アイル

好きになった人は、オメガ嫌いなアルファだった-8

 ヴィクトルに告白をされた日。いつの間にかロビーにいた勇利は、クリスに連れられて何とか部屋に戻った。
 しかし結局一睡も出来なかったのは言うまでもないだろう。かといって横になっているだけでも色々と考えてしまって辛いので、もくもくと荷造りをしていた。
 それから運営の人に先に戻るとメールで連絡を入れると、朝日が昇るよりも前にホテルをチェックアウトする。そしてその日の昼過ぎには、九州にある安アパートの我が家に戻ってきていた。

 そんなこんなで東京から九州に戻って来た日の夜。
 勇利はスーツケースの荷物整理もせずに、ベッドの上に転がりながら昨晩にあったことをぼんやりと思い出していた。
 中でもヴィクトルだけでなく、クリスにまで運命のつがいなんて言葉を使われたことは特に尾を引いており、気付いた時にはスマートフォンをズボンのポケットから取り出して、運命のつがいという単語をネットで検索しまくっていた。
 そしてそんな単語ばかり検索していたせいか。しばらくすると検索履歴から表示される広告欄に、アルファ性とオメガ性のための婚活関係のサイトが表示されるようになる。
 そしてその広告がふと目に入ったところで、勇利は指の動きを思わずピタリと止めた。
「アルファ性とオメガ性の婚活? 何だこれ、初めて見た」
 広告の中央には、目立つように赤文字で運命のつがいを探しませんか? なんて煽り文句が大文字で書かれている。
 以前だったら、自分にとっては無縁なものだと気にも留めなかっただろう。
 しかし昨晩から運命のつがいという言葉に振り回されている勇利にとっては、とても興味を惹かれるもので。気付いた時には、その広告のバナーをタップしていた。
 ちなみにリンク先のサイトは、一言で表現すると所謂世間一般で言うところの結婚相談所なんて呼ばれる会社のホームページだった。
 ただしそこはベータ性は一切お断りの、アルファ性とオメガ性限定の相談所らしい。当然入会するためにはちゃんとした証明書の類も必要で。ネットの普及している今時にしてはかなり珍しく、オンライン上での活動は無し。会社を通してアナログ形式で釣書を交換しあうというものだった。
 最初勇利は、ちょっとした冷やかしのつもりでサイトを見ているつもりだった。しかし気付いた時には隅から隅まで熱心に目を通していて。そしてはたと気付いた時には、申し込みフォームに必要情報を入力し、送信ボタンを押した後だった。
 それからは、さすが結婚相談所というべきか。とんでもないスピードと押しの強さで、いつの間にか諸々必要な書類を会社に送付させられていて。気付いた時には、第一回目のお見合い日とやらが、およそ一ヶ月後に決定していた。


