アイル

ロシアの英雄と東洋人の醜聞-16

 エキシビションは、大会翌日の午後から行われた。
 そして前日ヴィクトルから誘われた通り、離れずにそばにいてのプログラムを久しぶりに滑るということになったのだが。よくよく考えてみると衣装やら音源やら、何一つとして準備してきていないのである。
 ということに勇利はエキシビション当日の朝に気付くと、早朝という時間帯にも構わず慌ててヴィクトルの部屋へ向かってそのことを訴えた。
 しかしそんな勇利の焦りようとは裏腹に、ヴィクトルは余裕そうな様子で。心配しなくてもちゃんと持ってきてるよと軽い調子で口にすると、部屋の中に置かれている数個のスーツケースを指し示した。
 曰く今回の荷造りをしている時にふと目に入って、これだと思って持ってきたらしい。
 それなら早く言ってくれればいいのにとぼやくと、それじゃあ意味が分からないじゃないかと肩を竦められてしまった。

 そんなこんなで直前まで勇利一人でドタバタとしつつも、なんとか無事にエキシビションを迎える。
 そして演技直前。暗闇の中、フェンス際に二人で並んで立ちながら名前がコールされるのを待った。
 ちなみに今回はヴィクトルが二位なので、彼の方が先に滑るということになっている。
 したがって勇利の目の前にヴィクトルの大きな背中があるわけだが、競技者としてこの光景を目にするのが最初で最後であることに気付いてしまうともう駄目だ。
 たまらず手を伸ばして上着の薄い布地の裾をつかみ、その背に縋るように額を擦り付けてしまう。
 しかしそこでヴィクトルの名前がコールされたのをきっかけに慌ててその手を離すと、彼は振り返って勇利の頭を一撫でしてからリンクへと滑り出していった。
 それから目に焼き付けるようにヴィクトルの滑りを見、耳をすませてその音楽を聞きながら、今か今かと出て行くタイミングを見計らう。
 そしてヴィクトルの視線がゆっくりと思わせぶりに勇利へと向けられたところで、誘われるように自身も飛び出していって。曲が終わるまでの二分四十秒を決して忘れまいと心をこめて最後まで滑りきったところで、二人を照らしていたスポットライトの照明が落とされ、辺り一面が暗闇に包まれた。
「……終わっちゃった」
 改めて口に出すと、じわじわとその実感がこみ上げてくる。
 それにぼんやりとしていると、いきなり手を引っ張られたので何かと思ったら。まるで思いの丈をぶつけるかのようにきつくきつく抱きしめられ、その直後に唇に暖かなものが触れるのだ。
 しかしそれが何かを理解する前に離れていくと、首筋に額を埋め込まれた。
 引退を口にしてからのヴィクトルの様子は、当事者のわりには淡泊だったと思う。それがいきなりこんな展開になったので、さすがに少し驚きだ。
 ただ直前のキスのような行為がどうにも気になってしまうというか。
 しかもキスという単語を具体的に脳内で再生した途端、以前に唇を親指でなぞられたことまでリアルに思い出してしまったから大変だ。
 おかげで顔が妙に火照ってしまったのに、男同士なのに何馬鹿なこと考えているんだと慌てて首を振る。
 するとその動きにつられたのか。ヴィクトルは覆いかぶさるような形になっていた上体をようやく起こしてくれる。それから極度のパニック状態のせいで完全に固まっている勇利の手を引っ張り、フェンス際まで連れて行ってくれた。
 そしてそんな出来事があって、この手のことにまるで免疫の無い勇利が常と同じようにヴィクトルに接することが出来るはずもなく。
 その後からは、明らかに彼のことを意識しつつも、常の倍ほどの距離を取って行動をするようになってしまうのであった。



