アイル

調査兵団における恋愛事情-9

 階段を上って兵長の執務室へと向かう。
 兵長が断りもなく自分の前に姿を現さなかったことなんて今まで一度も無い。だから余計に心配で気持ち早足だ。
「やっぱりいないのか……?」
 兵長の執務室の扉をノックするが返事がない。いつもならすぐに応答があるのに、それが無いということはやはり不在なんだろうか。
「……ドア、開けてみるか?」
 中にもし兵長がいたらと思うと少し緊張するが、そもそも何も言わずにいきなりいなくなるのが悪いんだと心の中で反論してドアノブを恐る恐る回してみる。
 しかし、ガチャリと鈍い音を立てただけで扉は全く開かなかった。
「…………ということは、ハンジさんのところに行くしかないか。」
 はあとため息をつくと、廊下に人気が無いせいか思った以上に響いた。
 大体、兵長も兵長だ。せめて張り紙くらいしていってくれればいいのにと思う。昨日の夜、寝ながら明日はどんな顔で兵長と顔を合わせれば良いだろうと散々と悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。
(……おかげでこっちは寝不足なのに。)
 開かない扉を恨めし気な顔で眺める。まあ、どうせ兵長のことだからこっちがこんなに色々と考えていたところで、前のときみたいにいつも通り何事もなく接してくるんだと思うが、何だか無駄な時間を過ごしたみたいで面白く無い気分だ。
「……はあ。」
(……なんて考えてても仕方ないか。遅くなったら不味いし、とりあえずペトラさんに言われた通りハンジさんの部屋に行こう。)
 くるりと踵を返すと、階下へ向かうことにした。


