アイル

陛下は騎士をおし倒したい!-3

 祭り最終日の夜になると、アルスラーンらの泊まっている館では祭りを名残惜しむ宴の席が設けられる。そして毎年その頃になると、どこからともなくふらりとギーヴが姿を現し、ちゃっかりと国王に一番近い席を陣取るのだ。
 そしてどこまでが嘘か本当か分からない旅の土産話を、今年もアルスラーンに酒を片手に大げさな身振り手振りを交えながら話していた。
 とまあ、ここまではいつものことなのでどうということはない。
 しかし護衛としてアルスラーンの近くに座していたダリューンの周辺には、宴に招待した商人の娘達が群がっており、そこだけは常と様子が大分異なっていた。
「今は陛下の護衛をしておりますので困ります。後にしていただけませぬか」
「陛下のお隣には他の方がいらっしゃるではないですか。それにこの宴には、招待した者しか入れないと聞いております。ですから少しだけなら大丈夫でしょう?」
 アルスラーンも別に盗み聞きする趣味は無いが、近くにいるので自然とそんな押し問答が聞こえてくるのに思わず苦笑を漏らした。
 通常このような身分の者達と、国王が同じ部屋の空間にいるのはあり得ない光景である。しかしアルスラーンが祭りを開くために尽力してくれた商人達を労いたいと言い出し、国王がそう言うならということで彼らをこの場に招待したのだ。そして招待された商人達が、その席に自身の娘達を連れて来たというわけだ。
 もちろん彼らがこの場に娘を連れてきた理由については、今更改めで言うまでもない。俗っぽく言ってしまえば、この場にいる未婚の男性陣を狙っており、あわよくば玉の輿に乗ろうと考えてのことである。
 そして往々にしてその餌食になるのはギーヴなのだが、今年はその役をすっかりダリューンに取られてしまっているのにギーヴが気づかぬはずもなく。
 アルスラーンとの会話が一段落したところでダリューン達のいる方を指さすと、今年は何やらあちらが凄いことになっておりますなと少々驚いた様子で口にした。
「ああ……あれは恐らく、ダリューンが今回の祭りの催事で優勝したせいだろう」
「催事で優勝、と言いますと?」
「グラーゼが美男美女決勝戦というものを企画したそうでな。成り行きでダリューンとファランギースの二人が参加することになり、揃って優勝したのだ」
「なるほど、そういうことでしたか。しかしまさかファランギースどのがそのような催事に参加されたとは……!」
 事前に知っていれば、俺がダリューン卿の代わりに参加して優勝したのに!と、目元を手のひらで覆いながらギーヴは大げさな仕草で嘆いている。しかし相変わらずその仕草はわざとらしいもので、どこまで本気で言っているのかは謎だ。
 その様子に苦笑した後、アルスラーンは先ほどから絶え間なく聞こえている女性達の声に引かれるように再びダリューンの方へ顔を向けた。
「それにしても、ダリューンは随分と女性に人気があるのだな」
 彼は優しいし、見目だって良い。それに催事の際に表彰されていた時にも、随分と女性陣に騒がれていたのでもてるということは分かっていたつもりだったのだが。まさかここまでとはという感じだ。
 彼の周りを女性がすっかり取り囲んでおり、いつものギーヴと立場がまるで逆な様子に少々呆気にとられてしまう。催事で美男として優勝したせいで、その人気にさらに火が点いたのだろうかと思わず零すと、ギーヴはさあてと口にしながら首を傾げてみせた。
「私が知る限り、あの男は昔から女性に人気がありましたよ。ただあの体躯に加えて、真面目な性格ですからな。女性陣にしてみると声をかけ辛いのだとか。ただ今回その美男決定戦?とやらで優勝したおかげで、話の糸口がようやく出来たとかそんなところでしょう」
「そういうことか」
 ということは、中には念願叶ってようやくダリューンと話せた者もいるのだろうかと考えながら、アルスラーンは足下に置かれていた麦酒の入った杯を取り上げてあおった。
「おや。そのように一気に飲まれては、すぐに酔いが回ってしまわれますぞ」
