アイル

ケーキがフォークに嫌われた日-2(R18)

 結局その日は、ヴィクトルと一緒に帰ることは無かった。
 ただ二十代の半ばに差し掛かっている男が、同性のコーチとたかが一日一緒に帰れないということだけで凹んでいるのは、ものすごく滑稽というか、奇妙な光景だろう。したがって内心はともかくとして、表面上は何とも無いフリを装っていた。
 しかしもともとユリオは人の心情の変化に敏いので、色々と筒抜けだったのか。珍しく彼の方から一緒に帰ろうと誘いの言葉をかけてくれたので、それに甘えさせてもらうことにした。

「ただいまー……」
 それからいつもより早めに帰宅すると、恐る恐る家のドアを開いて中の様子を伺ってみる。
 すると足音で家人の帰りを察していたのか、玄関ホールにマッカチンがお座りの格好で待ち構えていて。勇利の姿を認めるや否や、ガバッと音がしそうな勢いで飛びついてきたせいで、床の上に思いきり尻餅を付いてしまって地味に痛い。
 そこでいつもはこんなこと無いんだけどなあと思いながら上体を起こし、それはヴィクトルが倒れないように背中を支えてくれていたからだと気付くと深い息を吐いた。
「ただいま、マッカチン。ヴィクトルはいる?」
 ただそれに対するマッカチンの答えは尻尾を軽く振るのみで、よく分からない。したがって気乗りしないながらも、家の中の部屋を全て見て回り――しかし最後のベッドルームのドアを閉めたところで、家の中にその姿が一切見当たらなかったのに肩を落とした。
 ヴィクトルが先に帰ったらしいと知った時に胸の奥底に生まれた焦燥感が、さらに大きく広がっていくのを感じる。
「ヴィクトル、どうしたんだろう。そんなにケーキが嫌なのかなぁ……」
 でも彼が「興味はない」というようなネガティブな表現を口にするのはとても珍しく、今にして思えばケーキに関することだけなのだ。そして勇利がケーキであると知ってからの、この行動である。
 ユリオに大丈夫だろうと言われたので、安心していたのだが。こうなってくると、いよいよ雲行きが怪しくなってきたような気がしなくもない。
 しかし勇利がケーキであるという事実は、どうあがいても変えられない事実なのだ。
「これからどうなるんだろう」
 そしてどうすればいいのかも、よく分からない。
 そんな勇利の不安を敏感に感じ取ったのか。脇にずっと控えてくれていたマッカチンが、身体の脇にダラリと垂らしていた手の甲を慰めるように舐めてくれる。
 今の勇利にとっては、それだけが唯一の救いだった。

 それからいつも通りに二人分の夕食を作り、ヴィクトルの帰りをマッカチンと一緒に待つ。
 しかしいつもの時間になっても彼が帰宅しそうな気配はまるで無く。
 このままだと翌日の練習にも影響が出てしまいそうだったので、十一時を過ぎたところで諦めて一人で食事をとる。さらにシャワーを浴びて一日の汗を流してから再び時計を見ると、すでに日を跨いでしまっていた。
「ヴィクトル、帰ってこないね。またお酒でも飲み歩いてるのかな」
 現役に復帰してから、彼は一応気を付けているのか。そういうことは一切無かったのですっかりと忘れていた。しかし思えば日本に居た時には、酒を飲み歩いて朝方に帰宅ということも間々あったのを思い出す。
 そしてそうなると、本当に何時に帰ってくるのかさっぱり予想がつかないので、こうやって待っているだけ時間の無駄なのだ。
「色々気になるけど……仕方ない」
 それによくよく考えてみると、彼と顔を合わせたところで何を話せば良いのやらだ。
「いきなりケーキが苦手なのかって聞くのも変だし、それに僕のこと苦手かって聞くのもなんだかなあ」
 いずれもしっくりこないというか、あまりにも直球すぎだ。
 かといって代わりになりそうな、当たり障りの無い言葉も思い浮かばない。
 そこまで考えたところで全てを諦め、小さく息を吐きながらいつも通り寝るかと呟いた。
「――と、その前に。ユリオに貼ってもらった絆創膏を替えないとだ」
 そのままシャワーに入ったせいで、ガーゼ部分がびしょびしょに濡れてしまっている。というわけで洗面所から新しい絆創膏を一枚取り出し、リビングのソファに座って古いものと貼りかえ終えた時のことだ。
 それまで勇利の脇におとなしく座っていたマッカチンが、ソファから降り立って玄関の方へ走っていったのに顔を上げた。
「あ、マッカチン」
 どうしたの、なんて改めて聞くまでもない。恐らくはヴィクトルが帰ってきたのに気付き、玄関まで出迎えに行ったのだろう。
 思ったよりも早い帰宅にホッとする。
 しかしその反面全く心の準備が出来ていなかったせいで、勇利の方はマッカチンの後を追って玄関まで出迎えに行き損ねてしまって。そうこうしている間に玄関の重たい扉が開く音が遠くから聞こえてきたのに、視線を左右に彷徨わせながら背中を小さく丸めた。
 それからどのくらいその格好でいただろうか。
 定かではないが、マッカチンの軽快な足音とは明らかに異なる規則的な床板の軋み音が近付いてきたのに、ヴィクトルがすぐそこまで近付いてきたと分かる。
 そして視界の端に茶色い靴先が映ったところでようやく顔をおずおずと上げると、そこには予想通りの人物の姿があった。
「えっと、ヴィクトルおかえり」
「ああ……勇利。まだ起きていたんだ」
