アイル

陛下は騎士をおし倒したい!-1(R15)

「私は、ダリューンのことを好いているのだ」
 季節は春。
 アルスラーンはダリューンを自室に招き、二人向かい合う格好で葡萄酒を飲んでいた。すでに太陽は完全に姿を消しており、空には丸い月が浮かんでいる。そして格子状の窓からは涼やかな風が流れ込んでいた。
 そんな中でそれまでのなんてことない会話の延長かのように、アルスラーンの口から紡がれた先の好きという言葉は、あっという間に格子窓から夜空に吸い込まれていく。おかげでダリューンはその言葉の意味を一瞬理解し損ね、手に杯を持ったままの格好で固まってしまった。
 それから二人の間に生まれた数秒の空白の時間は一転する。それまでの穏やかな時の流れが嘘のように、細い糸をピンと張っているかのような緊張感を孕んだものになったのだ。
 そしてこの状況を作りだした張本人であるアルスラーンはというと、そんな様子のダリューンを少しの間見つめた後、その表情に少しだけ苦笑を浮かべながら視線を横にそらして格子窓越しに夜空を見上げた。

(やはり、こういう反応をするよな)
 目の前の男はなにしろ忠義に篤いので、先の「好き」という言葉は寝耳に水だったのだろう。未だにその真意を測りかねているのか、微動だにせず正面を凝視していることからそれは容易に想像できる。
 ダリューンの性格から察するに、ここであともう一押しすれば、恐らく彼は深く考えることを止めて思いに答えてくれる可能性は大きいと思う。しかしそれは己の国王という地位を利用して関係を強要していることに変わらず、アルスラーンにとって本意であるはずが無い。
 したがってアルスラーンはダリューンと同じく押し黙り、異様なほどにドキドキと脈打っている自らの心臓の音を聞きながら、相手の返答をただひたすらに待つしかなかった。
 ダリューンへの恋心を自覚した正確な時期はアルスラーン自身でもよく分かっていない。
 ただアトロパテネ会戦での敗戦以降ダリューンと共に長旅をする中で、彼に抱いていた憧れや信頼といった気持ちがいつの間にか恋心に変化していた。つまりは十四歳前後の頃から今まで、ずっとダリューンに恋をしているのである。
 とはいえ十代の中頃は王都奪還のために戦漬けの日々を送っていたので、恋に現を抜かしているどころでは無い。それから長旅の末にパルスの王位に就き、ようやく一息つけそうだと思ったら、今度は内政の立て直しや蛇王との戦いなどでやはりそれどころではなく。そうこうしている間に完全に言い出す機会を逸してしまったのだ。
 そんな調子であったので、気が付いた時には恋心を抱いてから十年もの月日が経過しており、アルスラーンはいつの間にか二十四歳となっていた。
 そしてついに、その思いをダリューン本人に告げたというわけだ。
 ――というのが、ここまでのおおよその流れである。
(だが、この思いはやはり口にするべきでは無かったか……)
 何しろ十年もの長い間心の奥底に秘めていた思いだ。中途半端な気持ちで口にしたわけでは無い。
 とはいえ先の戦の傷跡がようやく癒えてきたおかげで以前よりも心に余裕が出来てきて、その勢いで告白をした部分も少なからずある。加えてダリューンは普段からアルスラーンの世話をよく焼いてくれるので、そんな優しさを勝手にそういう意味に取っていた部分も、無きにしも非ずだ。
 今まではあえて気付かないふりをしてきた。しかしダリューンの戸惑っている様子を目の当たりにしたのをきっかけに、そんな自身の下心を改めて自覚すると余計にいたたまれない。
 それで勝手に勘違いをしたまま盛り上がって、告白をして。
 その結果がこれだ。
(……浅はかなものだ)
 色々な思いに気が付いた途端、それまでの高揚した気分が鎮まっていく。
 頭に冷や水をかけられたかのように一気に冷静になると、それと同時に自分の軽率な行動を自覚し、今度は逆に苦々しいものが胸の中に少しずつ広がっていくのが分かる。
 そもそも男同士なのだから、男女のように上手くことが進むはずが無いのに。そんな簡単なことにすら気付かぬとは、自分で考えていた以上に緊張し浮かれていたのだろう。
 そこでついにこの沈黙の時間に耐えきれなくなり、気にしないで流してくれと口にしようとした時のことだ。ダリューンはそこでようやく顔を上げると、一つまばたきをした。
「それは、つまり」
 彼は恐らく、愛とか恋とか、そういう意味の好きかと聞きたいのだろう。
 正直なところ、アルスラーン自身はすっかり意気消沈していたのもあって、再びその言葉を口にするのはなかなかに勇気がいった。それに何度も好きだと言って押し付けになるのも嫌だ。
 ただその気持ちに偽りは一切無い。
 それになにより、ダリューンから尋ねられているのだからあと一度だけと小さく息を吸うと、目の前の男を真っ直ぐ見つめた。
「俗っぽく言ってしまえば……その、もしダリューンさえ良ければ、付き合ってくれないだろうか。ということだ」
 最初よりも二度目の方が恥ずかしく感じるのは、頭の中がすっかり冷静になってしまっているせいだろう。
 おかげで腹を括って再び口にした言葉もいざ肝心な単語にさしかかると、あまりの恥ずかしさに視線を横に流してしまい、しどろもどろになってしまう。
 そしてその言葉を聞いた途端、目の前の男は手に持っていた葡萄酒の入った杯を絨毯の上に置き、口元を手の平で覆った。だがすぐに気を取り直したのか。片膝をついて姿勢を正すと、ありがたき幸せに存じますと深々と頭を下げた。
 つまりはこの瞬間、二人の思いは通じたのである。
 とはいえ直前まで馬鹿なことを言ってしまったと心底後悔していたアルスラーンにとっては、まさかの展開なのは想像に難くないだろう。
 そんなわけで呆けた表情をしながら、目の前で頭を垂れているダリューンの姿をまじまじと見つめた。
(――まさか、そんな)
 アルスラーンは数回まばたきをした後、夢ではあるまいなとダリューンの頬へ手を伸ばす。すると指先には確かな温もりがあり、それが現実であると伝えてくれた。
 それから頬に添えた手に促されるような格好で顔を上げたダリューンと視線が絡み合い、気がついた時には引き寄せられるように互いの唇を触れ合わせていた。

