アイル

さよなら運命の人-3(R18)

「勇利~! ええと、『あけまして、おめでとうございます』。それと全日本優勝おめでとう!」
「へっ! あ、ありがとう。あけましておめでとうございます……――じゃなくてっ! なんでヴィクトルが日本の僕の実家にっ!?」
「だって、新年なのに家に一人きりなんて寂しいじゃないか」
「それはそうかもしれないけど。でもだからって、わざわざロシアから日本まで年明け早々来る!?」
 そもそもヴィクトルは、ほんの数日前までロシアナショナルでユリオと大接戦を繰り広げていたのだ。そして最後は年長者の貫禄でその大会を再び制し、その偉業に世界中が湧き上がっていた。
 もちろんメディアの取材も、ひっきりなしに彼の元へ来ていたに違いない。
 だから今年の年越しは別々なんだろうなと思っていたのにと呟くように口にすると、目の前の男はやれやれといった様子で額に手を添えながら首を振っている。そしてまたそうやって勝手に自己完結をしてと口にした。
「去年だって一緒に年越しをしたんだから、当然今年も一緒に決まっているじゃないか。
 それとも、勇利は俺と一緒に過ごすのは嫌だった?」
「そっ、そんなことあるはず無いよ! ただほら、ヴィクトルの方が僕より取材とかで大変そうだし……だから、言ってくれれば僕がロシアまで行ったのにって」
「それも魅力的な申し出ではあるけど。でもそうしたら、勇利が家族と年明けを過ごせなくなるじゃないか」
「ヴィクトル……っ!」
 なんて優しいのだと、勇利は思わず感極まってヴィクトルの顔を見上げる。
 するとそんなどこか茶番染みたおかしな空気を突き崩すかのように、ヴィクトルの背後の出入り口の扉がガラガラと無粋な音を立てながら開かれて。その隙間からほうきとちりとりを手にした真利が真顔で顔を出したのをきっかけに勇利はハッと正気に戻ると、その場にピシリと固まった。
「勇利。ヴィクトルと積もる話があるなら、自分の部屋でやって。正月の準備で、ここは人の出入り激しいから。それとヴィクトル、久しぶり。ロシアナショナル優勝おめでと」
「Oh~! 真利、あけましておめでとうございます! あと、おめでとう、ありがとうございまーす!」
「あれ? 日本語のそんな挨拶まで知ってるんだ。 あけましておめでとうございます」
 ヴィクトルは毎度の調子で真利と話している。しかし勇利の方は家族の前で感情を露わにすることがあまり無いので、いたたまれない……というか、ヴィクトルのことがものすごく好きという気持ちがはみ出ていたような気がするので気まずいというのが本音だ。
 姉の真利は多弁ではないので勘違いされがちだが、案外周りのことをよく見ている。そして後になってそんなことまで気付いていたのかと、勇利も驚かされることが多い。
 しかしまさかここで、もしかしてヴィクトルのことが好きだって気付いた? なんて聞けるはずもないだろう。
 となると、やはりロシアで新年を越すのが正解だったのではないかと考えるものの、今さらどうしようもない。
 したがって結局何事も無かったように家事を手伝うと口にすることで、この微妙な心境と空気を流すことしか勇利には出来なかった。



「そういえば。さっき母さんから、今日はあんたたちどっちのお風呂に入る予定なのか聞いておいてって言われたんだんだけど、どうする?」
「えっ? でも今日、お店お休みなのに」
「さっき張り切って洗ってたよ」
 そう言われたのは、ヴィクトルがやって来てから数時間後のこと。夕食の食器類を片付け終え、居間に置いてあるこたつに潜り込んでのんびりと正月番組を眺めていた時のことだった。
 ちなみにさすがに今日は正月なので、温泉の営業はしていない。だからヴィクトルには母屋にある家庭用の風呂を今日は使ってもらおうかなとぼんやりと考えていたのだが。