 やはりヴィクトルは飲んできたらしい。彼が帰ってきた途端にアルコールの匂いが部屋の中に溢れ、その匂いだけで勇利の方も酔ってしまいそうだ。
 口調の方はしっかりしているので、うっかりと騙されてしまいそうだが。よくよく観察してみると、彼にしては珍しく足元がおぼつかない様子で、相当飲んだのだろうなということが伺える。
 ただそのおかげで場が持ちそうだなと思いつつ、とりあえず水を入れてくるからとソファから立ち上がろうとしたのだが。
 彼の身体の横をすり抜けようとしたところで、腕を掴まれて引きとめられたのに大げさなほどに身体を揺らした。
「――ねえ勇利。いつもならもう寝ている時間なのに、どうしてまだ起きているの?」
「あ、ごめん。ヴィクトルいつ帰ってくるのかなって思って。でももう寝るから」
「勇利は……今の状況で、それを言う意味が分かっているのかな」
「へ?」
 彼の言う今の状況とは、果たしてどういう意味なのか。よく分からなかったので思わず呆けた表情でヴィクトルの顔を見上げた瞬間のことだ。
 手で肩をトンと押されたせいで、思わずソファに逆戻りしてしまう。そしてバランスを崩してそのまま仰向けの格好になってしまったのに、慌てて上体を起こそうとしたのだが。
 その前にヴィクトルまでソファの上に乗り上がってくると、ひっくり返っている勇利の両足を割り開き、胸元までグイと押し上げるのだ。
 おかげで体勢を立て直すことが出来ず、それどころか見方によっては非常に思わせぶりにも見える二人の体勢に目を白黒とさせる。
「えっ? えっ?」
 別にストレッチをしていた訳でもないのに、一体何がどうしてこうなったのか。寝間着代わりのジャージを着ているとはいえ、ヴィクトルの目の前に陰部をさらけ出しているかのような格好に、まるで理解が追い付かない。
 というかこれではまるで、これからヴィクトルとそういうことをするみたいというか。
 そこでふと、先ほどユリオがフォークに気を付けろと言っていたのを思い出したので、まさかと思いつつおずおずとヴィクトルの表情を伺ってみる。しかし彼も顔を下に向けているせいで、天井のダウンライトがちょうど逆光になってよく見えない。
「あ、あの、ヴィクトル……――っ」
 普段と明らかに異なるヴィクトルの様子に、胸の奥底からじわじわと不安感がこみ上げてくるのを感じる。
 だからそれを無意識に打ち払おうと彼の名前を思わず口にしたのだが、それに対して彼は返答の言葉を発することは無く。その代わりに顔がだんだんと近付いてくる。
(ああ……)
 このままだと、キスされそうだとふと思った。
 しかし目の前にいるのは、世界中の女性からもてまくりで、相手にまるで不便したことがなさそうなあのヴィクトルである。そして彼は、ケーキに対してあまり良い印象を持っていない。
 加えて勇利自身こういう状況が生まれて初めてというのもあり、キスをされるという実感がまるで湧かない。
 おかげでどこか他人事のように目の前の光景を眺めていると、形の良い口が薄く開かれて。隙間から覗いた赤色の舌が、物欲しそうにその薄い唇をゆっくりとなぞる。
 そしてその仕草にひどく性感を煽られるようなものを感じて思わずゴクリと喉を鳴らした直後、頬をその舌にベロリと舐め上げられた。
「うひっ!?」
「やっぱり、勇利はケーキなんだ。匂いが薄いから今まで全く気付かなかったけど、こうやって直接舐めるとちゃんと甘い。うん……こういうの、いいね。しつこくなくて、俺は好きだな」
「な、なに、いって」
 勇利は、ヴィクトルのことがそういった意味でもともと好きだ。だからそれはまあ、好きと言われて悪い気はしない。
 でもよくよく考えてみて欲しい。目の前の人物は、ほんの十数時間前にケーキには興味が無いとはっきりとその口で言っていたのだ。それなのにこの手の平返しように、ひどく違和感を覚える。
 そしてそうやって勇利が戸惑っている間にも、その舌は首筋から胸元、さらに腹筋の凹凸を舌先でゆっくりと辿って。そのねっとりとした動きに、食事前の味見をされているかのような感覚を覚える。
 ――いや、ちがう。
 味見をされているかのようではない。そうではなくて、実際に味見をされているのだ。
 だって勇利はケーキで、ヴィクトルはフォークなのだから。
(そういえば、ユリオからフォークに気を付けろって言われたんだっけ)
 それもほんの数時間ほど前のことだ。
 確かに彼に言われた通り。世間に目を向けると、何らかの理由により理性を失ったフォークが、ケーキを拉致監禁、あるいは捕食してしまったという事件をたまにニュースで見かける。でもごくごく普通の人間として生きてきた勇利にとって、それは所詮対岸の火事だ。
 だからいざ気を付けろと言われてもまるで実感が湧かなかったし、何より勇利の身の回りにいるフォークはユリオとヴィクトルくらいしか恐らくいない。だからそんなことになるはずがないと高を括っていた結果が、まさかのこれとは。
 それだけに今でも本当に信じられないが、これは現実で。
 せめてもの救いは捕食されて殺されてしまいそうな感じでは無いということだろうか。だがまあ、別の意味で捕食されてしまいそうなのもあり、緊張で口の中がカラカラである。
 そしてそれと同時に、頭の片隅ではこのまま既成事実を作ってしまえば良いじゃないかという悪魔の囁きも聞こえているのもまた事実で、やや複雑だ。
(そうしたら……ヴィクトルの特別になれる?)
