アイル

叶わないと知りながら、熊は身分違いの恋をした-12

「ヴィーチャ、今日は一緒に帰ろう?」
 男の勇利が、まさかの発情期になりかけてから数日後の夕方。勇利は南の休憩時間に抜け出すと、その日のスケート教室を終えて家に帰ろうとしていたヴィーチャに声をかけた。
 ちなみにいつもは姉に迎えに来てもらっているのだが、今日はヴィーチャと話したいことがあるからと断ったのだ。
 そして久しぶりに勇利と一緒に帰れると知ったヴィーチャは、嬉しそうにうんと頷きながらすぐに手を繋いできた。
 とはいえだ。これから話す内容は、ヴィクトルとの結婚についてなので、もしかしたら彼にとっては楽しい話では無いかもしれない。
 したがって常よりも明らかに緊張しているせいで口数が少なくなってしまっていると、そんな異変にすぐに気付いたのか。下から顔を覗きこまれながら、どうしたのというように首を傾げられてしまった。
「マーマ?」
「えっと、ごめん。実は、ヴィーチャに聞きたいことがあって。その……ヴィクトルのこと、どう思う?」
「ヴィクトル……パーパ?」
「あ、うん。そうだよ。ヴィーチャじゃなくて、パーパのほう」
 咄嗟に紛らわしい聞き方をしてしまったことに気付き、こくこくと頷く。それと同時に、ちゃっかりとパーパと呼ばれるポジションにおさまっているヴィクトルの要領の良さに感心するというか。
 もともとそのポジションは自分だったのにと、ぐぬぬと唸っていると、ヴィーチャが考えるようにうーんと声を漏らした。
「パーパはね、スケートがうまくてすき」
「あはは、ヴィーチャもスケート基準かあ。そういうところは僕に似たのかな」
 思いがけず見つけたそっくりポイントに、緊張でガチガチになっていた気持ちがいくらかふわりと緩むのが分かる。
 そのまま流れるように、パーパとずっと一緒にいるのはどう思うとたずねると、ヴィーチャは楽しそうに飛び跳ねながら嬉しいよとすぐに口にした。
「マーマはね、パーパと一緒にいるとき楽しそうだから、ぼくも楽しい。それにパーパがずっと一緒にいたら、スケートいっぱい教えてもらえる」
「えっ? ヴィーチャ、パーパにスケート教えてもらってるの?」
「うん。いつもじゃないけど、マーマがみなみくんと外走ってるときとか」
「そ、そうだったのか……」
 随分と打ち解けるのが早いと思ったら。完全に外堀から埋めにこられていたことにそこでようやく気付き、目元を思わず片手で覆う。
 どうりで、最近ヴィーチャがスケートを教えてと勇利にせがんでこない訳である。
 それがちょっぴり悔しくて。今度休みの日に久しぶりにマーマがスケート教えてあげるからねと一方的に約束を押しつけると、嬉しそうにうんと頷いてくれたので少しだけ溜飲を下げた。
 それにヴィーチャにはヴィクトルの生の滑りを見せてあげたいとも思っていたので、いつの間にかそれが実現していたのは、なんだかんだといいつつ嬉しかった。



 ――そしてそれから。
 十月にはいよいよシーズンインしてグランプリシリーズが開始する。ただしヴィクトルと勇利は互いにコーチという身の上なので、すぐに結婚という訳にはいかない。
 したがって夏の合宿を終えると、ヴィクトルはひとまずロシアに戻って行った。
 しかし案の定というべきか。彼は合宿終了予定日の数日前から帰りたくないと騒ぎだし、最終的にはユリオに引きずられるような格好でロシアまで帰っていった。
 そんな調子だったので、ロシアと日本で離れている間は、よほどのことが無い限り、勇利に毎晩のように映像付きの通話をかけてきていたのは言うまでもないだろう。

 そんなこんなで年が明けてシーズンオフとなった四月。
 勇利とヴィクトルは、ユリオや南、それに西郡家族などの親しい人間を招き、日本でささやかな結婚式を挙げる。そしてそこで籍を入れ、ようやく正式な夫婦となったのであった。

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