アイル

カメラ越しの秘密の恋心-3

 通常、ドラマや映画などの撮影は物語の順番通りに録ることはほとんど無い。
 しかし今回撮影するアルスラーン戦記の冒頭の戦闘シーンは、今の梅雨時期のどんよりとした天候がマッチするのだそうだ。加えてその手の戦闘シーンは通常よりもポストプロダクション――撮影終了後に行う編集作業のことだ――に時間がかかるので、その時間を十分に確保するためにも今回は恐らく最初から撮影するだろう。というのはマネージャーであるエラムが、撮影前の基礎レッスンの合間に言っていた言葉である。
 そして彼の言葉通り。今回のドラマの撮影は、珍しく冒頭から撮影が行われた。

 顔合わせの数日後。関係者一向は撮影を行うために、都内から飛行機で数時間ほどの場所にあるロケ地に集まっていた。
 そして記念すべき初日は一日ぶっ通しで台本の読み合わせを。さらに翌日にはリハーサルを中心に行い、次の日から週末までは毎日撮影。加えて冒頭のシーンは、夜明けや日が落ちてからの撮影が多かったのでなかなかにハードである。
 そんな調子なので、気が付いた時にはいつの間にか週末を迎えているというのが常であった。
「ふー……」
 撮影現場から制作会社で借り上げている宿に戻ると、まずは大浴場で疲れを癒す。そしてその後に大浴場の出入口付近に設置してある自販機でスポーツドリンクを購入し、近くに置いてあるベンチに腰掛けて火照った身体を冷ましながらその日の反省会を一人でする。というのがアルスラーンのここのところの日課である。
 そしていつの間にか週末を迎えた今日も、いつものように風呂から上がると、自販機でスポーツドリンクを購入してベンチにゆっくりと腰掛けた。
(ドラマの撮影が、まさかこんなに大変だったとはなあ)
 しかしその疲れが苦痛ということはなく、むしろ充実している感じだ。毎日勉強することが多いせいだろう。
 とはいえ勉強することが多いということは、それなりに周辺にも迷惑をかけてしまっているわけで。それが目下の悩みだ。 
 ただこればかりはいくら気を付けてもどうにもならない部分もあるので、覚えたことを忘れないようにして迷惑をかけないように努めるしかないだろう。
(まあ今回の撮影順は、今のところちゃんと最初から順番で良かった)
 おかげでわりとすんなりと演技に入ることが出来ているような気がする。そうでもなければ、もっとリテイクの嵐だった可能性も無きにしも非ずだ。
 そこまで考えたところで手に持っていたスポーツドリンクを一口飲むと、身体に染みわたるのと同時に撮影で張りつめていた緊張の糸が緩むのが分かる。そして今日の撮影の一幕を思い出しながら、やっぱりダリューンさんは格好良かったなあと、いつも通りの結論を導きだしていた。
 現在撮っている冒頭のシーンでは、アルスラーンの役柄はまだ弱々しい雰囲気だ。それも相まってか、ダリューンの気迫と迫力が余計に際立っているように感じる。
 特に先日撮影したカーランの裏切りから救いだしてくれる場面のことを思い出すと、今でもその姿にしびれてゾクゾクとするくらいだ。
(男でもうっかりと惚れてしまいそうというか……うん)
「格好良いんだよなあ」
 自分でもなにを馬鹿なことを考えているのだろうと思うが、そのくらい凄かったということだ。まあ、アルスラーン自身が救い出されるという役柄を演じていたせいもあるかもしれないが。
 なんてことをつらつらと考えていたときのことだ。
 後方からニュッと見覚えのある顔がいきなりのぞいたのに、アルスラーンは思わずその場で飛び上がった。
「こんばんは、『殿下』」
「うわっ!?」
 誰かと思ったら、今回の作品の原作、脚本、さらには役者をこなしているギーヴである。
 ちなみに彼の役柄は、現在撮影している冒頭のシーンでは一切出てこない。したがって現在このロケ地に居るはずの無い人物なのだ。
 それなのに何故ここにいるのか。いや、脚本を書いているのは彼なので、この場所にいること自体は別段おかしいことではないのだが。
 しかしそんなことよりも、アルスラーンは彼とこうして面と向かって話したことは今まで一度も無い。
 よってまずはきちんと挨拶をしなければと、慌てて自分の名前を告げながら頭を下げる。すると彼は軽く手を上げながら、アルスラーンの横に身軽な動作で腰かけた。
「ああ、そういえばアルスラーンとこうやってちゃんと話すのは初めてなのか。このドラマのオーディションの時に散々プロフィールを見ていたせいか、一方的に親近感を持っていてつい」
 彼は今回の話しを書いたギーヴだと簡単に自己紹介をすると、その整った顔にニコリと綺麗な笑みを浮かべてみせた。
 もしもアルスラーンが女性であれば、今ので一発で落ちただろう。芸能界の人間とは実に恐ろしい人種だ。まあ、アルスラーン自身も一応芸能界の人間ではあるのだが。
 そして一瞬ドキリとしてしまったのを誤魔化すように、撮影のチェックのために早めにロケ地まで足を運んだのかと尋ねると彼は肩を竦めた。
