人気の無い廊下を、兵長と二人きりで歩く。
兵長は、酒に酔って半分寝ぼけたオレを自室に送り届けてくれるつもりらしい。ほろ酔いで気持ち良いし、兵長も近くにいるし、気分は最高だ。
(……そういえば、こういうシチュエーションって初めてだっけ。)
手もつないでいるし――というか、腕を掴まれているだけなのだが――新鮮でくすぐったい気分だ。
このぬるま湯に浸かっているような時間がずっと続けば良いのにと思う。
それとも……もしかしたら本当はこれも夢なのだろうか。
たまに、ああこれは夢だ、と分かる夢を見る。あのときの感覚と今の感覚がすごく似ている。
夢を見て楽しんでいる自分を、どこか別のところから冷静な目で見ているもう一人の自分がいる……そんな感じだ。
夢と現実の境界線がますます曖昧になる。
オレの部屋に着くと、兵長が部屋の扉を開けるのに一度オレの手を離した。おかげで何だか力が抜けてその場にしゃがみこんでしまう。
「おい……廊下で寝るな。もうお前の部屋に着いたぞ。」
「うう……」
一度座り込んでしまうと、立ち上がるのが面倒臭い。
いっそ廊下でいいからこのまま寝てしまいたい気分になる。
「ほら。」
肩を揺さぶられるが、ぐずるようにいやだと首をふる。
それからしばらくの間、兵長はあの手この手でオレを起こそうとしていたが、やがて静かになった。
これで静かに眠ることが出来る。
■ ■ ■
「……。」
エレンのヤツは完全に駄目そうだ。
人が部屋の扉を開けてやっているほんの数十秒の間に寝やがった。しかも廊下で。
蹴りの一つでも入れて無理矢理叩き起こしてやっても良いが、夕食を食べた直後の酔っ払いだ。吐かれる可能性が非常に高い。
それで仕方なく優しくして起こしてやろうとしたらこのザマだ。
「はあ…………。」
何もかも、あのクソメガネのせいだ。
酒を飲んだことも無いやつにいきなり度数の高い酒なんて飲ませやがって、一体何を考えているのだと思う。
それはともかく――
「ひとまず、コイツを中に運び入れないといけないな。」
エレンでなければ、そのまま廊下に放置していたところだが……これが惚れた弱みというやつだろう。
表上はいつも通りのしかめっ面だが、内心はそう悪い気分ではない。エレンを起こさないように気を付けながら、なるべく静かに抱え上げた。
肩の部分に頭が来るように調整すると、首筋にちょうどエレンの息が吹きかかる。
「……っ」
相手は眠っているし、わざとではないと分かっているのだが思わずドキリとしてしまう。
「ったくガキがいい気なもんだぜ……」
一度抱えていたエレンの身体を揺すり上げると、中途半端に開いた状態だった扉を足で開き部屋の中へ入った。
「よっと……」
抱えていたエレンを、ひとまず部屋の中央に鎮座しているベッドの上に転がす。
衝撃で目を覚ますかもしれないと思ったが、転がしても本人は全く気にする様子もなくむにゃむにゃ言いながら寝ている。
人の気も知らないでいい気なもんだ。
シチュエーション的には据え膳喰わぬは男の恥状態だと思うのだが、そもそもこの状態を作り出したきっかけがハンジだと思うとどうも気に食わない。
アイツのことだから、面白がってこうなるように仕組んだ可能性が大きい。
「しかしまあ……酔っ払いを相手にしてもな。」
そう言って無理矢理自分を納得させると、視線をエレンから引きはがす。
部屋にもこうやって運んでやったし、とりあえずあとはこのまま放っておいても大丈夫だとは思うが……二日酔いで明日使い物にならないのも困る。少し考えてから親切ついでに水でも飲ませてやるかと洗面台の方へ向かうと、ベッドの方から何やらギシギシと小さな物音が聞こえてきた。
「……?」
目でも覚ましたのかと思って近付くと、どうやら違ったらしい。寝る体制が気に食わなかったのか、小さな声でむずがりながらあっちを向いたりこっちを向いたりしている。
「……。」
リヴァイ班の人間は、自分も含めエレンよりもかなり年上の連中が多い。そのせいか、エレンも意識して背伸びした行動をしているような所がある。
だから、こういう年相応な姿を見るのは結構新鮮で面白い。
どうせ本人も寝ているし他人の目も全く無いので、興味本位でエレンの頬に右手でそっと触れてみる。
「……ん」
すると人肌が恋しいのか手のひらに顔を押し付けて来た。
しばらくそのままエレンの好きにさせていると、ちょうど寝やすい位置を見つけたのか手のひらに顔を緩くくっ付けながら、またすやすやと本格的に眠り出してしまう。
正直……悪くない。
こう無防備にされると、相手に信頼されているようで気分が良い。ただ、何となく相手にされていないようにも感じて、ほんの少しだけ面白くないのもたしかだ。
「……んん……」
自分だけ気持ちよく寝ていないで、少しはこちらのことも構えと頬に触れている手を再度ゆるゆると動かしてみると、やっと良い位置を見つけて寝入ったのに無理矢理邪魔されたのが気に食わなかったらしい。
動くなというように、顔の近くに投げ出されていたエレンの両手によって固定されてしまった。とは言うものの、所詮寝ている人間の力なので全く力は入っていないのは言うまでもない。
(……オレの手はさしずめ枕というところか。)
初めは少しちょっかいを出すだけのつもりだったが、思いのほかエレンの反応が面白いのでだんだんとその気になってきた。水を持ってくるのは後回しにしようと決心すると、ベッドの枕元に腰を掛ける。
