アイル

腐男子がイケメンスケーターに迫られるはずがない!-7(R18)

 そんなこんなでユリオがやって来た翌日の夜のこと。ヴィクトルはいつもの調子で勇利の部屋にやって来ると、ドンドンと扉を叩いた。
「勇利~! 本貸して~!」
「はいはい……」
 ヴィクトルも一応空気を読んでいるのか、大声でエロ本とか言わないだけマシだよなと現実逃避をしつつ部屋の扉を開けると、そこにはいつも通り。館内着を着たヴィクトルとマッカチンがいた。
 彼は部屋の中に入ってくると、慣れた様子で押し入れの扉を開けて中から件のダンボールを出している。それをベッドの足下まで移動させると、箱の中を漁って目的の本を何冊か取り出して。それからベッドの上に座り、まるで自室のようにくつろいだ様子でいつものように読書を開始した。
(―って、またそれか……!!)
 ヴィクトルのその様子は、一見すると優雅にファッション雑誌を読んでいるかのように見えるかもしれない。しかし実際に手にしているのはエロ本である。しかも例のヴィクトルと勇利のカップリングのものだ。
 最初の頃は適当に上から何冊か取り出して読んでいる様子だったのに。完全にその本にロックオンされているこの状況は、なかなかに精神的ダメージが大きい。
 したがってがっくりと肩を落として死んだ魚のような目をしていると、名前を呼ばれ、隣に座るように手招きをされた。
「ねえ勇利。この本の日本語、教えて欲しいんだけど」
「えぇ……」
 チラリと彼の手元に目をやると、彼は未だ問題の本を手に持ったままだ。
 物凄く嫌な予感がするのに思いきり顔をひきつらせる。するとヴィクトルはその顔に綺麗な笑みを浮かべ、身を乗り出しながら再び手招きをするのだ。
「っ、」
 この人は、勇利がこの表情に弱いのを分かってやっている。
 それは分かっているのに。それなのに。花の蜜に吸い寄せられるミツバチのように、気付いた時にはふらふらと彼の横に座ってしまう。
 そして目の前に、はいと問題の本を差し出され、そこでようやくハッと我に返った。
「あの、僕、自分が出ている作品を音読するのはちょっと」
 しかもエロ本である。
 だからダンボール箱の中からヴィクトルとユリオの健全なギャグ本を取り出して渡そうとしたのだが。彼はそれを笑顔でダメだよと一蹴すると、本を開きながら早くと言わんばかりに目の前に突き出してくるのだ。
「心配しないで。勇利だけじゃなくて俺も一緒にセックスしているところを描かれているんだから、一緒に恥ずかしい気分になろう」
「ヒィッ!?」
 エッチな場面をなるべく視界に入れないように、咄嗟に顔を俯ける。しかしヴィクトルは逃がすまいというようにさらに顔を近付けてくると、下からのぞき込んでくるのでたまったものではない。
 こんな下らないことで、色気を無駄遣いしないで欲しいと心底思う。
「はー……もう勘弁してくださいよ、本当に。それとも、もしかしてヴィクトルって実はこういうのが好きとか?」
「いや、全然。残念ながら今まで男と付き合ったことは無いし。これはそういう意味ではなくて、恥ずかしがっている勇利を見たら、もっと良いインスピレーションが湧かないかなって。ほら、今日教えた勇利のためのエロスの振り付けなんだけど、まだ少ししっくりしていない部分があってね」
「はあ……」
 どこまで本気なのかさっぱり分からないが、スケートの話を絡められるとそれ以上は強く出られない。
 でも今にして思えば、ユリオが日本にやって来る前から愛についての振り付けがどうのこうのと口にして、勇利の同人誌を漁っていた。ということは、あれからずっと勇利のために振り付けを考えていてくれているということで。思ったよりも自分のことを真剣に考えてくれているのだろうかと絆されかける。
 しかし顔を上げた途端に飛び込んできたのは、開きっぱなしになっている件の同人誌で。しかもよりによって、勇利と思われる人物がらめぇと実に気持ちよさそうにハートマークを飛ばしている場面だ。
 思わず全ての感情が失せ、真顔になってしまったのは許して欲しい。
「あの……大変申し訳ないのですが、やっぱりこれは無理です。『おかしいな……自分ではわりと雑食だと思っていたんだけど、思ったよりヴィクユリ固定派だったのかな』」
