アイル

訓練兵エレンと兵士長リヴァイ-2

 オレ達は自己紹介を済ませた後に立体機動装置を借り、そのまますぐに調査兵団の三人に連れられて馬で少し走ったところにある森に連れられて行った。
 ハンジ分隊長曰く、この森は調査兵団の人達が訓練のときに陣形や連携の確認やらで主に使う場所らしい。
「とりあえず最初に君たちがどのくらい立体機動を使えるか見させてもらって、色々アドバイスさせてもらうって感じで進めるから。それじゃああとは個人レッスンってことで……解散!」
 ――ついに、待ちに待ったこの時が来た。
 ハンジ分隊長の解散という号令の言葉にドクリと心臓が鳴る。
 前方数メートルのところに立っていたリヴァイ兵長の方を恐る恐る見ると、バチリと目線が合ったので慌てて敬礼の姿勢を取る。何も喋っていないのに、既に緊張で口の中がカラカラだ。
「よ、よろしくお願いします!リヴァイ兵長。」
「……ああ。先に言っておくが、俺は手とり足とり教えねぇからな。とりあえず死ぬ気で付いて来い。」
「はいっ!」
 兵長は口数が多い方では無いのか、ここに来るまでの間もほとんど喋らなかった。だからちゃんと声を聞いたのは今が初めてで、それだけのことなのに無駄に感動する。腰に手を当てて面倒臭いという表情を隠そうともしていないが、それすらもカッコいい。
 我ながら盲目的すぎるような気がしなくもないが、何しろ何年もの長い間の憧れの存在なのだ。
 今のオレは、普段一緒にいる連中からみたら物凄く気持ち悪いと思う。でもミカサもアルミンも今はハンジ分隊長とミケ分隊長が付きっきりなので誰にも横槍を入れられる心配がないわけで、それが唯一の救いだ。
「あっちに巨人の模型があるだろ。とりあえず最初はあいつの項を削いでみろ。」
「分かりました。」
 兵長に付いて行って立体機動で太い木の枝の上に登ると、早速右方向を指さされた。顔を向けるとたしかに大きな巨人の模型が有る。
(訓練兵団で使ってるのと……同じっぽいな。)
 模型の全体は木製で、項の辺りに綿のような物が詰め込まれているであろう布の塊が装着されている。
 普段の訓練でもあの模型は使っているが、項部分をいかに深く正確に抉れるかが重要なのだ。
(――ヘマ、しないようにしないとな。)
 憧れの人の前で少しでも良いところを見せたいのは当然だろう。ふーっと大きく息を吐くと、高揚している気分を無理矢理静めて集中力を高める。
 散々あの模型の巨人の項は抉ってきた。それに、今は人手が足りないのか模型の巨人は全く動いていない。だから普段通りやれば余裕のはずだ。
「行きます。」
 柄にブレードを装着すると、トリガーを引いて向かいの木の幹にアンカーを打ち込んで宙に飛び出す。
 宙を飛ぶ感覚は慣れたはずなのに、初めて立体機動装置で空を飛んだときみたいに周りの風景がまるで目に入らないのは……リヴァイ兵長の前で緊張しているからだろうか。
 頭がまるで回らなくて、感覚だけで何とか身体を動かして目の前の巨人の模型に近付いていく。
 今は模型だって動いていないし、普段の自分ならこんなのまるで問題無いはずなのに。周りの風景が目に入らないせいで、アンカーの射出位置があまり良くないのか巻き取り時に少し引っかかって体重移動がスムーズにいかない。
(ク、ソッ……!)
 アンカーを巻き取って再び射出すると、身体を大きく捻って項を深く削ぐためにブレードを構える。
 ――あと少し。
「ッ!?」
 最も効率的に巨人の項を削ぐためには、巨人の背中側に回り込んで一息に抉るのが一番だ。そしてそのためには、巨人の手前と奥の木に時間差でアンカーを打ち込んで遠心力を利用して抉るのが最も効率が良い。
(――だからそうしたはずなのに!)
 バキッという嫌な音が聞こえた一瞬後に、身体が下の方に落下していく嫌な感覚に襲われる。
 さっきまでは周りの風景なんて何も見えなかったのに、今はその真逆だ。全てがスローモーションのように流れていき、今の自分の置かれている状況が手に取るように分かるが、どこかそれを他人事のように感じる。
 落下しながらふと上を見ると、奥の木の幹に打ったはずのアンカーが巨人模型の顔の端っこに突き刺さっているのが見える。
