アイル

叶わないと知りながら、熊は身分違いの恋をした-9

「あー……これは間違い無く、ヴィクトルのガキだな」
 八月一日の夜。ヴィクトルとユリオの二人は、予定通り合宿を行うために勇利の実家へとやって来る。そしてユリオは玄関まで出迎えに出てきたヴィーチャの姿を一目見るや否や、そう感想を口にした。
 ちなみにそう言われたヴィーチャはというと、テレビ画面の向こう側で活躍しているスター選手の一人であるユリオに加えて、六月ぶりにやって来たヴィクトルまでもが目の前にいる状況に驚いたのだろう。
 魂現である狼の耳と尻尾をポンと出してしまう。そしてそれを見たヴィクトルは、俺と同じ魂現なんだと口にしながら途端にデレデレとした表情を浮かべ……その状況に、勇利はただただ頭を抱えることしか出来なかった。
「なあカツ丼、コイツの名前は?」
「ああ、うん。ヴィ……ヴィクトルだよ」
「なんつーか……そのままだな」
「海外だと、親と同じ名前なんてよくあるだろ。一応これでも、色々考えてたんだからね。でもヴィクトルそっくりだったから、どれもしっくりこなくて。それでヴィクトルだなって……って聞いてる!?」
 だんだんといたたまれない気分になって語尾が弱くなっていくのはご愛敬だ。しかしユリオはそんな言い訳など興味ないといった様子で、ヴィーチャの頭を撫でていて少しむなしい。
 そしてヴィクトルはというと、ちゃっかりとヴィーチャを抱き上げ、相変わらずの片言の日本語で自分がパーパだからねと教え込みはじめた。
「ヴィーチャ、このまえ言いそびれたけど、俺がパーパだよ。わかった?」
「ん? パーパはあっちだよ」
「ノーノー、勇利はマーマ、こっちがパーパ。OK?」
「パーパ?」
 ヴィーチャはよく分かっていない様子だったが、とりあえずヴィクトルのことを見ながらパーパというと、彼はよく出来ましたというように誉めまくっている。
 人が目を離している隙に、本当に止めていただきたい。
 したがって変なことを教えないでと怒ると、本当のことじゃないかとさらに屁理屈をこねるのだ。
 それにブツブツと文句を言っていると、そこでガラッと大きな音を立てながら扉が再び開き、大声で挨拶をしながら南が登場する。
 そして正面玄関に成人男性が四人もいるとなるとさすがに窮屈で。ひとまず話を切り上げると、皆を二階の元宴会場に案内した。

「トイレとか洗面関係は一階にあるから。お店のほうの温泉も基本自由に使ってもらって構わないけど、お客さんが多い時間帯は避けてもらえると助かるかな……っと、説明することはこのくらいかな? 他に分からないことがあったら、その都度聞いてもらえれば。それかヴィクトルとユリオもここに泊まったことがあるし、たぶん大体のことは分かってるはずだから二人に聞いてもらっても大丈夫」
「わかりましたっ! ああ~……勇利くんの家に泊まれるなんて、おい……ばり興奮してます! 写真撮ってもよかですか!?」
「あ、うん。それは構わないけど」
 でも温泉は禁止だからねと念のために釘を刺しておくと、カーッと頬を赤らめながら恥ずかしがっていて。身長が一気に伸びたせいか昔に比べて随分と大人びたなあと思っていたのだが、こういうところはまだまだ可愛げがある。
 それに思わず笑いを零すと、笑わないでくださいと抗議されてしまった。
「ごめんごめん。それじゃあ僕はそろそろ自室に下がるから、ヴィーチャおいで。ヴィクトルにユリオもおやすみ」
 南の身体の脇からひょこりと顔を出して、ロシア組の大人二人に遊んでもらっているヴィーチャを呼び寄せる。それから部屋の障子を閉めようとしたのだが。
「――ちょっと待って、勇利! 夫婦なのに別室で寝るっておかしいと思わないの!?」
「え? いや、そもそもヴィクトルと籍入れてないし。ていうかそれ以前に僕の部屋が狭いって知ってるよね? どう考えても三人も寝られないから」
 ってわけでおやすみと一気に口にすると、彼の鼻先でピシャリと障子を閉めた。
 しばらくしてユリオのご愁傷様という声と、ヴィクトルのメソメソと泣く声が聞こえてきたが、ここで絆されてはいけない。
 そもそも勇利は、人前でそういうことをするのは好きではない。それに勇利はまだ大事なことをヴィクトルに話せていないのだ。
 というわけで、こういうのはなあなあにして先に進むのはよくないと決意を新たに一つ頷く。そして気分を切り替えてヴィーチャと手を繋ぎながら自室に戻った。

