アイル

ベータなエレンの叶わぬ初恋-2

 エレンがベータ性であるということは、巨人化という有り得ない体質になっても特に変化しなかった。ということはこれ以上はどうにもならないだろうと早々に諦めると、エレンは上から言われた通りに古城で巨人化に関する評価試験に日々精を出し、そうこうしている内にあっという間に一週間が経過した。
 そして初めて全休を与えられた週末の朝、エレンはいつもよりゆっくり起きる――なんてことは集団生活という都合上出来るはずもなく、いつもの時間に朝食を食べ終え、特にやることも無いのでひとまず自室に戻ってゴロゴロしようかと考えていたところでリヴァイに捕まえられた。
「へっ、兵長!」
 食堂の扉を開けかけたところで肩をガシリと掴まれて、驚いて振り向くとリヴァイが腕を組んで立っていたのでエレンは無意識に胸元に手を当てて敬礼のポーズを取った。
 ここはただの食堂だ。したがって敬礼なんてする必要は全く無いのだが、目の前にいるリヴァイは何故かいつもより迫力があったのでエレンはついついそんな大げさな礼を取ってしまう。言うまでもなく、リヴァイの日頃の調教、もとい指導の賜物だ。
 そしてペトラやらエルドやらがそんな二人の様子を遠巻きに眺めながら苦笑しているが、今のエレンには外野に構っていられるほどの余裕は無い。
「これから街に行く。表に馬の用意をしておけ。」
「分かりました!」
 今日は古城にいる人間は皆休みを取るという話しを数日前の夕食の席でリヴァイが話していたのをチラリと思い出すが、そもそもリヴァイはエレンのような新兵にとっては本来は雲の上の存在なのだ。
 もしかして上からの命令で緊急の用件が入ったのかもしれないと思いつつ、食堂から出て行ったリヴァイの後を追うように自らも馬の用意をしようと部屋を出て行こうとしたところでエレンはペトラに腕を掴まれた。
「え、っと……ペトラさん、何か?」
「勘違いしてそうだから一応フォローさせてもらうけど、リヴァイ兵長だけが出掛けるんじゃなくて、エレンも一緒に、だからね。あ、あと団服じゃなくて私服に着替えてね。」
「へ?」
「えーっと……まあ話すと長くなるからざっくり説明すると、リヴァイ兵長って最近ずっと仕事続きで今日が久しぶりの休みなのよ。でもここに居たら確実に仕事か掃除をはじめるでしょ?だから、たまには息抜きに備品の調達がてら街に行ったらどうかって話しを昨日したの。
 で、ついでみたいで悪いんだけど、エレンもここ最近急に環境変わって大変だろうし一緒に是非!ってことになって。」
 言うまでもなく最初リヴァイは渋い顔をしていたらしいが、また次の作戦が始まったら当分休みも取れなくなるとペトラ達がゴリ押しして、半ば無理矢理今日の予定をねじ込んだらしい。
「……はあ、そうだったんですか。なんか、オレにまで気を使ってもらってすみません。」
「いいからいいから。兵長とも親睦深めて来てね!」
「はは……いえ、そんな。」
 ペトラはニコニコと笑いながら軽い調子でポンとエレンの背中を叩くが、エレンにとってリヴァイはまだまだ取っ付き辛い上官だ。
 それにリヴァイは上下関係に厳しいのは身をもって分かっているので、今くらいの距離感がちょうど良いんじゃないのかなんて思っているのだが、先輩にここまで気を使われてしまったら聞かない訳にはいかないよなぁなんて思いつつエレンはひとまず着替えるために自室へと足を向けた。
 この時点では、まさか次にこの場所に戻ってくるときにリヴァイとの距離がとんでもなく急接近しているとは夢にも思っていないエレンであった。


■ ■ ■


 エレンが大急ぎで私服に着替えて馬舎から馬を二頭引っ張り出したところでタイミングよくリヴァイが城から姿を現し、二人は馬に跨って腹を軽く足で叩くと古城から一番近くの街へと駈けた。
 今日は天気も快晴。
 途中で物取りなんて面倒な連中に遭遇することも無かったので、街へは予定通り小一時間ほどで到着した。
 巨人の襲来からそんなに時間が経っていないせいか街の雰囲気はどこか殺伐としたところがあったが、それでも襲撃された直後に比べたら大分落ち着いていて、大通りを歩いている人の数も多く活気もある。
 しかし、今のエレンにはそんな街の様子をゆっくりと眺めるだけの余裕が全く無かった。
「えー……兵長はこの街に来たことはあるんですか?」
「何度かな。」
「そう、なんですか。今日みたいに備品の調達のためとかですか?」
