アイル

訓練兵エレンと兵士長リヴァイ-3

「エレン、さっきは大丈夫だった?あのチビ……エレンを思い切り殴るなんて許さない。いや、でもあの時はエレンも気を抜いていたみたいだし……。ううん、でもやっぱりあのチビは許さない。」
「まあまあ、落ち着いてよミカサ。」
「い、いや、さっきはオレもどうかしてたから……オレがいけないんだって。」
 昼飯は、近くに川が流れているというのでそこまで赴いて川辺で食べることになった。
 ちなみに上官三人は気を使ってくれたのかオレ達から少し離れたところで食事をしているのだが、それでも今のミカサのチビ発言が聞こえていやしないかと、オレとアルミンは気が気ではない。
「そ、それにしてもさ!まさか、あんな偉い人達に教えてもらえると思わなかったからビックリしちゃったよ。」
「あ、ああ!そうだな!分隊長に兵士長だもんなぁ!」
「……。」
 アルミンがミカサの意識をリヴァイ兵長からそらすために慌てて話題を変えているが、若干露骨すぎる気がしなくもない。
 案の定ミカサは物凄く不満そうな顔をしてこちら見ている。しかしこの件に関してはミカサも思うところがあるのか特に口を挟んでくる気配は無いのでこのまま押し切れば……何とかなりそうだ。
「普通、あんな偉い人がたかが訓練兵相手に出てくるもんなのか?」
「いや……去年駐屯兵団に行った人は下士官の人に色々教えてもらったって話しだったけど。」
 リヴァイ兵長に教えてもらえるなんてそれはもうラッキーなので余り深くは考えていなかったが、冷静になって考えてみるとアルミンの言う通り不思議な話な気がする。
 何故ならオレ達はただの訓練兵で、わざわざあんな偉い人が出てくる必要性なんてまるで無いのだ。
「エレン、アルミン。立って。」
「やぁ!訓練兵諸君。食事、進んでる?」
「わっ!?」
 固いパンを歯で食いちぎりながら大人の考えることはよく分からないなとぼんやり考えていると、目の前に座っていたミカサが立ち上がるのと同時に後ろから声を掛けられて飛び上る。
 誰かと思って振り返ると、なんとそこに立っていたのはハンジ分隊長だ。オレとアルミンは慌ててポケットにパンをねじ込むと敬礼の姿勢を取る。
「ああ、食事中にいきなり押しかけたのはこっちだし、座って食事続けて構わないよ。」
「す、すみません。ありがとうございます。」
 訓練兵の自分たちにとって、分隊長なんて雲の上の存在に等しい。しかしハンジ分隊長はそこら辺は気にしない性質なのかオレとミカサの間にどっかりと腰掛けてきて驚く。この様子だと、しばらくこの場所に居座るつもりのようだ。
「いやぁ~。しかし、今年は去年よりも見学に来た人数が多いから嬉しいよ。」
「そうなんですか……って、ええっ!?去年よりも多いって――」
 さすがに緊張していつもより背筋は伸びているが、気さくそうな雰囲気のおかげでついつい話に乗ってしまう。
 それにしても、今回だってたったの三人だけで有り得ないと思っていたのに……それでも去年より多いってどんだけという感じだ。
「ああ、驚く?でもほら、今は一応壁の中にいれば平穏な暮らしが出来る訳だし、わざわざ調査兵団に入るなんて物好きな子も少ない訳よ。だからこっちとしては、せっかく見学に来てくれた君たちみたいな訓練兵の子を手離したくないからリヴァイとか引っ張り出してんだけど……って、まあこれはここだけの話しだけど。
 あ、ちなみに私は無理言って参加させてもらっただけ。どう考えてもあの二人で円滑にこの見学会を進められると思わないでしょ?」
「は、はあ。」
 何でこんなお偉いさんが三人もいるのかと思ったら、英雄視されている人間を使って訓練兵を釣っているということらしい。言葉は少々悪いが、ハンジ分隊長の口振りだとそれで間違い無いだろう。
(まあしかし……たしかにオレもリヴァイ兵長が居たおかげで、思いっきりテンション上がったのも事実だしなあ。)
 そういう意味では、調査兵団の目論見は大成功だろう。
「君……えーっと、エレンだっけ。エレンもあれでしょ、リヴァイのこと好きなんだよね。」
 調査兵団も人が足りなくて大変なのかなぁと思いつつパンをかじって空を眺めていると、ハンジ分隊長がいきなりの爆弾発言をしてきて思わず固まってしまう。
