アイル

カメラ越しの秘密の恋心-5

 もともとアルスラーンはダリューンのことが中学生の時から一途に好きだ。ただそれを恋心と自覚していなかっただけである。
 したがってそれがそういう意味での好きなのだと分かってしまった後は、まるで坂道を転がり落ちるかのようにダリューンへの恋心が膨らんでいって止まらなかった。
 そしてその思いが膨らめば膨らむほど欲が出てくる。とはいえそもそも恋愛もろくにしたことが無いので、もっとダリューンのことを知りたいとか、もう少し話したいとかそんな程度のことではあるが。
 ともかくそんな些細な思いを叶えるべく、アルスラーンはここにきてようやく勇気を振り絞ってダリューンに自ら話しかけるようになった。

「撮影お疲れ様でした。あっ、武器持ちます」
「ああ、わざわざすまない。アルスラーンも撮影で疲れているだろうに」
 ダリューンは一対一での戦闘シーンが多いので、最後まで現場に残って撮影していることが多い。
 もちろん先に撮影を終えた者は宿に戻って全く問題は無いのだが、アルスラーンにとってはダリューンの演技を生で見ることが出来、さらに勉強が出来る絶好の機会である。だからいつも撮影の最後まで必ず残っていた。
 またここのところは、ようやくダリューンとも自然にコミュニケーションを取れるようになってきたので、今のように撮影後に鎧を脱ぐのを手伝ったりしている。
 そして受け取った武器を衣装係の人に渡していた時のことだ。
 それまで他のスタッフ達に混ざって撮影した映像をチェックしていたギーヴが、そんな二人に横槍を入れてきた。
「おーおー、甲斐甲斐しいな。殿下に着替えを手伝って頂けるとは、うらやましいかぎり」
「ギ、ギーヴさん!」
 はっきり尋ねたわけでは無いが、ギーヴがアルスラーンの恋心に気付いているのはほぼ間違い無いだろう。そのせいかアルスラーンとダリューンがこうやって絡んでいると、たまに今のように横槍を入れてくるので正直生きた心地がしない。
 まあ見た目に反して意外に口は固いようなので完全にからかわれているだけなのだろうが。そうとは分かっていても、ダリューン本人に気付かれることだけは絶対に避けたいのでいちいちこうして過剰に反応してしまうのだ。
(だから余計に弄られているというのもあるんだろうけど……)
 ギーヴの性格から考えると、十分に有り得る話しだろう。
 そこで内心ビクビクしつつダリューンの様子を伺うが、彼はギーヴの言葉を完全に右から左に流しているのか。全くの無反応で、衣装係のスタッフに手伝ってもらいながら重たい鎧を外している。
 しかしアルスラーンの視線にはすぐに気が付くと、苦笑を漏らしながら肩を竦めてみせた。
「あの男が軽いのは昔からだから、気にすることは無い。
 それより、良ければ宿の風呂に一緒に行かないか?」
「風呂……っ!?」
 まさかの夢のような展開に、馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返してしまう。理由は言うまでもなく、風呂に一緒に入らないかと誘われ、邪な心が少々顔を出してしまったのだ。
 だが本人を目の前にして何てことを考えているのだと慌てて首を振ると、提案を取り下げられる前に何度も頷きながら絶対に行くと返事をした。
「おっ、これは大進展だな」
「はあ……ギーヴ、さっきから何なんだお前は」
 もちろん一連のやり取りを見ていたギーヴが、面白そうな表情をしながら茶々を入れてきたのは言うまでもないだろう。しかしからかい相手であるアルスラーンは、完全に夢見心地で呆けていたのでそれどころではない。
 するとダリューンは仕方ないといった表情をしながら、一言だけギーヴに突っ込みを入れてやった。