「一々覚えてねぇよ。」
「あ、はい。」
 これが任務だったらエレンは黙ってリヴァイに着き従っていたのだろうが、出掛ける前にペトラに親睦を深めるように発破をかけられたので無視することも出来ず。必死に会話を成立させようとリヴァイに話しを振っては、先の会話のように一言二言の会話で玉砕するという流れを今までずっと繰り返している。
 そして古城からずっとそんな調子なのでいい加減リヴァイに振る話題も尽きてきたとエレンは内心冷や汗をかいているのだが、そもそも今日出掛けること自体が不本意だと思っているリヴァイがそんなエレンの焦りに気が付くはずも無い。
 そんなわけで、始終エレンの思いだけが空回りしているのであった。
(まあ……空回ってるのは、オレもいい加減気が付いてるけどな。)
 そうでも無ければ、こんなに続かない会話も珍しい。
 かといっていまさら黙るのも気が引けるしなとぼんやり考えていると、少し前を歩いていたリヴァイの歩みが唐突にピタリと止まり、場所を確認するように脇に建っているレンガ造りの建物を見上げた。
「……?」
 何だろうと思いつつリヴァイの視線を辿ると、レンガ造りの建物の扉には『文具屋』と書かれた木製のプレートが掲げられている。
 ということはここが目的の場所なのだろうかと考えていたところで、エレンはリヴァイに馬の手綱を渡された。
「俺は店で頼まれた物を買ってくる。お前は馬を見ていろ。」
「はい。」
「あと……すぐに戻るが、変なのに絡まれても無視しておけ。くれぐれも面倒事は起こすなよ。」
「わ、分かりましたっ!」
 リヴァイに言われた言葉は要約するとただの命令と注意だったが、それでもここに到着するまでの間にリヴァイから話しかけられたのはこれが初めてだ。
 さらにそれだけではなくて二言以上自発的に喋ってくれたことに妙に感動しつつ、その喜びを発散するように乗り出すようにして返事をするとリヴァイは本当に意味が分かっているのかというように訝しい顔をした。
「……ふう。」
 リヴァイが店の中に入ったのを確認するとエレンは出入口を塞がないように扉の横に馬を寄せ、自身もその脇に邪魔にならないように休めの姿勢で立ちながら軽く息を吐いた。
 思えばリヴァイとこんなに長時間二人きりでいるのは初めてかもしれない。そしてそのせいか古城にいるときよりも気を張っているように感じるのは気のせいでは無いだろう。
 そんなことを考えながら往来に顔を向けると今更のように道を歩いている人たちが目に入って、街に来たんだという実感がジワジワと湧いて来る。
 今いる場所は大通りの一本脇の道なのでそれほど人の往来は多くはないが、それでもこうやってなんてことない日常の風景を見ていると何故だか自然と身体の緊張が解けるものだ。
(街に来るのは……そんなに久しぶりって訳でもないはずなんだけどな。)
 しかしそう感じるのは、巨人と戦闘をしたり調査兵団に入団することになったりと短い期間に立て続けに大きな出来事が起きたせいだろう。
 人生なんて一瞬後にはどうなっているかなんて分からないものだよなぁなんて十代の少年らしからぬ考えにふけりながら目の前の通りをぼんやりと眺めていると、エレンは唐突にポンと肩を叩かれてハッと顔を上げた。
「兵長早かった――……っと、何かご用ですか?」
 思ったよりも早くリヴァイは買い物を終えたらしいと肩を叩かれた方向に顔を向けると、そこに立っていたのはリヴァイ――ではなくて、見るからにガラの悪そうな見知らぬ男の二人組だった。
 リヴァイに面倒事を起こすなと釘を刺された直後にこれとはついていないとか言いようがない。
 しかも二人組はエレンよりもガタイが良いので一人だけならまだしも二人でやりあうような展開になったら少々面倒そうだ。
 エレンは憂鬱な気分になりつつ、すぐに気を引き締めると馬をかばうように自分の背後へと押しやった。
(あーあ……)
 これがエレン一人だったら適当に人ごみに紛れて撒くところだが、今はそうもいかないので正面からまともに対処しなければいけないわけで。そしてそういった方面の対処方法は、エレンの一番苦手とする分野のことなので気が滅入って仕方が無い。
「なぁ……お前がさっき一緒にいた奴、アルファだろ。」
「……は?いや、アルファかどうかは直接聞いたことないので知りませんけど……」
「しらばっくれるんじゃねーよ。」
「――っ、た」
