アイル

ベータなエレンの叶わぬ初恋-3

「ん……?――っわ!?」
 たしか自分は街中にいたはずで……
 それなのにフカフカなベッドのような場所に寝かされているという違和感にエレンは意識を急浮上させて目をゆっくりと開けると、いきなり見知らぬ初老の男の顔が飛び込んできた。
「騒ぐな。ただの医者だ。」
「あ、へいちょ……」
 思わず大声を上げながら慌てて飛び起きたところで、リヴァイの声が聞こえてきたのにホッと一瞬気が緩みかける。
 しかしその声は明らかに不機嫌そうな声音だったので声を詰まらせながら恐る恐る声のした方向に顔を向けると、自分が寝ているベッドの脇に腕を胸の前で組んだ格好のリヴァイが仁王立ちしていた。
「あ、ああ……医者の方だったんですか。すみません。えーと、オレ――」
「あの後、城に帰ろうとしたらお前がいきなりぶっ倒れたんだよ。そんなことより、医者がいくつか聞きたいことがあるそうだから答えろ。」
「は、はい。」
 有無を言わせぬ雰囲気をはまさにこのことだろう。
 エレンとしては聞きたいことが山ほどあったのは言うまでもない。しかしリヴァイは相当機嫌が悪いのかモゴモゴと口ごもっているエレンの言葉を途中で切ったのでそんな余裕なんで有るはずも無く。
 結局エレンは全ての疑問を放棄して、リヴァイの言う通りに医者の方に顔を向けるしか出来無かった。
「起きたばかりなのに悪いね。実はそちらの方からお話しを伺ったところによると、君は二人組の暴漢に襲われた後にいきなり道端で倒れたらしいんだが……。その二人組に襲われたときに何かを飲まされたりしなかったかい?」
「あ、はい。ちょっとバタバタしていてすっかり忘れてたんですけど……そういえば、最初口を塞がれたときに錠剤みたいな物を飲まされました。」
「ああ……やっぱりそうか。ということは、オメガの発情促進剤を飲まされたので間違い無さそうだね。
 ここ最近分かったことなんだけど、その薬をベータ性の人に飲ませるとどうも副作用で急に昏倒しちゃうみたいでねぇ……それを悪用した事件が最近多くいから困り物なんだよ。」
「そう、だったんですか。」
 エレンはベータ性なので詳しいことは知らないが、この手の促進剤や抑制剤といった類の薬はオメガ性やアルファ性の人間には必需品なので単価も安いというのは何となく知っている。
 ということは、そんな手に入れやすさもあって今回のような犯罪に気軽に使われているのだろう。
 エレンにとっては、せっかくの休日をこんな形でリヴァイに迷惑までかけてしまってとんだとばっちりも良いところだが、とりあえず原因が明らかになったことだけは良かったと思うしかない。
「まあそんな訳だからとりあえず一日安静にしてれば君の方は問題無いから。
 あとは……君はアルファ性だよね。抑制剤を渡しておくから、念の為に飲んでおいた方がいいと思うよ。」
「……?何故俺が抑制剤を飲む必要が?」
 ここにオメガ性なんていたっけとエレンが思っていると、リヴァイも同じ疑問を持ったのだろう。
 医者がカバンの中から取り出してリヴァイに手渡した抑制剤の入っているらしい紙袋を怪訝そうな顔で見ている。
「あまり知られてないけど、どのベータ性も発情期を引き起こす要素は持っているんだよ。でもほとんどは実際に発情期を迎えることは無い。ただし……この発情促進剤を飲むと一部のベータ性に発情期が現れることがあるみたいで。
 まあそんな訳で、アルファ性の人が近くにいる場合には保険として渡しているんだ。強制するつもりは無いから、飲む飲まないは自由にしてくれて構わないけど個人的には飲むのをおすすめしてるってわけさ。」
「……そうか。悪いな。」
 エレンは今まで一度もオメガ性の人間と出会ったことが無い。
 そのせいか自身にも発情期が起こる可能性があるのだと言われてもいまいち実感が湧かず、どうせ自分には関係の無い話しだろうと医者とリヴァイの様子をぼんやりと眺めていると、医者は床に置いていたカバンと取り上げてそれじゃあお大事にと軽く手を振りながら部屋を出て行ってしまった。


(一日安静か……)
 ということはしばらくベッドから起きることは許されないのだろう。
 現にエレンが少し身体を身じろぎするだけで横で荷物整理をしているリヴァイがジロリと見てくるので少しばかり気まずい。
 しかし身体の方はいたって健康体なので今でも暇で暇で仕方が無いのは言うまでもない。
「はぁ……」
 とりあえず自分が居る場所を理解しようと首だけをグルリと動かすと右側にもう一つのベッドが置かれていた。
 さらにその向こう側の壁には簡素な木枠の窓が有り、エレンが意識を失っている最中にいつの間にか天気が崩れたのか雨粒がガラスに叩き付けていて。まるで自分の心の中を映しているみたいだとうっかり考えてしまったせいでますます気分が滅入ってくる。
 唯一の救いといえば、窓の前に置かれている小さなテーブルの上に申し訳程度に飾られている一輪の小さな花くらいだろう。
(……あれ?ってことは……ここって街の宿か。)
 最初は街の中にある兵団の施設だろうと考えていたのだが、それなら花なんて洒落た物があるはず無い。それによくよく考えてみると、もしここが兵団の施設だとするならが医者のことは医官と呼ぶはずだ。
 ということは、エレンはリヴァイに宿を取らせるという無駄金を使わせてしまったわけで。踏んだり蹴ったりな状態なのは、エレン自身というよりもむしろリヴァイの方だろうと思い至る。
「せっかくの休みだったのに……色々迷惑かけてしまってすみません。」
「人のこと心配する暇があるならさっさとクソして薬を抜く努力でもしろ。
 それより、とりあえず予定では明日の昼頃にここを出るからな。グンタ達にもそう早馬を出しておいたからお前もそのつもりでいろ。」
「分かりました。」
 リヴァイはいかにも面倒そうな口振りでこちらを睨みつけているが、先ほどエレンが部屋の中を確認した際にベッドのサイドテーブルには水の入ったグラスが置かれていて、さらにその脇にはエレンが手に持っていた荷物が綺麗に置かれていた。
 医者がそんなことをわざわざするとは考えられないので、そこまでしてくれた人は十中八九リヴァイで間違いない。
 それに気が付いてしまうと、人に優しくされるのが久しぶりのせいか妙にくすぐったい気分になるエレンであった。

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