「うーん……そうだな。それも少しだけ、あるかな。でも一番の目的はそれじゃなくて、現場の雰囲気を掴みたかったっていうのが大きい。ちょうど来週から俺の出番なんだが、撮られる側になるのは大分久しぶりだからなあ。
 でもまあ……今回の役柄は基本的にほぼそのまま素の俺っぽい雰囲気だから、わりと演じやすいとは思うんだが」
 ギーヴはそう言いながら冗談っぽく片目をつぶる。それに対してその場しのぎの笑みを浮かべて誤魔化しながら、確かに彼の言う通り。以前に読んだ本の中のギーヴのイメージと、素の状態のギーヴは似通ったところがあるなと妙に納得していた。
 そこでふと彼も役名と本名が同じなのを思い出すと、顔合わせの時からずっと気になっていた疑問を思わず口にしてしまっていた。
「今回のドラマは役名と同じ名前の人物が何人かいますが、何か意味が?」
 脚本家であるギーヴがどこまで配役に関して口を出しているのかは、正直なところよく分からない。
(あ、れ?ていうかこういうドラマの配役って、スポンサーとかそこら辺の事情もあるだろうし……)
 一介の演者がそのようなことを尋ねるのはいささか不躾だっただろうかと、今さらのように不味いことを口にしたのではとかなり焦る。
 しかしギーヴは特に気にした様子もなく、考えをまとめるように指先で顎をすりながら目線を斜め上に向けた。そして一応念の為に言っておくがと前置きをすると、全部の役柄に関して自分が口出ししたわけではないと告げた。
「ただ、役名と本名が同じ四人。つまりアルスラーン、ダリューン、ファランギース、そしてギーヴに関してはこちらから要望を出したのは事実だ。ここだけの話し、この四人はもともと小説を書いていた時のモデルでな」
 となると俺の配役に関しては職権乱用ってやつになるなと言いながら、ギーヴは軽く肩を揺らして笑った。
 アルスラーンはそれに納得して一瞬頷きかける。
(……あれ?でも、)
 そもそもアルスラーンは今までそれほど人前に出るような仕事はしていないのを思い出すと、思わず首を傾げた。
 これまでの仕事といえば、もっぱら通販雑誌のモデルが中心だ。ごくごくたまにファッション雑誌に出させてもらうこともあったが、人目につきそうなものと言ってもそれがせいぜいである。どう考えてもギーヴの目に留まっているはずがない。
 ということは先の発言は何かの勘違いかと勝手に納得したが、ギーヴはまるでその考えを呼んだかのように目を細めながら君もだよと告げた。
「少し前に一回だけドラマに出ていただろ」
「ええと……ほんの少しだけですが」
 テレビ画面の端に薄ぼんやりと映っていたくらいなのだが。しかしどうやらそれで間違いないのか、目の前の男はそれだそれだと頷いていた。
「偶然俺もそのドラマを見ていてさ。君って全体的に色素が薄めなせいか、画面の端の方に立っていただけなのになんだか妙に目だっていたからパッと目に留まって。それでこれだ!って具合に」
 なんでもちょうどその時期に小説のあらすじを考えていたそうなのだが、肝心な主人公のイメーじがなかなか掴みきれずに行き詰っていたのだそうだ。そしてドラマで偶然アルスラーンを見かけ、それから一気に数か月ほどで書き上げたらしい。
「いやあ、だから本当はさ、ドラマ制作が決定した時にこちらから君を指定出来ないか聞いてみたんだけど、今までドラマにあまり出たことが無いからそれは難しいって言われて。それなら仕方ないから募集形式にするかって話しになったんだ。
 つまり、この募集にアルスラーンが応募してくれるかどうかは賭けだったんだ。そんな訳だから、書類審査の時に君のプロフィールを見つけた時は、正直ちょっと運命を感じた」
「えっ!あっ、あの、ありがとうございます……!」
 お世辞かもしれないが、それでも嬉しいのに変わりはない。
 したがって素直に礼を口にすると、というわけで君の演技を楽しみにしているんだと言いながら肩を叩かれて身が引き締まる思いがした。

 そしてこれをきっかけにアルスラーンとギーヴは急接近をすると、撮影の合間などにもよく話すようになった。
 アルスラーンに比べると、ギーヴははるかに芸歴が長い。加えて趣味も全く異なるのでそんなに話しは合わないだろうと最初は思っていたのだが、そんなの勝手な先入観だ。彼は話しのネタが豊富で、なおかつ気さくな性格なので実に話しやすかった。
 思えば彼が現役で俳優をやっていた頃には女たらしで有名だったが、なるほど納得である。
 ちなみに撮影に入る前、ナルサスからは同じ事務所のダリューンに色々聞くと良いと言われていたのだが、そちらの方の進展はあまり無い。
 それはもちろん、ダリューンとも話したいと思っているのはやまやまだ。それに彼の方も気を使ってくれているのか、よく気にかけてくれている。
 しかしアルスラーンの方がダリューンのことが好きすぎて緊張でガチガチに固まってしまい、いつも会話が最後まで成立しないのである。そして毎度ダリューンとの会話の後は、一人で派手に落ち込んでいた。


戻る