 この手の展開でありがちな金目の物を寄越せと言われるのだろうかと思いきや、予想外にリヴァイの性について聞かれてポカンとしていると肩をどつかれて少しよろめく。
 性別についてわざわざ聞いてくるということは、まさかたまに新聞の一面に載っているアルファ誘拐事件の真似事でもしようというのだろうか。
 しかし男達の狙っているらしい相手は、あの人類最強と名高いリヴァイ兵士長殿なわけで。
 肩をどつかれたら普通は気分が悪くなるものだが、男達がリヴァイにボコボコに伸されるであろう未来を思わず想像してしまって、ついつい気の毒になって憐れみの視線を向けると生意気な面してんじゃねーよとさらにどつかれた。
「さっきの奴がアルファだってのは、雰囲気でそこら辺のガキだって分かるだろうが。で、お前はベータだろ。」
「……。」
「はっ。都合が悪くなるとダンマリってことは当たりだな。
 ――で、だ。お前、ベータのくせにアルファのケツ追いかけ回してるってことは、アイツとそういう関係なんじゃねえの?ならオレらの相手もしてくれよ。」
「は?」
 そのままリヴァイの身辺探りを続けられたところでエレンが答えられるはずも無い。
 なのでとりあえず無視してやり過ごそうと思った矢先、予想外にもエレン自身に矛先が向いて。しかもその内容が斜め上の発言だったのでつい気が抜けた返事をするとニヤニヤとした顔の男達と目が合ってしまって気分が悪くなる。
 そういう関係ってどういう関係ですか、なんて馬鹿正直に返すほどエレンも初心では無い。
 つまりこの二人はアルファ性であるリヴァイとベータ性であるエレンをそういう関係なのだろうと下衆な想像をして、エレンにちょっかいを出してきているというわけだ。
(そういえば……すっかり忘れてたけど、こういうのあったなぁ……)
 ほとんどのアルファ性は、基本的には貴族や金持ち商人、そして兵団の上層部に限られているので、普通の町民にはまず縁が無い。
 もちろんたまに街にやって来るアルファ性もいるが、彼らは基本的に遊び目的で街にやって来ているのでそこら辺のベータ性を脇にはべらせているのが基本スタイルだ。
 そんな刷り込みのおかげで、アルファ性とベータ性のセットを見るだけで大体の町民は何となく邪な目で見てしまうというのはよくあることなのだが、兵団の生活に慣れきってしまっていたエレンはすっかりそのことを失念していた。
(まあ、団服でも着てればまた違ったんだろうけど……)
 今の自分達の格好を思い返してみると、リヴァイはいつものアスコットタイに黒色のキッチリとした上着を羽織っていてあからさまに金持ち風なのに対して、エレンは団服の下にいつも着ている若干くたびれたシャツにズボンで。つまり、リヴァイの醸し出している雰囲気は明らかにアルファ性で、エレンはベータ性のそれなのだ。
 こんな二人組が馬を引きつれて街中をフラフラと歩いていたらかなり目立つだろうし、彼らの勘違いも分からなくもないかと今更のように自覚する。
「なんだ、いきなり黙りこんで。ビビっちまったか?」
「……いや、そんなんじゃないって。
 それより一応言っておくけど、あの人はオレのただの上官であんた達が想像してるような関係じゃないからな。騒ぎ起こしたらドヤされるのオレなんだからあっち行けよ。」
「はあ?何生意気な口聞いてんだお前――ッ!」
 原因が分かってしまえば一気に馬鹿らしくなって肩の力も抜ける。
 だんだんとまともに相手をするのも面倒になってきたので適当にあしらおうとするが、それが勘に触ったのか顔面に拳を突き出されて。
 しかしエレンの背後には馬がいるので避けずに手の平でそれ受け止めると、その瞬間を狙ったかのように横からもう一人の腕が伸びてきて、騒がれないようにという算段なのか口元を手の平で完全に覆われてしまう。
 もちろんエレンもそれで黙っているはずがなく、咄嗟に何をするんだと声を上げようと口を開けたところで口内に錠剤のような物を無理矢理入れられ――勢いで飲み込んでしまうという失態を犯してしまった。
「――む、ぐっ!」
 何をするんだとギッと口元を覆っている男の顔をエレンは睨みつけるが、男はそんなの痛くも痒くもないといった風にニヤニヤと笑っているだけで罪悪感の欠片も感じられない。
 身体を丸めて咳き込むようにしながら吐き出そうとするが、口を覆っていた手がそれを許さないというようにエレンの顔を上向きに固定するのでそれも叶わずに胃の奥底まで錠剤が落ちていくのが分かって何とも気分が悪い。
(ク、ソッ……!)