 それがまさかの展開に、驚くのと同時に正月早々悪いことをしてしまったなと頬を掻いた。
 ヴィクトルは勇利の実家にいる時は毎回喜んで屋外に設置されている露天風呂に浸かっていたので、母が気を使ってくれたのだろう。
「なんか悪いことしちゃったな……でもそう言ってくれるなら、せっかくだし、温泉の方に入ろうかな。ヴィクトルも元気そうにしてるけど、長時間飛行機に乗ってて疲れてるだろうし」
「そうしなよ。入るのはどうせ二人だけだし、出るときに軽く掃除して、明日も入ったら?」
「うん、そうする」
「――なになに、勇利。何の話をしてるの?」
 ちなみにヴィクトルは、毎度のごとく食後の酒を取りに行っていたので居間から一時的に席を外していたのだが。唐突に廊下の方から顔を出すと、勇利の目の前に腰掛けながら早速会話に入ってきたのにお帰りと声をかけた。
「母さんが露天風呂に入れるようにしてくれたみたいだから、後でヴィクトルと入るって話をしてたんだよ」
「うん? でも、今日は一月一日だから温泉の方はお休みなんじゃないのかい?」
「一応そうなんだけどね。ヴィクトルがこの家に来るのも久しぶりだし、嬉しいのかも」
 まあそんなわけだから良ければ露天風呂に入ってよと誘いの言葉をかけると、ヴィクトルは嬉々とした表情を浮かべながら頷いてみせる。それから後でまたマーマにお礼を言わないとなあと口にしながら、テーブルの上に両手に持っていた茶色い瓶と、見慣れぬ白色の小さめの瓶を乗せた。
「二本も持ってくるなんて珍しいね。もらったの?」
「うん。勇利のマーマがくれたんだよ。日本ではお正月にこれを飲むんだって。もし甘すぎたら、焼酎と割ってもおいしいって教えてくれたんだ。せっかくのお正月だし、勇利も一緒に飲もうよ」
「お酒かあ……でもカロリー高いしなあ」
 何より酔っぱらって余計なことを口走りそうなのが、今は一番怖い。
 したがってシーズン中だし止めておくとそれらしい理由を口にしながら遠慮したのだが。それを聞いたヴィクトルはというと、せっかくのお正月なのに一人酒なんてつまらないという表情をありありと浮かべているのである。
「あのね……一応言っておくけど。僕、太りやすいって言ったよね。しかもこれから世界選手権だってあるんだから、この体系を維持しないとなんだよ」
「だから勇利は一杯だけ。オーバーカロリー分は、明日の夕食から差し引く」
「そうなると、貴重なご飯一杯と引き替えになりそうだから、やっぱり止めておく」
 というわけで、改めて断りの言葉をはっきりと口にすると、それを聞いたヴィクトルがノリが悪いとブーブー文句を言っていたが、右から左へと流した。
 まあ実際のところは、酒一杯くらいならほとんど問題無いだろう。ただこれまでにバンケットの席で付き合いで一杯だけ飲むつもりが、気付いた時には翌朝になっており、さらには何故かホテルのベッドの上に服を脱いだ格好で寝転がっていたということを何度も経験しているのだ。
 加えて今日は元日なので、この時期独特の普段よりもやや浮かれた空気に流されてしまい、酒が過ぎてしまう予感しかない。
 という言い訳を脳内で呟きながらヴィクトルの誘いを断ってしまった罪悪感を誤魔化しつつ、テーブルの上に置かれた白色の瓶を取り上げてみる。するとそのラベルには、洒落た字体で甘酒と書いてあったのに思わず懐かしいなあと呟いた。
「勇利、このお酒飲んだことあるの?」
「うん、あるよ。甘酒っていうお酒なんだけど、神社にお参りに行った帰りによく屋台で買ってもらってた。最近はご無沙汰だけど、小学生くらいの頃はよく飲んでたなあ」
「え? でもこれ『甘酒』って名前だし、アルコールが入っているんだよね。小学生なのに飲んでも大丈夫なの?」
「名前に酒って入ってるけど、実際にはアルコール分がほとんど入ってないから、小さい子でもジュース感覚で飲めるんだったと思う。まあ体質にもよるのかもしれないけどね。少なくとも僕は何ともなかったよ」
