アイル

アルファなエレンの発情期到来-2

 特別作戦班、通称リヴァイ班が古城へ移動してきてから数日経過し、エレンもようやく新しい生活に慣れてきた頃のことだ。
 リヴァイ班は次の大規模演習の事前確認を行うべく、昼頃に古城の近くの森へと皆で馬を走らせていた。
「――おい、エレン。さっきからボケッとした面しやがって人の話しちゃんと聞いてんのか。」
「は、はい!すみません!」
 古城から馬で一時間ほど走り、そろそろ目的地も近くなってきたのでリヴァイがこれから行う訓練の流れについて馬上で簡単に説明していたときのことだ。
 エレンにしては珍しくリヴァイの話しに集中出来ずに馬上でぼんやりとしていると、案の定目敏いリヴァイにそれを見抜かれて睨み付けられながら思い切り舌打ちをされた。
 エレンも内心では集中しなければならないというのは重々承知しているし、なにより話している相手はあの憧れのリヴァイだ。だからいつもならこんなことは絶対に有り得ない。
 それなのに今日はどうにも意識が散漫になってしまって上の空とは一体どういうことだろうか。
(そういえば、昨日の夜あたりから身体が熱っぽくて熟睡できなかったんだっけ。)
 そこから考えられる理由といえば、今日の演習が楽しみすぎて自分で考えている以上に身体が興奮しているとかだろうかと思う。ここ最近ではあまり覚えの無いものだが、感覚的にはそれが一番近い。
 リヴァイに憧れて、ゆくゆくは認められるような存在になりたいと思っていたのにたかだか小規模な訓練ごときでこの有様とは。はっきり言って情けないとしか言いようが無い。
 自分で考えていたよりも繊細な神経につくづく嫌気がさしてエレンは思わずため息を吐くと、リヴァイが青筋を立てながらグルリとエレンの方に顔を向け――不味いと思った瞬間にはもう遅い。
 エレンはリヴァイに思い切り後頭部を引っ叩かれて危うく落馬しかけた。
「あはは……エレンもここ一週間の間に色々あったから疲れてるんですよ。
 それより、なんかすごくいい匂いしません?」
「あー、それ俺も思ってた。なんか……エレンの方からかな?いい匂いするよな。爽やかっぽいような……でも少し甘い感じの。」
「オ、オレですか?」
 後にいたペトラが見かねて助け舟を出してくれたのと同時に別の話題を振ってくれたおかげで、リヴァイの興味が自分から一応離れてくれたらしいのにホッと胸をなで下ろしていられたのも束の間。ペトラと並んで走っていたエルドがエレンの方に鼻を向けてスンと鼻を鳴らしだしたので若干気まずい。
 話しを聞いている限りでは一応不快な香りでは無いらしいが、それでも知らず迷惑をかけている可能性も有るので気になる。
「そんな匂いしますか?今着てる団服、この間洗ったばかりなんですけど……もしかして汗の臭いとかかな。」
 石鹸は毎日の服の洗濯ごときで使えるはずもないので、そういった類の香りが付いている可能性はまず無い。
 ということは可能性として考えられるのは汗の臭いとかそういう物かと思うが、自分で上着の腕の部分に鼻を寄せて匂いを嗅いでみても、特にこれと言って特徴的な香りは何も感じないのでますます謎だ。
「香水とかも付けてねぇのか。」
「え?まさか。兵長ならともかく、オレみたいな新兵は普通香水なんて触ったことも無いですよ。」
 香水は完全に嗜好品だ。したがってエレンのようなついこの間まで訓練兵団に所属していた新兵ごときがほいほいと買える代物であるはずがない。
 というか、そもそもエレンはそういった香り物にはあまり興味が無いので所持品でもそういった香り物は一切無いのだ。
「んー……香水っていうより……なんかこの香り、オメガのヒートの時の匂いっぽいんだよなぁ。エレン、まさかおまえオメガじゃないよな?」
「えぇ!?エルドさん勘弁して下さいよ。ていうか、そもそもオレがオメガだったら兵団にまず入れないじゃないですか。」
 この件についてはついこの間、訓練兵団に入る際に受けた性別判定の結果通知の用紙も見ているのでまず間違いない。
 思わず苦笑しながらエルドの方を見ると、彼もそうだよなぁなんて小声で言いながら頬をポリポリ掻いている。
「うーん。でもたしかに、エルドの言う通りオメガっぽい匂いって言われればそれが一番しっくりくるかも。」
「近くにオメガの人がいるんですかね?って言っても……ここ、かなりの山奥ですけど。」