 ここまでの一連の流れが異様なまでに手際が良いところから察するに、恐らくこの二人は何度も似たようなことをしているのだろう。
「おーおー、スゲー睨み。そんなにカリカリすんなよ。ていうかさっきのアルファの男って、どっかで見覚えあると思ったらこの街の高級娼館によく出入りしてるヤツじゃねーのか?まあつまり……お前だけ相手してるって訳じゃねーし、これを期にオレ達ベータ同士仲良くし――ガッ!」
 もうここまできたら穏便に済ませるのは無理だ。
 とりあえず口元を覆っている男に肘鉄でも食らわせてやろうかとエレンが考えていると、目の前の文具屋の扉がゆっくりと開いて紙袋を片手に抱えたリヴァイが中から現れた。
 エレンがその場で固まって冷や汗を流したのは言うまでもないが、生憎男達は扉の方に背を向けているのでリヴァイが現れたのに気が付くはずもない。
 むしろ動かなくなったエレンをこれ幸いとその場から連れ去ろうとしたところでリヴァイは流れるような仕草で足を軽く上げ、その一瞬後にはエレンを捕まえていた男達二人は道の真ん中まで転がるように吹っ飛んでいった。
 一般人相手なのでかなり手加減しているのは分かるが、それでも全身打撲くらいは間違い無くしているだろう。
「――さて、エレン。俺はさっき面倒事は起こすなと言ったはずだが。」
「はっ、はい。その……すみませんでした。」
「……とりあえず駐屯兵団の連中を呼んで来い。話はそれからだ。」
「分かりました!」
 エレンは変な錠剤を飲まされたことなんてすっかり忘れて飛び上ると、大慌ててで街の駐屯兵を探しに駆け出した。
 大通りまで出ると見回り中だったらしい駐屯兵団の三人組を見つけたので事情を話して来て欲しいと頼むと三人とも一様に面倒そうな顔をしていた。
 何だかなあと思いつつリヴァイの居る場所まで案内すると、三人はリヴァイの顔を見た途端に慌てて居住まいを正していて少し笑ったのはここだけの話しだ。
 それから三人はエレンから軽く事情を聴いた後、道端に伸びていた男二人に縄をかけるとそそくさとどこかへ退散していき、直後、エレンは腰に両手を当てた格好のリヴァイにジロリと睨まれたのに姿勢を正した。
「――で。駐屯兵の連中に話していた内容によると、お前はさっきの連中に俺の遊び相手だと思われて絡まれたって訳か。」
「えーと……そう、ですね。」
「……はあ。そういう話しがあることは知ってはいたが……街に来るときは私服は止めた方がいいな。」
「……え?あ、はい。それに関しては……オレもうっかりしてました。」
 不可抗力だったとはいえエレンが騒ぎを起こしてしまったわけで、結果的にはリヴァイの面倒事は起こすなという命令を背いたことになる。
 したがって先ほどの男達のように蹴りを食らうことは覚悟していたのだが、予想外にもそういった様子が全く無いので少しばかり驚きだ。
(でも……なんか納得っていうか。)
 同じ特別作戦班のメンバーは随分とリヴァイを慕っているとは思っていたが、きっと彼らはリヴァイの並外れた強さだけではなく、こういうところにも惹かれているのかなと何となく思うエレンであった。
 そしてひとまず事態も一段落したので古城に帰ろうということになり、馬を引いて歩き出したリヴァイの後に着いて行こうとエレンが足を一歩踏み出したときのことだ。
 エレンは何故か膝から力が抜けて地面に座り込んでしまい、一瞬何が起きたが分からずにそのままの体勢でぼんやりとしていると、異変に気が付いて振り向いたリヴァイと目が合う。
(――そういえば、)
 今更のように男達に無理矢理飲まされた錠剤のことを思い出して、リヴァイにそのことを伝えようと口を開けるが声が上手く出なくてもどかしい。
 しかもリヴァイが珍しく驚いたような顔をして駆け寄ってきたのが何だか申し訳なくて、頭を下げたところで意識も朦朧としてくる始末だ。
 エレンは地面を見つめながら睡眠薬でも盛られたのだろうかと考えている途中で、意識を完全にブラックアウトさせた。

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