 そんな自分勝手な妄想を脳裏に思い描いたところで、思わずゴクリと喉を大きく鳴らしてしまう。
 しかしその浅ましい音にハッと我に返ると、口元を手の平で覆いながら顔を横に背けて。こんな形で関係を持つことを望んでいた訳ではないじゃないかと己に言い聞かせる。
 そしてそんなバカなことを考えてしまったのを誤魔化すように、改めて上体に圧し掛かってきている男の顔をおずおずと見上げた。
「あの、さ。僕自身でも知らなかったんだけど、僕ってケーキなんだって。だからほら、ヴィクトルしっかりしてよ」
 流されてるよと口にしながら肩を押し上げると、彼の身体は意外にもすんなりと起き上がる。それから乱れた前髪をかき上げながら、俯けていた顔をようやく上げてくれたのだが。
 その瞳には、いつも彼がたたえているキラキラとした光はまるで見受けられず、そのせいで精気がごっそりと抜け落ちているように感じられた。そしてその代わりに瞳の奥に揺れているのは、恐らくフォークとしての内なる欲望の炎だろうなと何となく感じた。
 もちろんそんなヴィクトルの姿を見るのは初めてなので、普段との落差もあいまってゾクリとした寒気のようなものが背中を走り抜けていくような感じがする。
「ヴィクトル……どうかした?」
 なんだか、怖い。
 まさかヴィクトルにそんな感情を抱く日が来るとは夢にも思っていなかったのもあり、その衝撃はなかなかのものがある。したがって咄嗟に彼の身体の下から這い出そうとしたのだが。
 上体を逃がそうと両肘を付いた途端、両手が塞がったのをこれ幸いと言わんばかりにズボンのゴム部分を掴まれて。下着ごとまとめて足から引き抜かれてしまったせいで、あっという間に下肢を裸に剥かれてしまう。
 そして露になった陰茎を手に取られたのにまさかと思った時には、その美しい唇の中に先端部分が消えていた。
「ちょ――っ、あ、うう」
 この状況にかなりの混乱を覚えていたものの、相手はずっと追いかけてきたあのヴィクトルだ。
 己の下肢は空気を読まずにやや芯を持った状態になってしまっていたのだが、それをヴィクトル本人に知られてしまったのが恥ずかしくてたまらない。
 しかし亀頭にかぶさっていた皮を舌先で器用に剥かれ、その下の敏感な粘膜部分を飴を舐めるかのようにベロリと舐め上げられると、そんなことを考える余裕なんてあっという間にどこへやらである。
 しかもそこは身体の中でも一二を争う敏感な箇所で、そんな所への直接的な刺激なのだ。
「ふ、えっ……そんな、いきなりっ」
 口の中は生暖かくて、ぬるぬるしていて。熱い舌を押し付けられただけで腰から下が蕩けそうなほど気持ち良いのに、身体の奥深くから一気に覚えのある熱がこみ上げてくるのを感じる。
 自分以外の人から刺激を与えられるのはこれが生まれて初めてのことで、なおかつその相手がヴィクトルとなると緊張から感覚が鋭敏になっているせいもあるだろうが。このままだと、達してしまうのは時間の問題だ。
 しかしさすがにこれだけの刺激でとなると恥ずかしい。だから必死に下肢に力をこめてその衝動に耐えるのだが、そのせいで内股がぶるぶると震えるのが止まらなくて。恐らくそのせいで、ヴィクトルには何もかもバレてしまっているだろう。
 そしてもうそろそろ、限界だ。だから本当に勘弁して欲しいのだが、当のヴィクトル本人はというとそんなのお構い無しといった様子で。
 唇を窄めながら根元まで飲み込み、さらにその状態で軽く吸い上げられると、たまったものではない。
「は、ああぁ……っ!」
 大袈裟なほどにガクリと大きく腰が震え、その直後に先端から熱い液体がピュクリと漏れてしまったところで、軽く達してしまったのに気付いて慌てる。
 そんなところを舐められているだけでも十分有り得ないのに、口内に射精までしてしまうなんてますますいたたまれない。
 だから急いで腰を引いて陰茎を引き抜こうとしたのに。
 それなのにヴィクトルはますます興奮した様子で、漏れ出た精液混じりの先走りを舌で熱心に舐めとっていて。なんというか、本当にこのまま食べられてしまいそうだ。
「ん……ゆうりの、甘い。ハチミツみたいだ」
「ううっ……も、ほんとに、や、あ……っ!」
 そんなものが、ハチミツなんて美味しい味がするはず無いのに。
 しかしそれをきっかけに、彼がフォークで自分がケーキ――もっと分かりやすく言い換えれば、ただの捕食者と被食者の関係であるのだと改めて再認識をする。
 つまりこの行為にそれ以上の意味はなく、あるのは生物としての剥き出しの本能のみだ。
(そんなの、分かっているけど……っ!)
 分かってはいるのだが、実感としてその事実が胸の内に広がるのと同時に頭の芯が冷えていく。
 もう格好悪いとか、女々しいとか、そんな体裁について考えている余裕なんて無い。
 そしてそこでついにこみ上げるがまま、その気持ちを口にしていた。
「ヴィクトル、帰ってきてよ」
 それでいつも通り、笑顔を向けて欲しい。
 だって今のヴィクトルは何を考えているのかさっぱり分からなくて、どうすればいいのか分からない。
 ただ感情が高ぶりすぎてしまったせいだろうか。涙がジワリと浮かんできてしまったので、それを慌てて手の甲で拭う。
 そしてそこでヴィクトルの動きが完全に止まっていることに気付いておずおずと顔を上げると、彼の表情は先ほどの何を考えているのか分からなかったものとは一転。
 口元を手の平で覆ってはいたものの、その瞳には理性の光が宿っており、今の状況に戸惑っている様子がありありと浮かんでいて。ようやく正気に戻ったらしいのに、思わず深い息を吐いた。
「……ごめん、勇利。俺はどうかしてたみたいだ」
「いや、大丈夫だよ」
 今までいくら言っても駄目だったのに。思わず浮かべてしまった涙を見て、ようやく本気度を悟ってくれたのだろうか。
 いや、というかちょっと待って欲しい。
 男の癖にめそめそと泣いているところを見られたのだとそこでようやく気付くと、急激に羞恥心がこみ上げてきて頬が赤く染まってしまう。
 それにさっきは乱雑に目元を拭っただけなので、まだ目元が濡れている感じがするというか。だからちゃんと拭えているかもう一度確かめたいのだが、それをしたらヴィクトルに泣いていた件について突っ込みを入れられそうに思えてどうしても出来ない。
