アイル

始まりは突然に。-2

「ん……へーちょ、お酒っておいしいですね。」
「何が美味しいだ。ガキが。」
 エレンは最初こそ飲むのを渋っていたが、今ではゴクゴクと飲んでいつの間にかグラスの中身を空にしている。
 しかもさらにもう一杯飲もうとテーブルの上のワイン瓶に手を伸ばしている。
 案外いける口なのかもしれないが、さすがに初めてなので酔いが回るのが早いらしく早速言葉遣いが怪しくなってきている。
 いきなり部屋でぶっ倒れられても困るので寸前で酒瓶を取り上げると、ブーブーと文句を言われた。
「そのくらいにしておけ。お前、そろそろ呂律が怪しいだろうが。」
「あやしくないれす!大丈夫れす!へーちょー……くらさい。」
 酔っ払いの大丈夫という言葉ほど信頼出来ない言葉は無い。
 しかも……狙っているのか無意識なのかよく分からないが、上目づかいでジッと見つめられるとまるで虐めているようにな妙な気分になってくる。
 まるで根競べでもしているみたいだ。
「……はあ。これで最後だからな。」
「……!はい!」
 仕方なく差し出されたグラスに再び半分だけワインを注ぐと途端に機嫌が直って現金なものだと思う。
 これだからガキは苦手なのだ。
「へーちょは……お酒けっこうのむんれすか?」
「……ほどほど、だな。たまに飲む程度だ。」
 酒は嗜好品の部類に入る。
 したがって普段はほとんど進んで飲むことはしないが、壁外調査が近くなってくるとついつい手が伸びてしまう。
 付き合いが長いハンジやエルヴィン辺りはオレのこんな習慣に薄々気が付いているかもしれないが、正直なところこのことは自分の弱さがにじみ出ているみたいで余り人には知られたくないことだったりする。
 だから今日エレンが酒を持ってきたのは少し誤算だった。
 エルドあたりはそこら辺をわきまえていて余計な口を一切挟まないので良いのだが、いかんせんコイツはまだまだガキだ。
 そんな訳でついついそんな気持ちを誤魔化すようにエレンに酒を飲ませてしまったわけだが……
 ……厄介なヤツに酒をやってしまったかもしれない。
 チラリと横に座っているエレンの方を見ると、テーブルの上にベタリと頭を付けて酒の入っているグラスを弄っている。
 完全に街の酒場にいるただの酔っ払いだ。
「……ここで寝るなよ。」
「ねむくない、れす。」
「そういう言葉は目をちゃんと開けて言え。」
 ガツリと手に持っていた自分のグラスでエレンの頭を小突くと大げさに痛い痛いと騒いでいる。
 普段は人の事を遠巻きにビクビクとした様子で見ているだけのくせに、酒が入るとどうやら素の状態になるらしい。
 だが、変にかしこまっているよりもよっぽどこちらの方が良い。
 良いのだが……
「へいちょーは、すぐ手を出す……ひどいれすよ……。オレは……オレは、こんなに好きなのに!」
「……ああ、そうかよ。」
 正直、絡み酒は勘弁して欲しい。
「流さないでください!オ、オレは……ほんきれす。すきです!あいです!」
「…………。」
 仕舞いには何を思ったのか一人でヒートアップしはじめて、立ち上がってギャンギャン喚いている。
 この時くらい隣の部屋が空き室で良かったと思ったことは無い。
(――好き、か。)
 ここ最近はめっきり縁の無い言葉だ。
 ちなみに直接言うのが怖いのか何だか知らないが、手紙でそれらしい物を人づてに受け取ることは度々あるものの、面倒なのでその手の物は中身を見ずに全て捨ててしまっているので尚更にだ。
 こうやってストレートに面と向かって言われたのは何年ぶりだろうか。
 そのせいかエレンの言葉が妙に新鮮に感じる。
(……ま、コイツの場合は酔っ払いの戯言だけどな。)
 しかも男だ。
