アイル

陛下は騎士をおし倒したい!-7

「ん……う……あ、れ?もう朝か」
 常よりも外が騒がしいのに手の甲で瞼を擦りながら目を開けると、見慣れぬ天井が目に入る。そこでそういえば昨晩は無理を言ってグラーゼの船の中で一泊させてもらったのを思い出す。
(それで、ダリューンと――)
 ついにそういう行為をしてしまったということを思い出した途端、赤く染まった顔を隠すために顔半分を寝具で隠しながら、目だけをきょろきょろと動かして室内の様子を伺う。しかしそこに肝心なダリューンの姿が全く見当たらなかったのに目を瞬かせ、首を傾げながら床の上に降り立った。
「……あれ?ダリューン……?いない、のか」
 恐らくは何か用があって外に出たのだろうと思うのだが。もしかして何かあったのだろうかと、少しばかり不安な気持ちが脳裏を過ぎる。
 というかほんの数秒前までは、あんまりの羞恥心にダリューンの前から身を隠したいと思っていたくせに。いざその存在が見当たらないとなると心細く感じるとは、我ながらなんとも自分勝手なものだ。 
 なんてことを考えて不安な気持ちを誤魔化しながら隣室に続く扉を開くと、向かいの壁に寄りかかる格好でギーヴが立っていた。
「おや、陛下。お目覚めになりましたか。おはようございます」
「ああ、おはよう」
 ギーヴは扉が開く音に気がつくと、一応姿勢を正して礼をする。そして定型通りの挨拶をしてきたのに、アルスラーンも笑みを浮かべながら答えた。
 しかし正直なところ、今はダリューンのことが気になってたまらない。したがってすぐに「ところで」という言葉を口にすると、ギーヴは心得た様子でダリューン卿でございますかとその顔に笑みを浮かべた。
「あ、ああ。よく分かったな。目覚めたら姿が見当たらなかったからどうしたのだろうと思ったのだ。ギーヴはあの者の所在を知っているのか?」
「どうかご心配なさらず。ダリューン卿は、そろそろ陛下が起きる頃合いだろうと言って少し前に湯を汲みに行きました。そろそろ戻ってくる頃合いかと」
「なんだ、そうだったのか」
 やはり取り越し苦労だったかとホッと胸をなで下ろす。こんな細かなことが一々気になるのは、恐らく昨晩にダリューンと一線を越えてしまったせいだろう。
 なんてことを考えながら顔を上げると、目の前でギーヴがニヤニヤとした笑みを浮かべていたのに、思わず仰け反るような格好になりながら半歩後ずさった。
「ええと……どうかしたのか?」
「いえ、どうということはございません。ただひとまずお祝いを申し上げなければと思いまして」
 ここで一体何のことだと聞き返すほどアルスラーンも間抜けではない。
 そしてやはり昨晩の一件はギーヴにもバッチリ筒抜けだったのかと理解すると、頬を真っ赤に染めながら面白いくらいに狼狽えた。
(な、なな、なんてことだ……っ!)
 最中の途中で、隣室に居るギーヴの存在は思い出した。しかしダリューンに突然尻の穴を弄られたのに完全に気を取られてしまい、そこまで気が回らなくなってしまったのだ。
 そのことを思い出して穴に埋まりたい気分になるが、すでに後の祭りである。
「あ、いやっ!あれは、その、……次は私が押し倒す予定で、っ!」
 なんて具合に今さらな言い訳をしどろもどろになりながら口にするが、肝心なギーヴはというと、はあと気のない返事をするだけでまるで焼け石に水だ。
 その口元は相変わらず弧を描いており、その表情から察するに十中八九面白がっているのはほぼ間違いない。
 だがめげずに次こそはと一人で息巻いていると、背後からアルスラーンの名を呼ぶ声がする。そこで恐る恐る振り向くと、ダリューンが湯の入っていると思われる桶を片手に立っていた。
「ずいぶんと面白そうな話をしているな、ギーヴ」
「おっと……これはこれは、ダリューン卿か」
 ダリューンの登場により、ギーヴにこれ以上突っ込まれる心配が無くなったのは助かったと思う。しかし本人を目の前にしたことで昨晩の出来事をリアルに思い出してしまい、頬だけでなく耳まで赤く染まったのは言うまでもない。
 さらにギーヴはギーヴでまだ面白がっているのか、陛下がおぬしのことを探していたぞとダリューンに思わせぶりな口調で告げるのだ。
 ちなみにその言葉を聞いた瞬間、それまでダリューンの纏っていたピリピリとした空気が一気に和らぎ、彼の注意がギーヴからアルスラーンの方へ一気に向くのが分かる。
 それからダリューンは上機嫌な様子でアルスラーンの腰に手を添えるようにすると、元居た部屋へ戻りましょうと誘いの言葉を口にした。
 そしてそうなるともう逃げられない。
 アルスラーンは昨晩の一件を気にしているせいでどこかギクシャクとしながらも部屋に戻り、なんとか顔を洗って、手伝ってもらいながら身支度を整えた。