「へえ。勇利って量はそこそこ飲めるけど、すぐ酔っぱらうイメージがあるから意外だ。小さい時はそういうの大丈夫だったの?」
「はは、ひどいなあ――あ、ごめん」
 さすがに甘酒程度では酔わないよと、笑いながら口にしようとしたのだが。その拍子に恐らくはヴィクトルのものと思われる足に、膝部分がぶつかってしまったのに謝罪の言葉を口にする。
 しかしそれに対してヴィクトルは何も答えず、目を細めて勇利の顔を見つめながら、口元に緩やかな笑みを浮かべたのに内心首を傾げた。
「……ん?」
 黙っているのでもしかして怒っているのかと一瞬思ったが、恐らくそうではない。そうではなくて、この表情は――
(僕が発情期になりかけた時にしてた顔だ)
 一瞬怒っているように見えたのは、フェロモンに流されかけている内なる衝動を押さえこんでいるせいで、表情筋がやや強ばっているせいだろう。
 ただ勇利自身では発情している感覚は全く無い。
 というかヴィクトルの顔を見たのをきっかけに、彼に以前耳付きは定期的に抑制剤を飲んだほうが良いと言われていたのを思い出し、それなら折角購入したことだしと、薬を飲んだばかりなのである。
 だから彼がどうしてそんなことになっているのかさっぱり訳が分からず、正直リアクションに困ってしまう。
「えっと、」
 数日前のように、自分は発情期になっているのかと直接訊ねることが出来れば一番良いのだろうが、今は同じ空間の中に真利もいるのでさすがにそれは気が引ける。
 まあ家族だし、最悪聞かれても構わないのだが。ただ異性の姉弟なので、そういう繊細な話題は出来れば聞かれたくないというのが本音だ。
 そこで真利の様子を伺うべく横の方へそろそろと視線を向けると、彼女はテレビにかじりつきながら毎年恒例の音楽番組に見入っている様子である。自作のうちわを夢中で振っているところをみると、恐らくは応援しているアイドルグループがちょうど出演しているところなのだろう。
 しかしそこで再び膝にヴィクトルの足先が触れたのをきっかけに、先ほどぶつかったのも偶然ではなく故意なのだとようやく理解し、抗議の言葉を口にしようと唇を開く。
 しかしその言葉を口にする前に、膝に触れられたままになっていたヴィクトルの足先が、内股を伝って足の付け根まで這わされる感触に頭上の耳と尻尾の毛をブワリと逆立て、ピンと背中を伸ばした。
「――それで、勇利は小さい時に甘酒で酔ったことはあるの?」
「ッ、ちょ、」
 テレビの方へ顔が向いているとはいえ、斜め横に姉がいるというのに、一体何を考えているのだという感じだ。口先ではそれらしいことを言っているが、足の動きはただただ悪趣味という一言に尽きる。
 ここは日本で、まさかそういうことはしないだろうという安心感もあって完全に気を抜いていたところだったのもあり、驚いたなんてものではない。
 そしてそれをきっかけに、ほんの数日前に添い寝ついでにセックスの一歩手前のようなことをしてしまい、その挙げ句に発情しかけたのを思い出して頬をカーッと染めた。
 でも今は、そうやって呑気に恥ずかしがっている場合ではない。
 したがって慌てて両手をこたつの中に慌てて突っ込み、その動きを止めようと奮闘したものの、今なお世界のトップに君臨するフィギュアスケーターの足に、腕ごときが対抗出来るはずもなく。
 結局呆気ないほど簡単に股間部分に触れられるのを許してしまうと、空気を読まずに常よりもやや膨らんでしまっているそこの感触を確認するかのように、足の指先でフニフニと撫でられる。
 そしてそのもどかしい感触に思わず腰をゆさりと揺らしてしまい、それと同時に陰茎の先端から先走りがドロリと溢れ出る感覚に、不味いと思った時にはもう遅い。
「――っ、う」