「ん……ああ、それでいいのだ」
「?」
 アルスラーンは未だに酒にあまり強くない。それを知っているギーヴにやんわりと止められるが、今回に限っては景気付けに一気に飲んだのだからむしろそれで良いのだ。
 無論ギーヴは訝しげな表情をしていたが、今はあえてそれを無視して残っていた杯の中身を再び一気に飲み干す。すると酒精が喉を通り抜けて胃に到達したのか、食道が焼けるような感覚が走り、それからしばらくすると頬が赤くなっていくのを感じた。
 そこで手に持っていた杯を再び足下に置くと、ダリューンの方へ上体ごと顔を向けた。
「ダリューン。見ての通りこの部屋には衛兵の者も多く立っているし、少しの間ならば席を外しても問題無かろう。露台あたりでゆっくりとしてきたらどうだ?」
「――陛下、しかし」
 もちろんこんなの本心ではない。正直なところ、今すぐにでもダリューンを彼女達の中から取り返したいくらいだ。
 ただダリューンとようやく話すことが出来た女性がいるのかもしれないと知った上でそれをするのは、あまりにも余裕が無さすぎで情けない。かといって彼らが楽しそうに話している光景を、目の前でただ指をくわえて見ているだけというのも少々辛い。
 だから露台に行ったらどうだなんて発言を、酒の力を借りて口にしてしまったのである。
 そしてもちろん女性達がその発言を聞き逃すはずもないだろう。アルスラーンの言葉を聞くや否や、国王の許可も頂いたのだからというように、ダリューンを追い立てるようにして露台に向かっていった。
 ただ去り際にダリューンの困ったような諦めたような複雑な表情が目に入ったとき、アルスラーンはそこでようやく失敗をしてしまったことに気がついてガックリと肩を落とす。しかし今更それに気がついても、すべては後の祭りであった。

「はあ……私はどうもこういう恋愛絡みのことは駄目だな」
「――恋愛?ははは、陛下は面白いことをおっしゃいますなあ。それではまるで、陛下とダリューンが恋人同士のように聞こえますぞ」
「ん……?ああ、そういえば言っていなかったか。実は今年の春頃からダリューンと付き合うことになったのだ」
「ゲホッ!!」
 さすがに予想外だったのか、ギーヴは慌てた様子で手に持っていた杯を床に置きながら思いきりむせた。
 別に隠しているわけではなかったのだが。ただうっかりルーシャンあたりの耳に入ったら面倒なことになりそうなので、積極的に人に言っていないのだと念のために付け加えると、彼はむせながらも承知したといった様子で片手を軽くあげ、何度も頷いてみせた。
「ゴホッ……はあ。少々驚いたもので、失礼いたしました。それにしても、まさかあのダリューン卿と付き合われているとは……まあ、あの者も常日頃からあんな調子ですし、お似合いといえばお似合いではありますが」
 しかしそれならば、ダリューン卿をあの女性達に渡さなければ良かったでしょうにと言われると辛いところである。
 お似合いだと言われて少々気分が浮上していたが、一気に正気に戻ると視線を左右にうろつかせた。
 さすがギーヴと言うべきか。先ほどまでの驚いた様子はどこへやら、恋愛事に慣れているだけあって即座に痛いところを突いてくる。
 そして観念したようにため息を吐くと、返す言葉も無いと言いながら目を閉じた。
「ギーヴの言うとおりだ。私も先ほどすれ違いざまにダリューンの表情を見て、あの者の心情を考えていなかったと酷く後悔した。だがそれに気がついても、やはり引き留めるだけの勇気がまだ無いというか……不安があるのだろうな」
「ふむ。不安でございますか」
 今日はまた随分と鋭く突っ込んでくるなと思いつつチラリとギーヴの方へ視線を向けると、先を促すように首を傾げられる。
 彼は口元に笑みを浮かべてはいるが、真っ直ぐにアルスラーンの方を見ているところから察するに、逃がすつもりは無いのだろう。
(はあ……まいった)
 ダリューンと付き合っているということはポンと口にしたが、そもそも恋人が出来たのは初めてのことなので、具体的に色々と話すとなると話は別だ。途端にムクムクと羞恥心が湧き上がってくるのを感じて口ごもってしまう。