 エキシビションが終わると、あとはホテルに戻ってからクローズドバンケットだ。
 というわけで勇利はひとまずホテルの自室へ戻ると、さっさとスーツに着替えて身支度を整えてしまう。
 その時点でまだ少し早い時間帯だったが、特にやることも無いので五階のホールへと向かった。
 そして主催側で決められた席に座ってスマートフォンを弄くっていると、しばらくしてぞろぞろと見知った顔がやって来る。
 それから何故かヴィクトルが隣に腰掛けたのを皮切りに、次々と同じテーブルにロシアのリンクメイトの面々が座ったのに思わず呆けた表情を浮かべた。
「僕、日本人なのに何でロシア選手のテーブル席に……?」
「隣のテーブルが日本選手の席みたいだけど、そっちの席が足りなかったんじゃないかな」
「え?」
 そこでヴィクトルが指し示した方向へ顔を向けると、確かに彼の言う通りだ。つまりこの席に座らせるなら、現在ロシアに練習拠点を置いていて、知り合いもいる勇利が良いだろうと思われたのだろう。
 ただ勇利にしてみれば、とんだ災難としか言いようがない。
 だって直前にあんな……あんな、キスをしてきた人物が真横にいるのだ。
 せめてもの救いは、ヴィクトルの態度が常と変わらないということだが、そんなものは気休めにもならない。
 おかげで、とてもではないが素面でいられるはずもなく。駄目だ駄目だと思いつつも、ついアルコールに手が伸びてしまい、また懲りずにひどく酔っぱらってしまう。
 そして最初はヴィクトルやユリオに毎度のごとく絡んでいたのだが。およその食事が済むと、彼らの周りにはあっという間に人垣が出来上がり、とてもではないが勇利が話しかけられる雰囲気では無くなる。
 というわけでグラス片手にそのテーブルを離れ、行儀悪く壁際に寄りかかって一人チビチビとグラスをあおっていると、片手を上げながらクリスが近付いてきた。
「やあ勇利、優勝おめでとう」
「うう~……クリスぅ」
「今日はまた、一段と飲んでるね。優勝して喜んでる……っていうよりヤケ酒してるように見えるけど。大方、ヴィクトル引退の件でショックを受けてるとかかな?」
 そこでどうだと言うように顔を覗きこんできたので、ちょっとだけ正解と答える。
 するとクリスは少しばかり驚いた様子で目を見開き、さらに首を傾げながら不思議そうな表情を浮かべ、ヴィクトルの引退以上にショッキングなことって何とたずねてきた。
「一応言っておくけど、引退の件もかなりショックだからね。でもそれはヴィクトル自身が決めたことだし、僕が口出すことじゃないと思うから。うん。
 それとは全く別件で、ヴィクトルの考えてることがよく分からないっていうかさぁ」
「というと、例えば?」
「例えばって、」
 と、言われてもだ。いくら酔っている状態とはいえ、さすがにキスをされました。なんてベラベラと言えるはずもない。
 だって相手はあのヴィクトルだ。
 今も綺麗に着飾ったたくさんの女の人から写真をせがまれ、周囲にはちょっとした人垣が出来ている。
 そんな彼が、自分のようないまいちパッとしない男にそんなことをするなんて言っても、にわかには信じ難いだろう。
 したがってうめき声を漏らしながら頭を抱えていると、まるで密談をする時のように肩に手を回された。
「大丈夫、誰にも言ったりしないから安心しなよ」
「ええ……?」
「相談したらいくらか楽になるし、案外解決しちゃったりするかもよ」
 ただしその時のクリスの口元は少しばかり歪んでおり、仕草や声音も常よりも大げさで、この状況を楽しんでいるのが明らかであった。
 したがって素面状態の勇利であれば、すぐにそれを見破っただろう。
 しかし酔っぱらって鈍った頭では、それがまるで分からず。いとも簡単にその言葉に騙されてしまうのであった。
「……笑ったり、馬鹿にしたりしない?」
「しないよ。そもそも俺がそんなことしたことある?」
「まあたしかに、それは無いけど」
