アイル

訓練兵エレンと兵士長リヴァイ-4

 午後の訓練からはエレンもようやくいつも通りの動きが出来るようになり、その日の訓練は何とか無事に終えることが出来た。
 昼休みの間にハンジ分隊長から妙な物を渡されたおかげで最初の方は少なからず気が散っていたのは確かだが、さすがに午前中が酷すぎたのでこれ以上みっともないところを見せる訳にはいかないと奮起して集中しまくったのが良かったらしい。
「じゃあ、エレンおやすみ。」
「おやすみ、エレン。また明日。」
「おう。お休み。アルミン、ミカサ。」
 そんなこんなでその日は一日訓練漬けだったせいかあっという間に夜になり、ハンジ分隊長に事前に知らされていた通り森の中で野営をすることになった。
 ちなみに野営する際に使うテントは二人用で、割り振りは訓練の際のペア同士だ。それはつまり、自分はリヴァイ兵長と一緒のテントという訳で……みんなと別れてテントの中に入ったところで急にその事実を思い出して急にドキドキしてくる。
「ふーっ……」
(兵長がここに来る前に、落ち着かないと。)
 今は幸い明日の打合せを他の上官とするとかで兵長は外に出ているが、戻ってくるまでに気持ちを静めておかないとまた午前中のようなヘマをしそうで怖い。
 とりあえず上着でも脱いで少し落ち着こうと襟元に手をそえたところで指先に固い物が当たる。
「っと……そういえば。」
 ハンジ分隊長にもらったあの怪しげな瓶をポケットに入れっぱなしにしていたのを思い出して取り出す。
 もちろん飲むつもりは全く無いが、こういった怪しげな薬の類を目にするのは初めてで、少なからず好奇心が有るのは確かだ。
「へぇ……色は危ない感じだけど、変な匂いとかは特にしないのか。」
 興味本位で瓶のフタを開けてくんくんと匂いを嗅いでみると、意外にも無臭で驚く。絶対危ない感じの薬品臭がすると思ったので余計にだ。
 緩く瓶を振ってみるとちゃぷんと音を立てて液面が揺れていて、粘度も水なんかとそう変わりないように見える。これで味も普通なら、イチゴジュースだと思えばいけるかもしれない。
(ま、飲まないけどな。)
 しかしこうやってちゃんと観察してみると、まあ最初思っていたほどの抵抗感はそう無い……ような気がする。
「――邪魔だ。出入口で立ち止まるな。」
「ふぎゃっ!?」
 眼前に瓶を掲げて中の液体を眺めていると、ドカリと尻を思い切り蹴られて地面に突っ伏してしまう。小瓶に集中していたので人が入って来たのに全く気が付かなかった。
「……っ、てて……」
 テントの中に入って来てオレの尻を蹴ったのは兵長で間違い無いだろう。
 午前中に足払いされたあたりから薄々思っていたが、この人は口より手が早いタイプだ。力も並みより強いので相当痛いのだが、まあ出入口に突っ立っていた自分も悪いのは確かなのでぐっと反論は飲み込む。
(ていうか、それよりっ!こ、これっ、飲んでっ……!)
 慌てて身を起こして後ろに居るであろう兵長の姿を確認するよりも先に口元に手を当てると、口の端からツーッと液体が零れ落ちていくのが分かる。
 瓶のフタが開いていたのが運の尽きだ。どうやら転んだ拍子に誤って例の怪しげな液体を飲み込んでしまったらしい。
 案の定口の中には薬品のような苦みが広がって余りのまずさに咳き込むが、転んだ勢いで飲み込んでしまったものはもうどうしようもない。少し前までイチゴジュースっぽいかもと思っていた自分が馬鹿みたいだ。
「お前、何持ってんだ?」
「こ、これは……えーっと……」
 怪しげな物を飲み込んでしまったショックでうずくまった体勢で固まっていると、腕を掴んで正面を向かされその拍子に手に持っていた小瓶を兵長に見られて焦る。
 何を持っているんだと言われても……『惚れ薬です』なんてあのリヴァイ兵長に直球で言うだけの勇気は残念ながら持ち合わせていない。
「い、いえ……その、何でもないです。」
「……。何でもあるだろ。まさか隠すつもりじゃねぇよなぁ?」
 これがアルミンだったらいい感じの言い訳で切り抜けられたのだろうが、生憎自分はそういう方面の才能はサッパリだ。
 さてどうしようと目線をそらしながら悩んでいるとガッと顎を掴まれて無理矢理目線を合わせられ、色んな意味で逃げられなくなってしまう。
「――っ!」
 こんなの不意打ちすぎる。本日二度目の急接近に午前中の訓練の時のことを思い出して、再び顔が急激に赤くなっていくのを感じる。
 男同士だしこんなの気にする方が馬鹿げていると頭の中で念じるが身体の方は全く言う事を聞かない。
「わ、分かりましたっ!言います、言いますから……!」
 こうなったら一瞬の恥なんてどうでもいい。それよりも兵長に変に勘ぐられてずっと嫌われる方が大ダメージだ。
 慌てて目の前で両手を左右に振って降参のポーズをすると、顎にそえられている手を外してくれてひとまずホッとする。
「……適当に誤魔化したらどうなるか分かってるな。」
「う、ぐっ。」
 ギッと睨まれて、反射的に身が竦む。この調子だと本当のことを言うまで逃がしてくれる気は無さそうだ。
 ここまできたら……腹を括るしかないだろう。
「えっと……実は昼食を食べている時にハンジ分隊長に薬を頂きまして……」
 おずおずと目の前に例の小瓶を差し出すと、兵長は手に取ってしげしげと眺めている。眉間に皺が寄っていて、怪しんでいる様子が手に取るように分かる。
「ハンジに貰った薬……か。あいつ、これがどんな効果とか言ってたか?」
「たしか、片思いの相手が自分に興味を持ってくれる薬と。」
「……チッ。あの野郎、これ目的でこの訓練に付いて来やがったな。」
「え、えっと?」
 どういうことだろうか。
 この薬を渡されたことと、ハンジ分隊長がこの訓練に来たという結びつきがよく分からない。
 たしかハンジ分隊長がこの訓練に来たのは、説明役を買って出ただけだと言っていた覚えがある。だから薬は関係無いはずだ。
「……分かりやすく言うと、お前らの内の誰かにこの薬を飲ませるためにこの訓練に参加したってことだよ。俺とミケは上からの命令だが、あいつは有志でこの訓練に参加してるからな。
 珍しくやる気出してるから妙だとは思っていたが……あのクソメガネ、調査兵団の中の連中だと誰も飲まねぇからお前らに目を付けたってところだろ。……で、まさかお前飲んでないだろうな。」
「えーっと……」
「お前……。」
 こいつ馬鹿だなというのがありありと分かる顔をされて言葉に詰まる。
 そういえばアルミンが今リヴァイ兵長が言ったことと似たようなことを推測していたのを今更のように思い出すが、後の祭りなのは言うまでもない。こんなことなら、先に中身だけでも捨ててしまえば良かった。
 今日は訓練中にも兵長に格好悪いところを見られてしまった挙句にこれだ。本当に散々としか言いようがない。
 ――いや。
 しかし、しかしだ。
 自分だってこんな怪しげな物を飲むつもりなんてさらさら無かったし、これを飲んでしまったのは兵長に尻を蹴られて転んだせいだ。
 つまり自発的に飲んだわけではなく、事故なのだ。
「その……一応弁明を。それを飲むつもりは一切無かったのですが、転んでしまったせいで誤って口の中に少し入ったというか――」
「はあ……まあいい。体調がおかしくなったらさっさと言え。さすがにあいつも、死ぬような薬を訓練兵に飲ますほど馬鹿じゃないだろ。」
 細かいところに妙にこだわると思われるかもしれないが、この怪しげな薬の効能が効能だけに、自発的に飲んだかどうかは自分にとって物凄く重要なポイントだ。
 だから事故だという点に関してははっきりと主張しておくべきだろうと思って恐る恐る口にするが、兵長にとってそこら辺はどうでも良いらしい。
「それよりさっさと寝ろ。明日も早いからな。」
「あ……はい。」
 片眉をひょいと上げられると興味無さそうな顔で瓶を投げて戻される。
 言葉を途中で切られてしまったオレは少し不服だが、それ以上何も言うことは出来なかった。