「――へーちょ、聞いていますか!?オレは、ほんきです。ほんとに、ほんきなんです!」
「分かったから酒くらい静かに飲ませろ。
 ……あと顔が近い。酒臭ぇな。」
 俺が話を聞いていないのを敏感に察したらしいエレンが顔を近づけて睨みつけてくる。
 酒が入っていることだし、別にそのくらいは構わないが……アルコールのせいで目元が赤らんでいて、なおかつ若干涙目の上目づかいでこちらを見られると……さっきの酒くれ攻撃よりもクるものがある。
 ついその事実を認めたくなくて憎まれ口を叩くとエレンはピタリと動きを止めた。
 少し言いすぎてしまったかと思うが、いい加減ピーピー喧しかったので仕方ないだろう。
 それに普段からこのくらいのことは普通に言っている。
「な、なら……――くらさい。」
「あ?」
「だ、だから……ちゅーれす!!」
「……。」
 ようやく静かになったと思ったら次はこれだ。
 前後の話しの繋がりが全く分からない。
 いや、酔っ払いの言葉に意味など求めても無駄だろうが……絡み酒の上にキス魔とは思わなかった。
 こいつには今後一切酒類に手を出させない方が良さそうだ。
「はあ…………馬鹿言ってんじゃねえ、女としろ。何で俺が――」
「へいじょおおお!!」
「うるせえ!」
 バチンと口を塞ぐがそれでもモゴモゴと何か言っていてどちらにせよ煩いのに変わりは無い。
 しかもいくら言ってもまるで効いていないので、こちらが怒ってもその分無駄に疲労するだけだ。
 仕方なく近くにあるソファの方に退避するが……やはり予想通りベソベソ半泣きになりながらついてくるしで、いっそもっと酒を飲まして酔い潰してやろうかと考えてしまう。
「……はあ。
 大体お前なあ……キスなんて誰が好き好んで男とするか。女としておけ、女と。」
「なんれ好きでもない人とチューするんれすか?オレ、好きでもない人とするほどせっそー無しじゃありません。オレがチューするのはへーちょれす!」
「……。」
 酔っ払いの分際で、よく喋る。
「チッ……ったく。」
 酔っ払い相手に真面目に相手をしているのもいい加減馬鹿らしくなってくる。
 ここまで酷い酔い方だと、どうせ寝て起きたら何も覚えていないだろう。
 キスの一つで静かになるならそれに越したことはない。
「――う、わっ!?」
 横に座ってキョトンとアホ面を晒しているエレンの方を見ると、顎を片手で掴んでグイと自分の方に引き寄せる。
 エレンは俺の動きについてこられないのか、されるがままだ。
 そのままゆっくりと顔を近づけて――
 キスをした。

 念の為に言っておくが、男とキスをしたのはもちろんこれが初めてだ。
 こうやってみると……唇も意外に柔らかいし、女とするのとそう変わらないと思う。
 エレンの反応が気になって薄っすらと目を開くと、案の定目を大きく見開いて驚いた顔をしている。
 この様子だと、まさか本当にキスをされると思っていなかったのかもしれない。
 あるいは、酔いが覚めたのだろうか?
 まあどちらにせよ、大人をからかうからこんなハメに陥るのだ。
 コイツも良い勉強になっただろう。
「――ん」
 ついでに面白半分でペロリと固く閉ざされている唇の表面を舐めながら顎の関節辺りに添えている指先に力を入れると、薄く唇が開いた。
 隙間に自分の舌を押し込んでエレンの舌に自身を絡めようとすると、ビクリと身体が揺れて一瞬後に物凄い勢いで引っ込んでいく。
 どうせ女とキスもろくにしたことが無いのだろう。
 反応が一々初心で分かりやすい。
 だがまあ……これはこれで悪くない。
 むしろ新鮮で面白いくらいだ。

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