「失礼します!ハンジ分隊長はいらっしゃいますか?」
 ハンジさんの部屋の扉の前に立ち大声で挨拶をする。扉の向こう側からは、何かを引きずっているような物音が聞こえて来るので一応在室はしているはずだ。執務中に何をやっているんだろうと一瞬思うが、ハンジさんに関しては深く考えたらいけない。
 声を掛けてからしばらく待っていると、入っていいよーと中から間延びした声が聞こえてきた。
「失礼します……」
 恐る恐る扉を開くと、目の前に書類の入っていると思しき箱を引きずっているハンジさんがいた。かなり重たそうに見える。
「ああ、エレンか!昨日ぶり!」
「うっ!」
 最初からいきなり昨日の件かと若干気分が重くなる。言った本人は相変わらずニコニコしていて本心が見えないし、ある意味兵長よりも手ごわい。
「リヴァイが部屋にいないからこっちに来たんだよね?今日はリヴァイの帰りは遅いから、私の仕事を手伝って欲しいんだ。」
「分かりました。」
「とりあえずいきなりで悪いんだけど、荷物運ぶの手伝ってくれないかなあ。これ、中に紙が入ってるから一人だとちょっと運ぶの大変で。」
「は、はい!」
 さてどうしたものかとハンジさんの様子を伺っていると、先ほどの昨日の件に関する発言に深い意味は無かったのか早速用事を言いつけて来たのでホッとする。
「えっと、この荷物は……」
「ああ、これ?ソニーとビーンの資料だよ。分かったことをザッと書いただけでまだまとめてないんだけどね。
 もしかして……見たい?」
「い、いえ……この間沢山……聞いたので……」
 ハンジさんがキラキラとした目で問いかけてきたが、少し前に徹夜で巨人の話しを聞かされた日のことを思い出す。
 この人に巨人の話しをさせるのは危ない。断るとあからさまに残念な顔をしていたが、ここで同情して後で痛い目に合うのは自分だと言い聞かせて気付かなかったフリをしてやり過ごした。
「ありがとう。いやー、大分助かったよ!」
「他は無いですか?」
「あー、まあ……残りは後で良いよ。」
 結局、机の横にあった箱を数十箱ほど隣接する小部屋に移動し、さらにそこら辺に積み上がっていた紙の束を片付けたりしていたら数時間が経過していた。
 途中、床に落ちていた落書きのようなものが描かれた紙を捨てようとしたら大騒ぎで止められるという事態が頻発したので少し面倒だったが、ひとまずここまでは何事も無かったのでホッとする。まだ少し荷物が残っているが、苦労のかいもあって来た時よりも大分片付いたと思う。
「とりあえず疲れたし少し休憩しよっか。」
「分かりました。お茶とか、いれますか?」
「えっ!?本当!?じゃあお願いしようかな。
 エレンは気が利くねえ……リヴァイが羨ましいよ。私の部下なんて、みんな私の手伝い嫌がるからさ。酷いよね?おかげで部屋の中がこの有様だよ!あ、今はエレンが手伝ってくれたおかげで大分キレイになったけど。」
「はあ、そうですか。」
 嫌がる理由は、恐らくハンジさんが隙あらば巨人について熱く語り出したり、妙な実験に無理矢理付き合わそうとするからだろうが、本人に言ったところで直りそうにないので言わない。
「えっと……お茶をいれるお湯は食堂で貰って来ますか?」
「平気平気。いちいち食堂に行くの面倒だし。そっちの机にあるビーカーとバーナー、勝手に使っていいからさ。
 あ、使い方分かる?分からないよね!教えるから!!こっちこっち。」
「えっ。」
 ビーカーとバーナー言われて嫌な予感がしかしない。ハンジさんの歩いて行った方向を見ると、そこにはごっちゃりと実験器具が乗っかった机がある。
「これ、今日はまだ使ってないから綺麗だよ。バーナーは……火だしそのまま使って問題無いから。」
「……。」
 ハンジさんは嬉々とした様子で机の上をガチャガチャと漁ると、コップ大のビーカー2個を取り出しはいとオレに手渡してきた。
 今日は使ってないとか火だから問題ないとか、そういう出だしな時点でもう色々と間違えていると思うのだが、何だか嬉しそうな顔をしているハンジさんを見ると指摘することが出来ない。
 結局ハンジさんに押し切られる形でビーカーにコーヒーをいれて飲んだが……休憩時間のはずが、精神的に疲労したのは言うまでもない。
「そういえば……リヴァイ兵長って今日は忙しいんですか?」
「あれ?本人から聞いてない?駄目だなあ……ちゃんと言って行きなってあれだけ言ったのに……。
 リヴァイは緊急の仕事で街の市場に行ってるよ。夕方くらいになったら戻って来ると思うけど。」
「市場、ですか?」
 ペトラさん達が朝に話していた内容では、会議があってその件で忙しいと言っていた。
「ペトラさんは会議の件忙しいって言ってましたけど……それと関係が?」
「ああ、うん。昨日の会議でちょっと色々決まってね。で、リヴァイが市場に行くことになったんだよ。」
(会議と市場……?)
 いまいち結びつかない。が、ハンジさんがそう言うということは、そうなんだろうか。
 ペトラさんやオルオさんと違って、ハンジさんはこういった件では一切顔色を変えないので、真偽のほどが全く分からない。こういうところは、さすが分隊長だなと思う。
 同じリヴァイ班なのに、自分にだけ隠し事をされているようで気分は良くないが、食い下がったところでハンジさんは絶対教えてくれなそうだし、ここは我慢するしかないだろう。
「ところでさあ、リヴァイとエレンって結局どうなの?」
「……!!」
 ビーカーに入ったコーヒーをちびちびと飲んでいると、いきなりハンジさんが爆弾を投下してきた。この時、コーヒーを噴かなかった自分を誉めて欲しいくらいだ。
 最初この部屋に来た時点で触れられなかったので、昨日の件を見なかったことにしてくれたんだと勝手に思いこんでいたので完全に油断していた。
「え?いや、だから……昨日私がエレンの部屋に行ったとき、リヴァイと触り合いしてたでしょ?あっ、エレンがリヴァイに触ったかどうかは知らないけど!」
「!?」
 エレンはそういうのに積極的なタイプじゃないかな?ごめんごめん、勝手に決めて付けちゃって!なんて笑いながら言っているが、そういう問題では無いと思う。
「ここ最近はさあ、リヴァイにエレンとのこと聞いても全っ然なんにも教えてくれないんだよ。この話をした途端、完全に無視!酷いよねえ。この私が色々と心を砕いてあげているのに!」
 大げさな身振り手振りで天を仰いでいるが、どう見ても面白がっているだけなような気がする。普通に考えて、兵長なら無視するだろう。
 というか、今のこの口振りだと……
「え……あの……オレと兵長の……いつから知ってたんですか?」
「え?少し前から知ってたけど。えーっと……たしか私がリヴァイに蹴られて医務室に行ったとき。あの時、君たちキスしてたよね。」
「だ、大分前じゃないですか!!ってことは……オレが昼食に誘ったときに医務室の話しをふって来たのって……まさかカマかけたんですかっ!?」
「カマかけたって人聞き悪いなあ……まあ、そうだけど。ただまあ、私なりに自制してエレンには余りちょっかい出さなかったつもりだよ?リヴァイが煩いしさあ。」
 ……出来ればそのまま放置して欲しかった。
 何だか、対処するのを放棄して先延ばし先延ばしにしている間に、どんどん事態が悪化して行っているような気がしてならない。
「そ、それを何でいきなりオレに話を振って来たんですか?」
 個人的には、出来れば事態が解決するまで見て見ぬフリをしておいて欲しかったのだが……と切実に思う。
「何でって……昨日の一件で私が君たちの関係を知ってるってエレンにバレちゃっただろ?それにいい加減私の探求し……じゃなくて、えーっと……変に黙ってても良心が痛むからさあ。」
「……。」
 本音がバレバレだ。
 探求心が満たされないと言っているあたり、相変わらずハンジさんらしい。
 本心は分からないが、巨人の恋愛事情が気になるとかそんなところだろうか。なんというか……本当にハンジさんの巨人研究への執着心はすごいと思う。
 ……ただ単にミーハーなだけかもしれないが。
「それでさあ、結局のところどうなの?」
「何がですか?」
 向かいのソファに座っていたハンジさんが、興味津々と言った表情で顔を近づけてくるので思わず身体を後ろに反らす。
「だから……エレンはリヴァイのことどう思ってんの?ってこと。」
「えっ!?」
 こんなにはっきりと聞かれると思わなかったので、思わず顔が赤くなってしまう。昨日はアルミンに、そして今日はハンジさんに。何故連日のように自分の恋愛事情を暴露することになっているのだろう。
「ああ~青春だね!うんうん、分かった。あとは私が良いようにセッティングしてあげるから!もし私の勘違いだったら困るし、やるかどうか少し迷ってたんだ。でもこれで踏ん切りが付いたよ。」
「……は?」
 オレの顔から察したらしいハンジさんが、勝手にエキサイトしているがオレにはさっぱり意味が分からない。しかもこの台詞を言っているのがハンジさんだけに微妙に嫌な予感がする。
「え、えっと……ハンジさん?」
「ああ、いきなりこっちで盛り上がっちゃってごめん。まあ、今日の夜は楽しみにしててよ。」
「はあ……?」
 そういえば兵長も夕方に戻って来ると言っていたし、それと何か関係があるのだろうか。
「じゃあ、そろそろお昼だしこのまま昼食に行こうか。」
「あ、はい。」
 ――結局よく分からないまま、話しを強制的に打ち切られてしまった。

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