 それに彼の性格から考えるに、アルスラーンたちのことを心配している……というよりは、むしろ面白がっている可能性が大いにあり得るだけに余計にだ。
(だがなあ)
 目の前に座っている男は、パルスで一番の色男といっても過言ではない。この手の恋愛沙汰なんて、それこそアルスラーンとは比べものにならないくらい経験してきているだろう。
 それならば自分の経験不足な頭でうだうだと考えて変にこじらせるよりも、この道の達人に教えを請うほうが賢明かと考え直すと、おずおずと己の心情を吐露しはじめた。
「不安というのはつまり……その、ダリューンが迷惑に思うかもしれないなと」
「迷惑?まさかあの男に限ってそのようなことは絶対にございませぬよ」
 というか迷惑に感じるくらいならば、付き合うことなど普通しないでしょうにと即座に切り返される。
 確かに彼の言う通りである。ギーヴの言うことは正論だ。
 ただアルスラーンとダリューンは男同士で、なおかつ告白したのがアルスラーンからというのがどうにも引っかかっているのである。
 それに――
「……彼とはまだ口付けしかしていないものだから」
 こんなことを他の人間に話すのは初めての経験なので、あまりの恥ずかしさにギーヴの顔を直視することが出来ない。
 そしてそんな恥ずかしさを誤魔化すように、足下に置いていた杯を取り上げて手の中でコロコロと意味も無く転がしていると、ギーヴはその様子から空気を読んだのか。内緒話をするときのように耳元に口を近づけてきた。
「ははあ……そのようにご不安な気持ちになるのは、欲求不満のせいもあるやもしれませぬぞ」
「――っ!そっ、それは……っ!」
 それもまあ、ある。いくら綺麗事を言っても、男という生き物は、まあそういうものなのだ。
 何か言い返そうとピンと背を伸ばしてギーヴの方を見つめるものの、結局は何も言い返せずに耳まで真っ赤に染めるしかない。
 するとギーヴは身体を離し、アルスラーンの肩をポンポンと軽く叩きながら、ご愁傷様でございますと慰めてきた。
「生憎と私は女性としか付き合ったことが無いので、男性同士の付き合いがどういったものであるか分かりかねる部分も多々ございますが。ただ確かにあの男は奥手そうですから、陛下も苦労なさいますなあ」
 数ヶ月も手を出さぬとは、ダリューン卿らしいですが。それをされる方となると、たまったものではないでしょうと心底同情される。
「ああ、そうだ。それならばいっそ誘惑すればよろしいではないですか」
「誘惑?」
 ギーヴは名案が思い浮かんだというようにポンと自らの膝を叩いて頷いている。
 ただ誘惑という言葉は、通常女性側から行為を誘う際に使う言葉のはずだ。だからおかしいなと首を傾げつつ、その言葉を復唱した。
 そして手を出す出さないあたりの話からどうにも話が噛み合っていないと思っていたが、どうやらギーヴが勘違いしているらしいのにようやく気がつくと、アルスラーンはちょっと待ってくれと目の前に手の平をかざした。
「ちょっと待ってくれ、ギーヴ。少々勘違いしているようだから念のために言っておくが。私がダリューンを押し倒したいのだ」
「……、は?」
 ギーヴがこんなにも間の抜けた表情を他人に晒したのは、これが最初で最後だろう。
 しかしアルスラーンはいたって真面目であった。

 そしてそれから。アルスラーンはたっぷり三十分以上、行為の詳細な手順についてギーヴに根ほり葉ほり尋ねていた。
 そこに先ほどまでの躊躇したような様子はまるで感じられない。ほんの少し前まで口付けの話しをするのにすら躊躇していたのに、とんだ変わり身の早さである。
 だがアルスラーンに言わせてみれば、その理由はいたって単純明快だ。どういうことかというと、ギーヴに誘惑すれば良いのだという助言をもらったことで、これまで相手の出方ばかり伺っていた自分は男らしくないと逆に考えたのである。
(もう恋人同士なのだし、自分から押し倒すくらいの気概がなければ!)