 兵長はオレに小瓶を投げると、もうこの話は仕舞いだというように天井からぶら下げていたランタンの光を消してしまった。
 装備の中から布団代わりの薄手の掛け布を取り出しているところから察するに、どうやらもう寝るつもりらしい。
 もう少し話したいなと思ったが、自分が兵長の事を一方的に追いかけまわしているだけで、兵長にとって自分はどん臭い訓練兵という程度な認識なのだろう。だからこの反応も当然だとは思うのだが、やっぱり少しだけ寂しい。
 とは言ってもさすがに自分から話しませんか?なんて言う勇気なんて有るはずも無いので兵長にならって自分も装備の中から掛け布を引っ張り出す。
 ついでに水を一口飲むと、さっき誤って飲んでしまった薬の苦みも洗い流されて少しだけ気分が落ち着く。
(そういえば……オレがさっき飲んだのって惚れ薬みたいなやつなんだよなぁ。)
 そして自分は兵長のことを尊敬している。
「……。」
 何となく、色々と嫌な予感がするのは気がするのは気のせいだろうか。
 自分が兵長のことを尊敬しているということは、ハンジ分隊長も言っていた通り好きというのと紙一重みたいなものだと思う。
 つまり、もしあの怪しげな薬の効能が本物だとしたら――
「いつまでも何グダグダしてんだテメェは。気が散るからさっさと寝ろって言ってんだよ。」
「う、わッ!?は、はいっ!」
 危ない想像にたどり着きそうになったところで背後から再びドカリと背中を蹴られ、頭の中でまとまりかけていた考えが一瞬で霧散する。
 蹴られた背中は痛いが、ある意味この蹴りで救われたかもしれない。
(……寝よう。)
 薄い布きれを身体にかけてゴロリと兵長の横になると、急速に眠気に襲わる。何だかんだ言っても一日中木の間を飛び回っていたわけで、疲れていない訳が無い。
 もうなるようになってしまえと思考を停止すると、意識が一気に混濁してあっという間にオレは深い眠りについた。

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