 ――そう、そのはずだったのだが。

 翌朝。勇利は目蓋越しに感じる太陽の光に意識を少しずつ浮上させながら、そろそろ目覚ましも鳴るだろうし、起きないとなあと思いつつも名残惜しさを感じて寝返りを打つ。すると鼻先に良い香りがふわりと漂ってきたのに、無意識に顔を擦り寄せた。
「ん、ぅ……」
「……ん? 勇利から来てくれるなんて嬉しいな」
 背中を大きな手でゆっくりと撫でられると、あったかくて、気持ちよくて、妙にほっとする。でもこの感覚は初めてではない。少し前、現役時代によく感じていたものだ。
(たしか、ヴィクトルにコーチしてもらってたときだっけ……)
 そこでそうだというようにヴィクトルに耳元で時間になったら起こしてあげるからと吐息混じりの声で囁かれると、途端に首の後ろが熱くなって。ゾクゾクとした甘い熱がそこから広がり、数年ぶりに他の人の手によって与えられる熱の感覚に、たまらずクマの耳と尻尾を出してしまう。
 それに含み笑いをされながらズボンの中に手を差し込まれ、尻尾の根元を揉みこむように刺激されると途端に全身から力が抜けてくったりとしてしまう。
 でもよく考えて欲しい。
 勇利とヴィクトルは別部屋で寝ていたはずだ。それなのにヴィクトルの声が聞こえてくるのは、どう考えてもおかしいのだ。
 それに気付いたのをきっかけに、勇利は急激に意識を浮上させる。そしてぱちりと目蓋を開くと、目の前にヴィクトルの美しい顔があったからたまったものではない。
「う、ぎゃあっ!?」
 瞬間的に両手を突き出し、ヴィクトルと距離を取る。それから起きあがってヴィーチャの様子を確認すると、息子は勇利とヴィクトルの間で目をこしこしと擦っていた。
 その様子から察するに、おそらく今の騒ぎで目を覚ましたところなのだろう。それにほっと胸を撫でおろすものの、そこでいきなり部屋のドアが開くと、ユリオと南がひょこりと顔を出した。
「あっちの部屋にいねーと思ったら、やっぱりカツ丼の部屋にいやがったか。俺も南も朝のランニング終わったぞ」
「ん、分かった。それならそろそろ俺たちもリンクに行く準備をしないとだね」
「早くしろよ。それとカツ丼、おまえケツ見えてるぞ」
「あ、本当だ。マーマ、お尻見えてる」
「……へ?」
 そんなまさかと思いながら、そこで初めて己の下肢に目を向けるとユリオの言うとおり。パジャマ代わりのジャージをズリ下げられ、尻が半分ほど出てしまっているのが目に入る。
 さらにはそれだけではなく、魂現の耳と尻尾も出しっぱなしな状態だったことにようやく気付くと、頬だけでなく耳まで真っ赤に染め上げる。
「~~ッッッ、ヴィクトルのばかっ!!」
 それからヴィクトルの頬を、平手でバチンとおもいきり叩いていた。

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