「なに、何なの? 急に日本語で言われても俺は分からないから、ちゃんと英語で話してよ」
「……。グッナイ」
「ああっ、なに、急に寝ろって! 嘘だろう? もっと日本語で話していたじゃないか。それにグッナイは日本語で『おやすみ』って言うんだって知っているから嘘は通じないよ。
 マッカチン~勇利が俺に慣れていくにつれて、扱いが雑になっていくよ。ていうか、この俺がこんなに頼み込んでいるのに、こんな雑な扱いをするのは勇利くらいだ」
 ヴィクトルは勇利がどんどんかわいくない子ブタちゃんになっていくと、わざとらしく大声を上げて泣き真似をしながら、床の上に行儀良く座っているマッカチンの首に抱きついている。その姿には、世界選手権五連覇の王者の影は見あたらない。
 しかし次の瞬間、部屋の中にドカンと鈍い音が響いたのに二人とも肩をビクつかせた。
「うわ、ビックリした。なに? 今の音」
「……ユリオかな? うちの壁、かなり薄いから。たぶん今の騒ぎがうるさかったから壁を蹴ったとか」
「ユリオはわがままだなぁ。人様の家の壁を蹴っちゃダメだって後で注意しておかないと」
「はあ……」
 エロ本を読ませようとしているヴィクトルの方が、よほどネジが一本ぶっ飛んでいるように思うのだが、もはやそれを指摘する元気は勇利には無い。
 したがってこの騒動に乗じてさりげなくヴィクトルを部屋から追い出そうと、同人誌を片付けようとしたのだが。
「勇利、なにをしているの? まさか、逃げられると思っていないよね」
 横から伸びてきた手によって顎をすくわれたせいで、ベッドの上に置かれた同人誌に伸ばした手の動きが完全に止まってしまう。
 それから唇すれすれの位置まで互いの顔の距離を一気に近付けられて。目を細めて見つめられながら囁くように話しかけられると、まるで射抜かれたかのように動けなくなってしまう。
 先ほどまでの子どものような態度とのギャップも相まって、心臓がうるさいくらいにドキドキと鳴り出すのが分かる。さらに彼は、駄目押しとばかりに鼻を軽く擦り合わせてくるのだ。
「うっ、あ」
 実際に唇を合わせている訳では無いのに。その仕草に本当にキスをされているみたいだと感じるのは、同人誌の読み過ぎだろうか。
 というか、成人向けの同人誌はとんでもなくエロいと思っていたけれど、実物はもっとずっとすごい。
 あんまりにも強力な色気に頭の芯がボーッとしてきて、思考回路が完全に飛んでいるせいでもはや言葉すら出てこないし、当然心拍数は上がる一方だ。
 そしてこのままだと、勇利自身も絶対に気付いてはいけない感情に目覚めてしまいそうである。
 その予感に無意識にブルリと身体を震わせると、その拍子にヴィクトルの顔に眼鏡が当たったのか。カチリと乾いた音が響くのが聞こえる。
 そこでようやくハッと目を見開くと、慌てて彼の胸元を押し、壮絶な色香の中からやっとの思いで抜け出すことに成功した。
「は、ぁっ……~~ッ、もう、一回だけだよ!」
「オーケーオーケー」
 嬉々とした表情で頷いているヴィクトルの姿に、先ほどまでの男の色気を全面に押し出していた時の気配はまるで無いのにげっそりする。
 またしても、してやられたという感じだ。自分の魅力を十分理解しており、それを最大限利用してくる人間は本当に始末に負えない。
 最初の頃に比べると、気まぐれに放出される色気には大分慣れてきたと思ったのだが。彼もそれは薄々感じているのか、攻略難易度が段々と上がっているのは気のせいではないだろう。
「なんで僕がこんな羽目に……」
 そこで半ば無理矢理手渡された件の同人誌の表紙を開くと、色紙をめくって最初のページからいきなり自分自身がアナニーをしていて。同人誌の中での話しなのに、身に覚えのありすぎる光景なのでとてもつらい。
 したがって再び本を閉じたい衝動に猛烈に駆られながら、うっと呻くような声を漏らした。
「今俺が考えているのはね、さっきも話したけどエロスの振り付けなんだよ。勇利のためのプログラムだから、俺のために作ったままじゃ駄目だ。細部をもう少し調整して、勇利のイメージをどうしても加えたい。
 だから……勇利のエロスを教えて?」
 耳元で囁かれる言葉は甘美で、まるで即効性の毒だ。
 それに勇利は完全にノックアウトされると、結局ヴィクトルに押し切られる形で、エロ同人誌を音読する羽目に陥るのであった。