「変よねぇ……」
 ペトラの言葉に思わず辺りを見渡すが、今エレン達がいる場所は木々が鬱蒼と生い茂っているだけのただの森で、人が居る気配はまず皆無だ。したがってますます訳が分からない。
「……はぁ。一度止まれ。」
 『オメガ』という言葉に少しざわついたのが不味かったのだろうか。リヴァイはこれよみよがしに大きくため息を吐くと、一度馬を止めるように全体に声を掛けた。
 もしかしなくても隊列を止めてしまったのは自分が原因か、いやしかし匂いの件については心当たりも無いし……なんてエレンは内心考えながら挙動不審に目線をきょろきょろと彷徨わせていると、エルドが『やっぱりエレンからオメガの匂いがするなぁ』なんて言っていて。
 ただでさえ自分のせいで隊列を止めてしまったかもしれないのに、さらに追い打ちをかけられた気分になる。しかも周りに聞こえるか聞こえないか程度の声量でボソッというあたり真に迫っていて始末が悪いと思ったのはここだけの話しだ。
「お前らさっきからオメガオメガって……
 おい、エレン。ちょっとこっち来い。」
「え?あ、はい。」
 横にいたリヴァイがちょいちょいと指を動かしたのにエレンは意識を引き戻され、言われるがままに馬を寄せる。
 するとリヴァイに近付けば近付くほどに清涼感のある良い香りが強くなって、それを知覚した途端に何故だかエレンの身体の芯がくらりとする。
「……っ、ぁ」
 少しだけ熱っぽいと感じていた体温が、リヴァイに近付くと途端にぐんぐんと高くなっていくような気がするのは気のせいではないだろう。
 そして体温が高くなるにつれて普段は前面に出張っている理性がドロリと溶けだして、思わず熱い息を吐いてしまう。
(な、んだ?これ……っ)
 先ほどからエルドやらペトラが匂う匂うと言っていたが、実はそれってリヴァイからなのではないだろうかなんて思ってしまう。
(ってことは、まさか兵長がオメガ……?)
 しかしそもそも兵団にはオメガ性の人間は入ることが出来ないのでそんなはずは無い。というよりも、この香りは世間一般でいうフェロモンというやつで合っているのだろうか。
 エレンも一応アルファ性ではあるが、物心ついたときには訓練兵団に入団していたのでヒート状態のオメガ性の人間には遭遇したことが無い。
 したがってオメガがヒート時に発するというフェロモンの香りを嗅いだことがあるはずも無く、上官達の言っているオメガの香りとやらが今自分が感じているこの香りで合っているのかもよく分からない。
「おい……まさか――」
 今のエレンは、さながら花に吸い寄せられる虫といったところだろう。
 リヴァイがエレンの普段と異なる様子を見て怪訝そうに眉をひそめているのが目に入るが、今はそんなことなんてどうでも良い。
 それよりもリヴァイの香りをもっとちゃんと嗅ぎたくて、馬上からリヴァイの方へと腕を伸ばして腿へと手を這わせる。
 今エレンは馬に乗っているので、これ以上身を乗り出したら落馬して大変なことになりかねないのだが、完全に熱に浮かされているエレンはそんなことまで頭が回らない。
 ただただ目の前にある魅力的な物に近付きたいという本能に全神経が支配されてしまっている。
「――おまえ……」
「ぅ、あ」
 腿に触れていた手を逆に掴まれて、リヴァイが何か言っているのが聞こえる。しかし触れられた箇所からジワジワと熱が広がって、全身を浸食されていく感覚に何も反応することが出来ない。
 そしてエレンが動けないでいると、あろうことかリヴァイはその手を軽く引っ張ってさらに顔を近付けてくるのだ。
「――ッ!」
 リヴァイが顔を近付ければ近付けるほどにはっきりとした例の良い香りが漂ってきて、その濃密さに一瞬だけエレンの意識が現実に引き戻される。
 そしてそれと同時に目の前にあるリヴァイの顔のドアップに驚いて慌てて身を引いたのは当然な反応だろう。
「なっ――!?え、えっと……?」
 よく分からないが、恐らくリヴァイのフェロモンに流されかけたのだろうとエレンが何となく察したところで、ザワリと後方にいる同じ班の面々が色めきだっているのが耳に入ってきて微妙に気まずい。しかもところどころに『オメガ』という単語が聞こえてくるのだ。
 まさかと思ったが、他の人たちまでそう言っているということは本当にリヴァイは『そう』なのだろうかと、エレンは斜め上の勘違いをした。

