アイル

ロシアの英雄と東洋人の醜聞-14

 というわけで、当初の予定通り勇利はヴィクトルと共にロシアで正月を過ごした。
 ちなみにロシアでは正月にサラダを食べる習慣があるのだそうで、お手伝いさんが作り置きしておいてくれたという、ポテトやニンジンなどをたっぷりのマヨネーズであえられたオリヴィエ、酢漬けのニシンやビーツなどをケーキのように綺麗に成形した毛皮を着たニシンという変わった名前のサラダ、そしてフランスパンの上にバターを塗ってイクラを乗せたもの。あとはハムやサーモンなどをシャンパンと共に楽しんだ。
 ――と、ここまでは、やっぱり日本と違うなあと勇利も物珍しくロシア文化を楽しんでいたのだが。
 一通り食べて飲んで。その後のゆったりとした時間を、ヴィクトルが日本からわざわざ取り寄せたというこたつで、ぬくぬくと暖をとりながらテレビを眺めていると、勇利と名前を呼ばれる。
 それに伏せていた顔を上げると、目の前にみかんを差し出されたのに思わず笑ってしまった。
「こたつもあるせいかな。ロシアって感じがしないなあ。そういえば、こっちも年末年始はみかん食べるって言ってたっけ」
「そう。だから俺も日本で冬場にみかんをよく食べるって聞いたときは驚いた」
 そこで互いに顔を見合わせ、吹き出すようにして笑った。

 そうして数日ほどゆっくりとしたところで、二人は再びチムピオーンスポーツクラブでの練習を開始した。
 そして一月後半開催のヨーロッパ選手権には、ヴィクトルのみが参加する。
 ちなみに勇利もせっかくだから生で見たいとついて行ったのだが、彼はこれまた目の前で危なげなく優勝を飾るのであった。
 ファイナル以降、ヴィクトルは公式戦で四回転アクセルは跳んでいない。しかしそれが無くても相変わらずの凄まじいまでの完成度と安定感に、勇利は思わず見とれながら息を吐いた。
「はー……やっぱりすごい。すごすぎる」
 こんなヴィクトルに勝つためには、まずノーミスで滑りきることが必須だ。
 加えて一応今シーズンからは本格的に四回転フリップを取り入れ、さらにルッツも練習しており、全日本の時のように調子が良い時は何とか……という状況だ。
 しかしそんな勇利にまるで対抗するかのように、今期のヴィクトルは八度跳ぶジャンプの内の五本を四回転にしているのだ。
 しかもたまに構成を変えて四回転を四本にしたかと思えば、四回転アクセルに変更してきたりとまるで手に負えない状態なのである。
 思えば、膝が不調とか言ってたはずなのだが。そんなことなど微塵も感じさせないどころか、絶好調すぎる。
「ともかく、今のままノーミスノーミスって言ってるんじゃ駄目だ」
 それは当たり前で、あと一歩踏み込まないといけない。
 ヴィクトルは決して止まらず、進化し続けている。
 だから勇利も立ち止まって守りに入っていては、到底勝てるはずが無いのだ。



 その気持ちを胸に、翌月二月の半ばにアメリカのコロラドスプリングスで開催された四大陸選手権に、今度は勇利単独で臨んだのだが。結果は散々なもので、今シーズンで一番悪い四位であった。
 とはいえショートプログラムの方は、今まで最高の出来だったのだ。ただそのせいで欲が出てしまい、フリーの前半の四回転ジャンプが崩れてしまったのである。
 おかげでフリー演技直後のキスクラ説教タイムは久しぶりに本格的なものであった。
「勇利、今回は随分と硬い演技だったね。何を気にしてたの?」
「……一位の折り返しだったので、緊張してしまって。あとノーミスを意識しすぎました」
「それだけじゃないよね。俺の目には、全体的に四回転ジャンプの入りが良くないように見えたけど。もしかしてジャンプ構成を変えるかどうかで迷ってた?」
「うっ。……はい」
 コーチになってくれたばかりの頃は的外れなことも結構言われたが、ここ最近は即座に核心を突いてくる。おかげでこうしてすぐに丸裸だ。
 したがって渋々と頷くと、やっぱりと肩を竦められた。
「以前みたいに最後にフリップを入れようとした――程度じゃ、あそこまで硬くはならないよね。となると、アクセルかな。今練習でもよく跳んでるし」
「……」
 まったくもってその通りである。
 でもここでそうだと認めたら、まだ練習でもろくに成功していないのに無謀だと言われるような気がして下を向いて黙り込む。
 そしてそんな頑なな様子から、およその確信を得たのだろう。小さく息を吐きつつ、背中を軽く叩かれた。
「挑戦するのは、もちろん悪いことじゃない。でも現実問題として、今は練習時に単発で跳んでもほとんどクリーンに着氷出来ていないだろう? その状態で試合に取り入れるのは、得策じゃない。
 というかそんな無理をしなくても、勇利なら十分に優勝を狙える。今回一位の……名前は、えーっと」
「JJです」
「そう。彼とだって、十分に戦える。彼もまだ、四回転のアクセルは公式戦で跳んでいないんだから」
 ヴィクトルの言うことは、まったくもって正論だ。理路整然としており、非の打ち所が無い。
 でも今のままでは、来月に開催されるシーズン最後の一番大きな戦いとなる世界選手権では、恐らく通用しないだろう。
 何故ならその戦いには、ヴィクトルも当然出場する。そしてこの大会で、再び四回転のアクセルを跳んでくる予感がするのだ。
 そうなったら今のままでは太刀打ちできないのもあり、焦燥感がたまる一方であった。

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