アイル

陛下は騎士をおし倒したい!-2

 十年も胸の奥底に秘めていたアルスラーンの恋心は、意外にも呆気なく成就した。しかし付き合っているのは、あのアルスラーンとダリューンである。
 アルスラーンはそもそもこちらの方面に酷く疎く、一方のダリューンはというと一度正気に戻ると忠誠心が本能を邪魔するのか。最初は勢いでその場で口付けをしたものの、それから数ヶ月経過した今でもそれ以上の進展は無い。
 とはいえ口付け自体は、それから何度かしていた。ただしその切っ掛けを作るのはもっぱらアルスラーンの方で、自室にダリューンを呼び出し、そこでどちらともなく触れるだけのものをするという程度のものである。
 そんな調子なので、アルスラーンは今では最初にダリューンの方から性急な様子で口付けをしてきたのが、夢だったのではないかと感じるほどである。それほどまでに、今では何もかもがすっかりとアルスラーンのペースになっていた。
(しかし……最初にああいった衝撃的なことを経験してしまうと、どうもな)
 それはまあ、いつまでもダリューン主導では情けないので、今の状況はありがたいとは思うのだが。
 ただ物足りないというか、なんというか。
 一言で言ってしまえば、ここ最近は少々欲求不満を感じるようになっていた。
 少し前まで、付き合ってから半年くらいまでに口付け出来たら良いなと思っていた姿はそこには無い。優しげな見た目に騙されがちだが、つまりはアルスラーンもれっきとした男ということである。
 しかしいざ口付け以上のことをしようと思っても、この手の経験の一切無いアルスラーンがすぐに先に進めるはずもなく。
 そうこうしている間に季節は春から夏へと移り変わり、アルスラーン一行は例年通りギランへ査察という名目の避暑に向かうことになった。


■ ■ ■


 そんなこんなでアルスラーンとダリューンが付き合い初めてからおよそ三ヶ月経過した七月中程のこと。
 アルスラーン一行は当初の予定通りギランへ訪れており、海沿いにある造船所の中で作られているたくさんの舟を見て回っていた。
 ちなみに一行はギランに一ヶ月ほど滞在し、その最中に十一月に行われる湖上祭で使用する舟や出し物の確認を行っているのである。
「今年も舟作りが順調そうで安心した。湖上祭を楽しみにしている」
「は。ご期待にそえるよう、尽力させていただきます」
 アルスラーンが造船所の責任者の男に労いの言葉をかけてやると、男は恐縮した様子で深く頭を下げる。
 なんて調子である。
 とはいえ先にも述べた通り、避暑もかねてのギラン訪問なので、一日中そんなことをしている訳ではない。それ以外の空き時間は、ギランの総督代理であるグラーゼが用意してくれた館で、のんびりと過ごしているのが常であった。
 王都ではほぼ休み無く政務に追われているアルスラーンにとって、このゆったりとした時間が至福意外の何物でもないのは今更言うまでもないだろう。
 しかし人間とは贅沢な生き物で、そんなゆったりとした時間も一週間ほど経過するとお腹一杯になり……つまりは退屈する。
 そしてそんな頃合いをまるで見計らったかのように、ギランの人々は数日間にわたって町中で祭りを催してくれるのだ。
 もちろんそれにアルスラーンが興味を示さぬはずが無いだろう。人が多いので危ないと小言を言われつつも、今年も祭りを楽しむべくエラムを伴ってにお忍びで町中へ繰り出していた。



