことはほとんど無い。加えて局の中は妙に入り組んだ構造になっているので迷子になりかけ、やっとの思いで会議室に到着したのは定刻の十五分前であった。
 恐る恐る会議室の扉を開けると、机が四角状に設置されており、その周りにさらにもう一列椅子が並べられている。そしてすでにその席にはテレビ越しにしか見たことのない人物がチラホラと着座していた。
(まいったな……意外にみんな早い)
 今回のドラマの中では、アルスラーンが一番の新人だ。だからこの場には誰よりも早く来る予定だったのだが、建物内で散々迷ったせいでこのザマである。
 心配したマネージャーのエラムが一緒に行くかと声をかけてくれたのだが、彼が面倒を見ているのはアルスラーン一人ではない。それに私生活でも散々世話になっているので、自分で出来ることはなるべく頼らないようにしなければと断った結果がこれとは。
 ちょっぴり後悔の思いを抱えつつ、すでに席についている出演者や制作者の人達に挨拶をしながら自分の名前が書いてある席を探す。そして一番目立つ監督陣の席のほど近くに自らの席が設置されており、さらにその隣にダリューンの名前が記載されていたのに身が引き締まる思いがした。

 それから五分ほど経過した頃合いのことだ。
 着席してからは特にやることも無いので机の上に置かれていた資料の中身をパラパラとめくって眺めていると、部屋の中が少しだけザワつく。それにどうかしたのだろうかと顔を上げると、部屋の扉の前に夢にまで見た人物――ダリューンの姿があったのに、アルスラーンは目を見開いたまま固まってしまった。
(お、おお……あれが本物……っ)
 これまでにも何度か一般客としてダリューンの参加する公開録画といった類のイベントに参加したことはある。それでもここまで間近で見たのは初めての経験なので、なかなかの衝撃だ。
 そしてそんな調子で彼の一挙手一投足をジッと見つめていると、かれはその間にアルスラーンの席の近くまで歩み寄って来て隣の椅子に腰掛けた。
「君が今回アルスラーン役の子か。ナルサスから話は聞いている。私はダリューンと言うんだ。君と同じで役柄名と同じ名前なんだが……自分で言うと変な感じだな。とりあえず、これからよろしく」
「あっ、はい!よ、よろしくお願いします」
(喋った!というか、話しかけられた!しかも隣の席に座っている……!!)
 ガチガチに固まっているアルスラーンを見て気を使ってくれたのか、何やら色々と話しかけてくれているのだろう。しかし頭の中が混乱状態のせいで、結局ほぼ内容を理解出来ない。おかげで定型通りの挨拶しか返せなくて半分涙目だ。
 もしもこの場にエラムがいたら、しっかりしてくださいとやんわりと横槍を入れてくれただろう。そのくらいに今のアルスラーンは、ただのダリューンの一ファンに成り下がっていた。
 しかし途中でさすがにこれは失礼だろうとハタと気が付くと、口が回らない代わりにペコペコと頭を下げる。すると目の前に右手が差し出されたので、慌てて自らの手も差し出した。
 さすが、第一線で活躍している人は所作もスマートだ。そして動いた際に偶然ふわりと鼻先に漂ってきた清涼感のある香りに惹かれて顔を上げると、思いのほか近くにダリューンの顔があったのに思わず目元を少しだけ赤らめた。
(う、あ、)
 まさかこんなに間近で憧れの人の顔の造形を見られるとは。
 切れ長の目元にスッとした鼻、そして薄い唇。加えて服越しでもその体躯ががっしりとしていて見事なものであるのが分かる。しかもそれをテレビ越しではなく、生で見ているのだ。
 もともと憧れていたのも相まって、一気に体温が上昇してしまう。
 女性でもあるまいし、そんな反応をされても相手が困るだけということくらい分かっているのだが。目が釘付けになってしまって離せない。
 そしてそれだけ見つめていれば、ダリューンもその視線に気付かぬはずも無いだろう。二人の視線が正面から絡み合うと、その瞬間にアルスラーンは自身の心臓がドキリと大きく脈打つのを感じた。
「ッ、」
 ダリューンは、アルスラーンの様子を見てただ不思議そうな表情をしているにすぎない。それなのに頭からパクリと食べられてしまいそうな、そんな圧倒的なオーラが彼にはある。
 それを真正面から受けているアルスラーンの気分は、まさに獅子によって壁際まで追い込まれた草食動物だ。
 しかしそれにも関わらず妙に気分が高揚しているのは、相手が憧れの人物だからだろうか。
(なんか、変だ)
 自分自身の身体のことなのに。ほんの数秒ダリューンと見つめ合っただけでこの有様とは。
 視線を外そうと思っても外せないし、体温が上昇して顔が情けなく赤く染まるのもどうにもならない。
 時間にしたらほんの数秒ほどのことなのだろうが、自身の身体の制御が全くきかないせいで、何十分も見つめ合っているかのような錯覚に陥る。そしてそんな状況にさすがに内心焦りだしたところで、会議室の扉が再び開くのと同時に、陽気な声が室内に響いた。

