アイル

陛下は騎士をおし倒したい!-5

 アルスラーンにあてがわれた部屋は、本来は船長であるグラーゼが使っている船室らしい。
 二部屋続きとなっており、片方は商談などを行う公室、もう片方を私室として使っているのだそうだ。
 グラーゼは室内を案内しながら男所帯のわりになかなか綺麗でしょうと自慢げに話していたが、彼が席を外した隙に他の船員が普段は床に酒瓶がゴロゴロ転がっていて結構散らかっているのだとバラしていた。
 しかしその話の途中で運悪くグラーゼが戻って来ると、船員は彼から軽く小突かれて皆から笑いを誘っていた。
「ゴホン!まあ今回の補修の際に船室もすべて綺麗にしてもらっておりますので、ご安心ください。それとどうしても陸に比べると部屋が狭いので不便なところもあると思うのですが、そこら辺はどうかご容赦くださいませ」
 なんて具合にグラーゼは話を誤魔化すと、いらないことを言った船員の襟首を掴みながら部屋から出て行く。
 そしてそれと入れ替わりに船内を見て回っていたギーヴが戻って来ると、各所に護衛の者が配置されているのを確認して参りましたと報告の言葉を口にした。
「そうか、ありがとう」
「いえ。それと船員曰く今日は幸い波も穏やかで過ごしやすいだろうということです。ただ慣れぬ者は波の揺れで酔う場合もあるそうなので、その場合は船から降りた方が良いということでした」
「そういうこともあるのか」
 揺れといっても、現時点ではほとんど感じ無い。だから大して問題無いだろうと思ったが、ダリューンはいつもの調子で深刻に捉えているのか、心配そうに眉間に皺を寄せている。
 したがって馬に乗っている時の方がよほどひどい揺れだから問題無いと笑顔浮かべると、そうでしょうかと不安そうな言葉を口にしつつも眉間の皺の本数がいくらか減った。
 しかしそんな二人のやりとりを見ていたギーヴは、二人の関係を知っているので心中穏やかではない。
「やはり俺は妓館に行くべきだった」
 微妙な表情をその顔にありありと浮かべながらそう呟くと、隣の公室の方へと逃げて行く。もちろん耳聡くそれを聞いていたダリューンは、その背に向かって不遜であると怒っていたが、ギーヴはそんなのどこ吹く風といった様子だ。
 俺は隣室で護衛をするとのんびりとした口調で告げ、アルスラーンに一礼をした後にさっさと扉を閉めてしまう。そして自動的に、ダリューンがアルスラーンの傍に控えて護衛をすることになった。
 なんとなくだが、二人の事情を知っているギーヴが気遣ってくれたのだろうかと思った。

「このような形でダリューンに護衛をしてもらうのは随分と久しぶりだな」
「はい。昔のことを思い出します」
「そうだなあ」
 今や彼も大将軍となり、昔以上に自由の効かない身の上だ。それにアルスラーンも国王となってからは、どこへ行くにも沢山の護衛を付けられるので、今回のように王宮外で二人きりの状況になることはほとんど無い。
(まあ厳密に言うと、外ではエラムや他の兵士たちが見張りをしてくれているわけだが)
 しかし旅の最中によく使う布で出来た天幕と違って、船は一区画ごとに木でしっかりと仕切られている。おかげで外の音もほとんど聞こえないので、外の様子は全く気にならない。
 だからこそ余計に、王太子時代に二人きりで長旅をしていた頃のことを思い出すのだろう。
(もうあれから十年か)
 あの時から彼のことが好きで、今は念願叶って付き合っているのだと考えると、なかなかに感慨深いものがある。
 とはいえ、付き合っているといっても関係の進展の方はというと相変わらず。未だに口付けだけなのだが、そこから先も出来れば早く経験したいな……なんてことを寝台に横たわって天井を見つめながら考えていた時のことだ。
 その瞬間脳裏を過ぎったある考えに、アルスラーンはパッと目を見開く。そして部屋の扉付近に座しているダリューンに顔を見られないよう彼に背を向ける格好になると、真剣に考え事をはじめた。
(ちょっと、待て。今はもしや……絶好の時機というやつなのではないだろうか)
 ギーヴに相談をして助言を貰った日から、アルスラーンは虎視眈々と『その機会』を狙ってきた。
 しかし先にも述べた通り、こういった旅先で二人きりになることはほぼ無い。したがってお楽しみは、王都に戻るまでのお預けということになるだろうなと考えていたのだが。
 とんでもないことに気がついてしまった途端、心臓が煩いくらいに鳴りだす。そして反射的に生唾を飲み込んでしまい、思ったよりも大きな音が響いたような気がしたのに身体をビクつかせた。
「アルスラーン陛下?」
「――ッ!」
 ダリューンに声をかけられたのは、それとほぼ同時のことだ。
 喉を慣らした音が聞こえたのか、あるいは気配から動揺しているのに気がついたのか。定かではないが、今はそんな細かいことはどうでも良い。
 それよりもどうやってこの場を切り抜ければ良いのかということが重要なのだ。
(いや。そもそも切り抜けるという考えだから、いつまで経っても先に進めないのか?)
 このまま逃げてしまっては、ギーヴに助言を求めた意味が無いではないかと己を叱咤する。
 そして再びダリューンがアルスラーンの名を呼んだところで、寝台の上に上体を起こした。