 咄嗟に喉にグッと力をこめることで、妙な声が漏れそうになるのは何とかこらえるものの、先走りに関しては意志の力でその流れを止めることなど出来るはずもなく。右手で下腹部あたりにたまっていたジャージを握りしめ、さらに左手はこたつの天板の上に付いて上体を折り曲げる。
 そして次から次へとトロトロと溢れてくる先走りの流れを感じながら、もう勘弁してくれとヴィクトルのことを必死に見上げる。すると彼は優し気な表情を浮かべており、ゆっくりと手を伸ばされたのに胸の内にほわりと暖かい物が広がったのも束の間。その手の指先は、左手の甲を思わせぶりにスリスリと何度も擦ってくるのだ。
 言葉にすると本当にただそれだけのことなので、普段であればそれに対して何も感じることは無かったかもしれない。しかし彼は勇利と目が合うと唇の弧の形をさらに深め、足の裏全体を陰茎にグーッと押し当ててくるのである。
 それはまるで、勇利がそうして焦っている様子を見て楽しんでいるようにも見える。
「く、そ……っ」
「こーら、勇利。言葉遣いが悪いぞ」
 しかしこれに答えてしまったら、また彼のペースから抜け出せなくなるぞと己に言い聞かせ、その衝動をなんとかこらえる。ともかく今は、涼しい顔をしながらいまだにちょっかいを出してきている足から逃げるのが最重要課題だ。
 というわけで身体を大げさなほどに後方に引き、その長い足からなんとか逃げ出す。
 それから万が一の追撃にも備えてよたよたと立ち上がりつつさりげなく下肢に目を向けると、幸いにして緩めのジャージを着ていたので、思ったよりも前部分が目立たないのに大きく胸を撫で下ろした。
「真利姉ちゃん。今日はちょっと、もう部屋に戻るから」
「りょうかーい。――って、ヴィクトル、お酒まだ全然飲んでないのにもう上に行くの? 飲まないなら、冷蔵庫に入れておくけど」
「じゃあお願いしてもいいかな」
「……はあ」
 もしかしたら、こうなるかもしれないとは思っていたが、案の定ヴィクトルも勝手に付いて来る気満々らしいのに、思いきりげんなりとした表情を浮かべる。
 そしてそれはヴィクトルも間違いなく気付いているはずなのだが、彼はそんなのどこ吹く風といった様子で真利にありがとうと答えていて。そのメンタルの強さにはただただ関心を覚える。
 しかしよくよく考えてみると、二人の会話が終わるまで律儀に待っている必要は全く無いのだ。ということにそこで気付くと、やや前屈みになりながらそそくさとその場から立ち去ろうとしたのだが。
「ゆーうーり。どうせ行き先は同じ二階なんだから、一緒に戻ろうよ」
「うぐっ」
 ヴィクトルの横を通り過ぎようとしたところで、伸びてきた手によって手首をつかまえられてしまったせいでそれは叶わず。結局は半ば引きずられるような格好でその場を後にし、挙げ句の果てには何故か彼の部屋の中へ連れ込まれてしまうのであった。

 ヴィクトルがコーチになってもらって二年目のシーズンに入ってからは、周知の通り、練習拠点を日本からロシアに移動している。だからヴィクトルが自室として利用していた実家の宴会場に置かれていた彼の荷物類も、一時はロシアに返送するという話になっていた。
 しかしその話の矢先に、アイスキャッスルで開催されるアイスショーに参加して欲しいという話を受けて。それなら勇利とコーチ契約を結んでいる間は、荷物をそのままにしておいてくれて構わないからと父が申し出てくれたおかげで、二回の元宴会場は一年前のまま全く変わっていない。
 つまりヴィクトルがこうして勇利の実家にやって来る時には、とりあえずいくらかのお金とパスポートさえ持っていればあとは何とかなるせいか。彼は暇さえあれば、今回のように気軽に日本にやって来ては、我が家のように振る舞っている。
 まあそれ自体は、心の奥底に秘めている恋心とファン心理的にはとても嬉しいんだけどと、勇利は以前と変わらず部屋の中央に鎮座している大きなベッドに腰掛けながら、やや現実逃避気味に考えた。