 したがってとりあえずその場に流れている微妙な空気を取り繕うのもかね、ソファの下に恐らくは落ちているであろうズボンと下着を探すフリをしながら顔を俯ける。そしてもう遅いしそろそろ寝ようかと、その場しのぎのありきたりな言葉を口にしたのだが。
 それに対するヴィクトルの答えはというと、勇利が予想していたものとはまるで異なるものであった。
「ねえ……勇利。一回だけでいいから、キスをしてみてもいい?」
「は、え?」
 せっかくいつも通りの雰囲気に戻りつつあったような気がしたのに。彼の放ったその一言のおかげで、場の空気が微妙なものへと逆戻りしたのはきっと気のせいではないだろう。
 というかいきなりそんなことを言い出すなんて、彼はやはりまだフォークの捕食衝動に囚われているのだろうかと、恐る恐る目の前の男の様子を伺ってみる。
 しかしその表情はどこか愁いを帯びているように感じられるもので。先の言葉は思わず口をついて出てしまったように見受けられた。
 その証拠に、彼は勇利と目が合って呆気に取られた表情をしているのに気付くと、狼狽えた様子で上体を起こすのだ。
「――いや、今のは無しだ。さっきから俺は何を言ってるんだろう、ごめん。まだ少しおかしいみたいだから、今の言葉は忘れて」
 まだフォークの衝動が抜けきっていないみたいだと言い訳のような言葉を早口で呟きながら、勇利の上から完全に身を引く。
 その様子からはこの状況に動揺していることがありありと分かり、いつもの自信に満ち溢れている姿は明らかに鳴りをひそめている。
 というか言い訳とか動揺といったものは、常であれば勇利の専売特許で。つまりはいつもと立場がまるで逆なことにそこで気付く。
(ヴィクトルも、こんな風になることがあるのか……)
 そこでふと昨年のグランプリファイナルの前にも似たようなことになっていたのを思い出すと、懐かしさに思わず苦笑がこみ上げてくる。
 そして何だかんだと言いつつも全身で勇利の気配を伺っているヴィクトルの様子に、無性に愛おしい気持ちが溢れてきて。気付いた時には溢れる気持ちをそのままに口を開いていた。
「――キスくらい、構わないよ」
 その言葉を口にして、実際に耳に入ってきたところで何を口走っているのだと動揺する。
 しかし胸の内にあるのは、ほんの少し前に一瞬脳裏に過ぎった打算的な感情とは明らかに違う。そうではなくて、ヴィクトルがそれを望むのであれば、その願いを叶えたいという純粋な思いだけだ。
 無論先の言葉を聞いたヴィクトルは明らかに戸惑った様子で勇利のことを見つめているものの、その申し出に惹かれてはいるのか。勇利はケーキなんだからそんなことを言ったらだめだと往生際の悪い言葉をぼそぼそと口にしており、理性と本能がせめぎ合っている様子だ。
 ただ勇利としては、ここまで来てしまったらもう後戻りなんて出来るはずもなく。ヴィクトルの本心を聞きたいんだと思わず直球の言葉を口にしてしまっていた。
「本心って、どういうこと?」
「ヴィクトル、よくケーキに興味無いって言ってるから。それなのに何で今さら、こんな状況でキスしたいなんて言い出したんだろうって」
「いや、ちょっと待って。俺がケーキに興味無いって、何で勇利が知っているの」
「……あ」
 有り得ない状況の連続ですっかりと失念していたが、そういえばこれはヴィクトルが告白されているところを覗き見て知ったことなのを思い出す。
 しかしすでに口にしてしまったことを、どうすることも出来るはずもなく。渋々と何回か告白されているところを見たことがあるのだと白状すると、ヴィクトルは何てこと無い様子で肩を竦めてみせた。
「なるほど、そういうことか。変なところを見せて悪かったよ。まあ……勇利が見た通り、俺がケーキに興味が無いっていうのは本当だ。まあ理由と言っても、俺がうっかりフォークだってメディアの前で漏らしちゃった直後に、とあるケーキの人にしつこく付いて回られて困った時期があったっていうありきたりなことが理由なんだけど。
 それからは、その気が無いならはっきり言ったほうがいいかなと思って、ああ言っているんだ。冷たい対応で悪いとは思うんだけどね」
「ああ……そういうことだったんだ」
 恐らく彼が被害にあったのは、世間一般でいうところのストーカーみたいなやつだろう。
 ただフォークがケーキにストーカーするというのはよく聞くが、まさか逆も有り得るとはという感じだ。しかしまあ、そこら辺はさすがヴィクトルというべきところなのだろうか。
 ただ滅多に愚痴をこぼさない彼がそういったことを口にするということは、実際のところはかなり大変だったのだろうなと何となく想像がついた。
「それより勇利こそケーキだなんて、びっくりしたよ。一年以上も一緒にいたのに、今までずっと気付かなかったなんて」
「あはは……僕も今日までそうとは知らなかったから、驚いたよ」
「あれ? そうなんだ。ていうか誰に言われたの?」
「ユリオだよ。午後の練習が終わった時に、ブレードで手を切っちゃっただろ? あの後ユリオが来て、ケーキだって言われて。でも普通より匂いがだいぶ薄いらしいけどね」
 なんか地味っぽい感じが僕っぽいよねと、思わずちょっぴり下を向きながら苦笑を零すものの、それに対するヴィクトルの返答は無い。
 それにどうしたのだろうと思いつつ顔を上げると、彼はその顔に面白くなさそうな表情をありありと浮かべていて。そして彼がこういう表情をしている時に構うと、大概面倒くさいことに巻き込まれるのだ。
 だから普段の勇利であれば、あえて気付かぬフリをし、彼の方からしつこくアピールしてくるまでは極力触れないようにする。ただし今日はいつもと事情が異なり、彼が帰宅してきてから、そんな風に心情を前面に出しているのは初めてのことなのだ。
 それに安堵したのもあって思わずどうしたのと声をかけると、ヴィクトルははたとした様子で目を瞬かせる。それから何かを探るように勇利の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「いや。ユリオに一番に知られたんだと思ったら、何となく面白く無いというか、悔しいというか……ねえ勇利、やっぱりキスしたい」
 その言葉はまるで、勇利に興味を持っており、それだけでなくユリオに嫉妬しているようにも聞こえた。
 先ほどのキスをしても良いかという言葉と似ているようで、その意味合いはまるで違うように感じる。
 しかししつこいようだが、目の前にいるのはあのヴィクトルである。ただ単に自分に都合の良い夢を見ているか、あるいはヴィクトルがまたフォークの本能に流されているのかと思ったのも無理は無いだろう。