「ご気分がすぐれませぬか?先ほどギーヴが言っていた船の揺れのせいで酔われたのでしょうか」
「いや、違う」
 そうではないとゆっくりと首を振ると、ダリューンの方へ右手を差し出す。すると彼は心得た様子で寝台に近寄って来ると、目の前の床に跪いた。
 もちろんその足取りに一切の迷いは無く、清廉されたものだ。その様子はアルスラーンが頭の中で考えている不埒な事とはまるで正反対である。
 おかげで己の浅ましさがよりいっそう浮き彫りになり、あまりのいたたまれなさに決心がグラグラと揺れるのを感じて思わず顔を下に向けた。
 しかしもうここまで来てしまっては、何事も無かったかのように振る舞うことは出来ない。
 仮に何事も無かったように取り繕ったところで、同室にいるダリューンのことが気になって翌朝まで眠ることは出来ないだろう。それにダリューンだって、ここで何でも無いとアルスラーンが言ったところで、素直に引き下がるとも思えない。
 だからもうあとは突き進むしか無いのだと己を奮い立たせると、ダリューンの頬へ手を伸ばす。そして耳元から顎までを指先でゆっくりと辿り、突然のことに驚いたのか、何か言おうと口を開きかけていた唇に己のソレを重ねた。
「陛下――、っ!?ん」
 最初の口付け以外、今まで彼としてきたものは全て触れるだけのものである。しかし今回はもっともっと先に進むのだ。
 だからここで怖じ気付いていては駄目だと勇気を振り絞ると、以前ダリューンにされた時のことを思い出しながら唇の狭間を舌先で恐る恐るペロリと辿ってみる。するとダリューンの身体が小さく揺れ、応じるように唇が薄く開いたのにゾクリとした征服欲のような快感が背中を走り抜けていくのを感じた。
 これは、初めての感覚だ。そしてその征服欲に背中を後押しされるように口内へ舌を押し込んでみる。
 だが互いの舌同士が触れ合ったところで、その熱量と生々しい感覚に驚いてすぐに己の舌を引っ込めてしまった。
「ん、っ!」
「はっ……これで、終わりでございますか?」
 ダリューンがそうやって言ってきたのはわざとだろう。その証拠に薄く目を開いてダリューンの様子を伺うと、その口元は緩く弧を描いている。
 しかし一方のアルスラーンはというと、まだ軽い口付けしかしていないにも関わらず、緊張も相まってかその瞳は涙の膜で潤んでおり、どこからどう見てもこれからダリューンを押し倒そうとしている人物には見えない。
 というのは幸いにして自分自身では見えないので、アルスラーン自身にその自覚は無い。だが少なくともダリューンより余裕が無いということくらいは分かったので、内心面白くなく感じていた。
(うう……私の方から口付けているし、十分攻勢のはずなのに)
 これが経験値の違いというやつなのかもしれない。だがここで諦めてしまっては、王都までお預けになってしまうのは火を見るよりも明らかだ。
 それにこれで終わりかと言われて、そのままあっさりと引き下がっては男として情けない。
(――よし、それなら)
 ダリューンの手首を掴んで寝台の上に引っ張り上げる。そして少々戸惑った様子の彼の両肩に手を乗せながら膝立ち、覆い被さるような格好になりながら再び唇を塞いだ。


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