 思いがけずダリューンと風呂に入る約束が出来たことで、現場から宿に戻るまでの間、アルスラーンは始終フワフワとした幸せな気分だった。
 宿の廊下を二人並んで歩いている途中で、三十分後に大浴場の出入口で落ち合おうと約束したときが恐らくは幸福の絶頂の瞬間だっただろう。
 しかしいざ自室で風呂の用意をし始めると、そんな気分はどこへやら。約束の時間が近付くにつれて心の中に広がっていた幸福感が一気に霧散すると、代わりに緊張感で一杯になる。
 そして約束の時間になり二人連れ立って脱衣場に入る頃には、アルスラーンの表情は一目みて青白いと分かるほどに顔色が悪くなっていた。
「さっきから大分顔色が悪いようだが大丈夫か?明日も撮影があるし、無理して風呂に付き合わなくても――」
「い、いえっ!体調は悪く無いんです。ただ元から色が白いせいか気温差が大きい場所に移動するとこんな感じになるみたいで。そのうち治るので大丈夫です。はは……」
「そうなのか?」
 もちろんそんなの嘘である。
 というか今現在二人は湯船に並んで浸かっているので、いい加減体温が上がって肌が上気してもいい頃だろう。それはダリューンも思っていることなのか、アルスラーンを見ながら心配そうな表情をしている。
 それを誤魔化すために、アルスラーンは自身の腕を眼前にかざしながら、そういえば筋肉つけたいんですよねと全く関係の無い話題を呟いた。
「ダリューンさんってしっかり筋肉がついているじゃないですか。だからいつも羨ましいなと思っていて」
 特に撮影の際に着ている服装では二の腕まで露になっているものが多いので、眼前でなめらかに動いてその形を自在に変化する筋肉の流線美に、いつもほれぼれとしているのだ。
(今までダリューンさんってそんなに肌を露出するような役柄とか無かったからなあ)
 露出といえば、せいぜい半袖の服装で肘より少し上くらいまでだっただろう。それが今回のドラマで一気に二の腕が露になり、それどころか序盤で身につけているピッタリとした衣装では、胸元と背中の見事な筋肉の付き方がはっきりと分かるのだ。
 それはもう、ファンとしては垂涎物だろう。
 そこでチラリと横に座っているダリューンの方へ視線を向けると、彼は湯船の中で軽く胡坐をかき、膝のあたりに腕を乗せる格好をとっていたのでその立派な二の腕がちょうど湯の中から覗いている。彼が少し身じろぎをするだけで湯の水が筋肉を伝って零れ落ちていき、その様子はひどくなめかましい。
(はあ……)
 たまらない。
 ではなくて、こういう風になるにはやはり筋トレが一番なのだろうかと、脇道にそれかけた思考を慌てて方向修正しながら自身の腕をダリューンの腕の横に並べてみた。
 アルスラーンはもともと色白なのもあいまって、昔からなよなよした風に見られる。それが嫌でこれでも一応昔から腹筋背筋を決まった回数毎日こなして、それなりに成果は出ているかなと満足していた。
 しかしこうやってダリューンと比べてみると、その差は一目瞭然である。
 それならとりあえず毎日の筋トレのノルマ回数を増やそうかと、独り言をブツブツ呟きながら自身の腕を撫でた。
「増やすとしたら、まずは二十回ぐらいかなあ……」
「ん?毎日筋トレしているのか?」
「あ、はい。まあこれでも、一応」
 ただ最近マンネリ化しているので回数をちょっと増やそうかと思ってと苦笑しながら答えると、ダリューンは感心したようにへえと呟く。しかし直後に小さく首を傾げた。
「でも今ぐらいがちょうど良いと思うが」
 さらにこれ以上筋肉が付いた姿はあまり想像出来ないなと口にすると、手を伸ばしてアルスラーンの二の腕を掴んで揉むように動かしてきたのでたまったものではない。
「へあっ!?」
 恐らくダリューンは筋肉の付き方を確かめているのだろう。これが服を着ていればまだマシだったのかもしれないが、なにせ互いに全裸だ。
 触れられている腕から背中を伝って下半身に走った危うい感覚に、咄嗟に下肢を隠すものをと空いている方の手を浴槽の縁に置いてあるタオルに伸ばす。
 しかし湯の中にそれを持ち込むのはマナー違反だとハッとすると、その手を握りしめて脳内で意味も無く学生時代に習った素数を数えながらなんとか衝動を押し留めにかかった。
「今でもほどよく付いているみたいだしな……無駄な筋肉を付けても、身体全体のバランスが崩れるだけだ。このままで良いんじゃないのか?」
「は、はぁっ」
 ダリューンの言葉を受けて一応頷いてはみるものの、そもそもその言葉の意味を半分も理解していないので果たして会話として成立しているのかどうかも疑問だ。
 幸いにしてダリューンの方は腕を観察するのに意識が完全に向いているらしく、アルスラーンの惨状には気付いていないらしいが。しかし現時点でこの有様では、それも時間の問題だろう。
 さらには駄目押しというように筋肉の境目の筋のようになっているところを、指先で触れるか触れないかという絶妙な力加減で撫で上げられて、たまらず顎をクッと上に反らしながら媚びるように鼻を慣らしてしまう。
「――ッく、んっ」
 辛うじてはっきりとした声は漏らさずに済んだが、次は無いだろうと本能的に感じる。その証拠に下半身が少々兆してきてしまっているのが分かる。
(もう、これ以上は……ダメだ。手、外してもらわないと!)
 好きな人の目の前で完勃ちなんて、笑い話にもならない。というか現時点でもう一押しされたらそうなってしまいそうな危うい状況なのだが。
 なんてことを考えて平静を辛うじて保ちつつ、アルスラーンはダリューンを見上げるようにしながらおずおずと口を開いた。
「その……手を外してもらっても良いですか?ちょっと、くすぐったくて」
「ん?あ、ああ」
 相手は先輩なので非常に言い辛いのだが、それらしい言い訳をしながらお願いをすると、ダリューンの手は案外呆気なく外された。
 それに安堵して詰めていた息を吐くと、まだ残っているダリューンの手の感触を辿るように自身の二の腕を撫でる。するとそんな様子のアルスラーンを黙って見ていたダリューンが、その場の空気を変えるように小さく咳払いをした。
「筋トレを増やすというのなら……良ければ、代わりに一緒に殺陣の練習でもしてみないか?」
「えっ!いいんですか!?」
 殺陣に関しては一応撮影前に個人的に行われたレッスンで一通り教え込まれはした。しかしいざ撮影に臨んでみると、他の出演者と比べて付け焼刃感が拭えないのにここのところかなり頭を悩ませていたのだ。
 幸いにして今のところは一対一の戦闘シーンもほとんど無いのでなんとかなってはいるものの、撮影が進めばそうも言っていられない。だからこれは願ってもないチャンスだと、即座にお願いしますと頭を下げると快く快諾してくれた。
「そうだな。普段は撮影であまり時間が無いだろうから、週末あたりにでも声をかける。ただ仕事が入ってしまうと夜遅くなるかもしれないが……」
「大丈夫です!」
 全く問題無いと勢いよく頷くと、ダリューンは小さく笑い声を漏らす。そして自分もそれまでにきちんと型をさらっておかないとなあと口にした。
「よし。じゃあそろそろ上がるか」
 そこで会話が一段落したのでダリューンは立ち上がる。つられてアルスラーンも立ち上がろうとしたものの、ハタと重要なことを思い出したのに浮かしかけた腰を元に戻した。
 理由は言うまでもない。殺陣の練習に誘われたのですっかり失念していたが、いまだ下半身が微妙な状態なせいだ。
「ん?まだ出ないのか?」
「あっ!?えっと!その、せっかくなのでもう少し温まっていこうかなと……!」
「そうか?」
 何が「せっかく」なのか自分でもさっぱり訳が分からない。しかしダリューンは深く突っ込みを入れてくることは無く、先に風呂から上がっていった。