 したがって思わず頬をつねってもみたが、夢からさめる気配はまるで無く。それならとさらに目の前のスカイブルーの瞳を探ってもみたのだが、そこにたたえられていたのは見覚えのある理性の光だ。
 つまりこのことから導き出される答えは、先の予想は正しいということで。
「――はは」
「なにを笑っているの」
「だって……よくよく考えてみたら、ヴィクトルはいくらでも綺麗な女の人とそういうことが出来るだろう? それなのになんで僕なんだろうって。それを思ったら、なんか非現実的すぎておかしいっていうか」
 そうなったらいいなとは思ってはいた。
 でも勇利は所詮男で、さらにはケーキにも変化してしまった。だからもう、コーチと生徒という関係すら危ういかもしれないと思っていたのに。
 自分に都合が良すぎる展開を受け止めきれずに思わず乾いた笑いを零してしまうと、それを聞いたヴィクトルは憮然とした表情を浮かべながらひどいなと膨れている。
「これでも、断られるかもしれないってかなり緊張しているのに」
「うっ、ご、ごめん。あんまりにも現実味が無くて……つい」
 頬をかきながら悪気は無いんだけどと言い訳を口にし、上目遣いでちらちらと目の前に腰掛けている男の様子を伺いながら何とか誤魔化そうとする。
 その様子をヴィクトルは目を細めながらしばらくの間じっくりと観察するように眺めて。その視線に晒されているせいで居心地の悪さを感じながら、少し前までは自分の方が主導権を握っていたのに、いつの間にか形勢が逆転してしまっているじゃないかと内心で愚痴をこぼす。
 そうして挙動不審にきょろきょろと視線を彷徨わせながら現実逃避をしていると、唐突に頬に手を添えられて。ヴィクトルの方を見るように促された。
「じゃあもっと有り得ないことを言ってあげようか。思ったんだけど、俺は恐らく勇利のことが好きなんだ。もちろんそういう意味で」
「――っ、」
 互いの視線が絡み合った状態での、その言葉の破壊力といったらない。
 そしてそもそも勇利は他人から告白をされるのが初めてで、なおかつその初めての相手が今まさに恋心を抱いている相手なのである。
 したがって一瞬その現実を受け止めきれずに呆けた表情を晒し、しかしその言葉の意味を理解した直後には面白いくらい顔面を真っ赤に染め上げた。
「な、なにを、いきなり言って」
「確かに、いきなりでごめん。ただよくよく考えてみると、今まで口にしたことがあるケーキって甘ったるいばかりでちっとも美味しいと思ったことが無いのに、勇利は全く違うなあって。自分からそういう意味でのキスをしたいって思ったのは、これが初めてなんだ」
「そん、な」
「それに……リンクで勇利の甘い香りを嗅いだ瞬間、衝動的に勇利をグチャグチャにしたいような感覚に襲われたんだ。まあ十中八九、それもフォークの衝動だろうけど。
 でも俺ってもともとケーキの人に興味が無かったせいか、そういう気持ちになったことが今まで一度も無くて。だからあんな風に理性ではどうにもならない衝動で突然頭の中が一杯になるのが、たまらなく怖かったんだ。なんというか、そのままあの場にとどまっていたら、俺に付きまとっていたケーキの人みたいになってしまって、勇利を傷つけてしまうんじゃないかって。それもあって、あの時は思わず逃げてしまったんだ。
 ――でもさ、これって考えようによっては、運命なんじゃないかって思ったんだ。つまり、勇利のことが好きなんじゃないかって」
「あ、ああ……」
 彼の心情の吐露に、頭の芯が痺れるような感覚が走る。
 興奮と、緊張と、そんな感情が頭の中でグルグルと渦巻いている。
 そこでおずおずとヴィクトルの表情を伺うと、淡々とした口調とは裏腹に真剣なもので。スカイブルーの瞳は珍しくゆらゆらと揺れており、勇利が何と答えるのか緊張しているようにも見える。
 そしてそれに気付いて、その場を有耶無耶に誤魔化すことが出来るはずもないだろう。
 だって勇利も、ヴィクトルが気付くよりも前から彼のことが好きなのだから。
「……――奇遇だね、僕も同じだよ」
 そしてそこで初めて勇利の方からヴィクトルへ手を伸ばすと、その頬に触れた。
 外国人のせいか、もともとヴィクトルはスキンシップが多い。だからこの程度の触れ合いは日常茶飯事だったが、思えば勇利からこうしてはっきりとした目的をもって触れるのは初めてのことだ。
 そのせいだろうか。指先が彼の頬に触れただけで大げさなほどにその身体が揺れたのに、少しだけ落ち着くのを感じる。いつの間にか彼のペースに完全に巻き込まれていたのもあって余計にだ。
 おかげでそれまで一杯一杯だった気持ちに、いくらか余裕が出来たせいだろうか。
 意外にもヴィクトルの体温が自分よりも高いのに初めて気付くと、思わず口元が緩んでしまう。なんというか、その見た目に反して子どもの体温みたいで可愛い。
 そしてそんな気持ちにつられたのもあり、彼の唇に軽く触れるだけのキスを落とすと、ヴィクトルは驚いた表情をありありと浮かべていて。
 いつも彼には驚かされてばかりなので、ちょっとだけしてやったりな気分に包まれる。それもあり、さらに調子に乗って舌先を少しだけ出す。そして上唇と下唇の狭間を、ゆっくりと辿った。

 そんな調子で勇利はしばらくの間何も考えずに欲望の赴くがまま、夢見心地でヴィクトルの唇を堪能する。そしてそういえばドラマとかマンガとかでもっと深いキスを見たことがあったなと、ドキドキと胸を高鳴らせながら口内へ舌を差し入れたまでは良かったのだが。
 ただし所詮は知識だけで、経験の全く無い童貞だ。
 そのたどたどしい舌の動きに、やがてヴィクトルの方が痺れを切らしたのか。舌を逆に絡め取られ、吸い上げられたのに背中を震わせたあたりから形成が再び逆転してしまったのは、きっと気のせいではないだろう。
 もちろんなけなしの男としてのプライドが、このままだと完全にヴィクトルに主導権を握られて好きにされてしまうぞと警告を発してはいた。しかし絡め取られた舌を、まるで飴を舐めるかのようにちゅうちゅうと吸われると何故だか力がふっと抜けてしまうのだ。
 おかげで自分がケーキであるのならば、むしろこれが自然なのではないだろうかという考えまで思い浮かぶ始末である。
「ん、ふっ、うう」
 ああ……なんだか気持ちよくてふわふわとする。
 言葉にすると、ただ単に舌を吸われているだけなのに。