■ ■ ■


 五月に入るとそれまで必要だった上着もほとんど着なくなる。そして二十五度を越える日がだんだんと増え、夏の気配を少しずつ感じるようになるのだが。勇利の人生初のお見合いのあった五月末の日曜日は、天候が大幅に崩れて珍しく最高気温が二十度にすら届かなかった。
 そんな季節外れの寒い日、勇利は電車の座席に腰掛けながら、周りにほとんど人がいないのをこれ幸いと深い深いため息を吐いていた。
「はー……えらいめにあった」
 ともかく、そうとしか言いようがなかった。
 何故なら初見合いの相手は、アルファ性のまさかの男性だったのである。
 勇利としては、本当は女性が良かったのだが。勇利の方から見合い希望を出した相手からは断られてしまったそうで、こればかりは仕方がないだろう。
 そんなこんなで。しばらくすると勇利に見合い希望がやってきて、その相手が今回の見合い相手だったのだ。
 とはいえだ。もともとベータ性として生きてきた勇利にとって、互いの第二の性がアルファ性とオメガ性であったとしても、男性同士のカップルというのは少しばかり抵抗がある。
 いやまあ、それならヴィクトルだってそうじゃないかと思うかもしれないが、それはそれ、これはこれだ。
 したがって今日の昼頃、相談所の人に言われた通りにきちんとスーツを着て、さらに念のために軽く香水を振りかけてから、重い足取りで待ち合わせ場所となっている福岡のとあるホテルのロビーに向かったのだった。
 そして昼食をとってから喫茶店で軽くお茶をし、それから近くの公園を軽く散歩していた時のことだ。
 公園を出たら帰ろうかな、なんてことを考えていた罰が当たったのか。何となく頭がぼんやりするなと考えていると、見合い相手が首筋に顔を近付けてきて。その瞬間に鼻先に嗅ぎ慣れない香りが臭い、さらにはもしかしてヒートかとたずねられたのに、勇利は文字通り飛び上がる。
 ともかくそれからは、いち早くその場から離れたくて必死だった。相手に失礼かも、なんて考える余裕も一切無く、挨拶もそこそこにその場から逃げ出す。
 そして駅のトイレに駆け込み、念のために持ち歩いていた抑制剤を大慌てで飲みこんで。身体の熱が引いたところで、家に帰るべく電車に乗った―というのが、ここまでのおよその流れである。
「はあ……勢いで結婚相談所なんて場所に申し込みをしちゃったけど、しばらくはお見合いとかいいや」
 思えば四年前にヴィクトルにふられた直後も、女性と付き合ってみてはすぐに離れてというのをやっていたのを思い出す。その時と同じようなことを相変わらず繰り返しているとは、全く学習していない。
 なんてことを考えながら、スマートフォンのメーラーを立ち上げる。そして相談所に、今日の見合いは不成立だと結果メールを送信した。

 それから最寄りの長谷津駅に到着し、改札から出た時のことだ。スマートフォンが震えているのに気付いてズボンから取り出すと、姉の真利からの着信だったのに勇利は首を傾げる。
 もちろん家族にはオメガ性に分化したことすら話していないので、相談所に登録していることも、ましてや今日が見合い日だということも内緒だ。
 そのはずなのだが。随分とタイミングの良い電話だなと思いつつ、通話ボタンをタップした。
「―もしもし? 真利姉ちゃんどうしたの」
『あのさあ、うちにヴィクトルがまた来てるんだけど』
「……は? ヴィクトルって……ヴィクトル・ニキフォロフ!?」
『そう、そのヴィクトル。でもあんた、今一人暮らししてるでしょ? だから勇利の今住んでる家の住所教えておいたから』
「ちょっ、えっ!?」
 ちょっと待ってくれという感じだ。しかし真利はちゃんと伝えたからねと口にすると、さっさと通話を切ってしまう。
 そして置いてきぼりをくらった格好になった勇利は、携帯電話を握りしめた格好のまま、しばらくの間その場に立ち尽くした。
「どうしよう……」
 すでに住所を教えてしまったということは、このまま家に戻ったら、ほぼ間違い無くドアの前でヴィクトルが待ちかまえているだろう。
 勇利はアイスショーの最終日、スケート関係の友人に一切連絡せずに勝手にホテルから立ち去っている。加えてヴィクトルとの連絡も意図的に一切絶っている状態だ。ということは、それに業を煮やして彼の方から日本までやって来たといったところか。
 しかし勇利の方は、そうやって彼のことを考えないようにすることで、早く以前と同じように過ごそうとしていたところだったのだ。そしてようやく落ち着いてきたかなというところだったのに。
 本当に、たまったものではないと思う。今さらわざわざ日本の九州までやって来て、一体何を考えているのやらだ。
「仕方ない、今日はビジネスホテルにでも泊まるか」
 幸いにしてこの後は特にこれといった予定も無い。それにヴィクトルも勇利が帰って来なければ、そのうち諦めて帰るだろう。
 そこまで考えると、勇利はよしと頷く。そして少なからず罪悪感を抱いているせいか、いつもよりも少しばかり重い足を引きずるようにしながら、駅の目の前にあるビジネスホテルに向かった。

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