アイル

腐男子がイケメンスケーターに迫られるはずがない!-4

 しかし人間とは環境に慣れる生き物で。彼がやって来てから一週間ほど経過する頃には、勇利も少しずつヴィクトルの存在に慣れてきたおかげか。彼ともいくらか会話が続くようになり、出会ったばかりの頃の他人行儀な様子に比べると大分普通に接することが出来るようになってくる。
 そこでヴィクトルはようやく納得したのか。夜の襲撃や風呂の誘いがピタリと止み、おかげで勇利もダイエットのためのトレーニングに身が入ってきたところで事件は起きた。

「やあ、勇利。ちょっとお邪魔してるよ」
「へっ!? な、なんで……僕の部屋にヴィクトルが……?」
 マッカチンを夜の散歩に連れて行きがてら、町内をぐるっとランニングしてから自室に戻ったときのことだ。
 何故か全開になっている部屋の押し入れの前にヴィクトルが腰掛け、なにやら熱心に読んでいるのに気付く。その瞬間、勇利はそのまま回れ右をしてもう一度ランニングに行きたい衝動に駆られた。
 しかし後ろにいたマッカチンが、早く中に入ってくれというようにお尻をグイグイと押してきたので、それが叶うことは無かった。
「うわっ! マッカチン!?」
「あはは。おかえりマッカチン、そんなに俺と早く会いたかった? でも、人を押したらダメだよ。勇利もおかえり」
 勇利を押しのけたマッカチンは、一目散にヴィクトルに駆け寄っていく。先ほどまであんなに勇利に懐いていたのに、やっぱり一番はヴィクトルのようで少しばかり寂しい。
 でも彼らがじゃれ合っている様子は楽しそうで和む……ではない。そうではなくて今一番問題なのは、ヴィクトルが現在進行形で手に持っている、B5サイズのピンク色の表紙の本だ。
 あれはどこからどう見ても、ヴィクトルが日本にやってくる直前、勇利がアナニーをしていた時にお世話になった同人誌で間違いない。
 そしてそれに気付いた途端、そのまま地面に埋まりたい気分になった。正直、挨拶を返しているどころの騒ぎではない。
 しかし肝心なヴィクトルはというと、そんなのお構い無しといった様子だ。返事がこないので、声が聞こえていないと思ったのか。満面の笑みを浮かべながら、本を持っている方の手を顔の位置まで上げて左右に振ってみせた。
 ただしその笑顔に反して、本の表紙にはヴィクトルとユーリが思わせぶりに絡まりあったイラストが描かれていたので、勇利にとってはただただ辛いものでしかない。したがって思わずその本を指さしながら、震える声を小さく漏らした。
「な、なんで、ヴィクトルがその本を……」
「ん? 何で固まってるのかと思ったらこの本のせいか。勝手に悪かったね。でもそんなに恥ずかしがらなくても、男なら誰だってこの手の物を持っているものだし気にすることはないよ。
 実は今、愛をテーマに色々と振り付けを考えているんだけど、もうちょっとアレンジを加えたいなって思って。でもイメージが湧かないから、勇利の持っているそういう本を参考にさせてもらおうと思ったんだ」
「ヒィッ!」
「悪いなとは思ったんだけど、勇利に直接頼んでも絶対貸してくれなさそうだし」
「な、なるほど」
 人の家に勝手にソファやらベッドやらの大型家具を大量に持ち込んでおいて、今さらエロ本ごときを借りようなんて。この人は何を言っているのだろうという感じだ。
 思わず真顔になってしまうが、よくよく考えてみると彼は超有名人なわけで。となると、そこら辺の店でエッチな本を気軽に買うのも難しいのかもしれない。
 それなら通販という手があるが、外国の人なので住所の入力も難しいのかと気付く。
「あの、そういうので通販を使う必要があったら、住所の入力方法とか教えますから」
「ああ、そういう心配は不要だよ。必要があれば、ネット上の動画とか購入すればいいし。そうじゃなくて、俺は勇利のに興味があったんだ。それでこの本を偶然見つけたんだけど……うん、色々と納得した。
 普段の勇利からは、性欲なんて一切感じやしない。それどころか、興味すら無さそうだ。―でも実際はそんなことは無かった」
 そこで彼は手に持っていた同人誌を再びピッと立てる。そして、こういうのって奥ゆかしいとか慎み深いっていうのかな? と口にしながら、笑顔で首を傾げてみせた。
 勇利的には、そんな具体的な回答を得ているのならば、そんなことを聞くなという感じである。しかし無視するわけにもいかないので、顔を赤くしながら目を横にそらし、そうですねとぼそぼそと答えるしかない。
 すると彼は満足した様子で顎を指先で擦りながら、なるほどなあと頷いていた。
「まあそんなに心配しないで。当然君の家族には、この本の在処なんて話さないから」
「いや、そういう問題ではなくて……」
 しかしここまできたら、机の引き出しの奥深くに隠してあるアナニーグッズが見つからなかっただけ、マシと考えるしかないだろう。
 それより今の最大の問題は、ヴィクトルが本の中身を見て、自分自身をモチーフに描かれたエロ同人誌と気付いてしまったかどうかだ。
 ただ本人にそれを聞くのはあまりにも恐ろしい。したがって口の端をヒクつかせながら、ヴィクトルが手に持っている同人誌を力なく指さした。
「あの……それ、返してもらえます?」