 それまで下腹部にわだかまっていた熱が刺激され、あっという間に腰全体に広がっていく感覚に、目の奥あたりがじわりと熱くなって思わずうっとりとしてしまう。
 そしてその甘い熱の感覚に夢中になっていると、気付いた時には体重をかけるようにしてソファに再び押し倒されて。全身を軽い衝撃に襲われたところで、はたと我に返った。
「あ、え?」
 目の前には、ヴィクトルの美しい顔がある。しかしその視線を下肢に向けると、己の裸の下半身が丸出しで。
 さすがにこれは色々な意味で不味いのではと、胸の内に焦燥感と羞恥心が広がる。そしてやや慌てながら、脱がされた服を探すべく、辺りをきょろきょろと見渡したのだが。
 間髪入れずに陰茎を膝で押し潰すように刺激されると、なけなしの理性もあっという間に溶解する。そして与えられる快楽で頭の中が一杯になり、すぐに服どころではなくなってしまう。
 特に亀頭の裏側にある裏筋周辺に狙いをつけてグリグリと押し潰すようにされると、もともと中途半端な状態で放置されていたのもあり、あっという間に濃い先走りがトロトロと溢れてくるのが止まらない。
 というか自分自身のオナニーでも、亀頭周辺は感覚が鋭敏すぎてあまり弄ることが出来ないのだ。だから毎度竿をおざなりに扱いて射精するというのが常なのもあり、こんな強い刺激にはまるで耐性が無い。
 おかげで面白いほど呆気なく追い込まれてしまうと、気付いた時には目の前にあるヴィクトルの両肩を掴み、さらに胸元に額を埋め込む格好になりながら腰をブルブルと震わせてしまっていた。
「はっ……まって、そこ、そんなグリグリってやったら――~~ッ、ああっ!」
「ふふ。勇利、もうイっちゃったんだ? 可愛いなあ」
「う、えっ」
 快楽に不慣れなせいで、この体たらくとは。
 よりにもよって好きな人との初めてで、まさかの三擦り半……いや、一擦り半ほどで射精してしまった事実に、プライドがチクチクと刺激されていたたまれないことこの上ない。
 せめてもの救いは、先ほどのようにヴィクトルの口内に漏らしていないことくらいだろうか。
 しかしそう考えた矢先に、目の前の男は勇利の腹の上に飛び散っている精液を塗り広げるように指先を這わせて。それに嫌な予感を覚えた時にはもう遅い。
「あっ! ちょっ、ヴィクトルっ!? それ、汚いから舐めないでよ!」
「ん? 恥ずかしい? でも、俺には甘く感じるんだよ。美味しいんだ」
 この感覚久しぶりだなあと呟きながら、ヴィクトルは指先に付いた精液を舌先で丁寧に舐めとっている。そしてその表情はどこか恍惚としているようにも見え、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまうとその音が聞こえたのか。
 彼は口角を緩やかに上げ、まるで見せつけるかのように自身の指の股から先端をねっとりと舐め上げる。
 そしてその舌の動きに先ほど自身の陰茎を舐められた時のことをうっかりと重ねたせいで、途端に下肢がズクリと疼いてしまって。思わず膝を擦り合わせるようにもじもじとするものの、両足の間にはヴィクトルが陣取っているので、彼の身体を挟み込んでさらに誘うようなことになってしまう。
「ああ。食べるのに夢中になってて、ごめんごめん。ちゃんと触ってあげるからね」
「ち、が」
 そうではなくて、ただ単に精液を舐めるのを止めて欲しかっただけなのに。
 思いがけず勇利の方から先を促すような形になってしまったのに、なけなしの理性をひどく刺激される。
 とはいえ一応舐めるのを止めてもらうのには成功したので、それはそれで良かったのだが。
 ただしそうやってほっとしたのも束の間。今度は太腿内側の皮膚が薄い箇所を、膝から付け根にかけて指先でツーッと思わせぶりに辿ってくるのだ。
 そしてその刺激を何度か繰り返されると、そのたびに胸の内でくすぶっていた劣情をひどく煽られ、陰茎が再びゆるりと芯を持って頭をもたげてしまう。
「は、あっ……それ、もっとぉっ」 
 そして気付いた時にはそう口走っていて、その言葉を自分自身で耳にした瞬間にはたと我に返る。
 だって陰茎に触れられて射精をして、今でも十分にすごいことをしているのに。これ以上となったら――あとはセックスしかない。
 いやまあ、一応は両想いだということが判明したので、それはそれでおかしいことでは無いのだが。
 ただ勇利はこの手の経験が本当に初めてのことなので、いざその場面に直面すると急激に羞恥心がこみ上げてくるというか。
「っ、あ。え、えっと、今のは、そのっ、」
「うん?」
 そして頭が完全に混乱状態になっているせいで、後先考えずに思いつくままに言い訳の言葉を口にしてしまったのが運の尽きだ。
 おかげでヴィクトルに先を促すように首を緩やかに傾げられるものの、今さら先ほどの「もっと」という発言は無しというのも、いかにもわざとらしいというか。否定すればするほど信憑性が増してしまいそうで、なんだか気が引けてしまう。
 ――ということにそこで気付くものの、すでに言い訳の言葉の冒頭を口にしてしまっているので後の祭りだ。
 したがってわざとらしいのを承知で、仕方なくもごもごと言い淀む。それから苦し紛れにチラリとヴィクトルの様子を伺うと、彼の口元は緩やかな弧を描いており、勇利の考えていることなど全てお見通しといった様子なのがまた最悪だ。
 しかも勇利と目が合うと、目蓋を緩やかに細めながら両膝裏に手を差し込んでくるのである。
「そっか。勇利がもっと欲しいって言ってくれるなら、その期待に応えないとね。初めてだし、最後までするのは早いかなって思っていたんだけど」
「ううっ」
 あえて勇利が考えていたことと真逆のことを口にしたのは、絶対にわざとだろう。でももっと欲しいというのも、偽らざる本音であるのもまた事実なのだ。
 そのせいでただただ赤面することしか出来ないでいると、その隙にさっさと両膝を胸元まで押し上げられて。再び陰部が丸見えの格好にされたところで慌てるものの、両手でそこを隠す前に敏感な粘膜が露になっている亀頭をベロリと舐め上げられたせいで、頭の中が瞬間的に真っ白になってしまう。
 それからはヴィクトルの髪の毛を必死に握りしめ、与えられる快楽を受け入れるのだけで精一杯だ。
 直接的な刺激にあっという間に再び先走りが大量に溢れてきて尻の孔まで垂れてしまうと、それを追いかけてか。最初は陰茎を舐めていたはずの舌先が会陰部から尻の孔まで這わされ、その窄まりを執拗に舐め回しはじめる。