 さらに追い打ちをかけるように『君って結構分かりやすいよね!』なんて背中を叩きながら笑顔で言われて、穴があったら入りたい気分だ。
「なっ……何でいきなり、す、好きなんてっ……!」
「え?いや、傍から見ててそうなのかなぁって。この調子だとエレンは調査兵団に入ってくれそうで嬉しいよ。」
 まあ、たしかにリヴァイ兵長に教えてもらえてますます調査兵団に入りたいという思いは強くなってはいるが、この人の言い方は紛らわしすぎる。
 しかも勢いで『好き』という単語をうっかり口にしてしまったが、その途端にさっき兵長と急接近したときのドキドキを思いだして瞬間湯沸かし機のように顔が再び赤くなってしまう始末だ。
「あの……尊敬っ!尊敬、ですから!」
「まあ大して大して変わらないでしょ。」
「いえ、変わります。」
 別に言い換える必要は無かったのかもしれないが、自分でちゃんと納得したいのもあって口に出して尊敬だと訂正する。しかし誰かが思い切り噴き出す声が聞こえて失敗したとオレは一瞬にして理解した。
 チラリと横に目線を向けると、アルミンが口元を押さえて肩を震わせていて、正面に座っているミカサはといえば物凄く胡乱げな目をしてこちらを見ていて物凄く気まずい。
 とりあえず横に居るアルミンに肘鉄を軽くかまして黙らせると咳払いをしてその場を誤魔化すが、ハンジ分隊長はニヤニヤしながらこちらを見ていて誤魔化しが上手くいったとは到底思えないのが虚しいところだ。
「リヴァイといえば……実はこの間面白い情報仕入れたんだよなぁ……。……知りたい?」
「……、面白い情報ですか?」
 兵長ネタで散々弄られた直後であまり気分は乗らないが、長い間兵長の追っ掛けのようなことをしていた自分だ。そんな風に言われて気にならない訳が無い。
(でも――)
 ほんの数メートル離れたところに本人がいるし、少なからず気まずさがあるのも事実で、ついチラリと背後にいる兵長の気配を伺ってしまう。
「あーっと、見ない見ない。リヴァイは勘が良いからさ、見たら気付かれる。小声で話せば大丈夫だって。」
「えっ?ええっ?」
 オレがハンジ分隊長の隣に座っているせいでロックオンされたのだろうか。肩をガシリと掴まれると、内緒話しをするときのように小さな声でボソボソと話されてくすぐったい。これが見ず知らずの他人だったら振り払っていたところだが、さすがに上官相手にそれをする訳にいかなくてされるがままだ。
 助けを求めるようにチラリとアルミンの方を見ると苦笑しながら肩をすくめられ、ミカサに至っては全く別の事を考えているのか地面を睨みつけながらパンをもくもくと食べていて助けてくれそうな気配はまるで無い。
(クソ……みんな他人事だと思って……!)
 思わず頭の中で恨み節を連ねてしまうが、ハンジ分隊長にはオレがリヴァイ兵長のことを好き……ではなくて、尊敬しているのもバレバレのようだし、こうなる運命は最初から決まっていたのかもしれない。
「で、リヴァイの秘密情報だけど……彼、結婚するかもしれないって噂あるの知ってる?」
「へっ!?け、け、けっこ――むぐっ!」
「はいはい、声大きいから静かに。」
 どんな情報かと思っていたら、予想の斜め上をいくゴシップネタに思わず大声を出しかけたところでニヤニヤ顔の分隊長に口をふさがれる。
 結婚なんて、彼女の一人も出来たことのない自分にとっては夢のまた夢みたいな話だ。しかしよくよく考えてみたら兵長の年齢は三十才前後だと聞いているし、世間一般的にはこの年齢で結婚していない方が珍しい。
 ということは、まあそれほど驚くべき内容では無いし、むしろおめでたい話しなのだろう。
 ――でも、胸の隅っこがチクチクするのは何故だろう。
 そして一度その思いに気が付くと、紙にこぼれたインクみたいにじわじわとそれが広がっていって、無意識に眉間にシワが寄ってしまう。
「うんうん。分かるよ、エレンのその複雑な気持ち!おめでたいけどさ、好き……じゃなくて尊敬だっけ?してる人が結婚するとなると、自分の大事な物を勝手に横取りされたみたいで面白くない感じするよねぇ。私も捕まえようと思ってた巨人を目の前で殺されると、そういう気持ちになるよ。」
「えっ!?あ、いえ、それとはちょっと違うかと――」