 だが最後の仕上げに髪の毛を結ってもらう段階になると、時間の経過と共に高ぶっていた気持ちも大分落ち着いてくる。それに髪を結う際、ダリューンは背後に立っているので顔が見えない。
 そんな状況もあいまって、思わず私が押し倒すつもりだったのにとぼやくように呟いてしまうと、それが聞こえたらしいダリューンは小さく笑い声を漏らした。
「左様でございましたか」
 一応否定はされない。それどころか、今後楽しみにしておりますと口にしているくらいだ。
 しかし彼の声は常よりも明らかに弾んでおり、その様子から察するに絶対に本気には取っていないだろう。
 そしてアルスラーンのその予想は当たっており、その時のダリューンは、そうやって一生懸命主張しているお姿もまたいじらしいというか……僭越ながら、実にお可愛らしいなんてしょうもないことを考えていた。
(はあ)
 アルスラーンはいたって本気なので、冗談に取られるのはまったくもって不本意としか言いようがない。
 とはいえだ。
 もちろん昨晩の行為は納得の上でのものだったので、今さらそのことについてどうこう言うつもりは無い。
 ただこれまで数ヶ月もの間ダリューンのことを押し倒すのだと考えていたので、いざこうして逆の立場を体験するとなかなか現実を受け入れ辛いというか。
 あとは恋人が出来たのは生まれて初めてのことなので、男としてやはり挿入という行為に対する憧れみたいなものもあるかもしれない。
 まあそもそも一度挿入されたくらいでそこまで悲観的にならなくても良いのかもしれないが。
(なんだかんだと言いつつ、気持ち良かったしなあ……)
 さすがに尻の孔に突っ込まれて達するほどでは無いものの。それでも陰茎を弄るのとはまた異なる深い快感は、慣れればもっともっと絶頂が深まって気持ち良さそうだなあという予感がある。
 しかしそこでハタと我に返ると、このまま流されてはいけないと小さく首を振る。そしてその瞬間、あることに気が付いて勢いよく顔を上げた。
(――いや、待てよ?)
 確かに挿入されたのは事実だ。ただしまだ先っぽだけなので、逆に考えてみるとまだそれしか挿入されていないということでもある。
 そう考えると、いくらか反撃の可能性があるような気がするのと同時に、いくらか気分が楽になるから不思議なものだ。
 そこでふと新たな疑問が生じたのに、目線をチラリと後ろの方へ向けながら口を開いていた。
「ところで、昨晩は何故最後までしなかったのだ?」
 もっと直球に言ってしまうと、何故陰茎を全て突っ込まなかったのかということだ。
 もしもアルスラーンがダリューンを押し倒す可能性をこれっぽっちも見出していなければ、そんな疑問は今さら浮かびもしなかっただろう。ただ事実、先部分しか挿入されていなかったので、いくらか心に余裕が出来たのでこの質問をした。
 そしてダリューンは、それまで狼狽えた様子を浮かべていたアルスラーンがまさかそんなことを尋ねるとは夢にも思っていなかったのだろう。髪の毛を紐で縛っていた手の動きを一瞬止める。しかしすぐに気を取り直したように苦笑を小さく零すと、言葉を選ぶようにゆっくりとした口調で語り始めた。
「男性は、もともと受け入れるような身体の作りはしておりませぬ。ですから一度に事を進めるのは良くないかと思いまして」
「ああ……そういえば、そうか」
 言われてみると、確かにその通りである。説得力のある内容に素直に納得する。
 とはいえもしもこれが逆の立場であったならば、絶対にアルスラーンはあそこで寸止めすることは出来なかっただろうと思う。実際に体験したことが無くても、何となく想像がつく。
 だがそれを実現してしまうあたり、さすがダリューンだ。
 おかげで先ほど辛うじて復活した男としてのプライドがチクチクと疼くのに、自分もダリューンも見習わねばと朝からしょうもない決意を新たにしていたときのこと。
「アルスラーン陛下」
「ん?」
 唐突に右肩に手を置かれながら名を呼ばれたのに、どうしたのだろうと思いつつ振り返ろうとする。
 しかしその前に肩に置かれた手の指先が、首筋を下から上にゆっくりと撫で上げてきて、その途端にゾクリとした感覚が首の後ろあたりに走ったのに思わず背筋をピンと伸ばした。
「ふ、あっ!?」
「どうか、これ以上煽るのはご勘弁くださいませ」
 お恥ずかしい話ですが、これでもだいぶ自制しているのですよと耳元で囁かれる。
 そこでようやく先の話は朝からするような内容ではなかったと気が付くがもう遅い。
 耳元をくすぐるように指先であやされると、なんだか気持ちが良いのに思考がだんだんと蕩けてしまい、瞼がゆっくりと閉じていくのが分かる。それから顎をすくい上げるような格好で口付けを落とされて。
 しかしすぐに離されてしまったのを少しばかり不満に思いながら目を開けると、頬を撫でながらそろそろ朝食にいたしましょうと声をかけられたのに、アルスラーンは勢いよく目を見開いた。
(――はっ!!)
 慌てて顔を正面に戻しつつ頭に手を置くと、いつの間にか髪の毛は結い終わっているし何が何やら訳が分からない。
 ただ一つ言えることは、ダリューンは煽らないで欲しいと言いつつ、今の彼の表情や声音は普段とほぼ変わりが無いということである。ということは、追い込まれているのはむしろアルスラーンの方だ。
 してやられたと言うべきか。これではまた昨晩の二の舞だ。
 というわけでアルスラーンは慌てて立ち上がると、朝食にしようと握り拳を作りながら力強く宣言した。
 そうやってダリューンの先の言葉を復唱する様子はわざとらしさ満載であったが、それに突っ込むほどダリューンも野暮ではない。
 いつものようにかしこまりましたと頭を下げ、朝食の用意をするべく再び部屋を辞した。


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