 そしてその動きに触発されてしまい、うっかりと尻の孔がパクついてしまったのが不味かった。
「ちょっ!? そんな、中、はいって……っ!」
 孔の縁に指先を添えて左右に割り開くように力をこめられると、先に舌先に刺激されたせいもあってか。そこはだらしなくパクリと口を開けてしまう。
 それからそこに舌を埋め込まれ、内壁をヌルリとした感触のものに探られる何とも言えない感覚に、両足を爪先までピンと伸ばしながら下肢を震わせた。
 あのヴィクトルにそんな場所を舐められるなんて、絶対有り得ないし、あってはならないのに。でもそれと同時に陰茎の小さな孔に右手の人差し指を突っ込まれ、グリグリと刺激されているせいで抵抗もままならない。
 というか指と舌を同じように動かされると、前後の二つの孔を弄られているのだという実感がふつふつと湧いてきて、ひどく興奮する。
 そしてこんなあんまりにもあんまりな状況に、箍が外れてしまったのか。自分でもびっくりするほど呆気なく、再び精液がドロリと大量に溢れてきて止まらない。
「ふ、ええっ……! これ、や、あっ」
 自分の身体なのに。まるで言うことを聞いてくれなくて、かなり混乱状態だ。
 首を振ってやだやだと必死に訴えても、ヴィクトルがその動きを止めてくれそうな気配はまるで無く。むしろさらに興が乗った様子で舌を深く差し込んでくると、重力に従って後ろまで垂れた精液を、たっぷりと中に塗りこめるようにことさらゆっくりと出し挿れを繰り返される。
 おかげでしばらくする頃には、舌を深く挿入されるだけでジュプ、ジュブと卑猥な破裂音がそこから漏れ聞こえだして。その音はまるで、尻の孔が自発的に濡れてきているかのようでひどく恥ずかしい。
「ん……ちゅ、こーら。そんなに暴れないで。せっかく中に勇利の精液をたくさん入れたのに、変に力を入れたら漏れてきちゃうじゃないか」
「らって、なんで、そんなもの入れるのっ?」
「まあ確かに、ローションとかの方が滑りが良いのは確かだけどね。でもそれだと、せっかくの勇利の味が変わっちゃうじゃないか」
 それってすごくもったいないだろうと言われるものの、それをやられる立場の勇利の羞恥心のことも、少しくらいは考えて欲しい。
 しかしそれを訴える前に尻の孔から舌をヌポリと抜き取られ、その何ともいえない生々しい感触に呻いていると、今度は数本の指の束をそこに添えられて。
 そしてクッと力を込められた次の瞬間には、それがヌププと挿りこみ、指の腹で内壁を無遠慮に撫でられる初めての感触に背中を小さく丸めた。
「ううーっ」
 正直、気持ち良いという感覚は無い。というかむしろ、気持ち悪い――とまではいかないが、内壁のある一点を撫でられるたびに重苦しい感覚が喉元までせり上がってきて、ものすごく変な感じだ。
 ただそれと同時に未だ射精の余韻を引きずっている陰茎の小さな孔をこれでもかと指先で嬲られているのもあり、その刺激も混じり合って怪しげな気分になってくる。
 しかし男の癖に、そんな風に感じるのはさすがにどうかと思うのも無理は無いだろう。したがってさすがにこれ以上は勘弁してくれと、いつの間にか閉じていた目蓋を恐る恐る開いたのだが。
 そこでまさかの。孔をパックリと大きく拡げ、美味しそうに指の束を飲み込んでいる自身の尻の孔が目の前にあったのに、思わずヒクリと喉を鳴らした。
「そ、それっ、そんな、」
「……ん? ああ。勇利のお尻の孔、すごいよね。もうこんなに飲み込んでるんだよ」
 ほらというように二本の指の束を引き抜かれる時に走るゾクゾクとした解放感にも似た感覚は、覚えがあるものだ。
 それに思わず眉を潜めていると、指の束が完全に抜け落ちるギリギリのところで三本目の指を添えられて。あっと思った時にはそれは隙間からヌプリと挿入されており、粘着質な音を立てながら奥へ奥へと埋め込まれてしまう。そして内壁を指の腹で押し上げられると、その太さもあいまって……ここだけの話、それはまるで陰茎を挿入されているみたいというか。
 なんて童貞丸出しの妄想を、脳裏にうっかりと思い描いてしまったのが不味かったのか。
 下腹部がズクリと疼いた直後に陰茎が小さく跳ね、先端から先走りがトロリと溢れ出して。そしてそれにつられるかのように内壁がキュッと窄まると、中の指の束を締め付けるようにギュウギュウと蠢きだしてしまい、自分の意思ではどうにもならないその動きにただただ翻弄される。
「はは。勇利、これ見て興奮しちゃった?」
「はっ、はぁっ……まって、それ――っ!」
 待ってと言っているのに、ヴィクトルはそんなのまるで無視だ。
 本当に挿入しているみたいだよねと甘い声で囁きながら、わざとらしくジュポジュポと派手な音を立てて抜き挿しを繰り返される。そしてちょうど陰茎の根元あたりにある内壁のささやかな膨らみを指の腹で押し上げられると、精液混じりの先走りがピュクリと溢れるのが止まらない。
「勇利のここ、初めてなのにこんなに拡がっちゃって……可愛くてたまらないよ。この分だと、案外俺のも挿っちゃったりして」
 そこで指の束をズルリと引き抜かれ、太い物を突然失ってしまった喪失感に尻の孔を無意識にヒクつかせていると、下肢からジジジとチャックを下ろす音が聞こえてくる。
 その音につられて下の方へ視線を向けると、ちょうどヴィクトルがズボンの前立てを開け、さらに下着の中から陰茎を取り出したところで。ゴムに引っかかりながらブルリとそれが姿を現すと、その大きさに思わず喉を鳴らした。
「す、ご」
 それは勇利のモノとは、まずサイズ感がまるで違う。余裕で一回り以上大きいのは間違いなく、かなり極太な物だ。それに皮も完全に剥けており、カリ首の段差もはっきりとしていて。まさしく大人の男の物という感じがする。
 普通なら、同性のものを見たところでちっとも何とも思わないはずなのに。むせかえるほどの雄の色気に当てられてしまったのか、そこから目が離せない。
 そしてこみ上げてくるものを感じて思わずはあと熱い息を漏らしてしまうと、まるで全てお見通しだというように小さく含み笑いを零されて。まるで見せつけるかのように竿を数度ゆっくりと扱いてから、だらしなく口を開けている勇利の尻の孔に先端をプチュリと押し付けてくる。
 それから両膝を胸元に押し付けられ、腰を突き上げるようにされると一番太いカリ首が入口をヌポリと抜け落ちて。そしてそこさえ通り過ぎてしまえば、あとは驚くほど呆気ない。
