アイル

アルスラーンと二人の臣下-3

 アルスラーンが二十二歳を迎えた日の夜。王都エクバターナではそれを祝して例年通り祭典が催され、その日の夜には王宮でも盛大な宴の席が設けられた。
 その席には主役であるアルスラーンも当然参加していたが、いつまでも国王がそこにいては臣下の者達も羽目を外し辛いだろうと早々に自室に引き下がる。そして寝るまでの暇つぶしに、窓辺に敷いてある厚い絨毯の上に胡坐をかきながら月を肴に一人で酒を飲んでいると、部屋の扉が数回叩かれた。
「お久しぶりです、陛下」
「ギーヴ!」
 彼は例の微行から数週間後には再びどこかに旅立ってしまったので、こうやって面と向かって話すのはほぼ四か月ぶりである。ちなみに風の噂によるといつもは大体金が尽きたとかで王都に戻ってくるようだが、今回は常よりも戻って来る期間が気持ち早いような気がする。ということは、もしかしたら祭典に合わせて王都までわざわざ来てくれたのかもしれない。
 そんな気遣いが嬉しいのに破顔して部屋の中へ招き入れると、自身が酒を飲んでいた窓辺の席へ導いた。
 今日は城下町でも夜通し祭典が行われているが、遠くから聞こえてくるそんな人々の喧騒がアルスラーンの郷愁を先ほどからくすぐっている。そして目の前に座っているのは、王都を奪還するまでの長い旅路を共に戦ってきた仲間の一人であるギーヴだ。
 そんな雰囲気に流されるように、たまには互いの地位を気にせずゆっくりと話しをしたいと思ったので、アルスラーンは女官から新たな酒と杯を受け取ると、もう休んで良いと言って下がらせた。
 しかしそんな郷愁の気持ちは、直後にギーヴの口から放たれた言葉によって打ち砕かれることになる。

「ところで陛下。例の書物は、お役に立っておりますか?」
「書物?」
 書物といってまず思い浮かぶのはナルサスである。よく国政に役立つでしょうと言って色々なものを渡してくれるのだ。
 しかしギーヴはそれとは全くの真逆。アルスラーンの知る限りは書物からは縁遠そうなイメージがある。したがって、はて何のことかと頭を傾げ――そこで壁際に設置されている書棚が目に入った途端に全てを理解すると、顔を真っ赤に染め上げながら顔を手で覆った。
「あ、ああ。あれのことか」
 真面目ぶった表情で聞いてきたのですっかり騙されてしまったが、つまり彼は以前微行の際に女性だらけの書店で購入した本のことを言っているのである。
 そして一連の反応から大体のところを察したのだろう。ギーヴは勝手に納得すると、目を閉じてお読み頂けたようで何よりですと口にしながらうんうんと頷いてみせた。
「私もこのような不躾なことをお尋ねするのはどうかとも思ったのですが。ただ先ほどの宴の席で色々と陛下の近況を伺いまして。その内容から察するに……少しでもお役に立てているのならば嬉しいなと思ったのです。
 ――して、お相手は?」
「う、ぐっ!」
 女官達が潤滑油や小道具など、そちら関係の物を寝所にマメに用意してくれているので薄々嫌な予感はしていたが案の定だ。やはり王宮内ではそれなりに噂になっていたのだと知って羞恥心が途端に湧き上がる。
 とはいえ王族は常に他の者から見られる立場にあるので、至極当然のことではあるのだが。
(しかし、相手と言われても)
 その相手はもっぱら自身の右手か、用意されている張形なのだ。
 どう考えても馬鹿正直に答えるわけにはいかないのに口ごもっていると、ギーヴはおやといった様子で瞼を瞬かせながら首を傾げる。それに心理的圧迫感を覚えて思わず上体をのけ反らせると、目の前の男は少し考えるような素振りを見せた後に口元に綺麗な弧を描いた。
「ははあ……なるほど。陛下もしや――」
 御身で実践しておられますなという言葉は、ギーヴが身を乗り出してきて耳元で囁いてきたので否定し損ねてしまった。加えて彼は何を考えているのか、耳元に吐息をフッと吹きかけてくるのだ。
「ふっ、あ」
 こんなのわざとだと分かりきっているのに。
 しかし第三者からそのようなことをされるのが生まれて初めてのアルスラーンは、簡単にその策に引っかかると小さく喉を鳴らしながら上体を揺らしてしまう。
 そしてこんな状態まで晒してしまってはもう色々な意味で言い訳のしようが無いのを感じると、それまで詰めていた息を全て吐き出してポツポツと白状をはじめた。
 もしも目の前にいるのがギーヴ以外の人間であれば、こんなにも簡単に重大な秘密を明らかにすることはまず無い。
 しかしそもそも尻の孔を弄る切っ掛けを作った人物は彼なのだ。加えて今日は宴の席から今までずっと酒を飲んでいたせいで、常よりも明らかに酔いが回っている。したがって理性の蓋が常よりも明らかに緩んでいた。