「まあまあ、細かいことはいいからさ。それより良ければちょっと試して欲しい物があって……えーっと……」
 オレの口を塞いでいた手を外してくれたので色々と言い訳しようと思ったのに、分隊長はまるで人の話しを聞く気が無いのかオレの言葉を思い切りスルーして上着のポケットをゴソゴソとあさっている。
「……。」
(なんだか……なぁ。)
 さっきからこの人には何もかも見透かされているような気がするのは気のせいではないだろう。話しやすいのでついつい忘れがちになってしまうが、やっぱり分隊長なのだと今更のように再認識する。
「あ、あったあった。君さ、良ければコレ飲んでみない?」
「な、何です……?これ。」
 ハンジ分隊長が試して欲しい物があると言って胸ポケットの中から取り出したのは、どぎついピンク色の液体が入ったガラスの小瓶だった。見るからに人工物的な色合いで、普通の人間ならまず飲みたいと思わなそうな代物だ。
 つまり一言で言うと、かなり怪しい。
 今まで傍観するのに徹していたミカサとアルミンも、少しばかり衝撃的な物体に互いに目配せをしながら首を横に振っている。
「これ、片思いの相手が自分に興味を持ってくれる薬なんだけどさ。」
「えっ、ええっ!?」
(片思い相手が自分に興味を持ってくれるって――)
 つまり分かりやすくいうと、惚れ薬みたいな物だろうか。
(~~って!ちょ、ちょっと待て!?ほ、惚れ薬って!)
 だから自分の兵長に対する思いは愛とか恋とかそういった類の物とは違うのだとつい今さっき自分でも納得したはずなのに、分隊長が妙な物を持ち出したせいで再び胸の中がざわざわしてくる。
「ああ、心配しなくても自分が実験体になってちゃんと成功してるからさ。気が向いたら試してみてよ。出来れば結果も教えてもらえると嬉しいな。――じゃ!そういうことで。」
「はっ!?えっ!?」
 はっきり言って、こんな物渡されて困る。どう考えても怪しすぎるに決まっている。
 だからすぐに返そうと思ったのに、こちらが正気に戻ったときには分隊長は用は済んだとばかりに鼻歌を歌いながらリヴァイ兵長とミケ分隊長の輪の中に戻っていて、拒否する暇なんてまるで皆無だった。
「えっと……」
 手の中の液体を、オレは一体どうすれば良いのだろうか。
「エレン、それ飲むの?」
「飲まない方がいい、エレン。」
「あ、ああ……これはさすがに……」
 アルミンとミカサがオレの手元にある小瓶を覗き込んできて心配そうに声を掛けてきた。
 しかし二人に言われるまでもなく、こんなピンク色の液体なんて怪しすぎるし即断で飲むほどの勇気をオレは持ち合わせていない。……サシャ辺りだったら気にせず飲んでしまうかもしれないが。
「まあ、上官から一応もらった物だから捨てるわけにもいかないしな……一応保管はしておくよ。」
 上着のボタン付きのポケットに入れておけば、立体機動中も落としてしまうことは無いだろう。
「……にしても、ハンジ分隊長いきなりどうしたんだろうな。」
 惚れ薬のような効能を聞いて、心の奥でほんの少し良いなと思ってしまったのには気付かないフリだ。別の話題を自ら振ってフタをする。
「恐らく、私達の様子を見に来たんだろう。」
「うん。それもあると思うけど……でもなんか、今の話しの流れだとエレンにその妙な薬渡すのが目的だったんじゃないのかなぁ。薬渡す流れもちょっと無理矢理な感じあったし、それに帰る時鼻歌歌ってたのがちょっと気になるっていうか……。」
「……。」
 せっかく別の話題を振ったのに。また元の話題だ。
(ていうか、薬を渡す流れって……!)
 アルミンの言葉で思い出したが、よくよく考えてみたらここに至るまでの間にオレが兵長のことを好きとかいう話をこの二人の前で永遠としていたのだ。
 アルミンは爆笑していてミカサは興味なさそうだったのでそれほど気にすることでは無いのかもしれないが、それでもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
 とりあえず……この二人はオレが兵長にずっと憧れていたのを知っていて良かった。

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