アイル

カメラ越しの秘密の恋心-4

 ダリューンやギーヴ、それにファランギースなどの売れている俳優は、週末にも色々と仕事が入っているのか宿にいることはほとんど無い。いったいいつ休んでいるのか謎である。
 一方のアルスラーンはというと、ドラマのキャストも発表になっていないので今は土日共に完全なオフ日だ。加えて顔も全く知られていないので、ここのところは散歩がてら一人でフラリと外に出掛けるのが常である。
 そしてギーヴが撮影に参加するようになった日の週末。その日もいつものように宿から歩いて十五分ほどの距離にある商店街に足を向けて本屋に立ち寄ると、そこでとんでもない煽り文句が書かれている表紙の雑誌を見つけてしまってそのままフリーズした。
「こっ、これは」
(――あの大物俳優Dに熱愛発覚、って!?)
 これがギーヴとかであれば、ああやっぱりと思うだけで特に気にすることは無かっただろう。というのも、彼はここのところ同じドラマに出演しているファランギースに熱を上げているらしく、人目を気にする様子も無く、彼女をよく口説いているからだ。
 しかし雑誌の煽り文句に書かれていた人物の名前のイニシャルは、GではなくDである。よってまさかと思いつつパラパラと中身を見てみたものの、中に掲載されていた密会中の写真とやらに写っている人物の姿形はぼんやりとしていていまいち判然としない。
「……とりあえず買おう」
 アルスラーンは雑誌を閉じると、レジでお金を払って大急ぎで宿の自室へ戻った。

 それから二時間近くじっくりと雑誌を読み込み、それだけでは飽き足らずに携帯電話のブラウザを立ち上げてネットのニュースサイトを片っ端からチェックしまくる。しかしニュースサイトのコメント欄やSNSで予想されていた人物は、ややダリューンが優勢という程度で、予想していたよりも大分バラバラの意見のようであった。
「うーん……まあたしかに、この写真だとはっきりとはしないけど」
 アルスラーンはイニシャルと大物俳優という煽り文句だけで咄嗟にダリューンかと早とちりしてしまったが、そもそも肝心な証拠写真とやらはピントの合っていない微妙なものなのだ。
 どこかの飲食店の前で男性と女性が並んで立っているのが辛うじて分かる程度で、全体的にぼんやりとしていて表情もはっきりとしない。
 なんてことを考えている途中で珍しく扉が数回ノックされたので、アルスラーンは慌てて部屋の扉を開けた。
「はい!」
「殿下ー、昼飯一緒にどうです?」
「ギーヴさん!?」
 ここのところアルスラーンはドラマの役柄の延長でよく殿下と呼ばれる。そしてその言いだしっぺの人物であるギーヴが紙袋を片手に扉の前に立っていた。
 ギーヴの部屋の近くを通っても一切物音がしないので、てっきり仕事に出掛けた後なのだと思っていたのだが。
 実際のところは、今日は久しぶりの休みなので、昼近くまでずっと寝ていたのだそうだ。そして少し前にアルスラーンと同じくブラリと町中まで出かけ、美味しそうな弁当を見つけたので買って来たということらしい。
 それにしてもわざわざ後輩の分まで買ってきてくれるとは。
 アルスラーン自身は昼食のことなどすっかり失念していたので、ありがとうございますと何度も頭を下げていると、とりあえず中に入れて欲しいと突っ込みを入れられた。