エレンのやつはこっちがその気になって来たのに全く気が付いていない様子で幸せそうな顔をして相変わらず寝ている。コイツの顔がこれからどうやって変わって行くのか、ここでゆっくり観察するのも悪くない。
知らないというのは恐ろしいものだ。
エレンに押さえられている方の手を動かすと目を覚ましてしまいそうなので、とりあえずそちらは好きにさせることにした。
今度は反対側の手をエレンの頬にそえるとそのままゆっくりと顎まで下ろしていき、顎の下をゆるくくすぐってみる。
「っふ……ぁ」
むずがゆいのか、エレンは眉を少し寄せて顎をクイと上げた。
その拍子に今まで閉じていた口が緩く開いて声を上げたので、思わず視線を奪われてしまう。一瞬手の動きを止めてしまったが、先ほどよりも顕著に反応を示すのが面白くて再びくすぐってみる。
しかしよっぽど嫌なのか、握っていたオレの右手をポイと投げ捨て、くすぐっている方の左手を払いのけられた。
「……。」
……面白い。
普段は、こちらが上官ということもあり基本的には従順なのでたまにはこういう反応も良い。気分的には、小動物でも相手にしているような感じだ。
「んっ……ぁ」
しかも……さっきからむずがってたまに出している声が、何となく喘いでいるのをガマンしているみたいな声で聴覚的な意味でもこちらにとっては二度美味しい。
本人にとっては、気持ち良く寝ているところを邪魔される形になっているのでハタ迷惑なことこの上ないだろうが、ここまで運んでやった駄賃としてこのくらいは良いだろう。なんて勝手にこちらに都合よく考える。
ひとしきり首をくすぐって喘がせるのに満足すると、今度は薄く開いている口元へターゲットを移すことにした。
首元に置いていた手をゆるりと頬の部分に移動させると、親指を薄く開いている口へ押し当てる。
「ぁ……」
そのまま唇の間に親指を差し込んでいくと、ゆっくりと口が開いてピンク色の舌がちらりとのぞく。親指で舌の先に軽く触れると、エレンの舌が驚いたように一瞬引っ込みその後にぬるりと絡み付いてきた。
このままこの親指を思い切り突っ込んでかき回してやりたくなる。
もっと、それ以上のこともだ。
ああ……でも駄目だ。寝ている相手にこれ以上は不味い。
舌の表面を親指の腹でゆっくりと撫でると、ピクリと舌が動くのが分かる。
そのまま側面を撫でるようにして親指を抜き出してから唇を撫でつけてやると、エレンの舌が少しだけ出て来てオレの親指に絡み付いて来た。どうやらオレの指がお気に召したらしい。
正直こっちはこのまま本当のキスでもしてやりてえのにと思いながら、指でエレンの舌を撫でたり、ぬるぬると出し入れをすることで、ひとまずその気分を味わって我慢する。
やがてエレンも満足したのか動きがだんだんと鈍くなってきたので指をゆっくりと引き抜くと、指と唇の間で銀糸が繋がってぷつりと切れた。
「……いい加減、水でも持ってくるか。」
それで、今日こそコイツに聞きたいことがある。
グルリと部屋の中を見渡すと、部屋の隅に置かれたテーブルに水差しがあった。水差しの横に置いてあるコップを取り上げ中に水を注ぐ。
このオレがこんな風に世話を焼いてやるのなんてエレンくらいなものだ。
あんなクソガキなんぞに好意を持ってしまったおかげで現在進行形で面倒事を色々と背負い込んで本当に馬鹿馬鹿しい。だが、それをまた楽しんでいるあたり自分でもどうかと思う。
(……だから愛だの恋だのは嫌いなんだ。)
面倒事を相手のためにすすんでやりたくなるあたり最悪だ。
こういったことは、はっきり言って自分の性分と正反対なので厄介な事この上ない。
(ハンジのヤツめ……)
どれもこれも、アイツにお節介を焼かれてこんな感情を自覚してしまったせいだ。最高に気に食わない。
が、このまま自覚しないでいたらもっと厄介なことになっていたような気もするので、一応少しは感謝している。ただしハンジ本人にそれを伝えるつもりは今のところ無い。
ちなみに、エレンの方がオレのことをどう思っているかについては、いまだによく分からないというのが正直なところだ。
一時は思い切りオレのことを避けたりもしていたが、その時に向けられていた俺への視線も悪い物では無かった……というか、どちらかというと恥じらいとかそういう類の物だった。
だから、少なからず好意は持たれているとは思う。
しかしながら、それが羨望から来るものなのか、あるいは純粋な好意なのかがよく分からない。
(ただ――)
さっき、こいつは自分からキスをしようとしてきた。
酔っぱらいのしたことだしアテになったものでは無いが、自分にそう言った意味での好意があると捉えて良いのだろうか?、
コップに水をたっぷりと入れてエレンの寝ているベッドに戻ると、先ほどオレの手で遊んでやっていた時が嘘のように幸せそうな顔でぐーすか寝ている。
肌寒かったのか、ベッドの掛け布団を中途半端にめくってくるまっているので背中が丸見えだ。
「お前、もっと綺麗に寝ろ。……あと上着くらい脱げ。」
「……は……ひ……」
完全に寝ているのかと思っていたのに意外にも返事が返って来たので少し驚く。起きたのかと顔を覗き込むが、やはり寝ている。
(……日頃の教育のおかげか?)
何となく、頭をわしゃわしゃと撫でてやると頭を布団の中に引っ込められた。
どうやら子ども扱いされるのは嫌らしい。
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