アイル

叶わないと知りながら、熊は身分違いの恋をした-11

 結論から言うと、勇利とヴィクトルは紆余曲折の末にようやく両思いになることが出来た。そしてさらにその流れで結婚の話まで進んだ状態だ。
 ただ色々と一気に話が進んだのと、勇利的には完全に夢の中の出来事だったというのもあり、未だどこか受け入れきれていないというのが本音である。
 そのせいか勇利の方がヴィクトルのことを完全に意識してしまい、ちょっとした触れ合いにも魂現の耳を出すほど動揺してしまうのにここ数日ほとほと困り果てていた。
 とはいえやっぱり本心ではヴィクトルのことが大好きなので、あの出来事を否定する気は毛頭無いのだが。
 つまり俗っぽく表現すると、ただ単に照れているだけである。
「うう……三十にもなって情けない」
 でもそもそもこういう恋愛経験だって全く無いし、慣れるまで仕方ないと頭の中で言い訳の言葉を呟いていると、横でおとなしく温泉に浸かっていたヴィーチャがふと顔を上げる。
 それにつられて勇利も温泉の出入り口のドアへ顔を向けると、ガラリと音を立てながらドアが開いて。まさかのヴィクトルが中に入ってきた。
「ああ、二人とも温泉に入ってたんだ。俺も誘ってくれればいいのに、つれないなぁ」
「えっ! ちょっ、ちょっと、待ってよ。ヴィクトルも入るの!?」
「うん。今日も練習で一杯汗かいたし」
 ユリオって俺の説明まるで聞く気がなくて、すぐ滑ろって言ってくるのひどいよねえと愚痴っている。
 ただそれに関しては、ユリオの気持ちが分からないでもないというか。ヴィクトルは天才肌の人にありがちな感覚で滑っているところが多々あるので、言葉で説明するのは基本的に向いていないのだ。
 それを思い出して思わずユリオに同情しかけ――しかしそこで目の前にヴィクトルの全裸が飛び込んできたのに驚いてしまい、ポンと魂現の耳と尻尾を出してしまう。
「あ! マーマの尻尾と耳だっ」
「ちょっ、ヴィーチャ!?」
 もちろん慌てて両手を頭にやってクマの耳を隠したが、ヴィーチャはすぐにそれに気付き、自分も仲間に入れてというように真っ白な耳と尻尾を出す始末である。さらにはそれに悪乗りしてヴィクトルまで耳と尻尾を出すので、もう始末におえない。
 そしてそこで再び出入り口のドアが開いて。
「……何やってんだおまえら」
「ん? どがんした……――ッッッ! 勇利くんの魂現見てしまったばい!!」
 完全に冷めきったユリオの視線が痛い。そして一方の南の方はというと、おろおろとしながらその場を歩き回っており、その頭上には虎の耳が乗っかっていた。
 もちろんユリオがブチ切れたのは言うまでもなく、その場に正座させられてお説教だ。
 はっきりいって、誰が保護者か分かったものではなかった。