 リヴァイの戦力が一個旅団並みという話しは、そこら辺を走り回っている小さな子どもでも知っていることだ。
 普通に考えて、そんな貴重な戦力を巨人がそこら辺をうろついているこのご時世に泳がせておくはずがない。
(ってことはもしかして――)
 リヴァイは、オメガ性であっても特別枠で兵団に入っているのか。この尋常ならざる戦力ならば、そんな例外も有り得なくない気もする。とんでもない事実に気が付いてしまった……
 なんてことをエレンは妄想しながらゴクリと喉を鳴らす。
 本来であれば、ここは何も気付かないフリをして流すのが大人の対応というやつなのだろう。
 しかしエレンにとってリヴァイは小さい頃からの憧れの存在で、そして自分はアルファだ。
 そしてアルファとオメガには『つがい』と呼ばれる恋人関係や夫婦関係よりも深い深いつながりがあるという話しを、訓練兵団に入団してからすぐに座学で教えられたのをエレンは思い出す。
 何となくだが、エレンにとってのリヴァイはそうなんじゃないかという気がしてならない。
 理由を聞かれてもはっきりと言葉にすることは出来ないが、そうでなければ自分がこんなにリヴァイに惹かれてやまない理由を説明することが出来ない。
 そしてリヴァイがエレンの『つがい』であるならば、同じ男性であるはずのエレンが小さい頃からリヴァイを追い掛け回していた理由も説明できる。
 エレンが訓練兵になった時は性のことなんて大して興味も無かったので座学の性講義の話しはほとんど右から左に流していたが、こんなことならもっとちゃんと話しを聞いておけば良かったと心底思う。
 そうすれば、リヴァイが自分のつがいかどうかということもちゃんと見分けられたかもしれないのにと思うが今更だ。
 ここまできたらあとはもう本人に直接聞くしかないだろう。
 ――とは言っても、けっこう繊細な話ではあるので本人に直接聞くのはなかなか勇気がいるものだ。
 しかし周りの人も妙にざわついていたので、もしかしてリヴァイの秘密に気が付いたのかもしれないと思うといてもたってもいられない。ここにいる面子の誰かに、先にリヴァイを取られるかもしれないと思うとなおさらにだ。
(……よ、よし。)
 己を奮い立たせるようにギュッと拳を握ると、エレンは恐る恐る口を開いた。
「あ、あの……兵長ってもしかして……オメ――」
「俺じゃねぇよ、お前がオメガなんだろ。」
「は?」
 さすがに直接目を見ながら聞くのはどうにも恥ずかしいので、下を向いて指先で馬の手綱を弄りながら気になっていた疑問を口にしかけたが、リヴァイはエレンにそれを最後まで言わせなかった。
 そしてリヴァイの予想外の切り込みに、エレンは思わずポカンと口を開けてリヴァイの顔を真正面から凝視する。
「オレが……オメガ?
 いやいや……さっきから止めて下さいよ。この間荷物整理してるときに、訓練兵団に入る時に受けた性別判定結果の通知が出てきたんですけど、それにもちゃんとオレはアルファだって書いてありましたから。だからオレはアルファで間違い無いです。
 ていうか、オレ的にはオメガなのってリヴァイ兵長っぽい気がするんですけど……なんか兵長の方からいい匂いするし。」
 先ほどもエルドにオメガじゃないかと言われたが、一度説明したとおりそれは絶対に有り得ないと力説する。
 ついでにリヴァイの方を向いて鼻を思わずすんと鳴らすと、思いきり呆れた顔をされたのでついやりすぎてしまったかと慌てて謝るがリヴァイが思いきり舌打ちをしたのは言うまでもなく、もしや嫌われてしまったのではないかとエレンはあからさまに狼狽える。
「はぁ…………。この愚図と話してても埒が空かねぇな。
 お前らは抑制剤飲んでるか?」
「いえ、さすがに今は……」
 そしてそんなエレンをリヴァイは完全に放置すると、後方にいるエレン以外のメンバーと話しをはじめてしまい、色々な意味でいたたまれないエレンであった。
 こんなことなら城に戻ってリヴァイと二人きりになってから話しをするべきだったと心底思ったが全ては後の祭りだ。

「――じゃあ、今言った手筈で頼む。俺は念の為にこの愚図と山小屋の方に行く。」
「分かりました。では戻ったら早速本部の方に報告をするのと医官の手配をします。抑制剤の方は後ほどエルドが届けますので。」
「ああ、悪いなグンタ。エルドも頼む。
 おら、エレン。これからお前は俺と別行動だ。」
「あ、え?」
 エレンのよく分からないうちに話が進んでしまって、正直何が何だかさっぱり訳が分からないというのが正直なところだ。
 しかしリヴァイは馬の脇腹を軽く叩くとさっさと走り出してしまったのでエレンはそれについて行くしかない。
 エレンは馬を走らせる前に軽く他の面々に頭を下げると、何故か皆一様に少し赤い顔をしていてなんとも気まずい。そしてその理由として思い当たる事がアレなだけになおさらにだ。
 しかしリヴァイと二人きりなれるのは願ったり叶ったりなので、エレンは何も気付かなかったフリをしてリヴァイの後を追いかけることにした。

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