「それはもちろん、勇利のものだし。ところで、この本を探している時に、偶然俺のポスターとか雑誌とか大量に見つけたんだけど。あとこの本に書いてあるVICTORって俺のことだよね? まあ、俺の相手は色々だったけど。
 それで、一つ疑問が生じたんだ。勇利は単なる俺のファンなだけかなって思っていたんだけど、もしかしてそういう意味で俺のことが好きなのかなって」
「!?」
 アナニーのおかずとして使用していた過去がある手前、少しだけドキリとしてしまう。しかし恋かと言われるとそれとは違うので、ノーノーと連呼しながら慌てて首を振った。
 というかこの状況、下手したらコーチを辞退すると言われかねない事態であることにようやく気付くと、冷や汗が止まらない。したがって身を乗り出しながら、必死に違うのだと主張した。
「そういうのでは、まったく無いんです! 本当に、はい! いやまあ、実際にそういう本があるので、ちょっと説得力が無いかもしれませんけど。ただ、その、僕は小さい頃からヴィクトルのファンで……ネットとかでファンアートとか見ているうちに、好きが高じて色々と購入してしまったというか」
「へえ、そうなんだ」
「しっ、信じてもらえます……?」
「勇利がそういうなら、そうなのかなって」
 それにそうじゃないと、最初の頃みたいにあんなに俺のことを避けまくる理由が思いつかないしと笑顔を向けられて心臓に悪い。どうやら彼の周りには、積極的なタイプばかりだったようで、日本人のような一歩引いたタイプの人間はいなかったようだ。
 まあ本人も完全に肉食系っぽいしなと思いつつ、謝罪の言葉を口にすると肩を竦められた。
「うん、大丈夫。今はあれが恥ずかしさの裏返しって何となく理解したからね。それにしても、まさか僕らのファンアートでこういう本があるとはなあ。ちょっと驚いたよ」
「ま、まさかヴィクトル……全部読んで……ませんよね?」
「さすがに日本語は分からないからパラパラ見ただけだけど。そのダンボール箱の中のものは全部ざっと目を通したよ。他にもあるの?」
「ひっ!? ―あ、いえ。その中のものが全部です」
 中にはかなり性感を煽るような過激な描写のある本もあったはずなのだが。ヴィクトルの様子はケロッとしていて、まるで普通の雑誌でも読んだだけのようなノリだ。
 ちなみにその過激な本の筆頭は、ヴィクトルと勇利のカップリングの本だったりするのだが。それを読んだかどうかを尋ねるだけの勇気は当然無い。
「あの……怒ってませんか?」
「怒る? 何故?」
「いや、その……そういう本を僕が持っているの、イヤじゃないかなって」
「うーん、そうだな。まあ正直なところ、さすがにこういうのがあるのには驚いたけど。でも他の人の物にまでとやかく言ったりしないよ。ちなみに俺のお気に入りはこれ」
 そこでゴソゴソとダンボール箱の中身を漁っているので何をしているのかと思いきや。まさかの、問題のヴィクトルと勇利の本を目の前に差し出されたのに、もの凄い勢いで後退る。
「や、やめてくださいよ! びっくりしたじゃないですか!!」
「でもこれ、勇利が出ている唯一の本じゃないか。それにかなり過激だ」
 男同士の本だって分かっているのに、ちょっと煽られたよと目の前で本をパラパラと見ているが、本当に止めて欲しい。
 過激な本というのには同意するが、残念ながら勇利にはエロ本を他の人と見る趣味は無いので、はっきり言ってただの嫌がらせでしかない。だからさらにジリジリと後退して部屋の奥の方へ逃げていくと、心底不思議そうな表情で首を傾げられた。
「自分が描かれている作品なのにイヤなの? ていうか、自分で買ってきた本なのに逃げるなんて。不思議な行動をするなあ勇利は」
「は、恥ずかしいじゃないですか、やっぱり。いや、ヴィクトルはそういうの大丈夫かもしれないですけど、僕はどっちかっていうと苦手な部類というか。あとそれを購入したのは、僕が出ていた唯一の本だったからで、本当にそれだけで他意はなくてっ」
「ふーん」
 言い訳がましい台詞を連ねた後、相手の反応が一言だった時の恥ずかしさといったらない。
 しかもヴィクトルは、そんな様子の勇利のことをじっと見つめているのである。その透明な瞳に、何もかも見透かされているみたいだ。
「と、ともかく! 一応仕舞う場所は移動しておきますけど、実は見るのが不快とかだったら気を付けてくださいね」
「移動しちゃうの? せっかくだし、全部ちゃんと読み直そうと思ったのに」
「読み直すって、そんな……正気ですか? まあ、後で僕に文句言わないなら構わないですけど」
「やった! ねえ、せっかく俺のこと格好良く描いてもらっているし、写真撮ってもいい?」
「いや、あの、SNSにアップとか絶対に止めてくださいね!? ヴィクトルの方は大丈夫かもしれないけど、僕の人生は確実に終わりますから。それと表紙は当たり障り無い感じだけど、端の方にばっちり十八歳以上って書いてありますから。ここ、分かります? アダルトオンリー! 成人向け!」
「……ん? ああ、本当だ」
 面白そうなものを見つけると隙あらばネット上にアップしようとする癖、本当に止めていただきたい。
 必死な形相で表紙の該当マークを指さして押しとどめると、渋々といった様子でスマートフォンをポケットに戻してくれた。
 油断も隙もあったものじゃない。

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