 ただし実家でまで、ロシアにいる時の延長のように好き放題ちょっかいを出されるのは本当にご勘弁願いたい。
 そこで横に座っているヴィクトルの様子をチラリと伺うと、彼はすぐにそれに気付いたのか。勇利の方へ手を伸ばして顎下をくすぐろうとしてきたので、上体を引いてそれを避けた。
「うん? なんで逃げる」
「あのね、ここは実家で家族の目もあるんだから。特にさっきみたいなのは不味いって、普通に考えたら分かるよね」
「だってせっかくのお正月だよ? お酒飲んだ方が絶対楽しいのに、即答で断るからつまらなくて。でもね、あそこまでやるつもりが無かったのは本当だよ。ただ勇利が一生懸命声を我慢している顔を見ていたら、ゾクゾクしてきて……気付いた時には、止まらなくなってたんだ」
「……ヴィクトル?」
 一階の居間を出る時点で、ヴィクトルからはそれまでの内なる衝動を押さえ込むような雰囲気は消えているように感じられた。だからこそ勇利はこの部屋に残り、ああいったことは止めて欲しいと言ったのだ。
 それが先ほどのことを思い返すように言葉を重ねるうちに、再びその表情がどこか熱を帯びたものへと変化していっているような気がするのは、恐らく気のせいではないだろう。
 したがって思わずその名を呼ぶものの、いつものような返答は無く。その代わりに再び手が伸びてきて顎下を思わせぶりに撫でられたが、何故か今度はその手から逃れることが出来なかった。
「は……っ、ぁ」
 特に顎の裏側の柔らかい箇所を指の腹で揉むようにされると、たまらない。その箇所を教えるようにいつの間にかベッドの上に乗って四つん這いの格好になり、媚びるように尻を高く持ち上げてしまう。
 もしも今尻尾がズボンの中から出ていたら、間違いなく大きく反り上げ、尻の孔を晒す恥ずかしい格好をしていたに違いない。
 しかしそのおかげで尻尾に走った窮屈な感覚に我に返ると、数日前と似たような状況になりつつある現状に冷や汗をダラダラと垂らした。
「……――えっ、あっ!?  まっ、またヴィクトル、こんなことして! だから顎は嫌だって何回も言ってるのに……ともかく、もう夜も遅いし、自分の部屋に戻るから」
「ひどいなあ、勇利は。この状況でそれを言う?」
 腰に手を這わされた直後にグイと引き寄せられ、強制的に彼の膝の上に座る格好にさせられてしまう。
 それだけでも有り得ないのに。さらには腰を擦り寄せるようにしながら服越しに互いの陰茎同士を擦り合わせられたのに、大げさなほどに身体を跳ね上げさせる。
「ふふ。勇利からエッチな音がするね。ここ、そんなに気持ち良いの?」
「ちょっ、それ、だめだってぇ……っふ、ん、んんっ……ぅ、あっ」
 両手で腰を固定された状態でグリグリと円を描くように動かされると、ヴィクトルの言う通り。恐らくは先ほど下着の中に漏らしてしまった先走りが、ヌチュ、グチュと卑猥な音を断続的に立てだしたのに、これは不味いと慌てて両手を突っぱねて離れようとする。
 しかしそうはさせまいというように腰を掴んでいた手に力をこめられ、気付いた時には互いの熱と硬さをはっきりと感じ取れるほどに陰部を密着させられてしまう。そしてその状態でグッグッと押し潰すように腰を動かされると、もう駄目だ。
「ふ、ぐっ、それぇ……、」
「ん? きもちいい?」
「うっ、ううっ……いい、よぉ……っ!」
 顔を覗きこまれながら鼻先を擦り合わせられ、ここかなと呟きながら敏感な亀頭付近をグーッと強く圧迫されると、頭の中で何かの糸がブツリと切れるような音がする。そしてその直後から、馬鹿みたいに感じたことをそのまま言葉にしてしまう。
 でも今は、羞恥心よりも目の前の快楽だ。
 大量の先走りが、先端の小さな孔からプチュと粘着質な音を響かせながら溢れ出る感覚にもひどく性感を煽られ、ブルブルと腰が震えるのが止まらない。