 せめてもの救いは、母国語である日本語で音読させられなかったことくらいだろうか。
 それなりの年数アメリカに住んでいたので、日常会話も全く支障無く話せる程度の英語のコミュニケーション能力はある。しかし外国語だとワンクッション置くので、日本語で音読するのに比べると精神的ダメージはやや低いような気がする。
(それに、家族は英語とかほとんど分からないし)

 ―と最初は思っていたのだが。

「へえ。勇利って、あの大会の後、こんなことしていたんだ。エッチだね」
「あのですね……そうやっていちいち突っ込んでくるの、勘弁してもらえませんか。ヴィクトル、言い方がいちいち本当っぽいから困るよ」
「ああ、ごめん。そういうつもりは無いんだけど、ファイナルの結果とか現実に即して描かれているからついね」
「僕が実際にしていたのは、オナニーじゃなくて、ヤケ食いです」
「あはは、だからあんなにお腹が出てたんだ」
「はあ……」
 一個の吹き出しを読むたびに、ヴィクトルはこんな調子でいちいち横槍を入れてくるのだ。おかげで現時点でたっぷり一時間近く経過しており、時計を見るたびに真顔になる。
 仕舞いには濡れ場のシーンで、喘ぎ声が色っぽくないからやり直しと何度も駄目だしをしてくる横暴っぷりだ。泣きたい。
「だから何度読み直しさせても、これ以上はどうにもならないから」
「それじゃあ困るよ。正直現時点で全く興奮出来ないのに逆に驚いているし、これじゃあ勇利のエロスのイメージが全然湧かない。ネットにアップしていた例の動画の方がよほどエロスを感じるよ」
「じゃあ、そっちを参考にするので良いと思うんですけど」
「あれじゃあ弱い。もっとこう……人間の三大欲求の一つである、性欲に直接訴えかけるような。そういうエロスのイメージが欲しいんだよ、俺は」
 ヴィクトルは熱っぽく語っているが、彼が熱くなればなるほど勇利は真顔になっていく。だってどう考えても、これは男二人で話すような内容では無い。
 というか目の前の男は、三次元の男に喘がせて本気でエロスを感じると思っているのだろうか。
 早く正気に戻って欲しい。同人誌と現実は違うのだ。
「こんなこと言いたくないですけど、僕、生でそういう声とか聞いたこと無いんで、これ以上は何回やっても同じですから。
 ていうか本気で、実際の男の喘ぎ声に興奮すると思ってます? 実際ここまで散々言わせても、全く興奮しないって言ってるし、もう答えは出てると思うんですけど」
「いや、この本を見ていると、なんだかいけそうな気がするんだ。それに勇利には、まだ可能性を感じる」
「そういう可能性を感じられても、あんまり嬉しくないです」
 彼がどこまで本気かは分からないが、振り付けのインスピレーションを得るためと言っていた手前、少なからず心苦しい気持ちはある。しかし色っぽく喘げと言われても、無理なものは無理だ。
 したがって、もうこうなったら適当にグラビア雑誌でも買っておいて、後日それを参考にしてくれと言って渡そうかとぐるぐると考えていたのだが。
「もう、仕方ないなあ……」
「えっ? ちょっ―わ、あっ!?」
 そこでヴィクトルは大きなため息を吐くと、勇利が持っていた同人誌を取り上げたのに、ようやく諦めてくれたかと胸をなで下ろしたのも束の間。
 次の瞬間には肩を押され、ベッドの上にうつ伏せの格好になっていたのに目を白黒とさせる。
「俺が手伝ってあげるよ」
「手伝うってなに、っ―ひゃあ!?」
 彼は何かと距離が近い。だからこれも毎度のスキンシップの延長に違いないと思いこもうとしたのだが、こういう時に限って悪い予想は当たるもので。
 ジャージのズボンの上からスルリと下肢を撫でられたのに、まさかと思った時にはもう遅い。陰茎と陰嚢をまとめて揉み上げられたせいで、間抜けな声を上げてしまう。
 ヴィクトルが耳元でそれじゃあまだ物足りないとかなんとか好き勝手言っているが、そういう問題ではない。
「ま、待って、本当にストップ! 『勃っちゃうから、だめ、だめ……ぇ、っ』」
「そうやって咄嗟に日本語出ちゃうの、いいね。『駄目』っていうのは、ストップって言っているのかな? 普段もたまに聞く」
 ヴィクトルが耳元で何かを口にしているのが聞こえるが、正直それどころではない。