「おっと。皆さん大分お揃いのようで。遅くなってしまって申し訳ない」
「――ん?ああ……ギーヴか」
 声の主を確認しようと思ったのだろう。ダリューンは顔を上げてアルスラーンと緩く握手していた手を外すと、その手を軽く持ち上げる。その様子から察するに、入ってきた相手はどうやら知り合いらしい。
 そしてアルスラーンもようやくダリューンの視線から解放されたのに、ホッと胸を撫で下ろしながら扉の方へ顔を向けると、そこには今回のドラマの原作兼脚本家……というわりには、いやに顔の整った男が立っていた。
(そういえばこのギーヴって人、この頃は物書きとしての仕事がほとんどみたいだけど、もともとは俳優だったんだっけ)
 ダリューンを硬派とするならば、このギーヴはその正反対の軟派だろう。
 ちなみに彼も俳優として活躍していたときはかなりの人気で、特に女性からの指示が凄かった覚えがある。そしてその人気が絶頂の際に別名で執筆したという小説、「アルスラーン戦記」という今回ドラマ化する作品で賞を取り、それをきっかけに今では物書きの仕事を中心に行っているのだ。
 アルスラーン自身は芸能界にそれほど詳しいわけでは無いが、その頃はかなりこの話題で騒がれていたので今でもよく覚えている。加えて偶然にも主人公と全く同じ名前だったので、アルスラーンは興味本位でその本を購入したのだ。
 なんて具合にかなり軽率な理由で読み始めたのだが、意外や意外。内容がかなり面白く、思いのほかどっぷりとはまりこんで最後まで一気に読んだのでよく覚えている。そして主役と名前が同じという偶然の他にもそういった経緯もあったので、是非このドラマの主役を演じてみたいと思い、勇気を出してオーディションを受けたのだ。
(これが作者の人なのか)
 たしか事前に聞いた話しでは、ギーヴ自身もドラマに出演するという話しだったはずだ。
 まだ公式発表はされていないものの、自然と人目を集める独特な雰囲気は未だに健在なようである。そんな彼の久しぶりの俳優復帰にかなり話題になるのは間違いないだろう。
 そして彼もまたアルスラーンやダリューンと同じく、ドラマの中で自分自身と同じ名前の役柄を演じるのだ。
(……偶然、なのか?)
 今までは演技のことについて考えるのに一杯一杯だったので意識が向かなかったが、ここにきてフとそのことに気が付いて目を瞬かせる。
 先ほどダリューンと話した時は緊張でそれどころでは無かったが、あの時の口振りから察するに彼もこの件については何かしら不思議に思っていそうな雰囲気だった。
 そこで改めて近くに座っている人たちの配役名と名前の書かれているプレートを見てみると、自分の他にダリューン、ギーヴそしてファランギースの四人が役柄と同じ名前のようだ。
「うーん……?」
 まるでその人のためにあるかのような、というとアルスラーン自身もあてはまってしまうのでおこがましいが、役柄と同じ名前なのは自分一人だけでないという事実に、何かしら作為的なものを感じるのは考えすぎなのだろうか。
 なんてことを考えながら再びギーヴの方へ顔を向けると、彼はすでに自分の席に座っていた。
 そしてそこで定刻となって司会と思しき人物が今回の集まりの説明を始めたので、すぐにそれどころではなくなる。そしてその疑問は結局そのまま霧散してしまった。


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