「はじめは単なる好奇心だったのだ。もちろん私は男であるし、そういうのは駄目だとは思ってはいたのだが……」
 あまりにも気持ち良いのにいつの間にか深みにはまってしまっていたのだという言葉を口にするのはさすがに恥ずかしかったので、もごもごと言い淀みながら下を向いて誤魔化す。すると目の前の男はなるほどと口にしながら大げさな仕草で数度頷いてみせ、分かりますと答えた。
「もともと男とは本能に忠実な生き物ですからな。しかしそんなにご心配なさらずとも、他人には言えぬそういった秘密の一つや二つは、誰しもが抱えているものです」
 そこで両肩に手を置かれてどうかご安心くださいと言いながら勇気付けられると、沈んでいた気持ちが少しだけ浮上するのを感じて小さく頷く。
 そんなアルスラーンの様子を見ながらギーヴはいつもの光輝く笑みを浮かべると、さらに言葉を続けた。
「ところで……こうやって陛下の秘め事を知ることが出来たのも何かのご縁。よろしければ、同衾してみませぬか?」
「ごほっ!」
 いくらアルスラーンがこの手のことに慣れていないとはいえ、この状況で同衾の意味を文字通り一緒に寝るだけだと考えるほどの間抜けではない。つまり彼は、そういう意味での誘いをかけてきているのだ。
 しかし今は女性のいない戦場ではなく、いたって平和な王宮内だ。もちろん町には男娼もいるらしいが、やはり男女で楽しむのが圧倒的多数派で男同士は少ない。
 なによりギーヴは、常日頃から美女好きを公言しているような男なのである。
 したがって赤くなりながらも思わずどうしたのだと尋ね返すと、彼は肩を竦めてみせた。
「実は……以前より男同士という関係に、少なからず興味がございまして。ただ普段から美女好きを公言しておりますので、なかなか言い出せず」
 しかしそこでギーヴはいけないといった様子で首を左右に振る。そして陛下相手にこんなことをお願いするのは不敬でありましたと口にして目を閉じ、どうか先の言葉はお忘れくださいと愁傷な表情をしながら呟いた。
 一連のギーヴの様子は、普段の飄々とした態度とはまるで真逆である。そしてそのような意外な一面を見せられると、どうにも弱い。
 だからなんとかしてその願いを叶えてやりたいと迂闊にも考えてしまったのは、アルスラーン自身も例の本の影響で少なからず男同士の行為に興味を抱いていたというのも大きいだろう。
 ともかくそこでアルスラーンはついに決心をすると、たどたどしく言葉を紡いだ。
「その、私は一度もそういった経験が無いから満足してもらえるか分からぬが……それでも良ければ」
 あまりの恥ずかしさにとてもでは無いが彼の顔を見ることが出来なかったので、恐る恐るギーヴの胸元に右手を添えてみる。するとその手を捕まえられて指を一本一本交差するように繋がれ、恋人同士のように絡め取られる。さらには顎に手を添えて顔を上向かせられると、至近距離で目線が絡み合った状態で下唇を思わせぶりにゆっくりと親指に辿られた。
「っ!」
 初心なアルスラーンはたったそれだけのことで完全に陥落してしまうと、再び顔を赤く染めながら目線を彷徨わせる。そしてその様子をギーヴは妖艶な笑みを浮かべながら見つめていた。
「ありがたき幸せにございます」
 そう口にしたギーヴの表情には、先ほどまでの愁傷な様子は微塵も感じられない。つまり一連の彼の行動は、全て計算した上でのものであった。


戻る