 彼は何度かふにふにとソコを揉みこんで完全に勃起させると、今度は竿を上下に扱き、さらには亀頭をギュッと握りしめてくるのだ。
 本当に、これは不味い。
 思えば最近はアナニーにはまっていたのもあって、陰茎への刺激はすっかりご無沙汰なせいだろうか。快楽の源を直撃する刺激にあっという間に先走りが溢れてきて、下肢からチュクチュクという水音まで聞こえてきてとても恥ずかしい。
「はっ……あ、うう……びく、とるっ、」
「そうそう、その調子。ちゃんと色っぽい声も出せるじゃないか。普段の勇利は全く色っぽい素振りを見せないのに、スイッチが入ると今みたいになるのがいいよね。その落差が激しいせいかな。男に全く興味無い俺でも、ちょっとグッとくる色気がある」
 陰茎でも敏感な亀頭への刺激に加えて、耳元ではヴィクトルが最中のような甘い声で囁いていて。頭の中が沸騰しそうだ。
 とはいえ当然理性がこれは不味いと、脳内の片隅でガンガンと警鐘を鳴らしている。だからもう許してと口にしたいのに、実際口から零れ落ちるのは甲高い嬌声で泣きそうだ。
 こんなの、自分の声じゃない。
 だから口を両手で塞いで、無理矢理恥ずかしい声を封じる。そして何とかヴィクトルの魔の手から逃げだそうと、這うように彼の身体の下から抜け出そうとした時のことだ。
 突然ハッハッと荒い息づかいが耳に飛び込んできたのに、顔を前に向ける。するとそこにはマッカチンの顔があり、自分も二人の遊びに混ぜてと言うように、キラキラとした目で勇利の目をジーッと見つめていたのに、ビクリと身体を揺らした。
 その瞳のなんと曇りの無いことか。
 そしてマッカチンにこれまでの一連の流れを全て見られていたのだと思うと、途端に羞恥心が大きく膨らんでいくのが分かる。
 さらには駄目押しとばかりに、再びドカンと壁を叩かれる音が部屋の中に響くのだ。
「―ッ!?」
「またユリオか……まったく、ちょうど良いところなのに邪魔をして」
 ヴィクトルはユリオに壁ドンされたのなんて全く気にしていない様子だ。そのまま行為を進めようとしているのか、さらにシャツの中に手を突っ込んでくるが、良いところなのに、ではない。
 ユリオがこうして壁を蹴ってきたということは、勇利の恥ずかしい声を彼に聞かれていた可能性は限りなく高い。
 それを理解した途端、勇利は瞬間的に全身に力をこめて上体を起こすと、ヴィクトルの身体の下から抜け出す。そしてベッドから勢いよく降りると、驚いた表情のヴィクトルの手を引っ張って部屋の外に追い出して。それを追ってマッカチンが外に出たところで、ドアを勢いよくバタンと閉じた。
(あ、危なかった……!)
 ただただ、今が緩めのジャージ姿で良かったとしか言いようがない。おかげで物凄い勢いで動いても、陰茎が布に擦れてうっかり射精、なんて恥ずかしいことにならなくて済んだ。今の勇利にとっては、それだけが救いである。
『勇利っ、ねえ、怒ってる? なんでいきなり俺のこと部屋から追い出したの? 勇利~! ドアを開けて? さっきのはつい勢いというか、本当にもっと良い振り付けにしたかっただけなんだ! でも怒っているなら謝らせて!』
「全然、これっぽっちも怒ってないですから! 余計なことは言わずに、いいから早く部屋に戻って寝てください!!」
 廊下に追い出したヴィクトルが、往生際悪くドアをドンドンと叩いている。しかし勇利はドアに背中をピッタリとつけて、完全封鎖の体勢だ
 そうこうしている間に、再びドカンと壁が蹴られて。それでもヴィクトルがドアの前で勇利の名前を大声で呼びながら管を巻いていたので、たまりかねたのだろう。
 しばらくすると、おそらくはユリオの物と思われる荒い足音が聞こえ、その後に聞き覚えのある声が響いた。 
『おいヴィクトルにデブ! 人が気分良く音楽聴いてんのに、さっきからウルセぇんだけど!』
『ユリオ……俺の探求心が過ぎたせいで勇利が怒ってしまったみたいなんだ。だからちゃんと謝ろうと思ったんだけど、部屋の中に入れてくれなくて』
『はあ? 謝る? 何したんだよ』
『勇利のエロスのイメージを知りたかったから―』
「―ちょ、ちょっと待った! だから全然、怒ってないから!」
 いくらヴィクトルでも、勇利の下半身を触っていましたとは言わないだろう……と考えていたのが甘かった。スラスラと口を滑らせはじめたので、慌てたなんでものではない。