 そしてそんな騒動が三日連続で続いたところで勇利はついに音を上げると、ヴィーチャを寝かしつけてから居間で酒を飲んでいたヴィクトルを連れ出す。それからすでに営業終了しているので人気の全く無い脱衣場の中に彼を押し込め、辺りに誰もいないのを確認してからそのドアを閉めた。
「ふう……ここなら誰も来ないかな」
「ふふ。勇利から夜のお誘いなんて嬉しいな」
「ちょっ」
 んーと言いながら顔を寄せられ、キスをされそうになる。
 しかしすんでのところで唇を両手で塞いで阻止したのに胸をなで下ろしたのも束の間。手の平を舌でペロリと舐められたのに飛び上がった。
「もうっ! 真剣な話だから、ふざけるのは無し! ちょっとここ最近ヴィクトルスキンシップ激しすぎだから勘弁してよ。このままだと、外でも耳出しちゃいそうで怖いんだけど」
「勇利の耳、可愛いからいいじゃないか。丸くてふわふわで、大好きだよ」
 そこで不意に彼の手が伸びてきて。毛並みを整えるように下から上に撫でられたことで、またクマの耳を出してしまっていたことに気付いてカーッと頬を赤らめた。
 耳を出してしまっていたことにも気付かないとは、かなりの重傷だ。
 そしてその事実に勇利がダメージを受けている間にヴィクトルは身体を寄せてくると、まるで匂い付けするかのようにスリスリと頬を首筋に擦り付けてくるのである。
 そうやって彼の甘い香りに全身を包まれると、彼のものだと主張されているみたいだ。
 そして不意にグチャグチャに犯して欲しいような衝動が湧き上がり、お願いと甘えるように目の前にある彼の耳を甘噛みしてしまう。
 すると彼はそのお返しというように勇利の首筋に唇を寄せ、何度か甘噛みを繰り返した後にきゅうとそこを吸って。途端にジンとした甘い痺れるような感覚が、そこから身体全体に一気に広がっていくのを感じた。
「は、アっ、ああ……っ、ん!」
「勇利、もしかして今のだけでイっちゃったの?」
「した、ぐちゅぐちゅって、だめぇ……っ」
 確認するように腿を股の間に押しつけられると、卑猥な濡れた音がそこから漏れ聞こえる。
 それが恥ずかしくてふるふると首を振っていると、ヴィクトルは再び勇利の首筋に顔を寄せてきて。しばらくの間ふんふんと嗅いでから、もしかして発情期に入りかけてる? と首を傾げた。
「クマの発情期って、たしか初夏くらいじゃないっけ?」
 まあ今は八月だから、一ヶ月と少しずれていることになるけどと口にしながら、ヴィクトルは指折り数えている。
 ただ勇利にしてみれば、いきなり何を言っているのやらである。おかげでピンク色に染まっていた頭の中が少しだけクリアになると、訝しい表情を浮かべながら首を傾げた。
「クマの発情期が初夏っていうのは、メスの方だよ……? 僕はオスだから、メスみたいな定期的な発情期とか無いけど」
「うん、それは知ってる。でも勇利って懐蟲入れたことあるだろ? あれ入れちゃうと女性ホルモンの量が増えて体質が変わるんだって」
「えっ」
「はあっ……勇利、たまらないよ。蜂蜜みたいな甘い香りがして、すごく美味しそう。あともう一押ししたら、完全に発情しちゃうんじゃない?」
「い、いやいやいや、ちょっとそれは待って。ヴィーチャがいるし、いきなりそういうのは困るからっ」
 もちろん勇利は、今までメスの発情期になったことなど一度も無い。
 しかし発情期になると、数日にわたってそういうことに見境が無くなってしまい、大変なことになってしまうというのは……まあ勇利も成人男性なので、そういう話に興味が無いわけでは無いというか。ともかく見聞きしたことがあるのでよくよく知っている。
 そしてその情報によると、メスには定期的にその発情期が訪れ、さらにオスのフェロモンによっても、発情期はある程度誘発されるのだ。一方のオスはというと、メスの発情期の特有のフェロモンを嗅ぎ取ると、即座に発情する生き物なのである。
 つまり、今の状況はどう考えても大変不味い。
 というわけで勇利は慌ててヴィクトルの顔面を手のひらで力一杯押しのけ、距離を取った。
「と、ともかく、そういうのはちょっと待って! 確かに僕もヴィクトルのこと……す……す、す、すき、だけどっ! でも、ほら、僕たちまだ結婚とかしてないし」
「だから、早く結婚しよう?」
「い、いや。それは、僕だけの問題じゃなくて、ヴィーチャもいるし……ヴィーチャがどう思うか、まずは聞かないとだからっ!」
 必死な形相で「ねっ!」と同意を求めると、まあそれは当然そうだねと頷かれる。
 そしてそういうわけだからと強制的に話を打ち切ると、勇利はその場から一目散に逃げ出して自室に逃げ帰った。

「は~……」
 まさか、己に発情期がおとずれるとはという感じだ。予想外の展開に、部屋のドアをズルズルと伝うようにして床の上に座りこむ。
 とはいえもともとヴィクトルはスキンシップが多い方で、それに勇利も慣れていたはずだったのに。でも思えばここ数日ほどで急に過剰反応するようになってしまって、なんだかおかしいなとは思っていたのである。
 そしてその理由がこうしてはっきりすると、さもありなんという感じだ。
 何も考えずに懐蟲を使用してしまった己の軽率さに、ただただ呆れるばかりだ。しかし今さらそれを悔やんだところでどうにもならない。
「それに懐蟲を使わなければ、ヴィーチャもいないわけだしなあ……」
 となると仕方ないかと、諦めるように大きく息を吐く。そしてすでに眠っているヴィーチャの顔をしばらく見つめて。その天使のような寝顔を一撫でしてから、隣の布団に潜り込んだ。

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