アイル

さよなら運命の人-4

 正月明けの四日。勇利とヴィクトルの二人は飛行機でロシアへと戻った。そしていつものようにリンクでの練習を再開し、数日ほど経過したある日のこと。
 勇利はヴィクトルからの接触が明らかに減っていることにはっきりと気付くと、やっぱりこうなったかと肩を落とした。
 そして練習を終えて居候させてもらっているヴィクトルの家へ戻り、夕食に風呂も終えて自室に引き下がったところで、あーあと力の無い声を上げながらベッドの上に無造作に転がった。
「でもまあ……あの時のヴィクトル、明らかにいつもと違う感じだったし」
 それを思うと、むしろ即座に避けられていると分かるようなあからさまな反応をされなかっただけ優しいだろう。
 とはいえ日本に滞在している最中は、ちょうどシーズン真っ只中での帰省ということもあってか。入れ替わり立ち代わり色々な人に会って挨拶をし、その合間にメディアの取材も入っていた。そして当然必要最低限の日々のトレーニングも行っていたので、改めて考えてみると普段以上にバタバタしていたのも確かなのである。
 だから気付いていなかった……というかそうして忙しくすることで気を紛らわせ、あえて気付かないフリをしていた部分もあるかもしれない。
 あとは勇利の方があの日の一件を意識しすぎてギクシャクとしていたので、彼からの接触が減っていることに気付かなかったというのもあるだろう。
 しかしこうしていつもの日常生活を再開すると、以前との違いがはっきりと分かる。例えば添い寝の要求が一切無くなったし、それ以外にも意味も無くくっ付いてくることも無くなった。つまりはスキンシップ系のコミュニケーションが一切無くなったというわけだ。
 とはいえもともとヴィクトルのスキンシップは、日本人の勇利にとっては少々過ぎたところがあったのだ。だから今の状況は過去の自分が望んでいた通りのもので、だから快適なはずなのに。
 いざその状況になってみるとどことなく物足りなさを感じるのに、いつの間にか自然にそれを受け入れていたのだとそこで初めて気付く。
 でも今は彼との間に溝のようなものがあって、それを思うと苦いものがこみ上げてきて胸がキュッと締め付けられる。
 ただしこれは全て自分の蒔いた種でもあるので、そんな風に感じている自分も身勝手で嫌いだった。


■ ■ ■


 そんなこんなで。ヴィクトルとの関係がギクシャクとしていることに気付いてしまった日を境に、勇利はヴィクトルのことをボーッと目で追うことが多くなってしまった。
 そして勇利のそんな態度と、あからさまに二人のスキンシップと会話が減ってしまったせいか。ユリオにまでヴィクトルと上手くいっていないことがバレてしまい、いい年してガキみたいにケンカしてんのかよと、鼻で笑いながら突っ込みを入れられる始末である。
 そのことを自室で寝る前に思い返すと、勇利は力無くため息を吐いてそうは言われてもなあと小声でぼやいた。
 そもそもこんな風になってしまったのは、勇利がヴィクトルのことを好きになってしまったばかりに、彼からのそういうちょっかい――良心的に表現すれば、スキンシップとも言えるかもしれないが、ともかくそういうことを全拒否するようなことを口走ってしまったことに端を発する。
「これを仲直りするのって、つまり僕がヴィクトルの添い寝とかを受け入れるってことか……? でも、それはちょっとなあ」
 当然ヴィクトルへの恋心が失せた訳では無い。だからその場しのぎで以前通りにと申し出たところで、どうせまた勇利自身が自爆するのは目に見えているし、何よりそんな考え自体、自意識過剰っぽい感じがしてちょっと嫌だ。
 というか、ヴィクトルだって今さらそんなことを言われても困るだけだろう。
 それにどうしたものかなあと考えを巡らせ、しかし何だか身体全体が熱っぽい感覚が気になってしまうせいで考えがまとまらないのにはあと息を吐きながら、丸めていた背中を伸ばす。
 そして脇に放り投げていたリュックの中から抑制剤の入ったピルケースを掴み取ると、その中から錠剤を一粒取り出して口の中に放り込んだ。
「なんかお正月から熱っぽい感じが抜けないの、何でだろう」
 ほぼ間違いなく、これは発情期の前兆で間違いない。
 ただ過去二回は、抑制剤を一度飲めばすぐに元通りになっていたのに。今回はお正月以降きちんと薬を飲んでいるにも関わらず、熱がなかなか引かないのが少々不安だ。
 そこでふと、離れていくヴィクトルを引き留めようとしているみたいだなと考え――しかしすぐに首を振ると、何を未練がましく今さらこんなことを考えているのだと再びため息を吐く。そして布団の中に頭まですっぽりと潜り込んで完全に一人きりの状況を作り出すと、己を守るように両手で上体を抱きしめながら丸くなった。
「これ、不味いよな」
 とはいえこの年齢で発情期を一度も経験したことが無いのに少なからずコンプレックスを抱いてもいたので、自分にもようやくその時期がきたのかという安堵感のようなものも少なからずある。
 ただここ最近一気にヴィクトルからそういうことを教え込まれたせいで、十代のまま止まっていた色々な知識やら身体の成長を急激に促されたせいか。頭の方がそれについていけず、少なからず戸惑いを感じているのもまた事実なのだ。
 それにヴィクトルに手を出されて発情期になりかけた時に、毎回自分で自分の身体が制御出来なくなっていることを思い出すと、本格的な発情期になってしまったら、一体どうなってしまうのだろうという恐怖感もある。
 というわけでいざ発情状態を迎えそうな段階になった年明け以降からは、以前の適当ぶりとは一転して真面目に薬を飲んでいるというわけだ。
「それに、現実問題としてこの後に世界選手権があるんだよな」
 だから今は発情期なんてものになって、練習時間を潰している暇なんて無い。
 もっと言ってしまうと、ヴィクトルの現役復帰と引き換えに五連覇を約束してもいるので、本来はこうして恋愛事うつつを抜かしている余裕だって無いのである。
 そのことを思い出すと、決意を固めるように勢いよく布団の中から顔を出し、大きく息を吐きながら目をゆっくりと閉じた。

 ヴィクトルが未だにそのことを望んでいてくれているか。そしてそのこと覚えているかは定かではない。
 でもやっぱり男なら、好きな人との約束を守りたいし、叶えたかった。

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