(ああ……アンカー、打ち損ねたのか。)
 オレの体重を支えるには強度が足りなかったのか、バキバキと嫌な音を立てながら模型の顔の端が折れていくのが目に入って、なんかもう色々終わったなという感じだ。
(巨人にアンカーを刺すのはリスクが高いから止めろって、教官にも散々言われたっけ……)
 これが走馬灯とかいうヤツだろうか。早く体勢を立て直さないと、このまま地面に叩き付けられて冗談抜きで死にかねない。それなのに、立体機動装置術の訓練で教官に散々教え込まれたことが今更のように頭の中でグルグルと回る。
「――この、クソガキ……ッ!」
「う、ぐっ!」
 頭では何とかしないと不味いというのは分かっているのに、どこかそれを他人事のように思っているせいか身体が全く言う事を効かない。
 ぼんやりとしながら落下するのにただただ身を任せていると、襟首と腰を掴まれてグイと横方向に物凄い力で引っ張られて喉が詰まる。
 これは、恐らく兵長だ。
 普通なら人間一人を抱えているだけで精一杯なはずなのに、巧みに立体機動装置で移動しながら地面に降り立つその姿は、全ての動きが驚くほどに無駄が無い。
「……っ、すみま――イデッ!!」
 地面に足が付いたところで自分の馬鹿さ加減に気付いて急いで謝ると、グルリと物凄い勢いでこちらを振り返った兵長の拳骨が脳天に直撃して目の前に火花が散る。
 今、絶対本気だった。あまりの痛みに情けない声を上げてしまったが、思い切り殴られたおかげで緊張でガチガチに固まっていた筋肉から少し力が抜ける。
 怒られて緊張が解れるなんて馬鹿みたいだと思うかもしれない。でも、今以上の失態をするなんてそうそう無いだろうし、そう思うと張りつめていた緊張の糸が解れる。
「テメェ……次は無ぇからな。」
「う、っ!?」
 ふうと息を吐いて気持ちを落ち着けていると、兵長にシャツの胸倉を掴まれて顔を目と鼻の先まで近づけながら宣言されて思わず顔が赤くなってしまう。
 こんな不意打ちあんまりだ。目の前の兵長の顔は、眉間に皺が寄っていてかなり怒っているのが分かる。しかし肝心なオレはといえば、兵長とのいきなりの急接近にビビるより先に顔に熱が集まってきてしまう。。
(な、んで……こんなっ!)
 こんな顔が近くだと、双方が少しでも動いたら唇が触れあってしまうだろう。そしてそれを意識すればするほど、顔がますます赤くなっていくのが分かる。
 男同士なのに顔が近付いただけで赤くなるなんて、まるでこの人のことが好きみたいだ。
 いや、自分にとって兵長は憧れの存在で、だから好きというはあながち間違えてはいないだろう。そうじゃなくて、今の自分のこの反応は『恋』という意味での『好き』みたいで問題なのだ。
(兵長に、恋……なんて、ないない!ありえねーよ!)
 兵長は男で、そして自分も男だ。
 本来恋愛ってやつは男女間でするもので、男同士なんて聞いたことも無い。
(お、オレ、今まで訓練漬けすぎて……頭がおかしくなったのか?)
 はっきり言ってそうとしか思えない。こんなことなら、訓練にばかり精を出していないで彼女の一人くらい作っておくべきだったか!?なんてどうでも良いことを考えながら必死に気を紛らわす。
 遠くから、ミカサやアルミンの大丈夫?という心配するような声が聞こえてくるが、今のオレにはそれに答えるだけの余裕なんてこれっぽっちも残っていなくて挙動不審に目を左右にキョロキョロと動かすことしか出来ない。
「……お前、顔赤いが熱でもあったのか。」
「ッ!?ち、ちがっ、違いま…………いや、そうです!これは、熱で――うぎゃ、っ!?」
「……嘘吐くなら、もう少し上手く言え。」
 兵長の言葉に便乗して風邪を引いている設定で咄嗟に逃げきろうとしたが、世の中そうそう上手くいくものでは無いらしい。返答ついでに大げさなくらい身を引いて頷いていると、思い切り足払いをかけられてオレはそのまま地面に沈んだ。
 憧れの人の前で少しは良いところを見せたかったのに、結局午前中の訓練は始終こんな調子で散々で。ようやく本来の調子になってきた頃にはお昼になっていた。

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