 というか、勇利が知っているフィギュアスケート選手の中では、一番大人かもしれない。それに恋愛経験乏しい勇利自身よりも、はるかにその手の経験がありそうだ。
 そう考えると、彼に相談するのも悪くないかもしれないと思えてくる。
 そこで腹を括るように一つ頷いた。
「その……気のせいでなければ、今日のエキシビションの時に、きっ、キスみたいなことをされたような気がして」
「へえ、それは確かに驚きだね。控え室とかで?」
「いや、そうじゃなくて……その、エキシビションでペアのプログラムを滑り終えて、照明が消えた瞬間なんだけど」
「ワオ」
 さすがに大勢の人の目の前でと聞いて驚いたのか。ヒュウと口笛を吹かれる。
 途端に、無性に恥ずかしい気持ちと、自分の勘違いだったらどうしようという気持ちがこみ上げてきて。それを誤魔化すように頬を意味も無く掻きながら、僕の勘違いかもなんだけどと慌てて付け加えた。
「僕、そもそもそういうのって初めてだからさ。それにヴィクトルもふざけてただけかもだし」
「ふざけてねぇ……俺の目からは、ヴィクトルってそういうタイプには見えないけど。
 で、肝心な勇利の方はキスされてどうだったの」
「どうって、言うと?」
「そんな難しく考えることは無いよ。単純に、嬉しかったとか、不愉快だったとかあるだろう?」
「あ、ああ。そういう」
 それが満更でも無いから困るんだよなあと思う。
 グランプリファイナルの直後にベッドの上で唇を撫でられた時は、ドキリとしつつもそれが何かあえて考えないようにした。
 でもさすがにキスのようなことをされてしまっては、無視をすることは出来ない。
 しかも直前に離れずにそばにいてを滑って、それを提案してきたのはヴィクトルからなので余計にだ。
 思い過ごしに違いないと思おうとしても、胸を大きく揺さぶられているのが分かる。
 そしてつまりこれって、そういう感情が芽生えているのではないだろうかと、うっかりと考えてしまうともう駄目だ。
 なんだかんだと、十年以上憧れを抱いていた人物なのもあってか。一度恋愛感情を自覚してしまうと、坂道を転がり落ちるようにあっという間に深みにはまっていくのが分かる。
 しかもそれと同時に面白いほどカーッと頬が赤く染まってしまって、そればかりは自分の意思ではどうにもならない。
 今は隣にクリスがいるので、こんなあからさまな反応はまずいと思うのに。酒が入っているせいで感情のコントロールがまるで上手くいかない。
 おかげで落ち着こうと思えば思うほど意識してしまい、頬だけでなく耳まで赤くなってしまう有様だ。
 それにどうしようと焦りながらチラリとクリスの様子を伺うと、彼はグラスに入ったシャンパンをちびちびと飲みながら勇利のことをジーッと見つめていたのに泣きそうな気分になった。
「い、いやっ! 違うんだ、これは、えっと」
「まあまあ、そんな恥ずかしがること無いって。むしろ俺としては、まだ清い関係だったんだって驚いてるくらいだし」
「なっ!?」
 何をいきなり言い出すのだという感じだ。
 したがってものすごい勢いでクリスの方を向いたのだが、何故かクリスの視線は、勇利を通り過ぎてさらに向こう側を見ているのである。
 それに嫌な予感を覚えて恐る恐る背後を振り向くと、そこに笑顔を浮かべたヴィクトルの姿があったのにヒッと喉を鳴らした。
「び、びくとる」
「ちょっと、クリス。勇利に何おかしなこと吹き込んでるのさ」
「吹き込むなんて人聞き悪いなあ。ちょっとしたコイバナってやつだよ。ヴィクトルにしちゃ、ずいぶんと慎重だなと思って」
「はあ……まったく」
 ヴィクトルは、額に手を添えながら大きな大きなため息を吐き、そういうんじゃないんだよと呟く。
 そこで勇利は、恐らくヴィクトルに一連の会話を聞かれていたことに気付く。
 そしてあんまりの羞恥心に完全に酔いがさめ、咄嗟にその場から逃げだそうと一歩足を踏み出したのだが。
 即座に手首を掴まれてしまったせいで、それは叶わず。結局引きずられるような形で、ホテルの上階へと連行されるのであった。