 恐らく、頂点はもうすぐだ。
 それを本能的に感じ取り、早く早くと先を催促するように背中を緩くのけぞらせながら、自分自身でも腰をゆるゆると前後に動かして陰茎を押しつけるようにすると、さらに不規則な刺激が生まれてそれもまたたまらなく気持ち良い。
 そしていつの間にかズボンの中からはみ出させてしまった尻尾をヴィクトルの腕に絡み付かせていると、心得た様子でその根元に指先を這わされて。そこを揉むようにされるだけで途端に広がる甘い熱の感覚に、思わずヴィクトルの両肩に手を乗せながら尻尾を大きく持ち上げてしまう。
 そしてついにヴィクトルの前で尻の孔を丸出しにする、所謂雌猫が雄猫に交尾を求める際のみっともない格好を取ってしまうのであった。
「あーあ、勇利。そんな格好、俺の前でしちゃっていいの? 最初に耳は落とさないって約束したから、そのつもりだったけど。勇利がそんな風に誘ってくれるなら、俺も遠慮しないよ?」
「は、ううっ……ふ、え?」
 そこで勇利は後頭部を軽く撫でられたのをきっかけにようやく意識を浮上させると、自分の置かれている状況をすぐには理解出来ずにそのままの格好で何度か目を瞬かせる。
 それから下肢の濡れた感覚におずおずと視線を下に向け――するとヴィクトルと自身の陰部が押し付け合ってるせいで少しだけ歪な形になっているそこがまず目に入り、それだけでもなかなかの破壊力がある光景なのに。さらに自身の着ていた灰色のジャージの前部分が、大量の先走りを漏らしたせいでほぼ黒色に変化しているのに気付くと、それまで霞みがかったようになっていた頭の中が急激に晴れていくのを感じる。
 そしてそこでようやく自分がとんでもなく恥ずかしい格好を取っていたことに気付くと、慌ててヴィクトルの胸元を押して距離を取った。
「こっ、これは、その……っ!」
「っと……残念。勇利、正気に戻っちゃったの?」
「うぐっ……まあ、はい。なんか、迷惑かけちゃってごめんなさい」
「俺としては役得だし、こういうのならいつでも歓迎だけどね」
 そこで腰に添えられていた手がスーッと下りていき、思わせぶりに尻尾の根元を指の腹で軽く押されたのに、勇利は尻尾をブワリと大きく膨らませる。
 そしてこれ以上はさすがにたまらないと急いで膝の上からベッドへ四つん這いの格好で飛び退る。それからヴィクトルの様子を横目で何度も伺いつつ、尻尾をズボンの奥深くまで押し込み、ズボンをしっかりと上げた。
「はは。そんなに警戒しなくても、もう変なことはしないから」
「うう」
 またもやヴィクトルに顎下を撫でるのを許してしまったばかりに、こんなおかしな空気になってしまうとは。
 ということを思い出しながら、そういえばこの間も泣き所を撫でられて骨抜きにされてからのそういう流れだったよなと脳内で呟いた。
 そりゃあ本音を言えば、ヴィクトルにこうして構われるのは、何だかんだと文句を言いつつ気分は悪くない。というか、嬉しい。
 しかしその延長で仮に彼と一時的にそういう関係を持てたとしても、彼と同じ痣を持つ相手が目の前に現れたら、勇利は呆気なく忘れ去られてしまうのだ。
 とはいえ実際のところ、その噂がどれほど信憑性があるものなのかは分からないのだが。ただスケート以外のことには基本興味の薄いヴィクトルが、わざわざそのことについて熱心に調べていることがその答えに思えた。
 つまりこうしてヴィクトルにのめり込めばのめり込むほど、後で痛い目を見るのは勇利自身なのだ。
 そこで普段は指輪の下に隠れているせいで見えない痣の存在を思い出しながら、ここ最近その存在を忘れがちで駄目だなと呟きながら、再びしっかりと脳裏に焼き付けた。
「まあさ、僕も堪え性が無いせいで流されてる部分があるから、悪いとは思うけど。もうこういうのは止めにしようよ。っていうか家族の前では絶対に止めて欲しい」