「ん……、ぅ」
「はっ……陛下」
 もちろんアルスラーンにとって、これは生まれて初めての口付けである。
 様子を伺うように唇同士がスリと軽く擦り合うと、その感触に思わず喉を鳴らしてしまう。
 しかしまだこの状況を理解しきれておらず、すべてが夢の中の出来事のように感じているせいか。あるいは脳の許容量を完全に上回っているせいか。それを恥ずかしいと思うことはない。
 それよりも少しでも油断したら一気に飲み込まれてしまいそうな甘い熱の感覚を、何とか鎮めるのだけで手一杯だ。
 とはいえ何もかもが初めてのアルスラーンが、そう長い間この状況に耐えられるはずもないだろう。すぐに音を上げると、とりあえず身体の中で渦巻きだしてしまった熱をなんとかしなければと焦りだす。
(となると、一度ダリューンから身体を離さなければ)
 だからひとまず顔を横に向け、唇の繋がりを無理矢理に外す。そしてはあはあと荒い息を吐きながら乱れた呼吸を整えていたのだが、そうやっていられたのも少しの間だけだ。
 次の瞬間には後頭部に手を添えられ、先ほどまでの様子を伺うような口付けとは一転。今度は覆い被さるような格好になり、性急な様子で唇を塞がれる。さらには唇の合わせ目に濡れた感覚が走り、それに思わず口を開くとその隙間からヌルリと熱の塊が侵入してきたのに身体を大きくビクつかせた。
「ん、んんっ!ふ、ぐっ!?」
「んっ……、はぁっ。どうかお逃げにならないでくださいませ」
 驚いて目を見開くと目の前にはダリューンの顔がある。目の端が少しばかり赤く色付いているところを見ると、常に冷静沈着な彼にしては珍しく、そちら方面の火がついてしまったのかもしれない。
 そしてそこで口内に入ってきたのが彼の舌だということに気がつくと、アルスラーンはようやくとんでもない状況になりつつある現状に気がつき、頬を一気に真っ赤に染めた。
(ちょ、ちょっと待て!?)
 思いがけず、ダリューンに思いが通じた。そこまでは理解している。
 それからどちらともなく唇を合わせ……触れるだけの口付けだけではなく、舌まで入れるところまで現在進行形で経験しているのだ。
(あ、わわ!)
 口付けにも色々と種類があるということは、十代の頃に渋々受けた房中術の授業で習ったので知識として知ってはいる。
 しかしこういった行為は段階を踏んで先に進むものだと教えられ、それを額面通りに受け取っていたアルスラーンにとって、今の状況はとんでもなく驚くべき事態なのだ。
 まさかこんな風にして一気に大人の階段を上ることになるとは夢にも思っていなかったので、ただただ目を白黒させるしかない。
 しかもそうこうしている間にも、アルスラーンが驚きのあまり固まっているのをこれ幸いと言わんばかりに、ダリューンは舌を器用に動かして口内を探ってくるのである。
「ん、っ――!そこ、はっ……あ、ううー」
 互いの舌を擦り合わせ、さらに口蓋部分を舌の先ですりすりと撫でるような刺激を加えられるともう駄目だ。
 最初の内は首の後ろ辺りにわだかまっていた熱が、いつの間に下肢に飛び火して下腹部に淡い熱の感覚が広がるのに、思わず両膝を擦り合わせるようにもじつかせてしまう。
「もう、これ以上は、っ」
「気持ち良くは、ございませぬか?」
 そんなの一目で分かるだろうに。気持ち良いから困るのだ。このままでは下肢がはっきりと兆してしまうのも時間の問題だろう。
 だが一方のダリューンはというと、普段よりもやや興奮した様子ではあるが、口調の方はまだまだ余裕そうで。それがまたアルスラーンの男としての自尊心をチクチクと刺激する。
(なんで、私だけがこんなに……、っ)
 自分だけが追い込まれているようで面白くなく感じるのは、男であれば当然のことだろう。
 ともかくこれ以上ダリューンの前で醜態を晒すわけにはいかぬと両肩を押して上体を離すと、意外にも呆気なくダリューンの身体は離れていった。
「は、あっ」
 向かい合って立っているので、二人の余裕の有無は一目瞭然だ。しかしここでそれに必要以上に反応してしまっては、余計に格好悪いと何とか思いとどまり乱れた息を整える。
 そうこうしている間にダリューンは立ち上がると、遅くまで失礼いたしましたといつも通りの台詞を口にし、律儀に一礼をした後に部屋から辞した。