「ん、んんんッ!? あ、ぐっ!」
「は、あっ……ははっ。ねえ勇利、本当に挿っちゃったよ」
 分かるかなと甘い声で囁かれながら、縁部分を指先でゆっくりと辿られると、反射的に内壁がヒクつくのが分かる。
 ただ正直なところ勇利の方は挿入の衝撃の大きさにそれどころではなくて、口を大きく開けながらはあはあと荒い息をするので精一杯だ。
 しかしヴィクトルの方はまるで容赦なく。さらにググと腰を押し付けてくると、まるで内壁を探るかのようにカリ首の段差でグニグニと刺激を加えてくるのだ。
「ん……さっき、漏らしたみたいになったのって、恐らく前立腺のところだよね。この辺りだっけ?」
「そんな、いきなり――っ、かはっ!」
 勇利はヴィクトルのことがそういう意味で好きだと気付いてから、ちょっぴり興味が湧いて男同士のあれやこれやについて調べたことがある。
 そして男同士のアナルセックスで感じることが出来る場所として、今ヴィクトルが口にした前立腺という場所があったのをふと思い出し――そしてそこで前立腺ってあの前立腺かと思うものの、狙いを付けてカリでコリコリと捲り上げるようにその膨らみに繰り返し刺激を加えられると、あっという間に考え事など出来なくなって。寒気のような感覚がそこから広がるのに、勘弁してと思わず足を蹴りあげてしまう。
 しかし両足共に肩の上に抱え上げられてしまっているので、空をかいただけで何ら抵抗にすらなっていないのは言うまでもなく。それどころかその反応のせいで、ヴィクトルにそこだという確信を与えてしまったのか。
 その場所を固い先端でグーッと押し上げられたせいで、下肢から脳天まで一気に駆け抜けていく甘い熱の感覚に思考回路が一気に霧散し、もう何も考えられない。
「ああ、やっぱりここがそうなんだ。勇利、ここ弄ってあげるたびに精液が出てくるよね。もしかしてイきっぱなし? 中もずっとキュウキュウってして気持ち良くて……それに勇利の精液も美味しいし、たまらない」
「ん、ぐぅ……っ!」
 まるでそこでの感覚を教え込むかのように、ゆっくりと。しかし繰り返しその場所を抉られ、そのたびにそこから広がる熱の感覚が深くなる。
 そしてヴィクトルはそんな勇利の目の前で、先ほどからトロトロと溢れて止まらない精液をすくい取っては自身の口元に運び、恍惚の表情を浮かべているのだ。
 過ぎた快楽にもはや目の焦点すらほとんど合っていないのもあいまり、その光景は非現実的なものとしか思えない。
 それをどこかぼんやりとしながら眺め、与えられる快楽をただただ享受するので一杯一杯になっていると、それに気付いたのか。
 精液のべっとりと不着した手で頬を撫でられ、それから覆いかぶさるような格好で顔が近付いてくると、首筋をガブリと甘噛みされて現実に引き戻される。
 そしてそうなると当然挿入も深くなるわけで。
「――ひ、ぎぃっ!?」
 前立腺よりもさらに奥、最奥の結腸の入口付近だろうか。そこを思いがけず亀頭の先端で押し上げられると、途端に喉元まで熱い塊がこみ上げてくるのを感じる。
 まさか、いきなりそんなに身体の奥深くまで暴かれるとは。
 完全に油断していたのもあいまって、その衝撃は相当のものだ。
 おかげでさすがに許容量を完全にオーバーしたのか。急激に意識が混濁すると、気付いた時にはそのまま意識を失ってしまっていた。

■ ■ ■

「ハァイ、勇利! ――って、あら? 勇利が練習中にハイネックのシャツ着てるなんて珍しいじゃない。風邪でも引いたの?」
「ばっ……! おいミラ、余計なこと聞くんじゃねーよ!」
 翌日。勇利はいつもよりも明らかに寝不足だったが、練習を休むわけにもいかないのでいつも通りにヴィクトルと共にリンクへ向かう。そして練習開始前のややのんびりとした雰囲気の中、ベンチに腰かけながら眠いなあとぼんやりと考えていた時のことだ。
 背後から名前を呼ばれたのに顔を上げると、そこにミラとユリオの姿があったのに顔を緩ませながら小さく頭を下げる。
 しかしその直後に続いたミラの言葉に、目元をひくつかせて。さらにユリオの全てを察したかのような台詞に全身を硬直させると、唯一自由になる目線をゆっくりと横にそらす。そして練習を早めに開始するからとあからさますぎる言い訳を口にしながら、リンクへと逃げた。
 今の心情を言葉にして表現すると、ともかくいたたまれないの一言に尽きる。しかも未成年であるユリオに何故か全て筒抜けで、彼の言ったことが全てを物語っているだけになおさらにだ。
 つまりどういうことかというと、その日勇利が珍しくハイネックのシャツを着ていたのは、ヴィクトルに執拗なまでにベッタリと付けられたキスマークを隠すために他ならなかった。
「はあ……案外何も言われないんじゃないかなって思ったんだけど、やっぱりこうなるか」
 ほとんどの男子は他人の服装なんていちいち気にしないだろうが、そこら辺はさすが女子という感じだ。
 そしてほぼ間違いなく色々とバレてしまったので、しばらくはこのネタで弄られること間違いなしだろう。
 日本人だったらあえて触れないでいてくれるかもしれないが、彼らはわりとそこら辺はオープンなので、これは決定事項だ。
 その証拠に未だリンクサイドに立っているミラたちの方へ視線を向けると、彼女は心底興味無さそうな表情を浮かべたユリオに興奮した様子で何かを話しかけていて。その内容が先ほどのことなのは考えるまでもなく明らかなのに、小さく息を吐いた。
 ただまあ、ヴィクトルがヤコフに呼び出されてこの場にいなくて良かった。彼がいたら、ほぼ間違いなくさらに面倒なことになっていただろう。
 ちなみに何故勇利の首がそんなキスマークだらけになったのかというと、理由は単純だ。昨晩勇利が意識を飛ばした後も、ヴィクトルが本能の赴くままにそこをちゅうちゅうと吸い上げていたからに他ならない。
 そして朝一にごめんと謝られたので、何だかおかしいなとおもったら。洗面所で何気なく自身の顔を見たところで、その意味を理解して絶句する。それから即座に抗議の言葉を口にしたものの、全ては後の祭りであったという訳だ。
 しかし何だかんだと言いつつもこの状況を受け入れているあたり、勇利も満更でもないと思っていることが分かるだろう。

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