アイル

さよなら運命の人-5

 ヴィクトルとの関係がぎくしゃくとしたものになって以降、勇利はそれから目を背けるために毎度のごとく練習に没頭する。そしてそうこうしている間に二月に突入し、気付くと三月になっていた。

 そんなこんなで世界選手権直前の追い込み練習中の三月初旬の午後。勇利はいつものようにヴィクトルが練習している時間に、リンクサイドのベンチで休憩を取る。
 そしてやっぱりヴィクトルのスケーティングは綺麗だなあと考えながら、彼の練習風景を食い入るように見つめていた時のことだ。
 突然誰かが真横にドカリと腰掛けてきたのにチラリと視線を向けると、そこにユリオの姿があったのに目を瞬かせた。
「あれ? 何か用?」
「単に休憩しているだけだよ」
 というわりには、周辺の空席だらけのベンチではなく、真横に腰掛けてきたのに含みを感じる。しかしそれを勇利から訊ねたところですんなりと教えてくれないのも今までの付き合いで学習済みだ。
 したがってふーんと右から左に流してリンク上のヴィクトルに再び釘付けになっていると、相変わらずだなとさらに声をかけられた。
「今はヴィクトルと微妙な感じのくせに、よく平然と見てられるな」
「そりゃあ……まあ。それとこれは別問題だし」
 そこで隣のユリオの方へ、今度こそちゃんと顔を向ける。すると彼は自身の膝に肘を付く格好で、呆れた表情をありありと浮かべながら勇利のことを眺めていたのに思わずぐうと喉を鳴らした。
 ちなみに周知の通り、ユリオはシニアの大会に出るようになってから二回目のシーズンを迎えている。そして昨シーズンに比べ、今シーズンはシニアの大会の空気にも大分慣れてきたのか。現時点でも昨年以上の活躍を見せており、ヴィクトルや勇利などとしのぎを削り合っている。
 そしてそんな彼の変化は競技方面だけにとどまらず、容姿も大きな変貌を遂げており、現在は勇利よりも目線が少し上になるまでに身長が伸びていた。
 まあ薄々予感はしていたが、案の定美少年から美青年へと見事な変貌を遂げたのは言うまでもない。ついでにいつの間にか耳も落ちていてショックだった……というのは勇利自身の個人的感想なのでどうでも良いのだが。
 ともかくそんな調子なので、その眼光の鋭さは以前に比べてさらに磨きがかかり、そこら辺の不良も顔負けなほどだ。
 そしてそんな視線に勇利がいつまでも耐えられるはずもなく。しばらくして小さく息を吐くと、一体何と口にしながら渋々と身体ごと彼の方へ向き、意識をヴィクトルからユリオの方へ移した。
「べつに。ただ、おまえらはいつまでその薄ら寒い友達ごっこみたいな真似をしてんだって思ってるだけだよ」
「友達ごっこって、ひどいなあ。もともとスキンシップが多かったくらいだから、むしろ今の方が普通だと思うけど」
「はっ! そのわりに辛気くさい顔しやがって」
 確かにその自覚はあるので何も言い返せないが、そうは言われてもという感じである。
 そもそもユリオに直接的な不利益を与えているわけでもないしとぼやくように呟くと、途端にその表情が険しいものへと変化していく。そして世界選手権があるだろうがと、勢いよく指をさされてしまった。
「世界選手権?」
「だーかーらー! おまえらが下らない理由でケンカしてるのは心底どうでも良いけど、それを試合にまで持ち込んでボロボロな演技したら許さねーからなって言ってんだよ! オレはベストな状態のおまえらを叩きのめしてやるって決めてんだからな」
 さらにユリオはほんと空気が読めないなとプリプリと怒っていて、なんともまあ随分な言われようなのに思わずポカンとしてしまう。
 しかしそこで反対側を向いているユリオの耳が、ほんのりと赤色に色づいているのが目に入る。つまり散々悪態をついてはいるものの、それは毎度の照れ隠しで。何だかんだと言いつつ心配してくれているのかなというのが何となく分かり、殺伐としていた胸の内がほんのりと暖まるのを感じた。
 一年前に比べると見た目が随分と変わり、一気に大人びたのでついつい失念しがちだが、彼はまだ十七歳なのだ。日本だったらまだ高校に通っており、友達と遊び回っているような年齢なのである。
 それに思わずそうなんだよなあとしみじみと零すと、考えていることが読まれてしまったのか。ギッと思いきり睨まれて威嚇をされたのに苦笑を漏らし、胸の前で軽く片手を振った。
「ごめんごめん。えっと、それで世界選手権だっけ? そっちは全く問題無いから」
「本当だろうな」
「信用無いなあ。練習の時の滑りもいつも通りでしょ。
 ていうか、ユリオこそ他人を心配してる余裕なんてあるの?」
「――のやろう……言うじゃねえか。世界選手権で優勝するのは、このオレだ!」
 わざとらしいのを承知で挑発するように目を細めると、ユリオは簡単に引っかかってくれる。そしてベンチから勢いよく立ち上がって声高に優勝を宣言すると、鼻息荒く大股で元居たリンクの方へと戻って行ってしまった。
 その後ろ姿に楽しみにしてるよとさらに声をかけ、そしてそれと同時にそんな風に思ったことを素直に口に出来るユリオがひどく眩しく思えた。
「いいなあ……」
 自分がもう少し若かったら、ああやって素直になれたのだろうかと考える。でも昔から内にこもるタイプだったのを思い出すと、これはもう生まれついての性分みたいなものなのかなとため息を吐いた。
 だから一歩踏み出すためには、何かきっかけがいる。そして今回は、それを世界選手権の優勝と決めた。 
「僕が、優勝するんだ」
 それで次のシーズンも継続してコーチ契約を結んで欲しいと、ヴィクトルにお願いしようと決めている。そうやって彼をつなぎ止めて少しでも長く一緒にいたかった。
 そこで告白しないのかと思うかもしれないが、そもそも勇利自身、自分が完全に彼の趣味の範囲外というのは分かっているし、何より男だ。それに彼には運命の相手が別に存在するのだと分かっている状態で、そこまで思いきれる根性を持っている人はそうそういないだろう。
 というわけで正月以降どことなくギクシャクとしている二人の間の雰囲気を、コーチ契約継続の件をきっかけに少しでも払拭出来ればいいなと思っている感じだ。
 まあその時にこんなことになったそもそもの発端である、スキンシップの件を持ち出せるかどうかは微妙というか。勇利自身でもどうするのが正解なのかよく分かっていないので、あえて考えていない。

 そんなこんなで。ともかくそんな明確な目標が出来たのと、一応表上はヴィクトルと当たり障りない程度のコミュニケーションを取れているおかげか。一月中はさすがにやや崩れてしまったものの、二月に入ってからはいつもの調子を取り戻している。そして三月になった今は、今度こそ絶対にやるんだという気力に満ち溢れ、毎日の練習も充実していた。
 唯一の懸念事項は正月以降くすぶっている発情の兆候だが、欠かさず抑制剤を飲んでいるおかげか。現時点では、ひとまず小康状態を保っているような感じであった。

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