 勇利はたまらずドアを半分だけ開けると、その間から抗議の声を上げる。するとそれを逃すまいというようにヴィクトルが物凄い勢いで両手を伸ばしてきて。思わずヒッと悲鳴を漏らした瞬間、第三者が現れた。
「―あのさぁ、楽しそうなところ悪いけど。近所迷惑になるから、もう少し静かにしてくれない?」
「ま、真利姉ちゃん……」
「って、親から伝言。じゃ、伝えたから」
 姉の真利は言いたいことだけ口にすると、軽く手を上げてさっさとその場から退散してしまう。これは救いの神と言っても良いのか微妙なところだ。
 しかし意外にもその一言が効いたのか。ヴィクトルは勇利のドアから手を引くと、小さくため息を吐きながら申し訳ないことをしてしまったと反省している様子である。
 今がチャンスだ。
「じゃ、じゃあ、二人ともおやすみ。ヴィクトル、本当に怒ってないから気にしないで。恥ずかしかっただけだから!」
「あっ、勇利!」
 再びピシャリとドアを閉めてから一拍置いたところで、ヴィクトルが声を上げるのが聞こえる。しかしさすがに今回ばかりは諦めがついたのか、あるいは納得したのか。それ以上深追いしてくる様子は無い。
 したがってドアに背を預けながらふうと息を吐いていると、状況が飲み込めていないらしいユリオが、ブツブツとぼやいている声が聞こえてきた。
『何だ? 二人して。エロスのイメージって、意味分かんねーし』
『うーん、詳しく言うと勇利に怒られそうだからなあ。ともかく細かいイメージも湧いたことだし、明日にちょっと細部を変更したエロスの振り付けを勇利に教えるから、それからイメージして』
『はあ? 何だそれ。余計気になるじゃねーか。あっ、もしかしてキスでもしたとか? 日本人って挨拶のキスでもビビるって聞いたし』
『ふふ。ユリオには秘密。それよりユリオ、人様の家の壁を蹴ったらダメだよ』
『そもそもお前らが夜中に騒いでたのが原因だろうが』
 先ほどのヴィクトルの様子には随分と冷や冷やさせられたが、今回はこれ以上口を滑らせそうな気配は無い。直前の勇利の剣幕で、一応は空気を読んでくれたのか。上手い具合に話しをそらしてくれたので、とりあえずは一安心だ。
 それからヴィクトルが部屋に戻ろうと口にしたのをきっかけに、二人の足音が遠のいていく音が響く。それからしばらくして、トンと障子が閉じる音が小さく聞こえてきた。
「はぁ~……」
 そこで勇利はようやく全身の力を抜くと、ドアをずるずると伝いながら床の上に座り込んだ。
 何もしていないのにどっと疲れた。
 今の騒動のおかげで、先ほどまで勃起していた陰茎がほとんど萎えているほどだ。ただこれについては、これ以上自慰をする気分には到底なりそうも無いので、心底助かったとしか言いようが無い。
「本当、あの人は何を考えているのやら」
 ヴィクトルにコーチになってもらってから気付いたことだが、彼は天才特有の直感で動いているところがあるので、その行動パターンは自分のような凡人にはまったく予想が付かない。だから今回も恐らくはその延長なのだろうと思うしか無いだろう。
 ともかく、今回の件は忘れるのが一番だ。変に意識したような行動をしたら逆に面白がられそうだしなと考えつつ、ベッドの中に潜りこんで目を閉じた。
「んー……なんか良い匂いがするな」
 恐らくこれは、ヴィクトルが普段つけている香水の香りだ。いつもよりベッドの上に長時間座っていたので、匂いがうつったのだろう。
 布団をかぶると、まるで彼の腕に包まれているみたいだ―
「―って、いやいやいや!」
 そんな言葉がすっと脳内に浮かんだのに驚き、思わず勢いよく上体を起こす。
 そして枕を普段と逆向きに置き、そこで足下に置いたままになっていたダンボールに気付いて押入の中に慌てて片付ける。
 ヴィクトルの腕に包まれているみたい。なんて単語が思わず浮かんだのは、ベッドの足下に同人誌を置きっぱなしにしていたせいに違いない。
 その証拠に、再びベッドに潜り込んだ時にはそんな言葉は一切思い浮かばなかった。
 枕の位置を変えたので、彼の香りが薄れたせいだろうという自分自身の突っ込みには、気付かないフリをした。

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