 それから互いに無言のまま廊下をただひたすらに歩き、到着したのはヴィクトルの部屋だった。
 ただしそこまで一切会話が無かったのもあり、非常に気まずい。
 というわけで部屋の出入り口付近に突っ立って視線を左右に彷徨わせていると、先に中に入って行ったヴィクトルに適当に座ってと声をかけられた。
 ただし窓辺に置かれている二脚のソファの前には大きなスーツケースが数個置かれており、どう見ても座れる状況ではないのである。
 それにどうしたものかと戸惑っていると、先にベッドに腰掛けていたヴィクトルが、横に座るようにと手招きをしてくる。そこで素直にその指示に従った。
「なんか、いきなりこんなところまで連れて来ちゃって悪いね。まさかクリスが首を突っ込んでくるとは思わなかったから、ちょっと驚いちゃって」
「あ、いや。それ、たぶん僕のせいなんだ。すごい酔っぱらってくだ巻いてたから」
「ああ……それでか。でもまあ、いずれにせよ良いタイミングだったかもしれない」
 いつまでもこのままの関係ではいられないしねと続けられた言葉の不穏さに、戦々恐々である。
 だって自分はヴィクトルの目の前で、彼のことをどう思っているのかと聞かれて顔を赤くしてしまったのだ。
 いや、まあ一応その気持ちをはっきりと言葉にしてはいないが。クリスの前後の言動と、彼のこの不可解な行動から、その意味が伝わっているのは明らかだろう。
 しかし目の前にいる相手は、世界一のモテ男と名高いヴィクトルなのである。女優やモデルなどとの華々しい恋愛遍歴で、今まで世間を騒がせた回数は数知れない。
 ということを改めて思い出すと、そもそも恋愛感情を抱いてしまったことすらも恐れ多く思えてくる。
 そしてそんなことを考えていると、彼が仕掛けてきた先のキスは、単純に感情が高ぶって思わずしてしまっただけだと思えてくるから不思議なものだ。
 というかお互いに男なので、むしろそちらの方がしっくりくるだろう。
 それもあり、青い顔をしながら一人で勘違いをして盛り上がって、馬鹿みたいだと頭の中で考えていたのだが。
 そんな勇利を見たヴィクトルは、苦笑を漏らしながら背中から手を回して肩を抱き寄せてきた。
「ちょうど一年くらい前かな。勇利にちらっと引退の話しをしてから、これから先のことについてずっと考えていたんだ。
 ああ、一年とか二年先とかの話しではなくて、もっと先だよ。それこそ五年とか十年とか、もっと先も。どうしたら勇利とずっと一緒にいられるかなって」
「それ、は」
 五年後だったら、もしかしてギリギリ現役でいられるかもしれない。でも十年後はまず無理だろう。
 それにもっと先とは、それはつまり自分の自意識過剰でなければ、互いの競技人生を終えてからも一緒にいたいということではないだろうか。
 それに気付くと、それまで胸の内に渦巻いていた不安な気持ちが驚くほど一気に引いていき、その代わりにドキドキと心臓が脈打ちだすから現金なものである。
 そこで彼は気持ちを落ち着けるようにふうと一つ息を吐き、これって勇利のことがそういう意味で好きなんじゃないかって気付いたんだと口にした。
「ただそもそもこういう恋愛感情を持つのが初めてだったせいで、自分でもしばらくの間はなんだかよく分からなくて。おかげでちゃんとそうだって気付くまで、かれこれ何か月もかかっちゃって情けないよ。
 しかも勇利ってストレートっぽいから、なかなか言い出せなくて。そうこうしている間にシーズンインした挙句に、最後は自分の気持ちをおさえきれなくなってこれだ」
「あ、ああ……」
 もしかしたらとは思っていたものの、やはり面と向かって言われるとその衝撃はすさまじい。
 だってそもそも、こうして告白されること自体が生まれて初めてのことなのだ。
 しかもその初めての相手が、昔から憧れてやまないヴィクトルなのである。
 よくよく考えてみるとそれ以前に同じ男同士という問題もあるのだが、そんなの今は大した問題ではない。
 それよりもヴィクトルにかなり熱烈な告白をされている状況が信じられず、馬鹿みたいに口を開けて呆けてしまう。
 するとそんな様子が面白かったのか、クスリと小さく笑いを零されて。それまで背に回されていた手が前に回されると、両頬に手を添えられた。
「つまり何を言いたいのかというと……俺は、勇利のことが好き――いや、愛してるんだ」
 今二人の内のどちらかが少しでも動いたら、唇同士が触れてしまうだろう。
 そんな距離感で最後の駄目押しのように愛の言葉を囁かれて、どうして誤魔化すことが出来るだろうか。
 そして気付いた時には、勇利もたどたどしいながらも自分の気持ちを正直に口にしていた。
「僕もおなじ。その、ヴィクトルのことがすき、です」
 直後、ヴィクトルの表情がくしゃりと崩れて笑みを向けられる。
 それはいつも彼がカメラに向けているような綺麗に整ったものではない。でもどこか少年のような雰囲気を醸し出していて、勇利が大好きな表情の一つだ。
 それを今この瞬間に向けてくれたことが嬉しくて、無性に愛おしい気持ちが胸の内に広がっていくのが分かる。
 そしてたまらず手を伸ばして指通りの良い銀糸をすくうように撫でると、額同士をくっ付けられた。
「嬉しいな」
 以前のように、頬に添えられた手の親指で唇をゆっくりと撫でられる。その時に唇を薄っすらと開けたのにさして深い意味は無く、強いて言うならば反射みたいなものだ。
 しかしそれに吸い寄せられるかのようにヴィクトルの顔が近付いてくると、気付いた時には互いの唇同士が重なっていた。