「美男美女決定戦?」
「そういえば、グラーゼ卿が今年の祭りの目玉としてそのような催事を企画されたとおっしゃっておりました。しかし舞台に立たれているのは……」
「ダリューンとファランギースだな」
 アルスラーンとエラムの二人は祭り初日の夕方から早速町中へと繰り出し、多くの露店が並ぶ大通りを見て回っていた。
 しかし大通りの突き当たりに設置されていた大きな台座の上に見知った人物が二人立っており、彼らが多くの人間から祝福の拍手をされていたのにポカンと口を開けた。
「あの様子だと……二人は優勝したのだろうか」
「そのようでございますね」
 もちろん二人とも優勝するのも納得の美男美女ではある。
 しかしギーヴならともかく、ダリューンとファランギースの二人は、どう考えてもこの手のことに自ら首を突っ込む性格では無かったはずなのだがと思わず首を傾げてしまうのは、まあ当然だろう。すると横に立っているエラムが額に片手を添えながら小さくため息を吐いた。
「実はあのお二人は、遠くから我々を護衛することになっていたのです。しかし何かの手違いで、あの催事に巻き込まれたようですね」
「ああ……なるほど。そうであったのか」
 ダリューンはアルスラーン絡みの任務となると、命を懸けんばかりの勢いでそれを遂行するところがある。それが途中であのような舞台に立つ羽目に陥っているということは、恐らくそれなりの理由があったのだろう。
 そしてアルスラーンのその予想は当たっており、ダリューンはこの催事の主催であるグラーゼに一杯食わされたのである。
 どういうことかというとこうだ。
 あまりの人の多さにダリューン達は不覚にもアルスラーンの姿を途中で見失ってしまい、必死に探しまわっている道すがらグラーゼと偶然出会ったのだ。そして彼に陛下をお見かけしなかったかと聞いてしまったのが運の尽き。
『陛下なら、俺の主催する美男美女決定戦の優勝者の表彰を行ってもらう予定だから一緒に来ると良い』なんて具合に声をかけられたのだ。
 それがいつの間にかダリューン達も美男美女決定戦とやらに参加することとなり、その結果優勝してしまったのである。
 無論表彰で祝いの言葉を述べたのは、アルスラーンではなくグラーゼだったのは言うまでもないだろう。つまり二人は、ものの見事に客寄せ人員として使われていたのであった。
 初めてグラーゼと出会った時、ダリューンは彼のことを海のラジェンドラと評していたはずなのだが。とんでもない失態をしてしまったと焦っていたせいで、うっかりそのことを失念してしまい、その結果として見事にしてやられてしまったのである。
 無論表彰式でようやくグラーゼのほらに気が付いたダリューンは、彼にしては珍しく不機嫌な様子を隠しもしていなかった。
 しかしその様子が野性的な男らしさがあって格好良い!なんて具合に、周りの女性達にキャーキャーと騒がれていた。
 ――というのが事の顛末だ。
 とはいえそんな細かい事情を、現時点でアルスラーンが知るはずもなく。そんな様子を、少々複雑な心境で遠巻きに眺めていた。
 ただ念のために言っておくが、アルスラーンはもちろん美男美女決定戦とやらに無断で参加したことに対して怒っているわけではない。そうではなくて、ダリューンが不特定多数の女性達にもてているところをこうやって実際に目にしてしまったせいで、心配になっているだけだ。
(私は、女性では無いからなあ……)
 やはり男は無理だと言われたら、アルスラーンにはどうしようもない。だから出来れば、他の女性と接点を持たないで欲しいという薄暗い感情が、少しずつ湧き上がってきてしまうのだ。
(――なんて、な)
 ただ台座の上のダリューンの様子を見るに乗り気では無いようだし、そんな馬鹿なことを考えては駄目だと慌てて頭を振る。
 アルスラーンはパルスという大国の国王である。だからその気になれば、本当にそう出来るだけの力があるのが怖いところだ。しかし己の地位を利用してそんなことをしてしまうことほど愚かしいことは無い。
 そしてこれが嫉妬という感情かと、初めての感情に戸惑いつつも理解すると、厄介な感情が人にはあるのだなと小さく息を吐いた。

 それからしばらくして表彰が終わり、人がまばらになってきたところでアルスラーンはダリューンとファランギースの二人に声をかける。するとダリューンは何度も何度も詫びの言葉を口にした。
 そんな調子なので事情を説明するどころの騒ぎではなく、結局ファランギースの口から一連の経緯を聞くことになる。
 そしてグラーゼに謀られたと聞いたアルスラーンはあの者らしいなと笑いを零し、エラムはやれやれといった様子でため息を吐きながら首を振っていた。


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