「全く人が来ないので普通の日本茶しかなくて……自販機でコーヒーとか買って来ますか?」
「日本茶で十分」
 ギーヴはアルスラーンの問いに答えながら窓際に置いてある応接セットのイスに座ると、手に持っていた紙袋の中から弁当と思しき包みを取り出して早速二人分の昼食の準備をはじめる。したがってアルスラーンもギーヴの要望を叶えるべく、急いで茶を入れる準備をはじめた。
 ただし現在ギーヴの座っている応接セットのテーブルの上には、先ほどアルスラーンが買ってきた雑誌が出しっぱなしの状態である。しかもご丁寧に、大物俳優Dに熱愛発覚という煽り文句が大きく書かれているページを開いた状態でだ。
 ギーヴがそれに気付かぬはずもなく、弁当を取り出しながら雑誌を覗きこむと、感心したような声を上げた。
「へー……大物俳優Dか。これってダリューンのことか?」
「え?あ゛っ!――あっつ!」
 何故いきなりその話題が出てくるのだろうと一瞬疑問に思うが、先ほどまで読んでいた雑誌をテーブルの上に放置したままなのを思い出して慌ててギーヴの方を振り返る。しかしその瞬間に手元が狂い、急須の中に入れたお湯が零れて指にかかってしまったのに鋭い声を上げた。
「おいおい、大丈夫か?気を付けろよ」
「す、すみません。少ししかかかっていないので大丈夫です」
 アルスラーンは、ギーヴにはダリューンのファンであることを話していない。それにこの手のゴシップ誌を購入していると知られるのも恥ずかしいと感じたので、何とか誤魔化そうと盆の上に急須と湯呑を乗せて大慌てでギーヴの元に歩み寄る。そして貼り付けたような笑みを浮かべながら、机の上に置いていた雑誌を隅に追いやろうとした。
 しかしギーヴはそれを察したのだろう。素早く雑誌を取り上げてアルスラーンの手が届かないようにイスの背もたれに寄りかかる格好になると、あの男もようやくゴシップ誌デビューかと感想を口した。
「まあそれでもピントが合っていないあたりがあの男らしいが」
「それ、やっぱりダリューンさんだと思います……?」
 出来ればこの話しは避けたかった。しかしギーヴはノリノリらしいので、こうなったらもう諦めるしかないだろう。それによくよく考えてみると、ギーヴは俳優時代にこの手のネタでよく騒がれていたのだ。
 それなら何か有益な情報を聞けないだろうかと気持ちを切り替えて話しに乗ると、彼は視線を天井に向けながらそうだなあと呟いた。
「恐らくこの写真がダリューンなのは間違い無いと思うが。ただ女優と熱愛どうのってネタは微妙なところだな。ま、俺がこの手のネタで騒がれる時は大体本当のことだが。でもダリューンの場合は、俺と真逆のタイプで見持ちが相当堅いからな」
 むしろおたくの事務所の社長のことだから、話題作りのためにもうちょっと遊べとか言われてそうだと口にすると、楽しそうに笑った。
「ともかく。俺の感想としては、恐らく他誌にこのネタ取られそうになったから、先走ってこの雑誌が記事出したとかそんなところじゃないのか?心配しなくても良い年した男の恋愛ネタなんてほとんどの人間は興味が無いから、すぐに流されるだろ」
「そうなんですか」
 ということは、そこまで深く考える必要は無いのかもしれない。良かったと安堵すると、肩から力が抜けて思わず大きな息を吐いてしまう。
 しかしそこで何故自分は安堵しているのかという疑問が生じたのに、アルスラーンは思わず目を瞬かせた。
(あれ……?)
 昔からのファンだからただの野次馬根性でこんなにもダリューンの恋愛騒動が気になるのか。
 しかしアルスラーンは男なのだ。それにも関わらずここまでダリューンの恋愛事情に一喜一憂しているとなると、我ながら少々気持ちが悪いと思ってしまう。
 これではまるで――
(芸能人に恋をしている女の子みたいじゃないか)
 そしてハタとそんな危うい感情に気が付いてしまったのに顔を引きつらせると、まるでそんな考えも全てお見通しだと言わんばかりに、タイミングよくギーヴがとんでもない言葉をかぶせてきた。
「前々から思っていたんだが、アルスラーンってダリューンのことが好きなのか?」
「ウッ」
 これでも一応役者のくせに、咄嗟に誤魔化し損ねて言葉に詰まってしまう。するとギーヴはそれで勝手に納得したのか。やっぱりそうなのかという言葉を口にしたのに、アルスラーンは思わず身体を大げさに揺らしながら目線を彷徨わせた。
 何となく「好き」という彼の言葉に含みを感じるのは、危うい恋心にうっかり気が付いてしまったせいだろうか。
 そこでもう一度たしかめようとチラリとギーヴの方へ目を向けると、彼は口元に笑みを浮かべながら首を傾げてみせた。
(これは……何を考えているのやら、さっぱりだ)
 先輩にこう言っては失礼かもしれないが、この人はこの手の演技が本当に上手い。本心が全く見えないので、対処に一番困るパターンだ。
 一番安全なのは、なにも言わずに流すことだろう。
 しかしそれはそれで気になって常にビクビクと警戒してしまいそうで精神衛生上よろしくないし、何より先輩相手に失礼だ。
 そしてついにアルスラーンの方が折れると、肩を落としながら渋々と口を開いた。
「その、もちろんダリューンさんのことは好きです。でもあくまで憧れの気持ちというか、そんな感じで……」
 だから勘違いしないで欲しいのだと言外に告げながら再び目の前の男の表情を伺う。だが当のアルスラーンの表情はというと、その言葉に反してほんのりと頬が赤く染まっていたのでまるで説得力が無い。
 無論、人の機微に敏いギーヴがそこら辺のアルスラーンの感情の揺れに気付かぬはずもなく。すぐにそういうことかと理解すると目を細めながらへえと一言だけ口にした。
 そしてそこでようやく、アルスラーンは墓穴を掘ってしまったと気付くがもう遅い。
 目の前の男がそれ以上突っ込みを入れて来ないのは彼なりの優しさなのかもしれないが、視線だけは変わらずアルスラーンの方を向いているので身体に突き刺さって痛いことこの上ない。
(……終わった)
 これ以上言い訳の言葉を重ねたところで、目の前の男の確証を深めるだけだろう。
 したがってアルスラーンは完全に諦めた表情で虚ろな視線を彼に向ける。すると彼は、心配しなくても誰にも言わないからと口にしながら、手に持っていた雑誌を閉じてテーブルの上に戻した。
「ま、こっちの業界じゃたまに聞く話だし、そんなに気にすることは無いさ」
「はあ……、え?」
 フォローするようにかけられたギーヴの言葉を最初は何となく聞き流していたが、引っ掛かりを覚えたので下を向いていた顔を上げて目の前の男の顔を凝視してしまう。
 何だかとんでもないことをサラッと言われたような気がするのは、気のせいだろうか。
 しかし彼は笑みを浮かべているだけで、アルスラーンの問いかけに答えることはしない。そしてこの話しはもう終わりだと言うように、弁当を取り上げて昼飯を食べようと口にした。


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