 という思考回路だ。となると若さも相まって即座にやる気ならぬヤル気満々になるわけだが、いかんせんアルスラーンが持っているその手の知識は、座学で習ったものだけなので少々心もとない。
 だがよく考えて欲しい。目の前には、お誂え向きといわんばかりに経験豊富な男が座っているのだ。となると彼に聞こうと考えるのは当然の成り行きだろう。
 というわけで、どこからどう見ても乗り気でないギーヴに、先ほどから質問責めをしていた。
「ふむ……それで挿入の際には尻の孔に、香油を塗ると良いのか。なるほど。幸いにして香油ならば、市場まで買いにいかずとも女官達が寝台に予め用意してくれている」
「陛下……そろそろ勘弁していただきたいのですが」
「もう少しだけ。それで、尻の孔はやはり予め慣らす必要があるのだろうか?」
 なんて具合である。
 ちなみにアルスラーンの質問が一つ解決するごとに、ギーヴがその場から何とか解放してもらおうと、彼にしては珍しく泣き言をこぼすまでが定型だ。
 無論ギーヴは途中で腰を浮かせて半ば無理矢理にその場を離れようともしていたが、アルスラーンは即座に装飾用として長く垂らしていたギーヴの腰帯を捕まえてそれを阻止する。そしてこれで心置きなく話せるなと言わんばかりに、それを機に尻の孔の解し方とかそんなえげつない内容の質問を連発していた。
 もちろんすべては酔っぱらいだからこそ出来る戦法だ。
 しかしそれをやられているギーヴとしては、とんだとばっちりなのだろう。もういい加減にしてくれと言わんばかりに、げっそりとした表情を浮かべると頭を抱えこんだ。
「はあ……。陛下、もうこの際ですからはっきり言わせていただきますが。俺個人的には、ダリューン卿が女性役というのは……視覚的に、こう、あまりしっくりとこないのですよ」
 もちろんギーヴだって、他人の趣味趣向にケチを付けるつもりはさらさら無い。ただアルスラーンが折に触れてダリューンの名を出すので、うっかり脳裏にその姿を思い描いてしまい、色々としんどいのだ。
 したがって悪いとは思いながらも、もう勘弁して下さいと再度願う。
 するとアルスラーンはダリューンのいる露台の方へ一度目を向け、それからしばらくしてから再びギーヴに目を向けた。
「……ふむ。そうか」
 アルスラーン的には、少し身体を動かすたびに美しい曲線を描くダリューンの筋肉の流れは、ずっと見ていても飽きず、なかなかにそそられると思う。
(もちろん好ましいと思う点は、そこだけでは無いが)
 しかしギーヴは、常日頃から美女が好きだと言っては毎晩のように妓館に通う男なのだ。どこからどう見てもダリューンは女性には見えないし、となると勘弁して欲しいと言い出す気持ちも分からなくもない。
 正直なところ少々面白くないような気がしなくもないが。だがここで変に力説をして、そういった意味で興味を持たれても困る。
(それに、情事について大体の疑問点は解決したしな)
 それならそろそろ良いかと考えると、素直に礼を口にする。するとギーヴは心底ホッとした表情をし、そそくさと立ち上がってその場から逃げるように離れていった。
(――さて。あとはどうやって押し倒すような場面にもっていくかだな)
 やはり何事も最初が肝心である。
 あまりにわざとらしくても雰囲気がぶち壊しだしなと考えつつ、アルスラーンは麦酒の入った杯を片手に、楽しい妄想を頭の中で繰り広げだした。
 その様子は、最初の頃の鬱々とした表情とはまるで正反対であった。


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