「はあ……危なかった」
 目先の欲望に忠実になりすぎて、後先考えずに好きな人と風呂に一緒に入ってしまったばかりにひどく神経をすり減らした気がする。
 しかしその代わりにこんなに間近で見事な体躯を堪能出来たのも事実なので、神経をすり減らしたかいがあったというものだろう。
(ええと、それより――)
 問題は自身の下半身の状態だ。
 今までは視線を向けることで、ダリューンにバレてしまうのではないかと心配だったので頑なに見ようとしなかった。だがもうその心配はない。
 それでも一応風呂場の中に自分以外の人間が誰もいないのを再確認した後、アルスラーンは恐る恐る視線を自身の下肢に向けた。
「……うん」
 何となく下腹部に熱が集まってきているとは感じていたが、案の定予想通りだ。
 水面で歪んではっきりとは見えないものの、目を凝らしてみると何となく兆しているのが分かる。
「はー……仕方ない。おさまるまで、待つか」
 この時間帯は大浴場の最終利用時間が近いせいか、皆部屋のシャワーで済ませる者が多いので人が来ることは無い。こうなったら逆上せるまで粘るかと、肩まで湯船に浸かりながら小さくため息を吐いた。
「そういえば、自分でするのはすっかりご無沙汰だったなあ」
 初めての撮影現場に慣れるため、性欲処理どころでは無かったので当然といえば当然ではある。
 しかしこうやって一度意識してしまったが最後。先ほどから本能が、誰もいない隙にサッと抜いてしまえと頭の片隅で囁いている。
 それに促されるように思わず右手を下肢に伸ばしかけるものの、すぐに頭を振って煩悩を振り払うと、意識をそこからそらすように後頭部を浴槽の縁に乗せて天井を見上げた。
(駄目だ駄目だ!今は一人きりだが、ここは公衆の場所なんだから)
 こんなことを考えるということは、それだけ余裕が出て来たということだろう。そうして思考回路を別の方向にそらしながら、何とか性衝動を誤魔化した。

 ちなみに。ダリューンはアルスラーンから手を離して欲しいと言われた際、彼にしては珍しく目線が泳いでいた。
 理由は単純で、目の前のアルスラーンから妙な色気を感じたからだ。しかも同性にも関わらずだ。
 そしてそんな風に邪な目で見てしまったのを誤魔化すために、殺陣の練習にいきなり誘ったというのが真実である。
 しかしそもそも恋愛沙汰に疎いアルスラーンは、自分に向けられるそういった類の感情にはまるで気付いていなかったのは言うまでもないだろう。


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