「なかなか、思った通りにはいかぬものだな」
 アルスラーンはダリューンを見送ってから早々に寝室に下がると、寝台の上にごろりと転がりながら天蓋を見上げた。
 ここだけの話、ダリューンに告白しようと決めてから、その後のことを夢想したことは何度か当然ある。
 ただ十代後半から二十代前半にかけての、一番この手のことに興味のある時期を戦と政務にかまけていたせいか。仮に付き合えたとしたら、半年後くらいまでには口付けを出来たらいいなあ、なんて二十四歳の男らしからぬことを考えていた。
 それがいざ蓋を開けてみると、半年後どころかその日のうちに深い口付けまでしてしまったのである。
「はあ……」
 完全にダリューンのペースで、なんとも情けないのにガックリとうなだれるしかない。
 それはまあ、ダリューンはアルスラーンよりも一回り以上年上であるし、当然といえば当然なのだろうが。しかし今のような調子では、すぐに愛想を尽かされてしまうだろう。
「なんとか、しなければ」
 男という生き物は、好きになった相手には格好良く決めたいものなのである。
 つまりどういうことかというと、この時点でアルスラーンは自分が受け入れる側に回る可能性があるとは、微塵も考えていなかった。
 とはいえ二十四歳となったアルスラーンの身体は既にほぼ完全に出来上がっており、身長だって今やダリューンに見劣りしないほどだ。したがってそう考えるのも無理は無い。
 そして半年後までに口付け出来たら良いなと考えていたくらいなので、ダリューンとの情事についてはっきりと意識したのは、今が生まれて初めてのことであった。


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