「ひどいなあ。こんなに良い香りをさせながら、そんなことを言うんだから」
「香りって、発情期の?」
 そこでまさかと思いながら訊ね返すと、彼は相変わらず勇利は分からないんだとクスクスと笑いながら頷いている。
 でもそれはおかしいのだ。だって彼がこの家にやって来た時点で、抑制剤を飲んでいるのだから。
 そしてそんな混乱した気持ちが表情に思いきり出ていたのか。顔を覗きこみながらどうしたのと訊ねられたのにはっとすると、口元を手の平で覆いながらもごもごと言い淀んだ。
「いや……香りがするの、どうしてだろうって思って」
「あれ? ってことは、抑制剤でコントロールして、ってわけではないの?」
「あ、うん。ちょっと前に、危ない感じだったから念のために飲んだだけというか……って言うか、実は今日しか飲んでないんだけど」
 そこで怒られるかなと思いながらヴィクトルの様子を伺うものの、怒るどころかそれは残念と不穏な言葉を呟いているのが聞こえてくる。
 それに思わず顔を上げて何を言っているのだと真顔になると、頭をポンポンと軽く叩かれる。それから取って付けたように、ちゃんと薬は飲まないと駄目だぞと言われて誤魔化された。
「今日一日しか薬を飲んでいないのなら、残り香みたいのかもしれないね。実際、前より香りは弱い感じだったし。でも定期的にちゃんと飲むようにすれば、かなり抑えられると思うよ。俺はここのところちょっとご無沙汰だったから、うっかり反応しちゃったけど」
「はあ、そうなの」
 別に僕のことなんて気にしないで好きにしてくれて良いのにとぼそりと呟くと、冷たいなあと軽く笑われる。
 しかしそもそも勇利にとっては、恋人でも無い相手とこんな爛れた関係を持つこと自体、絶対に有り得ないことなのだ。――とはいえかれこれ一年もの間に三度も流されかけている現状では、あまり説得力は無いかもしれないが。
 でも抑制剤も無事に購入したし、これからきっちり定期的に飲むようにすれば、大丈夫だろうとこっそりと握り拳を右手で握っていると、唐突にその手を取られる。
 それにどうしたのだろうと顔を上げると、ヴィクトルがそれはもう惚れ惚れするような笑みを浮かべていたのに、思わず今自分の置かれている状況も忘れて見惚れてしまった。
「それとも……もしかして勇利が俺の運命の相手だったりして」
 そう口にしたヴィクトルは、自分自身と勇利の右手から例の指輪を抜き取ると、お互いの指同士を一本一本絡めながら重ね合わせてくる。そして二人の指輪のはめられていた箇所には、揃いの薄桃色の円環状の痕があった。
 その痕をそうして目の前に晒された瞬間、その指輪にひっそりと抱いていた下心まで見透かされたように感じ、猛烈な羞恥心と焦燥感がこみ上げてくる。それに慌てて右手を振り払いながら、左手でその場所を覆い隠した。
 運命の相手じゃないと分かっているくせに。リップサービスでそんな言葉を気軽に口にするヴィクトルは、ひどく残酷だ。
 そして一生懸命覆っている仮面を無遠慮にベリベリと剥がされていくような感覚にひどく動揺を覚え、気付いた時には衝動のままに思ったことをそのまま口にしてしまっていた。
「――っ、だから、そういうの止めてってさっきから言ってるじゃないか。最近のヴィクトル、ちょっとおかしいよ。気付けばそういうことばっかりじゃないか」
「そういうことって?」
「だから添い寝とか、あとこの間とか今日みたいに……その、変なことしてきたりとか」
「このくらい、よくあることだと思うけどな」
「へえ、そうなんだ。じゃあヴィクトルは誰彼かまわずそういうことをするんだ」
 それに対するヴィクトルの返答が無いのにふと顔を上げると、彼は驚いたような表情を浮かべながら勇利のことを見つめている。