■ ■ ■


「うう……くるしい」
 勇利が呻くようにそう口にしたのは、翌朝の昼少し前のことであった。
 全身が重たくて、何かが乗っているみたいだ。
 そこでそういえば、就寝中にヴィッちゃんが腹の上に乗っかってきた時に、似たような状況になったことがあるなあと思いながら目蓋を渋々と開け――するとそこには、犬のヴィッちゃんではなく、人間のヴィクトルの美しい寝顔があったのに、全身をピシリと固まらせた。
「なっ、なんだこれは」
 何が何だか、さっぱり訳が分からない。
 ただとりあえず状況を把握しようと視線を巡らせてみると、彼の腕の中にきつく抱きしめられていることに気付く。つまりはこれが寝苦しい原因だったのかと理解したのも束の間。
 そもそも何故そんなことになったのかと再び思考の海に沈み、そこで脳裏に昨晩の己の痴態の数々が蘇ったからたまったものではない。
 寝起き早々刺激的すぎる画像に慌てて頭を振り、とりあえずヴィクトルが起きる前に身支度を整えようと起き上がろうとしたのだが。
 そこでお約束の展開と言うべきか。それまで身体に緩く巻き付いていた手に力が入り、勇利の身体を柔らかく拘束したためにそれが叶うことは無かった。
「勇利、起きたの?」
「ヒッ!」
 まさかと思いながら恐る恐る顔を上げると、案の定だ。
 それまで閉じていたはずの目蓋が開き、スカイブルーの綺麗な瞳が露わになっている。
 しかも寝起きにも関わらず、美しさは相変わらず……というかむしろ、寝起きの気だるさに加えて裸という格好のせいか。いつもの二割増しで色っぽい気がする。
 その雰囲気にあてられ、思わず寝ながら直立不動の格好を取っていると、ヴィクトルは小さく笑いを漏らしながら頬に手を這わせてきた。
「おはよう、勇利。起きてもこうして腕の中に勇利がいるっていうことは、昨晩のことは夢じゃなかったのか。嬉しいな」
「う、え」
 そう口にしたヴィクトルの表情は、今まで見たことが無いような蕩けそうに甘いものである。もしかしたら、これが恋人に向ける表情というやつなのかもしれない。
 そしてそれに気付いてしまうと、無性に恥ずかしい気持ちがこみ上げてくるのにむずむずとして、どうにも落ち着かない。
 でもこの状況で無理矢理彼の腕の中から逃げ出すのも、なんだか違う気がして。ひとまず目を閉じて顔を俯けると、軽く笑い声を漏らしながらよしよしというように頭を撫でられて胸元に抱き寄せられた。
「改めて、これからもよろしく」
「……うん」
 これからまた、彼とは長い長い道のりを共に歩いていく。コーチとして、恋人として、友人として、良き理解者として……他にもたくさんあるだろう。
 だからきっと、今のは色々なよろしくだ。
 それを思うと、その相手として自分を選んでくれたのが嬉しくて、自然と笑みが零れる。
 これからまた、彼との新しいライフとラブが始まるのだ。それを思うと、胸がひどく高鳴った。

 ただしこの後にヴィクトルだけでなく自分まで裸であることに気付き、ひどく慌てるのはまた別のお話し。

戻る