 そこでようやくここは笑って流すところだったのだと気付いたが、もう遅い。それと同時にそれまで身体の内に渦巻いていた激情のような衝動が、一気に萎むのを感じた。
「勇利は、そんなに迷惑だった?」
「あーっと……迷惑っていうか。なんか、いきなり変な事言っちゃってごめん。別にヴィクトルの恋人でも何でも無いのに。つまりこれって、あれだよね。その……いわゆる、遊び的な。いや、うん。そうだって頭では分かってはいたんだけど、こういうのに慣れないっていうか、そういう柄じゃないから戸惑うっていうか」
 理性がうだうだと言い訳をしていないで、今がはっきり迷惑だと言うチャンスだと頭の片隅で騒いでいる。
 でもヴィクトルのまとっている雰囲気が普段と明らかに異なり、戸惑っているように見えるせいか。ここではっきりと彼の言葉を否定してしまったら、今の関係性が変わってしまいそうな気がしてどうしてもそれを口にすることが出来ない。
 そして結局言い訳に終始してそのまま顔を下に俯けると、ヴィクトルが珍しく小さくため息を吐く音がしたのに、ビクリと肩を揺らした。
「あっ、そうだ。そろそろ温泉に行く? あんまり遅くなっても、面倒になっちゃうし」
「待たせても悪いし、先に入ってくれて構わないよ。俺は、後でゆっくり入らせてもらうから」
「あっ、そっか」
 表上は何でもない風を装いながら、確かに長旅で疲れてるからもう少し休んでからのほうがいいよねとそれらしい理由を勝手に想像して口にする。
 でも実際内心では焦りまくっていたのは言うまでもなく。それから一言二言どうでも良い話題を口にしてヴィクトルが何を考えているのか探ろうとする。
 しかしかえってその場の空気が白けたような気がしたのに、勇利もついに完全に口を閉ざした。
「じゃあ……僕、先に温泉行ってるから」
「うん」
 ベッドの上に置かれていた自身の指輪を拾い上げつつそう口にしたのは、最後の悪足掻きのようなものである。だがそれに対して返ってきたのはやはり生返事のみであった。

 その後勇利は、普段よりも明らかにもたもたとしながら温泉に向かう。そして一人寂しく湯船に浸かりながら、辺り一面に響きわたるような大きなため息を吐いた。
「はあ……ほんと、何やってんだか」
 結局決心が付かずに優柔不断な態度を取っていた結果、ヴィクトルとの信頼関係のようなものまで失ってしまったような気がする。この後どんな顔をしてヴィクトルに会えば良いのやらだ。
「やっぱり、はっきりノーって言えば良かったのかなあ……」
 何が彼の心の琴線に引っかかったのかはよく分からないが、先ほどの雰囲気は彼にしては珍しく真面目なものであったのは確かだ。
 だからきっとあの時はっきりと主張していたら、彼との身体の関係はきっぱりと終わっていただろう。それでその後もこうして変な尾を引きずることも無かったような気がする。
 とはいえだ。普段はあまり考えないようにはしているものの、未だヴィクトルへの恋心は膨らむ一方で。そんな恋心から生まれる欲張りな感情が、ふと顔を覗かせた結果が今回のこのどっちつかずな状況でもあるのだ。
 となるといずれにせよ、こうなる運命を辿った気もする。
「ていうかもう終わったことだし、いくら考えても仕方ないんだけど」
 そこで湯の中から右手を出して未だ未練がましくはめたままの指輪に目をやると、月明かりに反射して鈍い光を放っている。
 それは美しい光景だったが、その一方で自身の執着を体現したものであるということも、勇利自身が一番よく知っている。
 そのせいか、今の勇利には酷く醜いものに思えた。

 ちなみにその後ヴィクトルが勇利のことを追って温泉までやって来ることは無く、それはまるで二人の関係が表面上だけのものであることを表しているかのようだった。

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